第197話

「この際だ。“黒騎士”の歴史をもうひとつ話してやろう」


 ガイウスは笑うことを突然やめ、そう切り出した。


「最初の黒騎士――つまり、一番初めに大罪を犯した騎士だ。こいつの犯した罪が原因で、黒騎士という制度が教会に作られることになった。それが何だか、想像できるか?」


 急な問いに、ステラは困惑したまま何も言えなかった。

 ガイウスはステラの回答を待たず、口を動かした。


「亜人の奴隷化だよ。最初の黒騎士は、私利私欲のまま、教会が禁止している亜人の奴隷化を行ったことで裁かれた。ゆえに、黒騎士という汚名にはまずその意味が付きまとうことになる」


 ステラが言葉を詰まらせていると、ガイウスはテーブルに両肘を乗せ、顔の前に手を組んで微笑んだ。


「傑作だと思わないか? 何よりもすべてにおいて亜人の人権復興に尽力した女――それが愛した男にその汚名が着せられるんだ。当事者からしてみれば、この上ない屈辱だったろうな」


 浅ましく、醜悪極まりない言葉に、ステラは吐き気を覚えた。同時に、沸々と怒りがこみ上げる。


「どうしてそんな、子供じみた悪趣味なことを……」

「君の言う通りだ。たまに我に返り、自分の愚行と恥辱に苛まされることがある。だが、後悔は一切ない。それ以上に、心が晴れ晴れしたからな」


 悪魔が宿ったような笑みを口元に浮かべながら、ガイウスは背もたれに体を預けた。


「さて、これで君が持つ疑問の大半が片付いただろう。シオンを黒騎士にした理由、“リディア”を死に追いやった理由――あとは何だったか?」


 ステラは歯噛みして、ガイウスを睨んだ。


「十字軍を結成した理由と、これから貴方がなそうとしていることです。でも、その前に、何で貴方はかつての弟子を巻き込んでまで“リディア”さんのことを――」

「世界を変える」


 何故“リディア”を怨んでいるのかを訊こうとしたが、殊更にはぐらかされた。すぐに訊き直そうとしたが、それ以上に“世界を変える”という言葉に、ステラは関心を惹かれてしまった。


「せ、世界を変えるって――」

「クソの掃き溜めのようなこの世界、君とて変わった方がいいと思っているだろう?」


 ガイウスは、相変わらず不気味な笑みを顔に宿したままだった。死人のような光のない金色の双眸はそのままに、口元だけが歪んでいる。


「どこもかしこも紛争だらけ。文明と技術の発展に伴いそれは一層過激になり、人類はまるで玩具を与えられた猿のように際限なしに暴れ出す。亜人の奴隷化は縮小こそしているものの、依然としてガリアのような国が主要な産業として社会システムに根深く残している」

「それは貴方が――」

「俺がいなければそれらが解決すると思うか? いいや、何も変わらないな。これは、世界がなるべくしてなっているような状態だ」


 自身の行いを正当化するような物言いに、ステラは表情を怒りに変えた。この時の彼女の脳裏に浮かんだのは、アリスだった。


「……貴方だって、多くの亜人を――ハーフエルフの女の子の命を弄んだじゃないですか!」

「そうだな。俺もそのクソな世界の一部だと思ってくれて構わない。それは否定しない」


 どうでもいい事のように言い放ったガイウス――ステラはいよいよ自制が効かず、椅子から勢いよく立ち上がり、激しい剣幕を見せた。


「そんな開き直り方! 教皇の立場にいる貴方こそが、すべてのヒトに等しく公平に生きる権利があるのだと説くべきでしょう! それこそ聖王様がすべてのヒトを慈しみ、愛することを説いたように!」


