第206話

 日没と同時に急遽執り行われたメイドの葬儀には、シオンたちも参列した。

 霧深い夜の帳の下、城の敷地の一角にある墓所に、メイドは埋葬された。無宗教であるためか、葬儀の内容そのものはいたって簡素なものだった。棺が地中に埋められる直前に献花をするだけで、聖王教の時のように、神へ祈りを捧げるといった儀礼的な段取りは、一切なかった。


「折角の旅行だというのに、申し訳ないな。うちのメイドに花まで手向けてもらったこと、感謝する」


 葬儀を終え、城の客間で一息ついていたところに、入室したカーミラがそう切り出した。

 シオンたちは一斉にソファから立ち上がった。その後で、リリアンが一同を代表して深々と一礼する。


「どうか、お気になさらず。このたびはご愁傷さまでございます」


 途端、カーミラの目が、意味深に細められた。


「意外だったか?」


 そう言った彼女の瞳には、愁いにも似た寂しげな光が灯っていた。


「宗教を持たない私たちが葬儀を執り行い、死者を弔うことが」


 シオンたちは返答に詰まり、暫く沈黙した。何故、何の脈絡もなく、カーミラが今のような質問を投げかけてきたのか、シオンたちは困惑に眉を顰める。葬儀中、何か気に障るようなことでもしただろうか――全員がそんな考えを頭に巡らせた。


 だが、すぐにリリアンが首を横に振った。


「いえ」


 すると、カーミラは自嘲するように笑った。くだらないことを訊いたと、露骨に恥じているような笑みだった。


「人間という生き物は実にか弱い。キャサリンもきっと、ヴァーニィに抗う術なく、恐怖と絶望に慄きながら死んでいったのだろう」


 カーミラの赤い双眸が、舐めるようにしてシオンたちを捉える。


「君たちは、私たち貴族を恐れるか? ヒトの血を食らい、超人的な能力を有する吸血鬼を」

「それが暴漢であれば。しかしそれは、吸血鬼に限った話ではありません。カーミラ様のように優しく、ご聡明なお方であれば、そのような恐れを抱くことはないでしょう。そのことは、何よりも、つい先ほどに弔われたメイドの女性こそが感じていたのではと、わたくしは思料いたします」


 リリアンの回答に、カーミラは力なく笑った。


「君はヒトの機嫌を取るのがうまいな」


 それから軽く肩を竦め、仕切り直すように深呼吸した。先ほどまでの寂しげな感情はすでになくなり、最初に見せた時と同じような、明るく、貴族らしい顔つきに戻った。


「さて、大したもてなしはできないが、この街にいる間は、ここを自宅だと思って自由に寛いでくれ。その代わりと言っては何だが、次の晩餐には君たちも同席してほしい。そこで、外の国の話を色々聞かせてくれないか? それを宿代と思ってくれ」

「無論でございます」

「ありがとう」


 次にカーミラは、ローランドを見遣った。


「ローランド、お前も来るだろう?」

「じゃあ、お言葉に甘えて」

「よろしい」


 ローランドの快諾に、カーミラは満足そうに頷いた。

 続けて彼女は、部屋の隅にいたルスヴンを横目で見る。


「ルスヴン、準備は任せた。晩餐の時間になるまで私は少し部屋で休ませてもらう。今日は少し疲れた」

「かしこまりました」


 ルスヴンが一礼すると、カーミラは颯爽と踵を返した。それから雑に扉を開けて、さっさと客間を出ていく。よほど疲労が溜まっていたのか、その足取りは、急ぎつつもどこか覚束ない様子だった。


 そんな彼女の後姿を、どこか気づかわしげに見ていたローランド――不意に、その傍らにルスヴンが付いた。


「デクスター君。少し、いいか」


 銀縁眼鏡の奥で真紅の瞳がぎらつくと、ローランドは委縮しながら頷いた。


「は、はい」

「カーミラ様の件で話したいことがある。場所を移そう」


 そうして、ローランドとルスヴンも客間から出ていった。

 部屋に残ったのはシオンたちだけとなり――緊張の糸が解けたように、ヴィンセントがソファに豪快に腰を下ろした。


「何だか妙なことになってきたなぁ。こっからどうやって王女に辿り着くよ?」


 ヴィンセントが、すでにお手上げ、といった素振りで天井を仰ぐ。


「でも、アタシたちの身の安全が確保できたのは大きいんじゃない? ここにいれば安全なんでしょ?」


 エレオノーラの見解を聞いたシオンは難しい顔になった。


「どうかな。この城も完全に安全とは言い切れないと思う。現に、人間のメイドが一人殺されたんだ。依然として警戒は緩められないだろう」


 リリアンもそれに同意した。


「はい。それと、ひとつ気になることがございます」


 神妙な顔でそう切り出したリリアンを、ヴィンセントが間抜けな顔で見遣る。


「何が気になりましたぁ、お嬢様?」

「ヴァーニィ家が、わざわざ明け方にここを訪れた理由です。彼らも貴族、下手をすれば日の光を浴びて命に関わるというのに。それほどまでにカーミラ・カルンスタインと直接会いたかった火急の用があったのでしょうか」

