第204話

 結局、シオンたちがカーミラ・カルンスタインと面会できるようになったのは、城に着いてから一時間が過ぎてからのことだった。日を改めるべきとリリアンが提案したが、それをカーミラは断った。曰く、一度招き入れた客人をこちらの都合で一方的に帰すなど、貴族の恥さらしであると。


 それからシオンたちは、城の客間にて、カーミラに一通りの事情を話した。

 無論、失踪中のログレス王国の王女――ステラを探しているということは隠し、あくまで薬品売買の事業提携を目的とした商談である。


「なるほど。確かに、悪い話じゃない」


 ほんの少し前に見せた発作が嘘であるかのように、カーミラはリリアンからの話を聞き終えて、貴族らしい優雅な所作で紅茶を一口飲んだ。


 シオンたちとカーミラは、四角いローテーブルを囲みながら、紅茶と茶菓子を添えて商談を進めていた。


「私たちは新しい抗生物質を格安で仕入れることができて、お宅らはこの地で新しい商売を始めることができる。双方、メリットのあるいい話だ。私はこの件、乗ってもいい。無論、そちらの品の質を確認してからだがな。ローランド、お前はどうだ?」


 カーミラはそう言ってローランドを見遣った。ローランドは頷き、どことなく明るい表情をしていた。恐らくは彼も、この取引に前向きな考えだったのだろう。


「カーミラが許してくれるなら、僕も賛成だ。外国が開発した抗生物質がどんなものなのか、凄く興味があるからね。僕たちの研究にも役立つかもしれない」


 その言葉を聞いたリリアンの目が、ほんの少しだけ細められる。


「薬師であるデクスター様自らが薬品の研究をしておられるのですね。もし差し支えなければ、その研究について少し伺ってもよいですか?」


 リリアンの問いかけに、ローランドがあからさまに狼狽えた。しまった、と、己の失言を恥じるように冷や汗をかいていた。


「あ、いや――」

「君たちは、私たちの正体が何なのか、知っているか?」


 何か喋ろうとしたローランドを、カーミラが強引に遮った。

 途端、壁際で彫刻のように控えていた執事のルスヴンが、表情を変えて身を乗り出した。


「カーミラ様!」


 カーミラは、しっしっ、と手を動かし、近づこうとするルスヴンをあしらった。


「別にいいだろう。知られたところで、私に不都合はない」

「……他の貴族から何を言われても知りませんよ」


 ルスヴンが顔を顰めつつも、大人しくまた壁際に立つ。

 カーミラは足を組み、リリアンに向き直った。


「外の国では、私たちのような存在は吸血鬼と呼ばれているのだろう? おとぎ話に出てくる同名の怪物と同じ特徴を持つからな、無理もない」


 吸血鬼という言葉に嫌悪感を抱いた様子もなく、カーミラは自ら言った。


「さて、さっきの質問に戻ろう。私たち吸血鬼が何者なのか、君たちは知っているか?」


 リリアンは首を横に振った。


「いえ、存じ上げません」

「亜人なのか、それとも魔物なのか――答えはどちらでもない。だが、強いて言えば後者に近い」

「どういうことでしょうか?」

「私たちは魔物をその身体に宿した人間だ。魔物の名はクドラク――微生物型の魔物だ」


 思いがけない真相を耳にして、シオンたちはこぞって目を丸くした。普段、シオン以上に表情を崩さないリリアンすらも、その双眸に微かな動揺の色を見せていた。


 ヴィンセントが、執事の演技も忘れて、堪らず前に出る。


「微生物型の魔物? そんなものが存在するんすか?」


 あからさまに驚いた反応をする客人たちを見て、カーミラはどこか得意げに微笑した。


「もっとも、我々もその存在を知ったのは、つい最近のことだ。ここにいるローランドの研究のお陰でな」


 カーミラが自分の事のように褒め称えると、ローランドは気恥ずかしそうに頭の後ろを軽く掻いた。


「発見できたのは、本当に偶然だったんですけどね。最初にこの事実を突き止めた時は、僕も驚きました。ただ、微生物も立派な生物です。魔術で複数の微生物を掛け合わせて、自然界に存在しない微生物を魔物として造ることは理論的に可能です。もっとも、誰が最初にそんなものを造ったのかはわかりませんが……」


