第193話

 大統領からの聴取を終え、アルバートたち三人は騎士団のグリンシュタット支部へと戻った。

 グリンシュタット支部は、首都ゼーレベルグの中央から少し外れた郊外に存在している。アウソニア連邦にある本部とは異なり、小さくまとまった五階建てのビルだ。支部には支部長を務める騎士と、その部下となる数人の騎士が在籍しており、普段はグリンシュタットとその周辺国で任務にあたる騎士たちのサポートを主たる業務としている。


 議席持ちの騎士六人が街中で戦闘を起こしたことに、支部長たちは戸惑いと怒りを露骨に伝えてきた。だが、そこは半ば強引にアルバートが事を治めた。副総長であるイグナーツを含めた重傷者が大勢いることもあり、緊急事態だとして支部長も渋々ながら騒動の鎮静化に迅速に協力してくれたことが不幸中の幸いであった。


 そうした経緯の後――今は、回復の早かったアルバートとヴィンセント、ガラハッドとの戦闘を回避していたユリウスが、先んじて諸々の状況整理を進めているところだった。


「なんつーか、結局、俺らのやることなすこと、全部先手を取られて封じられている感じするなぁ」


 急遽借りた執務室にて、ヴィンセントがソファに寝転がりながらぼやいた。

 アルバートが机に腰を預けながら頷く。


「そういう相手だとわかっていたつもりだが、いざなってみるとどうにも歯痒いな」


 ユリウスがソファに座り、煙草に火を点けた。


「で、こっからどうするよ? 教皇を罷免する切り札だった王女もあっちに取られた。これまでも枢機卿連中とは何度か小競り合いを起こしたが、もう真正面からドンパチするしかねえか?」

「まさか。それは総長が絶対に許さない。教皇も、今この局面で私たち騎士団と全面戦争することは避けたいと思っているはずだ。だからこそ、今はまだ政治的な計略を主軸にして動いているのだろう」


 アルバートの見解に、ヴィンセントが少し顔を顰めた。


「んでも、それも“まだ”って話だよね? いよいよ俺ら騎士団の身動きを封じたら、一気に叩き潰してくる、なんてこともそろそろ現実味を帯びてきたんじゃない? まして、ラグナ・ロイウでの一件もある。大都市一つを粛清、なんてことを突然やった連中だ。何しでかすか、わからんよ?」

「だとしても、今の私たちが取れる対抗策は限られている。何よりもまずは、ステラ王女を取り戻すことが最優先だ」

「あのポンコツ王女が教皇の言いなりになっている姿は想像に難しくねえ。さっさと所在を掴まねえとな」


 ユリウスの言葉に、ヴィンセントは怪訝になって片眉を上げた。


「んあ? 所在を掴むって、王都に行ったんじゃないんか? これから戴冠式やるんだろ?」


 それにはアルバートが首を横に振った。


「王都はガリアに実効支配されている状態だ。そんなところにそのまま王女を送り込むとはさすがに考えにくい。戴冠式の具体的な段取りが決まるまで、どこか別の場所に匿うはずだ」

「あーなるほど。つーかさぁ、何だか、教皇とガリアの関係もよくわからんくなってきたねぇ。これで王女が女王になってログレス王国の主権が回復することになったら、ガリアは激おこもんでしょうよ。ガリアからしてみれば、十字軍結成のために色々協力してやったっていうのに、教皇のこの動き方はさすがに裏切り以外でも何でもないねぇ」


 ユリウスが紫煙を吐きだしながら鼻を鳴らした。


「戴冠式を開催こそするものの、その目的がログレス王国の主権回復とは限られねえし、教皇が本当にやりたいことは実際のところここにいる誰も知らねえよ」

「どゆこと?」


 ソファから起き上がったヴィンセントが訊くと、アルバートは軽く肩を竦めた。


「戴冠式を開催すること自体に教皇の目的があるのではないか、とユリウスは言いたいんだろう。私も同意見だ。恐らく、教皇が真に標的としているのはステラ王女ではなく、聖女アナスタシアだろう。聖女を戴冠式に呼びつけ、そこで身柄を確保するつもりなのではと思っている。言ってしまえば、王女は人質だ」

