幕間 写本

第198話

 教皇庁本部のルーデリア大聖堂、そこに存在する教皇の執務室の扉が、唐突に開かれた。すでに室内にいた三人の枢機卿――ランスロット、トリスタン、パーシヴァルが、扉を開けた人物を一斉に見遣る。


「お疲れ、ガラハッド。君一人かい?」


 パーシヴァルが声をかけると、ガラハッドは扉に鍵を閉めた後で頷いた。


「ああ」

「教皇猊下はご一緒ではないのか?」

「ダキア公国にいる。暫く、ガイウス自ら王女の警護に当たるそうだ」


 ガラハッドはランスロットの問いかけに短く答えた。

 それを聞いたパーシヴァルがくすくすと愉快そうに笑う。


「吸血鬼たち、今頃さぞ慄いていることだろうね。ガイウスも随分と思い切ったことをする」


 次に、トリスタンが怪訝に眉を顰めた。


「まさか、戴冠式が開催されるまでダキア公国に滞在するつもりか?」

「いや。あとで俺と交代する。この後の用が終わり次第な」


 そう言ってガラハッドが首を横に振ると、パーシヴァルは彼の肩を軽く叩いて横を通り過ぎた。


「なら、さっさとその用事を済ませてしまおう。教皇を僕らのいないところで一人にさせておくのは忍びない。色んな意味でね」


 その足で、壁際にある巨大な本棚の前に立った。それからパーシヴァルは、厳かに並ぶ本棚を数回横に滑らせ、そのすべてを両脇に退かせた。するとその先に、ひとつの隠し扉が姿を現した。


「さて、“聖域”にある“写本”が何なのか、楽しみだね」


 そして四人は、扉を開いて奥へと歩みを進めた。


 入ってすぐにあったのは、金属製の蛇腹式の扉――昇降機だった。四人は無言のまま昇降機へ乗り込み、中にあったレバーを倒す。ガコン、という大きな音が鳴った後、昇降機のエンジンがけたたましい機械音を立てて稼働した。綱車が忙しなく回ってロープが下へ下へと伸ばされ、籠がレールに沿って淡々と降りていく。


 それから数分の時を経て籠が減速し、動き出した時と同じような音を立てて止まった。


 蛇腹の扉を開け、四人は昇降機から降りる。降りた先は、マッチの火ほどの灯りすらない、正真正銘の暗闇だった。


「何も見えないぞ」


 戸惑った声でランスロットが言った。

 そのすぐ近くの闇の中で、パーシヴァルが、ふぅん、と小さく呻った。


「そのまま先に進めばいい、って教皇は言っていた。とりあえず進んでみようか。足元に気を付けてね。さすがにこんなに暗いとは、予想外だった」


 それからさらに一分ほど、四人は闇の中を歩き続ける。


 そして突然、一切の予兆なく、周囲の景観が急変した。


「――なんだ、ここは……!?」


 トリスタンに続き、ランスロット、ガラハッドも目を丸くさせる。

 先ほどまで完全な暗闇の中を歩いていたというのに、いつの間にか白い空間へ移動していた。どこまでも奥行きが広がっており、天井、壁、床の境目がわからないほどに他の色がない。


 トリスタンたちが驚いて周囲を見渡していた時、ふと三人はあることに気付いた。


「……パーシヴァル? どこに行った? パーシヴァル!」


 パーシヴァルの姿が見当たらないのだ。隠れられそうな場所はこの白い空間のどこにもない。いったいどこへ消えたのだろうと、三人は警戒心を引き上げた。


 そんな時、ある物がランスロットの目に留まった。


「見ろ」


 それもまた唐突だった。

 いったい、いつからそこにあったのか――三人が認知できない微かな時の狭間に、それは姿を現した。


「……椅子?」


 そこには、誰も座っていない、粗末な木の椅子がぽつんと不気味に置かれていた。


 そして――


『一度に複数人がここを訪れたことは久しくなかった』


 どこからともなく、そんな声が聞こえた。男なのか女なのか、老人なのか若者なのか、それすらもわからない声質だった。


『ようこそ』


 ランスロット、トリスタン、ガラハッドは三度驚いた。何故なら、誰も座っていなかったはずの椅子に、何者かが腰を掛けていたからだ。まるで始めからそこにいたかのように、足を組んで寛ぐようにしている。修道士のような白いローブ姿で、頭部はフードですっぽりと目深に覆っていた。


「聖王か?」


 緊張の面持ちでランスロットが訊いた。


『そうだ――と、言い切ることは少し違うかもしれないが』

「どういう意味だ?」

『そんなことを訊くためにここを訪れたわけではあるまい。ガイウス・ヴァレンタインに言われてここに来たのだろう?』


 妙に機械的で高圧的な態度に、ランスロットは苛立ちを顔に表した。


「その通りだが、本題に入る前に訊かせろ。貴様は何者で、ここはどこだ? “聖域”にあるのは“写本”と聞いていたが、それはどこにある?」

『私は聖王――の記憶、といったところだ。今この時に聖王が存在していた場合にどう振舞うか――それを、かつての思考回路をサンプリング、量子化し、対話型のインタフェースとして再現したシステムだ』

「つまり、本人ではないが、本人と同じような受け答えをする機械――こういうことか?」


 椅子の人物は徐に頷いた。


『機械ではないこと以外、その通りだ。生前の聖王が魔術で私を構築し、この“魂の牢獄”に留まらせた』


 “魂の牢獄”――聞きなれない言葉に、三人は眉間に皺を寄せた。

 今度はトリスタンが口を開く。


「“魂の牢獄”?」

『そうだ。気をつけろ。ここに長居すると、何者かの魔術によって消費されてしまう。そうなれば、現世の肉体に二度と戻れないと思え』


 何の話をしているのか理解できないことを、三人は互いの顔を見合わせながら確認し合った。ひとまず今は、“魂の牢獄”というものに興味はない――そう無言で結論付け、話題を変えることにした。


「では、“写本”というのは?」

『私のことだ。私はここで大陸のあらゆる情報を記録している。聖王が生まれた時点から今この時までに起きたことのすべてをな』

「“写本”と呼ばれているのは、貴方の存在そのものが聖王を模して創れたものだからか」

『そうだ。さあ、そろそろ本題に入るとしよう。生者の魂がここに留まり続けられる時間はそう長くはない』


 まだ確認したいことはあったが、この聖王と思しき存在が言う通り、あまり悠長なこともしていられない。消えたパーシヴァルがどうなったのかも気になる。それは三人の総意だった。


 ランスロットは仕切り直すように椅子の方へ向き直った。


「私たちはこれから何を聞かされる?」

『過去に私がこの大陸で行ったこと、及びそれを実現する方法だ』

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