第207話
「何故ですか!? “タルボス”が完成すれば、カーミラは日の光の下に出られるんです! 彼女の悲願であることは、ルスヴン様もご存じでしょう!?」
客人たちのいる部屋から少し離れた別室へと移動したローランドとルスヴン――薄暗い室内の静寂を、ローランドの一声が突き破った。
「前にも言った通りだ。たとえそれがカーミラ様の願いであったとしても、貴族の立場からしてみればそれは許されない。貴族が人間になることを、いったい誰が認める? まして彼女は、国を統治する三貴族の当主の一人だ。貴族は勿論、人間や亜人からも反発を受けるだろう。ただの人間が貴族の立場でいることなど、誰一人として納得しない。そうなれば、貴族と市民の対立は今以上に激化するのは目に見えている」
ルスヴンが刃を通すような声色で、冷たく言い放った。
ローランドは先ほどまでの威勢を失い、畏縮して視線を下に向ける。
「で、ですが……」
「人間になりたいと思う貴族が、カーミラ様以外に多少なりいることは私も知っている。やはり、日の光を浴びるということは、それだけで魅力的なことだからな。私も貴族だ、日の光に憧れる気持ちはよくわかる」
「だ、だったら――」
「だがそれは、個人の感情論で進めていい話ではない。この国の貴族とは、種であり、体制なのだ。建国以来、一度たりとも変わることのなかった仕組みだ。その根幹に影響を及ぼす事例をひとつ作ってしまったが最後、たちまちこの国の社会基盤は瓦解し、崩壊する。いいか、これは君とカーミラ様だけの問題ではない。この国の行く末を大きく左右する話なのだ」
淡々と、ルスヴンはローランドを説き伏せようとする。
対してローランドは、両手に力を込め、己を奮い立たせるように面を上げた。
「それでも僕は、貴族を――吸血鬼を人間に戻す薬を、“タルボス”を完成させたいです。確かに、ルスヴン様の仰る通りです。ですが、今すぐとはいかずとも、いつか、ゆっくりと、少しずつ変わっていけば、世の中も受け入れてくれるはずです」
「希望的観測にしか聞こえんな」
ルスヴンは嗤笑し、鼻を鳴らした。
「もうひとつ、君に伝えておこう。大多数の貴族は、自分が貴族であることに誇りを持っている。人間や亜人より遥かに優れた身体能力を有していることに、強い尊厳を持っているのだ。つまり、何を言いたいかというと――」
ローランドとルスヴンの間には、五メートル以上の距離があった。だが、ルスヴンがそう言いかけた瞬間、いつの間にか、彼はローランドの背後へ回り込んでいた。
それからルスヴンは、肩を組むようにローランドの身体に手を乗せた。その後で、徐にローランドの耳元に顔を近づける。
「あまり無邪気に今みたいな話をしない方がいい。他の貴族の逆鱗に触れることになるかもしれないからな。まして、“タルボス”という対クドラクの特効薬を開発しているなど、口が裂けても言うな。君の命に係わる」
ローランドは、吸血鬼の超人的な身体能力の片鱗を目の当たりにし、顔を蒼白にして慄いた。冷や汗が首筋を伝い、鎖骨をなぞるように滑っていく。
そんなローランドを、ルスヴンはどこか軽蔑にも似た眼差しで見遣った。あたかも、ヒトが羽虫を見るような、差別的な視線だった。
ルスヴンが、ローランドから離れる。
「さて、私の言いたいことは以上だ。“タルボス”の開発を止める――それが、君とカーミラ様が今後も友人でいられるための必要条件だ。例えそれが、二人の仲を繋ぐものであったとしてもな」
ルスヴンはそれきり興味を失ったように踵を返し、部屋の扉に手をかけた。
「それと、カーミラ様のお身体が年々弱っていることは君もよく知っているな? それもこれも、君と会うようになってからだ。人間に憧れるがゆえ、人間の血を飲むことに抵抗を覚えてしまっている。もし君が本当に彼女の身を案じるのであれば、必要以上に接触しないことだ」
そして、部屋の扉が閉じられ、ローランドだけが一人取り残された。
※
シオン、エレオノーラ、ヴィンセントの三人は、今しがたリリアンから彼女が盗聴した内容を聞かされた。各々、その内容に、複雑そうな呻り声を上げる。
「“タルボス”……吸血鬼を人間に戻す薬か。カーミラの人間になりたいという願いを叶えるため、薬師のローランドが開発に従事しているが、執事のルスヴンがそれを良く思っていないと」
「何だか面倒な話だねぇ。まあ確かに、仮にその“タルボス”って薬が完成して、カーミラ嬢が人間になったところで、そのまま貴族として国を治めることが認められるのかって話が付きまとうわなぁ。そりゃあローランド君との二人だけの話ってわけにもいかんね」