「確かに、仮に何かを伝えるためだけだったら、電話で事足りるわけだしなぁ。ここに来ることに、何か意味があったのかもなぁ」

「今は何を考えても憶測にしかなりませんが――いずれにせよ、ここも安全とは言い難い状況です。常に細心の注意を払うよう、お願いいたします」

「だな。特にシオンは、エレオノーラちゃんをしっかり守ってやんないとなぁ」


 ヴィンセントがへらへらした顔でシオンに言った。

 すると、シオンは至極当然といった真顔で、


「始めからそのつもりだ」


 そう言い放った。

 途端、エレオノーラは頬を紅潮させながら、恥ずかしそうな、嬉しそうな、何ともいえないニヤついた顔になって――何故かシオンの背中を一発叩いた。


 そうやって困惑するシオンを見て、ヴィンセントが大笑いする。

 その後、


「さて、次の晩餐まで何するよ? 街に出て情報収集でもするかぁ?」


 暇つぶしの話題へ切り替えた。

 ヴィンセントの提案には、リリアンが首を横に振った。


「いえ、今このタイミングで下手に市街地を嗅ぎまわるのは得策ではありません。これは、わたくしの私見ではありますが――カーミラ・カルンスタインは、我々の正体に勘付いている可能性があるのではと思っています」

「なんでぁ?」


 リリアンの私見に驚いたのは、声を裏返らせたヴィンセントだけではなかった。シオンとエレオノーラも、怪訝に眉を顰めている。


「先ほど、わたくしに投げかけた質問が少し引っかかりました。“宗教”、“超人”という言葉を露骨に使い、我々の反応を伺っているようにも見えました」

「考えすぎじゃねぇ?」


 ヴィンセントが否定気味に言ったものの、


「言われてみれば、リリアンの言う通り、葬儀の前後でカーミラの態度が少し変わっていたのは俺も感じた。もしかすると、ヴァーニィ家と接触した時に何か吹き込まれたのかもしれないな」


 シオンも、思い出したようにそう言った。

 エレオノーラが嘆息しながら渋い顔になる。


「やだやだ。どうしてこう、いつも不穏な方に話が転がるのかな」

「もともと危険な潜入なんだ。文句は今更だ」


 それはそうだけど、と、エレオノーラは不満げに口を尖らせ、それきり黙った。

 ヴィンセントが溜め息を吐いて、ソファの上で体を大きく伸ばす。


「まあ、用心しておくに越したことはねぇか。仮に俺らの正体が勘付かれているってんなら、確かに下手に動き回るのは良くねぇなぁ。今日のところは、城でのんびり過ごすことにしますかねぇ。リリアン、それでいいかぁ?」


 ヴィンセントが欠伸をしながら訊いた。

 しかし、リリアンは何も反応を示さない。


「リリアーン? どうされましたぁ、お嬢様ぁ?」


 その呼びかけにも応じず、リリアンは、何もない正面をじっと見つめたまま、微動だにしなかった。そのただならぬ雰囲気に、シオンとヴィンセントはすぐに察した。

 彼女は、“聞いている”のだ。


「……ローランド氏とルスヴン氏が何やら揉めているようです」

「は?」


 突拍子もないことを言い出したリリアンに、エレオノーラが反射的に声を上げた。

 それには構わず、シオンがリリアンに近づく。


「何を話している?」

「少々お待ちを」


 リリアンは、瞑想するように、静かに目を伏せた。

 突然始まった少女の不可解な行動に、エレオノーラだけが付いていけないでいた。エレオノーラは堪らず、シオンの腕を引く。


「ね、ねえ、リリアン、どうしちゃったの? なんでここにいないヒトたちの話を知ってんの?」

「リリアンは騎士の中でも突出して電磁気力の操作に長けている。普通は“天使化”状態でないと使えないような力も、リリアンは通常状態で精密に扱うことができるんだ」


 だからそれが何なのだと、エレオノーラは眉間に皺を寄せる。

 すると、今度はヴィンセントが口を動かした。


「リリアンの力は、単純に引力や斥力を扱うだけじゃなく、電気信号や電波を知覚的に感知することができるんさ。今もこうして、この城に張り巡らされた電線や空気中の微弱な電波を読み取って、城の中の状況を把握しようとしている。言っちまえば、人間盗聴器だな」

「その呼び方はいささか心外です。撤回を」

「失敬」


 リリアンに叱られ、ヴィンセントは身を縮こまらせて黙る。

 そして――


「……“タルボス”?」


 リリアンが、怪訝な顔で呟いた。

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