第203話
当初の予定通りなら、ローランドは次の夜に来訪するはずだった。
「カーミラ様! 日中に面会するなど何をお考えですか!」
しかしカーミラは、明け方、今すぐウチに来いと、電話越しにローランドに命令したのである。
ローランドは始めこそ戸惑ったものの、カーミラの性格をよく理解していたため、すぐに受け入れた。ローランドの話にあったくだんの客人――外国人四人についても、前倒しの申し入れを快諾してくれた。
「善は急げというだろう? 折角、外の国から来た客人だ。丁重にもてなせ」
ルスヴンの進言を、カーミラはどこ吹く風といった様子で聞き流した。表玄関へと続く居城の廊下を歩きながら、おどけるように肩を竦める。
その後ろで、ルスヴンが大きな溜め息を零した。
「カーミラ様。貴女はご自身が貴族であるという自覚がいささか欠如しております。それも、あのデクスターとかいう薬師の青年と出会ってからです」
「貴族としての務めは果たしている」
「“役目”ではなく、“種族”としての自覚です! 我々にとって太陽の光が猛毒であることは何よりも貴女がご存じでしょうに!」
ルスヴンは、頭が痛いと、これ見よがしに両手でこめかみを押さえて呻った。
「そんなことはわかっている。だからこうして日の光が届かない地下に日中用の生活空間を設けたのではないか。安心しろ、日の光を浴びないよう、地下からは出ない。ほら、ローランドたちのお出迎えはここまでだ。ここなら日の光が当たらないだろう」
そう言ってカーミラは立ち止まる。彼女の前には、幅の広い階段が一つあった。それを登り切った先にあるのは、地上へと続く大きな両開きの扉である。扉の両脇には人間の若いメイドが二人付いており、カーミラの姿を見るなり慣れた様子で軽い会釈をして見せた。
ルスヴンは、そうではないと、嘆息する。
「カーミラ様、我々の体は人間や亜人と比べると遥かに強靭です。ここでは敢えて吸血鬼という言葉を使わせていただきますが、おとぎ話の中に出てくるそれのように、不老不死の存在ではないのですよ? 眠らずに動き続ければ体調も崩す。特に貴女は――」
「それもわかっている。今日は体の調子がいいからそうしようと思っただけだ」
台詞の最後の方でルスヴンが何かを言おうとしたが、カーミラはそれを遮るように上から言葉を被せた。
カーミラが、じっとルスヴンを見る。その赤い瞳には、微かだが、しかし確実にそれ以上の発言を許さないという、主君としての圧が込められていた。
「まったく、カーミラ様のヒト好き具合と言ったら……」
ルスヴンは苦虫を嚙み潰したような顔で首を横に振った。根負けした彼の姿を見て、カーミラが満足そうに目を細める。
地上へと続く扉から人間のメイドが出てきたのは、そんな時だった。メイドは早足で階段を降り、カーミラの前に一礼して立った。
「カーミラ様、お客様がいらっしゃいました。デクスター様と、その御連れ様です」
「通せ」
カーミラの許可を得て、メイドたちが扉を開けた。
開かれた扉の先にいたのは、中央に見知った顔――ローランドと、その後ろに、初めて見る顔が四人だ。
カーミラは、ローランドの姿を見るなり、両腕を広げて屈託のない笑みを浮かべた。
「ローランド、よく来たな!」
「恐れ入ります、カーミラ様」
深々と頭を下げたローランドを見て、カーミラは怪訝に眉を顰める。その後すぐ、いたずら小僧の隠し事に気付いたかのように、小さく笑った。
「何をそんなにかしこまっている? 客人の前だからってカッコつけているのか? いつも通りでいいだろ?」
カーミラが言って、ローランドは面を上げた。その時のローランドの顔は、観念したような、それでいてどこか気恥ずかしそうで、はにかんでいた。
「――わかったよ、カーミラ」
それまでの堅い雰囲気が嘘であったかのように、ローランドとカーミラは、双方砕けた振る舞いになった。
これでようやく調子が出てきたと、カーミラが改めて朗らかな笑みを表情に宿す。そして、その視線の先は、ローランドの背後にいる客人四人に向けられた。
「さてさて、客人の皆様方。ローランドからある程度の話は聞いている。遠路はるばる、外の国からやってきたみたいだな。外国人を目の当たりにするのは初めてだ。はしたないと思われるかもしれないが、少しばかり興奮している」
客人四人は、各々顔を見合わせて、きょとんとしていた。
それを見たカーミラが、己の失態を恥じ、苦笑した。
「――ああ、失敬。まずは自己紹介だ。私がカーミラ・カルンスタインだ。どうぞ、よろしく」
粗野な口調に反して、丁寧なカーテシーをカーミラがして見せた。
すると、客人の一人――十代後半ほどの長い銀髪の少女が、駆け足で階段を降り、丁寧な所作でカーテシーを返してきた。
「突然の申し入れにもかかわらず、当方との面会をご快諾いただき、誠に感謝いたします。わたくしが、リオネラ・オルフィーノです」
カーミラはそれを微笑ましく見遣った。
「リオネラ嬢とお呼びしてもいいかな? 私のことは気軽にカーミラと呼んでくれ」
「恐れ入ります。では、仰せつかった通りに」
リオネラと名乗った少女は、それから視線だけを自身の周囲に向かって動かした。
「隣にいるのが執事のヴィクターです。後方に控えますは、わたくしの遠い親戚にあたるグリフィス夫妻。どうか、お見知りおきくださいませ」
人形のように表情を崩さないリオネラを見て、カーミラは少しだけ顔を顰めた。
「リオネラ嬢、君はいささか堅苦しいな。もう少しフランクに話せないものか?」
リオネラは何を言われているのかわからないような顔で首を傾げる。すると、執事のヴィクターが一歩前に出てバツの悪そうな笑みを見せてきた。
「そう仰らないでくださいませ、カーミラ様。これでもうちのお嬢様、貴女様と仲良くしようと精一杯なんだ」
直後、ルスヴンが文字通り牙を剥いて、怒りに顔を歪める。
「無礼者! 執事風情が、カーミラ様と口を利くなどと――」
「無礼者はお前だ、ルスヴン。客人を怒鳴りつけてどうする」
そんな彼を、カーミラが後頭部を平手打ちしてすぐに黙らせた。
「悪かったな。こいつも悪気はないんだ。お詫びというわけではないが、奥の部屋で茶菓子を用意している。話したいことは、そこでゆっくりと話そうじゃないか」
「ありがとうございます。では、お言葉に甘えて――」
リオネラが淑やかに腰を折った――その時だった。
突如としてカーミラは咳き込み、その場に両膝をついた。
「カーミラ様!」
ルスヴンが叫んだのと同時に、ローランドがカーミラに駆け寄る。
ローランドは、蹲り、苦しそうに悶えるカーミラの背を擦りながら、何かを手渡した。
「カーミラ、これを飲んで」
「……すまない」
ローランドが渡したのは、“錠剤”だった。カーミラはそれを雑に飲み込むと、大きく深呼吸をした後で、徐に立ち上がった。
突然の出来事に、客人たちが、驚き、怪訝な顔をしていると、ルスヴンが彼らの前に立った。
「御客人、申し訳ないが、少し時間をいただけないか? カーミラ様のご容体が安定次第――」
「ええ。言われずとも」
リオネラが、それは当然といった口調で、先に言い放った。
ルスヴンは申し訳なさそうに一礼したあと、カーミラの背を押さえながら居城の奥へと消えていった。
その様子を、ローランドは憐憫にも似た感情を表情に宿し、見つめていた。
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