第202話
「や、薬品売買の事業提携?」
ローランド・デクスターは地下倉庫に戻ってきて早々、そんな驚きの声を上げた。
彼の正面に立つリリアンが徐に頷く。
「はい。デクスター様は薬師でいらっしゃるとお伺いしました。これほどの薬品を扱うともなれば、相当な実績をお持ちの方ではないかと思料いたします。当方、アウソニアにて新薬の開発を主たる事業としておりまして、これを機に、是非にこの国での事業を拡大したいと考えている所存です」
リリアンはそう言って、棚に並ぶ薬品を大袈裟に見渡した。
その後ろで、エレオノーラがシオンに耳打ちをする。
「ねえ、急に商売の話とか持ち掛けて、色々大丈夫なの?」
「リリアンに任せよう。ああ見えて議席番号はⅢ番だ。総長とイグナーツの秘書を務めるポジションにいる。うまくやるはずだ」
リリアンはいったい何の話をしているのか――これも、カーミラとの面会を取り付けるための芝居だ。自分たちがアウソニアで事業を営む者であると伝え、さらにこのダキア公国で新たな商売を始めたいとして話を持ち掛ける作戦だ。無論、ただの薬師であるローランドが、外国の事業者相手にそのような商談を勝手に決められるとは思っていない。恐らくローランドは、この街の領主であるカーミラ・カルンスタインの許可が必要だと言い出すだろう。リリアンの目論みはそこにあった。
「し、しかし、僕の一存では……」
「では、どうすれば?」
「領主であるカーミラ様の許可なしではなんとも……。それに、まずは我々に何のメリットがあるのかも提示してもらわないと、首を縦に振ることはできません」
予想通りの話の流れになったと、リリアンが目元をほんの少し細める。
「仰る通りです。先にそちらをお話しすべきでした。この地での商いを許していただけた暁には、我々が開発した最新の抗生物質を、通常の流通価格の半額以下の値段でこの街の医療機関へ販売いたします。梅毒のような重い感染症に用いられるものも含めましょう。いかがでしょうか?」
ローランドが生唾を飲み込みながら眼鏡を指で上げた。
「た、確かに破格の条件ではありますが……。やはり、カーミラ様のお許しがないと」
「では、カーミラ・カルンスタイン様へお取次ぎいただくことは可能でしょうか? これ以上の交渉は、デクスター様の独断では進展の余地がないとお見受けいたします」
「わ、わかりました。カーミラ様にお伺いしてみます……」
「前向きなご検討、痛み入ります」
「ちょうど、次の夜にカーミラ様の邸宅に訪問することになっております。カーミラ様のお許しを得られれば、オルフィーノさんたちもその時にご同行いただければと思いますが、どうでしょうか?」
「問題ございません。その日程で調整をお願いいたします」
「わかりました。それでは早速、この後カーミラ様にお伺いしてみますね。あ、暴動も治まっていたようなので、部屋から荷物を取ってくるなら今がチャンスですよ」
そう言い残し、ローランドは再度倉庫から出ていった。
一見、話がうまくいったように思えるが、リリアン以外の三人は未だ懐疑的な顔をしていた。
「大丈夫なんか、お嬢様ぁ?」
ヴィンセントがしかめっ面で訊いた。リリアンは、キョトンとした顔で振り返る。
「抗生物質のことでしたら、騎士団の協力者になっていただいたキルヒアイス家を利用すれば潤沢に仕入れることができます。偽装工作についてはご心配なく」
「それもそうなんだけどよ、こっからどうやって王女捜索に話を繋げんだぁ? このままだと薬品売買の話にしかならねえだろうよ」
「まずは、カーミラ・カルンスタインがどのような人物かを見極める必要があります。次の策はそこから講じましょう」
「リリアン、お前と一緒に仕事するのは今回が始めてだけどよぉ、意外とイケイケタイプなんね」
人形のような振る舞いをする少女騎士の意外な一面に、ヴィンセントが肩を竦めて苦笑した。
その隣で、不意にシオンが顎に手を当て、悩ましい視線を床に落とした。
「それにしても、さっきのデクスターの言動と反応、少し気になったな」
エレオノーラが首を傾げる。