 ガイウスの口元から笑みが消えた。


「聖王か」


 やけに落ち着いた声色に、ステラは不穏な空気を感じた。咄嗟に頭が冷静になる。


「君は、聖王が何者か、知っているか?」


 唐突な問いかけに、ステラは戸惑った。


「何者って……聖王教の開祖ってことくらいしか……」

「少し歴史を教えてやろう。学校で習うものではない。教皇である俺しか知らない、真の歴史だ」

「真の歴史?」


 ステラが首を傾げると、ガイウスは頷いた。


「聖王には罪がある」

「罪?」

「ああ。今この世界の土台となっている、大きな罪だ」


 突拍子もない話だった。

 この時、ステラは形容しがたい異様な恐怖をガイウスから感じた。


「何ですか、それは?」


 知ってはいけないことを、これから聞いてしまうのではないか――そんな不安が、ステラの胸中を巡った。


 そして、ガイウスが、


「亜人という人種を創ったのは聖王だ」


 死の宣告をするかの如く、言い放った。


「この世にヒトと呼べる生き物は人間しかいなかった。だが人間はか弱く、脆い生き物だ。災害や疫病、自らが引き起こす争いに、それこそゴミのように命を散らしていった。そこで、太古に存在したとある魔術師が、人間を人為的に進化させ、強靭な生き物に昇華させることを試みた。そうして生み出されたのが、エルフ、ドワーフ、ライカンスロープといった亜人だ」


 何をこの男は言っているのだろうと、ステラは絶句した。


「魔術師はその結果に満足した。亜人は人間より遥かに優れた品種になったからだ。そして、亜人たちもそれを自負した。だがここで、魔術師が予期しなかったことが起こった」


 ステラは、自身から血の気が引いていく感覚を覚えながら、震える唇を動かした。


「予期しなかったこと?」

「亜人が、自分たちより能力的に劣る人間を虐げるようになったんだ。それこそが、原初の種族起因による奴隷といってもいい。そこから亜人たちは瞬く間に人間社会を蹂躙し、大陸を支配していった。魔術師は亜人を生みだしたことを後悔し、恐怖した。そしてそれは強い罪悪感となり、魔術師にもう一つの使命を与えた」


 慄くステラには構わず、ガイウスはさらに続けた。


「魔術師は次に、亜人に対抗するための術を編み出した。人間を人間のまま強化し、亜人以上の能力を持たせる“印章”を」

「まさか――」

「そう、今でいうところの“騎士の聖痕”だ」


 ステラは目を見開いたまま、大きく唾を飲み込んだ。


「これもまた魔術師の思い通りに進み、人間は亜人の支配から解放された。そして魔術師は、もう二度とそのような過ちが起こらないようにと、亜人を打ち倒した人間たちを集めて組織を作り、世界を管理することにした。それこそが教会であり、騎士団の始まりでもあり――その魔術師が聖王となった瞬間だった」


 話を聞くほどにステラの鼓動は速まり、体が小刻みに震え始めた。


「これで世界は教会の支配下のもと、真の平和を維持できると思われた。だが、今の世の中を見ての通り、そうはならなかった。急速に数を増やした人間は教会の管理を越えてしまった。今度は人間が、亜人を隷属させるようになったんだ」


 そんなステラを、ガイウスは死人のような生気のない目で見遣っていた。


「教会はすぐにそれを禁止した。だが、ヒトはそれを止めることができなかった。ヒトの社会はすでに亜人を隷属させなければ機能しない作りに発展してしまっていた。まったく以て滑稽で哀れな話だ。結局は人間も亜人も考えることは同じで、力を手に入れた途端、自らクソの掃き溜めと化すことを選択したんだ」


 それをステラは直視できなかった。


「こうして作られた世界を、俺は変えるつもりでいる。聖王が始めた人間と亜人の対立に終止符を打つという形でな。でなければ、いつまで経ってもお互い、幸福とは程遠い在り方になってしまう。理不尽極まりないと思わないか? さしずめこの世は、聖王からの原罪を負わされた状態で産み落とされる辺獄だ」

「……貴方は、聖王になりたいんですか?」


 他にも色々言いたいことはあった。だが、今のステラに絞り出すことができたのは、その一言だけだった。


「今まで何を聞いていた? そんなものに興味はない。言ったはずだ。このクソの掃き溜めのような世界を変えることが目的だと。それに、俺は聖王のように、そんな世の中のクソどもを“迷える子羊”などという可愛らしい存在だとも思っていない。強いて言うなら、そうだな――」


 そして、ガイウスは、また悪魔のような笑みを顔に宿した。


「――“辺獄の黒騎士”だ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る