 ローランドは表情を真面目にして、眼鏡のブリッジを右手の中指で上げた。


「クドラクに感染すると、感染者の身体能力と再生力が大幅に強化されます。代わりに、紫外線や銀、それとネギ類に多く含まれるアリシンに、アレルギーにも似た拒絶反応を示すようになってしまいます。理由は、これらすべてに強い抗生作用があるためです」


 最後の一言に、シオンたちは合点がいったように顔を見合わせて頷いた。

 ヴィンセントが感嘆の声を上げる。


「なるほどねぇ。奇しくも、おとぎ話の吸血鬼と弱点が同じ理由なのはそのためかぁ」

「クドラクは抗生効果のあるもので自身が攻撃されると、それに抵抗する過程で宿主の細胞を著しく傷つけます。貴族が日光などを浴びて火傷のような反応が起きるのはそのためです。また、クドラクは他の魔物と同じようにコロニーを作る習性があり、宿主の心臓を活動の拠点とします。そこで増殖を繰り返し、血流に乗って体の各部位を巡るんです」


 クドラクの生態を聞いて、シオンは呻った。


「吸血鬼の弱点が心臓なのもそのためか」

「魔物って基本的に生殖できないはずだけど、クドラクは自分自身で個体を増やすことができるんだね」


 エレオノーラの言葉に、ローランドは頷いた。


「はい。魔物は本来、遺伝子情報が異常なため有性生殖による繁殖機能を持ちません。ですが、クドラクは雌雄のない微生物であるがために遺伝子交換の必要がなく、無性生殖でその個体を増やし続けることができます。そして、クドラクが増殖の過程で大量に消費するのが、ヒトの血液中に含まれる鉄や酸素などの養分になります。そのため、クドラクに感染した人間――貴族は、自身の体内で作られる血液だけでは生命活動を維持するのに十分な量を確保できず、外部から直接人間の血を取り込まなければ貧血や酸欠のような症状を起こします。血液の供給が間に合わなくなると、それはやがて強烈な渇きとなり、酷い発作を起こし、最悪の場合は死に至ります」


 カーミラが自嘲気味に鼻を鳴らし、肩を竦める。


「まあ、平たく言えば、我々は厄介な感染症に罹患した病人ということだ。ちなみに言うと、クドラクには簡単に感染することはないから安心していい。仮に私の中にいるクドラクが君たちの体内に入っても、すぐに死滅する。どうやらクドラクは、住まう環境に適応しなければ生きられない性質のようだ。そのため、基本的には母子感染でしか拡大しない」

「父親が人間で母親が貴族の場合は、その子供も貴族になります。逆に、父親が貴族で母親が人間であった場合は、その子供は人間になります。体が作られる胎児の段階でなければ、クドラクは生存できないんです」


 ふむふむと、ヴィンセントが何度も首を縦に小さく振る。


「なるほどねぇ。色々と納得できる、興味深いお話でした」

「ひとつ、ご質問をよろしいでしょうか?」


 不意に、リリアンが口を開いた。


「どうぞ、リオネラ嬢」

「何故、ローランド様はそのような研究をされているのですか? その事実、場合によっては貴族の皆様の地位を脅かすことにならないでしょうか?」

「その通りだ。だが、ローランドの研究は私がお願いしたことだ」

「それは、何故でしょうか?」


 カーミラが不敵な笑みを浮かばせると、唇の隙間から鋭い犬歯が覗いた。


「私は人間になりたい。そして、日の光を思いっきり浴びてみたいんだ。体内に巣食うクドラクをどうにか除去できないか、その方法を模索している」


 まさかの発言に、シオンたちは呆気に取られて固まってしまった。吸血鬼が人間になりたいと言い出すなど、予想だにしていなかった。


 そんな妙な沈黙の合間に、大きな溜息が鋭い刃物のように刺し込まれる。

 ルスヴンが、苛立たしそうな歩調で、カーミラの傍らに付いた。


「カーミラ様。これ以上、勝手なことを外部の者に話さないでください。もし、ヴァーニィ家が知ったら――」

「知られたところで大した不都合もない。それに、いっそ嫌われて破談にでもなればいいじゃないか。私はあんな肉団子と結婚するつもりは毛頭ないぞ」


 ルスヴンの懸念など一切気にしていないと、カーミラは一蹴した。そればかりか、いっそすべて滅茶苦茶になればよいと言わんばかりに、いたずら小僧のような笑みを浮かばせていた。

