終章
第190話
空中戦艦“セラフィム”が徐々に高度を上げていったのも束の間で――窓から覗くゼーレベルグの街並みは、疎らな雲の下ですでにミニチュアのようになっていた。ステラはそれを、船室の中で憂いを帯びた瞳で見下ろしていた。
そんな時、不意に船室の扉が開いた。アコーディオン式の扉がガラガラと音を立てて開いた先から現れたのは、ガラハッドだった。
ステラは、ガラハッドの血に塗れた服を見て、心配そうに眉根を顰めた。
「安心しろ。誰も死んでいない」
ガラハッドは、ステラを一瞥すらせず、淡々とした歩みで脇を通り過ぎ、そう言い残して船室の奥へと姿を消した。
ステラはほっと胸を撫でおろしたあとで、表情を引き締めた。
そして、隣に立つ人物に、少女らしからぬ厳しい視線を向ける。
「私が戴冠式に出れば、本当にこちらの要求をすべて叶えてくれるんですね、教皇猊下?」
ステラに訊かれ、ガイウスは窓の外を眺めたまま小さく頷いた。
「ええ。“神に誓って”」
「なら、教えてください」
ステラが即座にそう言って、ガイウスは視線だけを彼女に向けた。
「何故貴方はシオンさんを黒騎士に仕立て上げたんですか? 何故“リディア”さんを死に追いやったんですか? 十字軍を結成した理由は? 貴方の本当の目的は?」
ステラから怒涛の勢いで質問が投げかけられると、ガイウスは再び正面へ視線を戻した。
「すべてを話すと長くなる。簡潔に言うなら、そうだな――」
狼のような金色の双眸が、眼下に広がる景色を捉える。
「“世界平和”と、“哀れな魂へ向けた個人的な弔い”――“復讐”だ」
※
「待て、トリスタン!」
教皇庁本部――ルーデリア大聖堂のとある回廊にて、そんな声が響き渡った。
ランスロットは、早足で前を歩くトリスタンの肩を掴むと、強引にその場に留まらせて振り向かせた。
「どこへ向かうつもりだ!? 何をそんなに憤っている!?」
「何故憤っているかだと? 決まっている、教皇の真意を聞いたからだ!」
ランスロットの問いに、トリスタンは怒号を上げた。次いで、ランスロットの胸倉を掴み上げ、恫喝するように顔を近づける。
「何が“復讐”だ! 公私混同にもほどがある! 今までそんなにものに付き合わされていたと知れば、怒りの一つや二つ湧くのが自然だろうが!」
「落ち着け! ガイウス様がただそれだけのために我々を従えているというわけではないだろう! それくらいのことはお前にもわかっているはずだ!」
「なら逆に訊く! お前は何も感じなかったのか!? 我々がこれまでにやってきたことが、ただの“復讐”に利用されていたんだぞ! この世界を変えるという大義名分を釣り餌にされてな!」
「たとえそうだとしても、私たちがこれから成し遂げようとしていることもまたガイウス様の目的に違いないだろう! ただその過程と、成就した先に、ガイウス様の“復讐”があるというだけだ!」
トリスタンは、ランスロットを突き飛ばすように解放した。
「もういい! 教皇に妄信しているお前と話しても何も始まらん! 教皇が戻って来たらもう一度直接――」
「訊いてどうするんだい?」
忽然と姿を現し、トリスタンの言葉を遮ったのはパーシヴァルだった。
パーシヴァルは回廊の大窓の縁に腰を掛けていた。
「ランスロットの言う通りだよ。別にガイウスは僕らが目指していることに対して裏切っているわけじゃない。“復讐”は彼にとっての動機であり、一種の報酬だ。そう思って割り切ればいい」
パーシヴァルの見解を聞いたトリスタンが、懐疑的に眉を顰めて睨みを利かせた。
「パーシヴァル、お前はどうしてそこまで協力的でいられる? ガラハッドもだ。ランスロットのように教皇のことを妄信しているわけでもないだろう?」
パーシヴァルは恍けるように肩を竦める。
「僕がガイウスに協力する理由は単純だよ。僕が“やりたいこと”をやらせてくれると約束してくれた。ただそれだけだ。ガラハッドのことは知らない。気になるなら後で本人に訊くといい」
「お前の“やりたいこと”?」
「一世一代の大勝負――まあ、その時になったらわかるさ。そんなことよりも、トリスタン、君の話だ」
