第195話
「密入国?」
シオンは怪訝に眉を顰め、イグナーツに訊き直した。
騎士団のグリンシュタット支部、そこの会議室にシオンたちは集まっていた。エレオノーラ、プリシラ、ユリウスの他、イグナーツを始めとした円卓の議席持ちの面々に加え、聖女アナスタシアもいる。
「ええ。シオンたちは正体を隠したうえで、ダキア公国に密入国してもらいます」
イグナーツは懐から四つの旅券を取り出し、テーブルの上に置いた。
「シオン、エレオノーラ、リリアン卿、ヴィンセント卿にはこの偽装した旅券をお渡しします。あの国に滞在している間は、ここに書いてある架空の人物になりきってください」
シオンたちは各々の前に出された旅券を手に取り、中身を確認した。偽装用のためか、使い古された感を出すためにやけにぼろぼろで、中にはすでにいくつかの渡航情報が記載されていた。併せて偽の本人情報も手厚く記されており――とりわけ、エレオノーラが興奮気味になっていた。
「あ、アタシとシオンが夫婦……!?」
偽装情報におけるシオンとエレオノーラの関係が夫婦と記されていた。
瞬間、プリシラがエレオノーラの背後から、
「ただの偽装用だろうが」
ドスの利いた声でそう吐き捨てた。
そんなやり取りの隣で、ヴィンセントが旅券を手に、はえー、と関心を寄せたように声を上げた。
「リリアンがいいとこのお嬢様で、俺はその執事かぁ。よろしくなぁ、お嬢様」
「恐れ入ります」
リリアンは相変わらずの希薄な様子で、小さく会釈を返した。
シオンが再度イグナーツを見遣る。
「密入国するのはわかったが、どうやって国境を越える?」
「アルバート卿たちが乗る汽車に荷物として潜り込んでください。コンテナを一台こちらで手配するので、その中に」
続けてアルバートが口を開いた。
「私たちがあちらの要人の相手をしている間に、君たちは別ルートでステラ王女を探しに行ってもらう。詳しい作戦は後で話すが、くれぐれも慎重に頼む」
「アルバート卿たちには正面から堂々と騎士としてステラ王女を捜索してもらいます。その一方で、シオンたちには騎士であることと教会魔術師であることを伏せてもらいます。なので、“剣のペンダント”と、エレオノーラの“銀のペンタクル”は私の方で一度預かりますね。シオンにはほんの数日前に返したばかりですが」
言われて、シオン、リリアン、ヴィンセントは“剣のペンダント”を、エレオノーラは“銀のペンタクル”を机の上に置いて差し出した。
「潜入する日時は?」
「五日後の午後六時発の汽車に乗って向かってもらいます。ダキア公国の国境を越えるのは、午後十一時頃でしょうね。時間はあちらの指定だそうです」
「やっぱり夜に移動するんだな」
「夜じゃないとあの国に入れないんですよ。まあ、紫外線に弱い吸血鬼たちが支配する国です。当然といえば当然ですね」
イグナーツが肩を竦めると、セドリックが興味深そうな顔になって顎に手を置いた。
「吸血鬼が治める国か。一体どんな国なのだろうな」
そんな何気ない疑問を、リリアンが拾った。
「吸血鬼たちは現地で“貴族”と呼ばれております。国家体制としてはガリア公国と似ており、その貴族たちが平民――つまりは吸血鬼以外の人間や亜人を支配しているとのことです」
「人間や亜人が奴隷扱いされていると?」
「いえ。地域にもよるようですが、吸血鬼たちと人間、亜人の関係はおおむね良好のようです。特に首都のような大都市では社会システムが成熟しており、大きな混乱もなく貴族と平民の共存共栄が成り立っています」
レティシアが鼻を鳴らした。
「意外だな。ヒトの血を食料にするような奴らだ。てっきり、高慢ちきな連中ばかりだと思っていた。人間や亜人を家畜同然に扱っているものだと」
「地方によっては仰るような事例もあり、そうした場所では吸血鬼は非常に恐れられているようです。また、吸血鬼たちは吸血鬼たちで、非力な人間や亜人を下等生物と罵ることがあると」
それを聞いたメイリンが、うんうんと頷いた。
「亜人たちが人間のことを“バニラ”って言うような感じか!」
そんな騎士たちの会話を聞いていたエレオノーラが、何か疑問を抱いたように、不意に眉根を寄せた。
「ねえ、吸血鬼って亜人じゃないの?」
リリアンが頷いた。