 そんな彼女を、ローランドはどこか居たたまれない顔で見遣っていた。


「カーミラ、やっぱり、ヴァーニィ家との縁談の話は本当だったんだね」

「ああ。だが、断っている。誰があんな野蛮人と結婚などするものか」


 野蛮人――この一言に、リリアンが反応した。


「やはりヴァーニィ家は、噂通り、人間や亜人に対する扱いが酷いのでしょうか? その残虐さは、国外にもそれなりに知れ渡っております」

「外の国にまで悪い噂が流れているか。まったく、だからあいつらとは関わりたくないんだ」


 心底嘆かわしいと、カーミラは鼻を鳴らす。


「私たちはヒトの血を飲むがゆえに、何も知らない奴らからは極悪非道な蛮族のように思われることが多々ある。だが、我々貴族とてそれなりの良識は持っている。飲食用のヒトの血は、輸血用に保存され、かつ錠剤のように加工されたものを飲むというのが我々貴族間での一般的な常識だ。おとぎ話の吸血鬼のように、ヒトの首に噛みついて飲むなど、我々から見ても狂気の沙汰としか思えん。君らだって牛や豚の肉を生きたまま丸かじりなんてしないだろう? それと同じだ」

「カーミラの言う通りです。しかしヴァーニィ家は、残虐な振る舞いをあたかも貴族の嗜みであるかのようにしているのです。人間や亜人を恐怖で支配し、自分たちの都合がいいように社会を動かす――それが、あの家のやり方です」

「貴族の恥さらしもいいところだ、まったく」


 そう言ったカーミラの双眸には、明確な怒りが込められていた。同族とはいえ許しがたく、軽蔑していると。それまでの人懐っこい雰囲気から、凍て刺すような顔つきに変わっていた。

 殺伐とした空気が部屋に張り詰め――カーミラは、ハッとして面を上げた。


「おっと、余計なことをべらべら話して空気を悪くしてしまったな。すまない、私はお喋りが大好きなんだ」


 そう言って、また柔和な表情に戻る。

 リリアンはソファに腰を掛けたまま、深くお辞儀した。


「いえ、とても興味深いお話でした。よい勉強になります」


 カーミラはソファから立ち上がり、何か思いついたように軽く手を鳴らした。


「つまらない話をした詫びというわけではないが――もし差し支えなければ、この街にいる間はこの城に泊まるといい。また市民たちが暴れるかもしれないからな。それに、ヴァーニィ派の貴族がどこかに潜んでいるかもわからん。リオネラ嬢とグリフィスの奥方なんて、奴らの恰好の餌だ。安全な場所で休んだ方がいい。ルスヴン、構わないな?」

「私が駄目だと言って、一度でも言うことを聞いてくれたことがありましたか? かしこまりました。すぐに部屋の用意を始めます」


 ルスヴンは肩を竦めた後で一礼を返した。

 リリアンがソファから立ち上がり、それに応じる。


「お気遣い、痛み入ります。お言葉に甘えさせていただきます」


 当面の宿泊先が決まった上、それが安全な場所であることに、シオンたちは顔を見合わせて無言で喜んだ。

 これでようやく、ゆっくり休めると――思った矢先のことだった。


 客間の扉が勢いよく開かれ、全員の視線がそこに集まった。


「か、カーミラ様!」


 入ってきたのは一人の人間のメイドだった。

 メイドは青ざめた顔で、酷く取り乱しているようだった。


「どうした?」


 カーミラが駆け寄ると、メイドは崩れるように両膝を床に付けた。


「た、たった今、ヘンリー・ヴァーニィ様とそのご一行がここにいらっしゃいまして……! きゃ、キャサリンが……!」


 メイドのその言葉を聞いて何かを察したのか、カーミラの顔が憤怒に歪んだ。


「ルスヴン、人間の使用人たちと、リオネラ嬢たちをすぐに城の屋上に避難させろ。今の時間なら日光も出ている。一番安全だ」

「急ぎます」

「あの肉団子は私が直接追い払う。そっちは頼んだぞ」

「かしこまりました」


 そして、カーミラは部屋から出ていった。華美なドレスを着ているにも関わらず、競技選手のような所作で一目散に駆け出した。


 そんな主の背を見送ったルスヴンが、シオンたちへ振り返る。


「すまない、緊急事態だ。悪いが、これから指示する通りに屋上へ向かってほしい」


 即座にリリアンが事情を聞こうと口を開けたが、


「ヘンリー・ヴァーニィは人間を見ると、その時の気分で見境なく襲ってきます。まともな倫理観を持ち合わせているとは思わない方がいいです」


 そんな余裕はないと、ローランドがそう言い放った。

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