第205話

 ヘンリー・ヴァーニィは、城の地下にある駐車場から入ってきた。そこからなら、日光に当たることなく、車を降りてから城の内部へ入ることができるのだ。


 ヘンリー・ヴァーニィの容姿を一言で表すなら、肉団子という言葉が適切だろう。実際、カーミラもそのように彼を呼んで罵っている。齢三十を超えているにも関わらず、背丈は十歳児ほどしかない。そのわりに恰幅は非常によく、肥え太った顎には首との境界が存在しなかった。頬肉に押し上げられた目は常に厭らしく細められ、見る者を生理的に嫌悪させるほどに気味悪かった。巻き毛の金髪はこれ見よがしに整えられているが、脂汗で不潔な光沢を放っている。


 そんなヴァーニィだが――彼は、駐車場から城の客間へと続く廊下にて、ふーっふーっ、と息を切らしながら、恍惚とした顔になっていた。その口元は、血に塗れている。


「ヴァーニィ!」


 客間の方から、まさに鬼のような形相のカーミラが怒号を上げた。


「おお、カーミラ! 領主自ら、わざわざ出迎えご苦労! そんなに僕に会うのが待ちきれなかったかい!」

「今すぐキャサリンからその肥え太った手を放せ! 彼女は私のメイドだぞ!」


 カーミラの姿を見るなり、ヴァーニィは目を輝かせながら両腕を広げた。そして、その両腕から、メイドの身体が音を立てて床に倒れた。カーミラの城に住まうメイドの一人で、名をキャサリンという。キャサリンはすでに虫の息の状態で、恐怖と絶望に青ざめた顔のまま、ぴくりとも動かなかった。その首筋には、ヴァーニィの牙によって穿たれた二つの歯型が刻まれており、そこから夥しい量の血を垂れ流している。


「これか? なんだ、ウェルカムドリンクかと思ったよ」


 そう言ってヴァーニィは、足元のキャサリンの亡骸を足で転がす。

 刹那、カーミラの蹴りが、ヴァーニィの側頭部を打った。

 カーミラは両膝を付き、キャサリンの身体を起き上がらせて優しく抱きしめる。


「キャサリン……」


 廊下の壁に体を打ちつけたヴァーニィが、よろめきながら立ち上がった。


「家畜一匹死んだところで大袈裟な。さあ、早く僕を城の奥に案内してくれよ。日差しが強いなか、わざわざ車を走らせて来てやったんだ。ちゃんともてなして――」


 直後、カーミラが再度蹴りを放ち、ヴァーニィの首元をヒールの裏と壁の間に固定した。


「今すぐここから出ていけ。さもなければ、日の下に出るよりも辛い苦痛を与えて殺してやるぞ」


 カーミラが低い声で言って、ヒールの先をヴァーニィに食い込ませた。

 ヴァーニィは呻きながらカーミラの足を両手でつかむ。


「ま、待ってくれ、カーミラ。今日は大事なことを――」


 今にも死にそうな声で命乞いをするヴァーニィだが、カーミラは一切聞く耳を持たなかった。ヴァーニィの首を押さえる足の力がさらに増し、壁がミシミシと鳴きながら亀裂を走らせていく。


 そこへ――


「話、聞いておいた方がいいですよ」

「もしかすると、この国の存亡に係わるかも」


 カーミラの後方、左右から、男の声が二つ起こった。


 そこにいたのは、ヴァーニィのボディーガードだ。この二人もまた吸血鬼――もとい貴族である。奇妙なのは、二人ともまったく同じ背格好であることだ。病的に白い皮膚然り、両者とも白髪をドレッドヘアーにしてオールバックにまとめている。派手な白のスーツとロングコードが特徴的で、長身であることも相俟って、かなりの威圧感を漂わせていた。極めつけは、目元を真っ黒なサングラスで隠していながら、常に口元に厭らしい微笑を携えているため、何とも言えない不気味さもある。