「なるほどねぇ。やり方を宝探しから釣りに変えたか。ステラ王女を返してほしかったら聖女を差し出せってことかい。こっちの動き方次第で、ステラ王女をそのままガリアに始末させるなんてことも考えられるねぇ。もしそうなったら、俺ら騎士団の面子はいよいよ地に落ちて再起不能になるわな」


 やれやれと、ヴィンセントは嘆息して苦笑した。

 二本目の煙草に火を点けようとしていたユリウスが、不意に何かを思い出したように口を開いた。


「それはそうと――前からずっと気になっていたことがある。何で教皇は聖女を探してんだ? いや、現状、教皇の一番の政敵が聖女っていうのは理解してんだが、あそこまで執拗に探し回ってる理由がよくわからねえんだよ。議席持ちのお前らなら、何か知ってんじゃねえのか?」


 ユリウスに訊かれ、議席Ⅶ番のアルバートと議席ⅩⅠ番のヴィンセントは互いに顔を見合わせたが――


「残念ながら私たちもよくわかっていない」

「総長ですらよくわからんって話よ? ただ、ある日を境に、教皇の聖女に対する敵対心が異常と思えるほどに強まったってことは耳にしている」


 明確な回答は出てこなかった。

 しまらねぇ、とユリウスがぼやきながら二本目の煙草に火を点ける。


「ある日を境って、いつから?」

「ガイウス・ヴァレンタインが教皇になって間もなく――騎士団分裂戦争が始まる少し前くらい、かねぇ、確か」

「……騎士団分裂戦争と何か関係があるのか?」


 新たな疑問が生まれかけた時、不意に執務室の扉が開かれた。

 そこから入ってきたのはイグナーツだった。


「お三方とも、元気そうで何よりです」


 そう言ったイグナーツの顔には包帯やガーゼが貼られており、まだ全快とはいっていないようだった。


「イグナーツ卿はもう大丈夫なのですか?」


 アルバートが訊くと、イグナーツは肩を竦めた。


「ええ。あそこまでこっぴどくやられたのは初めてでしたが、どうにか日常生活を送れるくらいには回復しました。それと、シオン以外は全員意識を取り戻して、動ける者はもうすでに仕事に取り掛かっていますよ」

「シオンはまだ目を覚ましてねえの?」


 ヴィンセントが意外そうに言った。


「彼はまだ病院で寝ています。今はエレオノーラに看てもらっているところです。体のダメージはもう回復しているはずなんですがね。原因がわからず、医者も自然に目を覚ますのを待つしかないと」


 それを聞いたユリウスが、けっ、と小さく舌打ちした。


「あの野郎、ガラハッドにやられたあとすぐに王都に行くんだって息巻いていたくせに、電源抜けたように倒れやがって」

「だが、それでよかったと思っている。あの時のシオンはどう見ても正常な判断ができる状態ではなかった。倒れていなければ、本当に一人で王都へ殴り込みに行っていたかもしれない」


 アルバートの冷静な分析に、ヴィンセントが面白そうに笑った。


「いっそ激昂状態のシオンをあのまま王都へ送り込んで、駐在するガリア兵を全員ボコしてもらえばよかったかもねぇ。怒り狂ったシオンはとんでもなく強いから、ワンチャン選択肢のひとつだったかもよ」