シオンとヴィンセントが、顔を見合わせながら肩を竦める。
そんな時、不意にリリアンが顔を顰めた。
「リリアン? どうしたの?」
エレオノーラが訊くと、リリアンは一同に軽く目配せをした。
「……皆さま、しばし我慢と演技のご用意を」
それが何かの合図であったかのように、部屋の外から複数の足音が響いた。やけに重々しく、本能的に不穏さを感じ取ってしまうような響きだ。
直後、部屋の扉が荒々しく開かれる。
そこから雪崩れ込んできたのは、この国の警察たちだった。黒を基調にした制服を身に纏う彼らの肌は、押し並べて青白く、また瞳の色は赤かった。そのことは、彼らが漏れなく吸血鬼であることを証明していた。
「動くな!」
警察たちは客間の出入り口を塞ぎつつ、瞬く間にシオンたちを取り囲んだ。一糸乱れぬ挙動で素早く拳銃を構え、鋭い殺気を放つ。
それを見たシオンとヴィンセントが、瞬時に目つきを鋭くした。取り囲む警察は十人もいない。この数なら、相手がいかに吸血鬼といえども、切り抜けられるはず――そう二人は胸中で判断した。
しかし、リリアンが首を横に振ってそれを止めた。
ではどうする、と、シオンが顔を顰めた直後――部屋に、血相を変えたカーミラが入ってきた。
「何事だ! 警察が私の城に何の用だ!」
カーミラは警察の一人の胸倉を掴み上げた。警察は臆した様子もなく、淡々と彼女の腕を振りほどく。
「カーミラ様、どうかご理解を。先ほど、匿名の通報がありました。不審な外国人がこの城にいると。昨日の明け方に起きた暴動に係わっている可能性もありますので、恐れ入りますが、了承を得る前に踏み込ませていただきました」
カーミラが、そんな馬鹿なと、驚きに顔を歪める。
さらには、
「か、カーミラ! これはいったい!?」
警察に後ろ手で拘束されたローランドが、部屋に入ってきた。
カーミラは、いよいよ表情の色を激昂に変える。
「ローランドは関係ないだろ! 何のつもりだ!」
「この男は、そこの外国人たちと最初に接触した人物と聞き及んでいます。重要参考人として連行させていただきます」
それを号令代わりに、警察たちが動き出した。警察たちはシオンたちの後ろに回り、一人ずつ後ろ手に手錠をかけていく。
カーミラは殊更に慌てふためき、警察たちの前に身振り手振りで立った。
「待て、待て! リオネラ嬢たちは私がこの城に招いたのだ! 確かに彼女たちは外国人だが、今まで不審な動きなど何一つ見せていないぞ! そもそも、誰の許しを得てこんなことをしている!?」
「僕だよ」
妙に下卑た、厭らしい男の声が、部屋の外から唐突に起こった。
カーミラとローランド、シオンたちが、怪訝に部屋の出入り口へ一斉に視線を向ける。
入ってきたのは、ヘンリー・ヴァーニィと、護衛の双子だった。
途端、カーミラの顔が憤怒に染まる。
「ヴァーニィ! まだこの街に居座っていたか! 貴様に何の権限があって――」
「僕は君の旦那様になる男だ。フィアンセの身の回りに不審者がいたら、通報するのが当然だろ?」
「何がフィアンセだ! ここは私の城だ! 領地だ! これ以上の勝手は――」
「ちょっとうるさいよ、領主様」
怒りに任せて叫ぶカーミラが、突然、意識を失った。その背後には、双子の片割れ――ソドムがいつの間にか佇んでいた。ソドムは、後ろに倒れるカーミラの身体を受け止めると、どこか得意げに鼻を鳴らした。
「カーミラ!」
「君も静かにね」
続けて、もう一人の片割れ――ゴモラが、ローランドの背後に立った。ゴモラがローランドの背後に現れた瞬間、ローランドはカーミラと同じく、魂を抜かれたように意識を失い、倒れてしまう。それからローランドの身体は、丸太を担ぐようにしてゴモラの肩に乗せられた。
「おいおい、ソドム。僕の奥さんを傷物にしないでくれよ」
ヴァーニィが苦言を呈すと、ソドムはおどけるように肩を竦めて軽く謝罪した。
ヴァーニィはそれを呆れた顔で見遣り、今度はシオンたちへ目を向ける。
「さてさて、外国人諸君。余計な抵抗はせずに、僕の言うことに大人しく従ってもらおうか。大丈夫、さすがの僕も、外国人相手にいきなり血を吸おうなんて思わないよ。国際問題になっちゃうからね」
くすくすと小馬鹿にした様子で笑う様は、まさに醜い豚が鼻を鳴らしているかのようだった。
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