「ソドム! ゴモラ! 早く助けろ!」


 ソドムとゴモラ――これが二人の名前だった。ヴァーニィを守護する貴族の双子として、この国で名を馳せている存在だ。


 カーミラは双子を一瞥したあと、徐に足をヴァーニィから外した。


「まったく、血の気が多いな、君は」


 ヴァーニィが激しく咳き込みながらカーミラを睨みつける。

 しかし、カーミラはそれ以上の迫力を携えた眼光を送り返した。


「さっさと用件を言え」

「おいおい、せめてちゃんと応接室とかに――」

「言え」


 額に青筋を浮かべたまま無表情なカーミラを見て、ヴァーニィはその子ブタのような体を震え上がらせる。


「わ、わかったよ。わかったから、わかったから、そんな怖い顔をしないでおくれよ」


 それから軽く咳払いをして、改めてカーミラに向き直った。


「昨晩、この国に騎士がやってきたのは、君も知っているだろう? 教会との関係改善のために特使として送られてきた奴らさ。今はアルカード伯爵が相手をしてくれている」

「それがどうした」

「騎士たちの目的が、本当にそんなことなのかってところが気になってね」

「なに?」


 ヴァーニィはにやりと不敵な笑みを浮かべた。


「これは僕が独自に調べた情報なんだが――どうやら騎士たち、今は教皇庁と酷く揉めているらしい。実質、今の教会は教皇派と、聖女、騎士団派で二分されているようなんだ。二年前の騎士団分裂戦争を思い出すね」

「で?」

「今回、騎士団から持ち掛けられた関係改善の打診は、完全に騎士団が独断でやっているようだ。教皇や枢機卿団も係わっていない。なんだか、きな臭いと思わない?」


 カーミラの目元が微かに細められる。

 ヴァーニィは続けた。


「騎士団は今、教会内外で非常に弱い立場になっている。もしかすると、今回の外遊を機に、僕ら貴族に取り入って勢力を拡大するつもりかもしれないね。だとすれば、堪ったもんじゃない。教会の痴話げんかに、無関係な僕らを巻き込まないでくれって話だ」

「言いたいことはそれだけか? なら、今すぐ帰れ。知ったことではない」

「おいおい。仮にも君、三貴族のうちの一角を担う立場だろ。そんなこと言ったら、先代である君の母上が悲しんじゃうよ?」


 直後、カーミラの右のつま先が、ヴァーニィの頬を穿った。その様子を見た双子が、腹を抱えて笑い出す。


「二度と私の母のことを貴様が口にするな。今度こそ殺すぞ」

「ひ、酷いな! それくらいはいいだろ!」


 ヴァーニィは女々しく涙目になりながら立ち上がる。


「まったく。仕方がない。今日は言われた通りに大人しく帰るとするよ。どうあっても君の機嫌は直らないようだしね」

「二度と来るな」


 踵を返したヴァーニィに、カーミラが悪態をつく。

 ヴァーニィたちが駐車場へと歩みを進めた時、


「ああ、そうそう」


 不意に、振り返ってきた。


「これも僕が手に入れた独自の情報なんだけどね――どうやら、ここに来た騎士は他にも数人いるかもしれないんだってさ」


 カーミラが怪訝に眉を顰める。


「騎士三人が献上品として色んな物品をコンテナに積んで持ってきていたみたいなんだけど、そこに妙な空きスペースがあったらしくてね。しかも、そのすぐ近くに車を走らせたようなタイヤの跡も不自然にあったらしい。もしかすると、他の騎士が身分を隠してこの国に潜入しているかもしれないね。何か良からぬことを企んでいるかもしれないから、もし怪しい外国人に遭遇した時は用心するといいよ。僕が言いたいことは以上だ」


 ヴァーニィはそう言って、再度踵を返した。


「君の顔を見れてよかったよ。それじゃあね、僕の可愛い奥さん」


 ひらひらと背中越しに手を振る肉団子は無視して、カーミラはいつの間にかここに来ていたルスヴンに向き直った。


「ルスヴン」

「ここに」

「リオネラ嬢たちのこと、どう思う?」

「率直に申し上げて、“黒”ではないかと」


 ルスヴンの回答に、カーミラは短い溜め息を吐いた。


「クドラクの話をした時、彼女たちは内容をとてもよく理解し、やけに食いつきがよかった。魔物の話なんぞ、一般人が聞いて楽しめるようなものでもないはずなのにな。だから私も、どうせ理解できないと思ってべらべら喋ってみたが……」


 ルスヴンが、やれやれと肩を竦める。


「だから申し上げたでしょう。それで、いかがなさいますか?」

「少し様子を見よう。仮に、リオネラ嬢たちがヴァーニィの言う騎士の密偵だったとして、今すぐ刺激するのも得策ではない。ただし、妙な動きを見せた時はすぐに知らせろ。場合によっては始末する」

「かしこまりました」

「それと――」


 カーミラはそう言って、キャサリンの遺体を見遣った。


「キャサリンの弔いの準備を進めてくれ。葬儀はすぐにやるぞ」


 それにルスヴンが腰を折ったのを一瞥して、カーミラは客間の方へと歩みを進めた。

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