「冗談としても、作戦としてもイマイチだ」


 アルバートの酷評に、ヴィンセントがわざとらしく渋い顔をした。


 それから間髪入れず、また執務室の扉が勢いよく開かれた。

 今度はプリシラだった。


「イグナーツ卿はいらっしゃいますか!?」


 プリシラは声を張り上げると、イグナーツを見て駆け寄っていった。


「何事ですか?」

「こちらを」


 そうして彼女が手渡したのは、号外の新聞だった。それに目を通したイグナーツの表情が驚きに歪む。

 それを尻目に、プリシラは続いてラジオの方を向き、一番近くにいたユリウスを指差した。


「ユリウス、ラジオをつけろ。チャネルはワールド・スピーカーだ」

「何だ? あの会社が報道するニュース、どれもこれもつまんねえだろ。面白れぇゴシップでも流れたか?」


 ユリウスは冗談を言いつつ手早くラジオをつけ、チャネルを合わせる。

 数回のノイズのあと、すぐにアナウンサーの声が聞こえるようになった。


『――続いての――スです。こちら、先ほど入りました速報の詳細です。本日未明、ログレス王国のステラ王女殿下より、次の声明が大陸各国へ向けて発信されました』


 執務室に緊張が走った。

 アルバート、ヴィンセント、ユリウスが揃って傾聴の姿勢に入る。


『“このたび、ログレス王国王位継承権第一位を持つステラ・エリザベス・アンジェラ・ログレスが、同国の王位に即位することをここに表明する。本日、聖王暦一九三四年三月二日より六十二日後である聖王暦一九三四年五月三日に、ログレス王国王都キャメロットにて戴冠式を開催し、聖女アナスタシアより戴冠を承ることで、同国の王となることを正式に認可いただく儀を執り行う”』


 ついに言ったかと、この場にいた全員がそれを表情で語った。


『この件につきましては、現在ログレス王国の各地を実効支配しているガリア公国から反発と批判の声が上がっており、教皇庁を介しての協議が近日中に実施されるとの情報も入っています。繰り返します。こちら、先ほど――』

「……やはりそうきますか」


 厳しい顔でぽつりと言ったイグナーツ。アルバートもそれに同調した。


「予想通りに動きましたね。このまま教皇がガリアを丸め込み、ステラ王女に貸しを作ってしまえば私たちの計画が立ち行かなくなります」


 ヴィンセントが頷く。


「王位に就くのにバックアップしてくれた教皇を罷免するなんてこと、さすがにできないからねぇ。もしそんなことをしたら、ステラ“新女王陛下”は、裏切り者として大陸国際社会へ凄く悪い印象を与えてしまう」


 議席持ちの騎士たちがそんな会話をする一方で、ユリウスは別の所に関心を示した。


「あのポンコツ王女の本名、ステラ・エリザベス・アンジェラ・ログレスっていうのか。あいつが普段名乗っていたエイミスってのはどっから取った姓だ?」

「エイミスは王女の母方の旧姓ですよ。この騒動に巻き込まれる以前、ステラ王女は身分を隠して普通の少女として生活を送っていました。ステラ・エイミスはその時に名乗っていた名前です。そんなことより、これで我々のタイムリミットが決まりましたね」

「六十二日後の戴冠式、がタイムリミットでしょうか?」


 プリシラが訊いて、イグナーツは首を横に振った。


「いえ、それでは遅すぎます。教皇庁を仲介役にしたガリアとの協議が執り行われる日まで、です。さっきアルバート卿が言ったように、教皇がガリアとのいざこざを丸く収めてしまってはステラ王女を我々の切り札に使うことができなくなります。それを阻止しなければなりません」