「何が気になったの?」
「デクスター自身、すでに次の夜にカーミラ・カルンスタインと会う予定があると言っていた。どうして一介の薬師が領主に会う予定があるのか、少し気になる」
ヴィンセントが、パチン、と指を鳴らした。
「おー、それ、俺も思った。あと、これはただの勘だが、デクスターくんはここの領主様と親しい間柄なんじゃないかとも思ったわ」
その見解に、エレオノーラとリリアンの二人は首を捻って否定的な反応を示した。
一方で、シオンはそれに同意し、首を縦に振った。
「ああ、俺も同じ意見だ。デクスターの反応を見る限り、あいつはカーミラ・カルンスタインのことをよく知っているように見えた。あの話しっぷりから察するに、性格的なところも把握しているように感じる」
そう推理したシオンに、エレオノーラはどこか不満げに口を尖らせた。
「アンタってさ、ほんと、仕事だとヒトのことよく観察するし、察しがいいよね……」
シオンがエレオノーラを見て、それの何が不満なんだと無言で訊くが、彼女はフイっとそっぽを向いて回答を拒否した。
そんなやり取りを尻目に、ヴィンセントが両腕を組んで何やら楽しげに口元を緩ませた。
「若い薬師が貴族の領主といったいどんな関係なのか――気になるねぇ」
「好意を寄せているのかもしれません」
リリアンが言って、ヴィンセントは厭らしい笑みを浮かばせた。
「あり得る。ま、デクスターくんと領主さまの関係は、ちょっと注意深く見ておくかね。ややこしい関係じゃないといいんだがなぁ」
シオンが倉庫の扉に手をかけた。
「まずはデクスターの回答を待とう。ステラの居場所に通じる何らかの手掛かりになればいいんだがな」
※
時刻は朝の六時を回っていた。地上にはとっくに日の光が降り注いでいる。
カーミラ・カルンスタインの居城は、大きく二つの層に別れていた。一つは、夜間に活動するために設けた地上の階層で、主に執務に利用される。もう一つは、日中の紫外線を避けるため、居城の地下に造った階層で、就寝などのプライベートな居住スペースとして利用される。
いずれにせよどちらも豪奢な内装で、床に敷かれた赤絨毯と、壁に付けられた暖色の照明は、これ見よがしに貴族特有の優雅な空間を作り出していた。
そんな城の地下空間――とある部屋にて、電話がけたたましく鳴り響いた。
「はい」
受話器を取ったのは、この城に住まう執事だった。小奇麗にまとめた黒髪に知的な銀縁眼鏡。皺ひとつない黒の燕尾服を纏い、白い手袋をはめた、見るからに堅物な印象を抱かれそうな男だ。そして、その瞳は血のように赤く、皮膚は青白かった。
『あ、明け方に失礼いたします。ローランド・デクスターです』
「何だね。もう夜が明けている。そんな時間に電話をして、我々を殺す気か?」
非常識な時間帯によくも電話をかけてくれたなと、執事が暗に伝えた。
途端、電話の相手であるローランドが、狼狽した吐息を漏らした。
『め、滅相もございません! 次の夜にそちらへお伺いする予定になっているのですが、実は――』
それからローランドが伝えたのは、当初の予定からの変更内容だった。どうやら、本人以外に、急遽、訪問客を増やしたいとのことらしい。しかも外国人であるとのことだ。
執事は呆れた申し入れだと、小さく鼻を鳴らした。
「認められるわけがないだろう。いいか、そもそも君はカーミラ様のご厚意で――」
「ルスヴン、変われ」
執事が説教を垂れようとした時、不意に受話器が彼の手から勢いよく奪われた。
それをやったのは、一人の若い女だ。長い金髪が特徴的で――彼女もまた赤目に青白い皮膚をしている。悪戯っぽい笑みをした口から覗くのは鋭く尖った犬歯で、彼女が吸血鬼であることをそれらが証明していた。
「カーミラ様!」
執事のルスヴンが諫めるのを適当に無視し、
「ローランドか? 何だ、用件を言ってみろ」
可憐な紫色のドレスを着ているにも関わらず、カーミラは電話を丸ごと持ち上げ、空いた電話台の上にドカッと腰を下ろした。
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