「はい。ですが、人間でもありません。未だにその正体は解明されておらず、長年国家レベルで聖王教との関係を断っていたこともあり、教会も詳しい情報は持っておりません」
次に、窓際で煙草を吸っていたユリウスが口を開いた。
「オーガみてぇな人間ベースの魔物じゃねえかって説が一番有力だ。だが、基本的に魔物は遺伝子を操作されている以上、繁殖するための生殖機能を持たない。それに対して、吸血鬼は普通の生物と同じように男女の生殖で子孫を残せる。そればかりか、人間との間に子をなしたこともあるって話だ」
「その他の特徴としては、太陽の光のような紫外線を含む電磁波に弱く、微かに浴びただけで失明や重度の火傷を負うようです。銀に対しても同様の反応を示すとのことで、触れただけで皮膚が爛れるそうです。あとはにんにくを食べると苦しみ、場合によっては中毒のような症状を起こして死に至ります」
リリアンの説明を聞いて、エレオノーラは腕を組みながら小さく唸った。
「弱点だらけなのも、まんま御伽噺に出てくる吸血鬼だね」
「ゆえに、ダキア公国では照明類には厳格な決まりが定められ、銀やネギ類の流通も厳しく制限されています。入国した際は、これらの製品の扱いに気を付ける必要があるでしょう」
リリアンが言って、イグナーツも深く頷いた。
「あとは、間違っても彼らに面と向かって吸血鬼とは言わないでください。彼らはその呼び方を嫌っています。貴族、と呼んであげてください」
「口滑らせないように気をつけないとなぁ」
ヴィンセントの一言は気が抜けるような覇気のなさだったが、それ自体にはシオンたちも同意見で、証拠に自然と表情を引き締めていた。普段の生活レベルで、自分たちの常識とは一線を画した国なのだ。潜入中は、常に気を張っておくことが求められる。
「制約が多い上、事前情報の少ない、厳しい潜入任務になることが予想されます。潜入組は、後でしっかりとリリアン卿とアルバート卿からステラ王女捜索の計画を聞いておいてください」
潜入組――リリアンを中心に構成されるシオン、エレオノーラ、ヴィンセントのチームと、アルバートを中心に構成されるレティシア、セドリックのチーム。メンバー全員がしっかりと頷いた。
「さて、私は今日この後、メイリン卿、ユリウス卿、プリシラ卿と一緒に聖女アナスタシアを騎士団本部へ送り届けに行きます。潜入組の面々は、作戦決行日までゆっくり休んで英気を養ってください。どうか、くれぐれもお気をつけて」
最後にイグナーツがそう締めくくり、この場は解散となった。
それからシオンたちが続々と退室し、会議室に残ったのはイグナーツと聖女アナスタシアだけになった。
他の面々に倣い、アナスタシアが退室しようとした矢先――
「どうされました、聖女アナスタシア?」
イグナーツが後ろから声をかけて彼女を呼び止めた。アナスタシアは少し驚いた顔で振り返る。
「いえ? 特にも何もありませんが?」
「さようですか――と、流してしまってもよいのですが、どうにも気になりました」
アナスタシアは、イグナーツの言っていることが理解できないようで、怪訝に首を傾げる。
しかし、イグナーツは異様に目つきを鋭くし、あたかも審問をするかのような面持ちでアナスタシアをじっと見つめた。
「聖女アナスタシア――貴女、先ほどから、シオンを見て何か怯えていませんでしたか?」
「私が? シオン卿を見て?」
心底以外そうに、アナスタシアが若干声を張りながら訊き返した。
「もう少し具体的に言うなら――」
だが、イグナーツは容赦なくさらに詰め寄った。
「貴女がシオンを見ていた時の顔は、ガイウスの話をしている時のそれとよく似ていた」
「……それは、気のせいでしょう」
アナスタシアは、イグナーツに顔を隠すような所作で踵を返し、早足で会議室から出ていった。
イグナーツは険しい表情のまま、誰もいなくなった会議室で、一人煙草に火を点けた。
「ガイウスが聖女を探している理由――彼女自身は“写本の断片”が原因と言っていたが……。まあ、まずは“写本の断片”が何なのか、それを知るところからですかね」
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