 ヴィンセントが長い溜め息を吐きながらソファに仰向けに倒れた。


「なんだかなぁ。ほんの少し前までは王女を女王にしようと色々手を回していたけど、今度はその逆をやることになるとは。どうなるかわからんもだねぇ」


 まったく以てその通りだと、全員が無言で同意する。

 また色々と作戦を考え、手を打たなければ、という空気になった時、三度執務室の扉が開かれた――というより、破壊された。


「入るぞ!」

「ドア開ける前に言えよ。てか、壊すな」


 ユリウスにそうツッコまれたのは、メイリンだった。

 メイリンはその小柄な身体でのしのしと歩きながら、イグナーツの眼前に立つ。


「イグナーツ、姐さんを連れてきたぞ!」

「姐さん?」


 誰のことを言っているのだろうと、メイリン以外の全員が首を傾げる。そして、壊れた執務室の出入り口を恐る恐る通った人物を目の当たりにして、吃驚した。


 そこにいたのは、聖女アナスタシアだった。齢四十であること感じさせない、おおらかな美しさと気品を携えた美女である。

 アナスタシアは一同の前に立つと、まずは深々と一礼した。


 それを見た騎士たちは、条件反射的に一斉に立ち上がり、姿勢を正す。

 そして、イグナーツが暗黙的にその場の騎士を代表し、アナスタシアの目の前で片膝をついた。


「お久しぶりです、聖女アナスタシア」

「お久しぶりですね、イグナーツ卿。それと、皆様も。どうかかしこまらず、楽にしてください」


 アナスタシアの許可を得て、イグナーツが面を上げて立ち上がった。それに倣い、他の騎士たちも各々楽な姿勢を取る。


「なんだぁ。メイリン、やっぱり聖女の居場所知ってたんかよ。ガラハッドに訊かれた時は嘘ついていたんだねぇ」


 ヴィンセントに言われ、メイリンがどこか得意げに胸を張った。


「当たり前だ! ガラハッドにも言っただろう! 知っていたとしても教えないと!」

「ゼーレベルグの駅に到着したあと、私はすぐにメイリンさんと別れてこの街の教会に身を潜めていました。メイリンさんの用事が終わった後でまたすぐに合流する手筈だったのですが、まさかこのようなことになるとは……」


 アナスタシアから事情を聞いて、イグナーツは安堵しつつも難しい顔で息を吐いた。


「なかなかにニアミスでしたね。もし教皇が教会に顔を出していたら、聖女も一緒に連れていかれるところでした」

「ガラハッドを見た時は、正直さすがのウチも焦ったぞ!」

「ええ、本当に危ないところでした。猊下との接触を回避できたのは本当に運がよかったです。ですが、その代わりにステラ王女が……」


 アナスタシアが沈痛な面持ちで視線を下に向けた。

 不意に、アルバートが口を開く。


「聖女アナスタシア、質問よろしいでしょうか?」

「はい。私に答えられることであれば」

「何故、教皇は貴女のことを執拗に探しているのですか? 確かに聖女は教皇に匹敵する権力を持っています。しかし、政敵として忌避することが目的であれば、聖女が表舞台に立っていない今の状態でもそれは達成できているのでないでしょうか?」


 アルバートの疑問は、この場にいる騎士全員が抱いていることだった。騎士たちの視線が一斉に聖女へと集まり、緊張の糸が張り詰める。

 そして、


「……恐らく、猊下は私が保有している“写本の断片”を欲しているのでしょう」


 アナスタシアが重々しくそう言った。

 しかし、騎士たちにはピンとこなかったようで、未だに全員が怪訝に眉を顰めている。


「“写本”……というのは、“聖域”に存在すると言われている、あの“写本”のことですか?」


 イグナーツが訊くと、アナスタシアは静かに頷いた。


「はい。“写本”は――」

「失礼いたします」


 アナスタシアが何か言葉を紡ごうとした時、唐突にそれは遮られた。


 見ると、壊れた扉の前にまた誰かが立っていたのだ。

 そこにいたのは、リリアンだった。


 アナスタシアの話が気になるところではあるが――イグナーツがいったんそれを止めた。軽く手を挙げてその場を制し、彼はリリアンへ注意を向ける。


「イグナーツ様、先ほどヴァルター様との定時連絡が終わりました。“セラフィム”の所在が判明したとのことです」

「どこですか?」

「現在はアウソニア連邦、聖都セフィロニアに着艦しております」


 “セラフィム”――一週間前の騒動で、ステラを乗せて飛び発った、熾天使の名を冠する最強の空中戦艦である。今日この日まで、イグナーツとリリアンはステラの所在を掴むため、騎士団本部にいるヴァルターの力を借りていたのだ。


「っつーことは、教皇たちの本拠地、ルーデリア大聖堂かい?」


 ヴィンセントの問いにリリアンは頷いた。


「はい。しかしながら、ゼーレベルグを出発したあと、“セラフィム”は大きく迂回して“とある国”へ一時滞在していた形跡があるとのご報告を受けております。現在、ステラ王女はその国に匿われているのではないかと、ヴァルター様は仰っていました」

「とある国?」

「ここグリンシュタット共和国より南東に位置する小国――ダキア公国です」


 リリアンの言葉に、全員が表情を強張らせた。


「ダキア公国……よりにもよって、“吸血鬼の国”ですか」


 イグナーツが、苛立ちを抑えるように煙草に火を点けた。

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