今度は逆に、パーシヴァルがトリスタンを睨んだ。眼鏡越しに向けられた鋭い視線に、トリスタンが堪らずたじろぐ。
「ガイウスにもう一度真意を問いただしたところで、同じ話しか聞けないと思うよ。それとこれは忠告だ。あんまりしつこいと、彼は君のことも平気で始末するだろう。僕やランスロット、ガラハッドを使ってね。だから、青臭い感情に任せてギャーギャー騒がない方がいい。君ももうそんな歳でもないだろう?」
トリスタンは苦虫を嚙み潰したような顔で短い歯軋りをした。
「……信じていいんだな?」
「何が?」
犬の唸りのような声を出したトリスタンに対し、パーシヴァルは小首を傾げた。
「教皇のことを、信じていいんだな?」
「知らないよ、君がどうしたいかだ」
パーシヴァルは呆れたように鼻を鳴らして、大窓の縁から徐に床に降り立った。
「――なんて、ドライなこと言ってみたけど、君ほどの能力を持つ人材をみすみす失いたくはない。だからこそ、多少のことには目を瞑って大人しくしてほしいっていうのが僕の本心だ、トリスタン。まあ、仲良くやっていこうよ」
そう言って、トリスタンの肩を軽く手で叩く。
「さて、この話はその辺にしておいて――ガイウスから君たちへの伝言だ」
「伝言?」
ランスロットとトリスタンが同時に訊き返すと、パーシヴァルはどこか嬉しそうに口の端を吊り上げた。
「ガラハッドがここに戻って来たら、僕ら四人で“聖域”に入って“聖王”に会ってこいだとさ。“聖域”に教皇以外の人間を立ち入らせるなんて、彼も随分と大胆な判断をするね」
「“聖王”に会う……? どういう意味だ?」
“聖王”――今から千年以上も前に存在したとされる、聖王教の教祖である。神の教えを説く宣教師であり、後に神と同じく信仰の対象そのものになった歴史上の人物だ。その素性の多くが謎に包まれており、現代にいたるまで、彼の正体を正確に伝える文献などは一切存在していない。ゆえに神格化され、太古から現在に至るまで、それを知ることは聖王教における一種の禁忌ともされていた。
ランスロットとトリスタンは、そのような存在に“会う”という表現が使われたことに、怪訝に眉を顰めた。
「“聖域”に収められているという“写本”の正体が何なのか、もしかしたらわかるかもね」
※
ガラハッドとの戦闘が終わり、三十分が経過した頃――惨状と化した大公園に、エレオノーラ、ユリウス、プリシラの三人が戻った。
戻って早々、ユリウスとプリシラは、ガラハッドに斬り伏せられた騎士たちの応急処置に当たった。レティシア、セドリック、ヴィンセント、メイリン――いずれも大量出血によって意識を喪失していたが、幸いにも命に別状はなさそうだった。もっとも、騎士の体だからこその結果であり、普通の人間であれば即死しているほどの重傷であった。
エレオノーラはというと、蹲り、悶えるシオンの傍らに付いていた。
しかし、瀕死ともいえるような体でなお立ち上がろうとするシオンに、エレオノーラは恐怖にも似た感情を表情に宿した。
「ま、待って、シオン。到底動けるような体じゃないでしょ? 下手すれば、いくらアンタでも――」
「どいつもこいつも……!」
シオンは、首元に突き刺さった刀を引き抜くと、幽鬼のような足取りで立ち上がった。
「舐め腐ったこと言いやがって……!」
弱々しい“帰天”を発動させて体を再生させ、少しずつ歩みを進めていく。
「ランスロットも、トリスタンも、パーシヴァルも、ガラハッドも、ガイウスも……! 全員、ぶっ殺してやる……!」
まるで何かに取り憑かれたように、何かに導かれるかのように、シオンは進んだ。
到底正気とは思えない状態のシオンに、アルバートが駆け寄った。
「シオン、落ち着け! そんな体でどこへ行く!?」
アルバートがシオンの肩を掴んで制止しようとするが、シオンはそれを振り払った。
「決まってる……」
一度立ち止まり、口に溜まった血を地面に吐き出す。
そして――
「ログレス王国王都――キャメロットだ!」
赤い双眸を、彼の地が存在する方へ向けた。
第二部 了
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