第三部

序章

第191話

 リディアが通された面会室は、教会にある懺悔室のように厳かだった。壁は一面暗めの茶色の木造で、妙な圧迫感がある。部屋の中央を仕切るのは格子状の金網――鉄格子であり、それの存在が、やはりここは罪人を収容する施設の一部なのだと、入室するものに改めて認識させていた。


 リディアは、鉄格子の前に備え付けられた小さな木の椅子に腰を掛ける。

 それから間もなく、鉄格子越しにある正面の扉が開いた。


 面会室に入ってきたのはシオンだった。最後に見たのはもう三ヶ月も前だったかと、リディアは少しだけ懐かしく思った。


「元気そうだね」


 声をかけると、シオンは伏目がちの顔を上げた。今にも泣き出しそうな顔で――そこに議席持ちⅩⅢ番の威厳はなく、彼と初めて出会った時の、捨てられた子犬のような表情だった。


「ああ……」


 シオンはか細い声で答え、閉じられた扉の前で暫く立ち尽くしていた。

 それを見たリディアは苦笑した。


「もう二度と貴方の顔を見れないと思っていたから、嬉しい。ねえ、近くでその顔を見せて」


 リディアに言われ、シオンは徐にリディアの前に座った。

 数秒の間、想い沈黙が流れる。シオンは、悲しげな顔をしたまま、リディアとは目を合わせなかった。


「ねえ、お願いがあるの」


 そこへ、リディアが唐突に話しかけた。


「私がいなくなっても、誰も――何も恨まないで」


 リディアのその一言が、シオンを刺激した。

 シオンは指先が食い込むほどに両拳を強く握りしめ、怒りで体を震わせた。


「できるわけないだろ、そんなこと……!」


 歯列の間から絞り出すように言って、シオンはきつく両目を閉じる。


「どうして、混血ってだけで死ななきゃならないんだ!」


 それを聞いたリディアが儚げに微笑んだ。


「仕方ないよ。ヒトの価値観や倫理観はそう簡単に変えられない。ましてこれは昔からの教会の決まりごと。……皆、どこかの悪い神様に洗脳されていているだけ――これがそんな安っぽい話だったらよかったんだけどね。現実は、おとぎ話のようにはいかないみたい」


 不意にシオンは目つきを鋭くし、少しだけ周囲を警戒するように耳を傍立てる。それから、慎重に鉄格子に顔を少し近づけた。


「……今、部屋の外で見張りをしている騎士に議席持ちはいない。俺なら君を連れて牢獄から抜け出すことができる。このまま二人で大陸の外に――」

「シオン」


 ぴしゃりと、リディアが遮った。


「“私のこの結末”はね、理不尽なことではないの」


 リディアの言葉に、シオンが狼狽して目を丸くした。


「理不尽じゃないって……そんなわけないだろう! リディアは何もしていないじゃないか! 今からでも遅くない。ここを壊して――」

「これは“私の罪”に対する罰だから」

「何を言って――」

「シオン、よく聴いて。私をここから連れ出す覚悟が本当にあるというのなら、それを別のことに役立ててほしい」


 シオンの言葉の一切を聞き入れず、リディアは淡々と話を続けた。


「大陸同盟締結のために強行策へ踏み切ったガリアから、一人でも多くの亜人たちを守って」


 リディアの依頼に、シオンは言葉を失って固まる。


「貴方も知っているでしょ? 今こうしている間にも、ガリア軍による亜人の弾圧が大陸各地で起こっていること。教皇庁の上層部がそれを黙認している以上、騎士団も組織的に動くことができないでいる。このままだと、大陸の亜人はガリアに完全隷属してしまい、ようやく私が長い年月をかけて復興した亜人の人権がまた蔑ろにされてしまう」

「わかっているが……わかっているけど!」

「お願い。貴方は、騎士の矜持に従い、弱き者のために剣を取って」


 リディアのその言葉は突き放すように聞こえたかもしれない。事実、シオンは失意にも似た感情を顔に浮かばせ、悔しそうにしていた。


 だが、シオンも自分が本来やるべきことは理解しているからこそ、そのような表情をしているのだろう。怒りと悲しみ、後悔と絶望が入り混じった、傍から見る者の心にも沈痛な思いを宿らせる表情だった。


「そんな顔をしないで。遅かれ早かれ、私はこうなる運命だった」


 鉄格子の向こうにあるシオンの瞳から、涙の雫がぽたぽたと数滴落ちていた。


「さあ、行きなさい、シオン・クルス。貴方が救うべき命はここにはない。すべての不義を斬り払って」


 リディアは、今すぐにでも抱きしめたい思いを押し殺し、無情にもシオンを送り出そうとした。


 シオンは少しの間、蹲るように顔を俯けていた。

 そして、意を決したように面を上げ――


「――君のこと、本当に愛している……」

「勿論、私も。貴方を愛している」


 互いの愛を確認した後、シオンは逃げ出すように面会室を後にした。


 一人部屋に残ったリディア――彼女は徐に、神へ許しを請うかの如く、天井を仰いだ。


「安心して、自分だけ都合よく生き残ろうなんて思っていない。でも……これでもまだ、貴女への贖罪には程遠いよね」


 まるでそこに、“誰か”がいるかのように呟いた。


「――“マリア”」

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