第189話

 時は少し遡り、エレオノーラが大統領府の邸内に入った頃――現場は、大公園で繰り広げられるシオンたちの激戦の余波を受け、混乱していた。騎士たちの戦いの衝撃は轟音となって建物を小刻みに揺るがし、邸内の各国要人、及びスタッフを戦慄させていた。


 誰もが緊急用非常口へと向かって殺到する中、エレオノーラは階段を駆け上り、ステラがいるだろう会談の間に急いだ。途中、スーツケースからライフルを取り出し、もしもの時に備える。


 その時、不意に床、天井、壁が激しく振るえた。まるで、小さな直下型の地震を受けたような震えだった。


「今の振動、大統領府の中から……?」


 シオンたちの戦闘の衝撃はさすがにここまで大きくはないはず――そう思いながら、エレオノーラは窓から外を覗いた。ここから何百メートルも離れた場所で、激しい土埃が衝撃波と共に舞い上がっているのを確認できた。あれだけ離れているのであれば、さすがに先ほどのような、地震とも思えるような揺れにはならないはずだ。


 嫌な予感がすると、エレオノーラは顔に一筋の冷や汗を残した。


 それからまた階段を駆け上がり、もう少しで会談の間に差し掛かるというところで――エレオノーラは目の前の光景に驚愕した。


「イグナーツ卿!?」


 そこの通路だけ、何かの災害を受けたかのように激しく崩壊していた。そして、歪に変形した床に横たわっていたのは、血塗れのイグナーツだった。


「何があったんですか!?」


 エレオノーラはライフルを投げ捨て、イグナーツの上半身を抱え起こした。イグナーツの身体は至るところを斬られており、普通の人間であればとっくに失血死しているような有様だ。

 イグナーツは小さく呻いたあと、血で赤く染まった両目を開いた。魔術の弟子であるエレオノーラであることを確認すると、少しだけほっとしたような顔になる。


「ステラ王女が、教皇に連れていかれました……」


 イグナーツは血の泡を吐きながら、絞り出すように言った。

 その衝撃の一言に、エレオノーラは顔面蒼白になって言葉を失う。


「エレオノーラ……」


 イグナーツはエレオノーラから離れ、覚束ない足取りで壁際に一人歩いた。そのまま壁に背を預け、血糊を描きながら床に腰を下ろす。


「頼まれてください……シオンたちに、王女のことを、急いで伝えてください……」

「イグナーツ卿! しっかりしてください!」


 ぐったりと項垂れたイグナーツに、エレオノーラが再度駆け寄ろうとする。

 イグナーツはそれをやんわりと断った。


「私とリリアン卿のことは放っておいてください。大丈夫です、死にはしません。王女に、助けられましたから……」


 蚊の鳴くような弱々しい声で言って、イグナーツは不意に視線をある場所に向ける。そこにいたのは、壊れた人形のように床に伏せるリリアンだった。


「どういう意味ですか?」

「私たちを見逃す代わりに、王女は大人しく連れていかれる選択を取ったんです。まったく、副総長ともあろうものが、騎士失格ですね……」


 イグナーツは自嘲した。


「どうか、頼みます、早く、シオンたちに……」







 ガラハッドを目の当たりにしたシオンたち――エレオノーラを除く全員が、表情を強張らせていた。いつになく張り詰めた空気に、エレオノーラだけが困惑した顔で狼狽する。


「ユリウス、プリシラ」


 シオンが呼びかけると、それを待っていたかのように二人は頷いた。


「エレオノーラを連れてここから離れてくれ」


 直後、プリシラがエレオノーラの腕を強く引っ張る。


「ここを離れる、急ぐぞ」


 エレオノーラは腕に力を入れて抵抗した。


「ま、待って! アタシも戦う! アンタらもなに大人しく言うこと聞いて――」


 しかし、すぐにエレオノーラは黙った。プリシラとユリウスの顔から読み取れる緊張の念が、今までの比ではなかった。

 プリシラは再度エレオノーラの腕を引いた。


「私たちがここにいたところで、何の役にも立たない」


 それが裁決だった。有無を言わさないと、プリシラから発せられる気迫に、エレオノーラも堪らず従うしかない様子だった。


 エレオノーラ、プリシラ、ユリウスの三人が駆け足でここから離れていくのを確認し、シオンは改めてガラハッドに対峙した。


 絹のような白髪と深海のような暗く青い双眸が、シオンを捉える。


「お前たちと戦うためにここに来たわけじゃない」


 ガラハッドがそう言った。それからガラハッドは、メイリンへ視線を向けた。


「メイリン・レイ。聖女は今どこにいる?」


 つい先ほどまで――アルバートたちを相手取っていた時ですら、どこか無邪気で間抜けな表情をしていたメイリンだったが、ガラハッドに目を付けられた今は、真面目に殺気立っていた。


「知らん。ゼーレベルグに着いた直後に姐さんは一人でどこかへ行った。知っていたとしても、お前に言うつもりはない」


 メイリンの回答を聞いて、ガラハッドはそれきり興味を失ったようにすぐさま踵を返した。


「待て! ステラを連れ去ったのはアンタか!?」


 シオンが呼び止めると、ガラハッドは足を止めた。


「王女は自分の意思でガイウスについていった。王都での戴冠式の開催、イグナーツとリリアンの命――そして、お前の免責を条件にな、黒騎士」


 黒騎士の免責――何を勝手なことをと、シオンは静かに歯噛みする。

 その傍らで、ヴィンセントが一歩前に出た。


「ちょい待ちぃ。戴冠式を開催して王女が女王になることは願ったり叶ったりだが、それが教皇主導のもとに成し遂げられるとなれば話はまた別だ。教皇を立てちまったら、ステラ女王が教皇を罷免に追い込むことができなくなる」


 ヴィンセントの気付きに、レティシアが歯を剥く。


「貴様ら、それが目的か!」

「お前たちの問いに答えることはない」


 ガラハッドはそんな恫喝にも特に臆した素振りも見せず、淡々と言い放った。

 今度はセドリックが、


「何故ステラ王女をこの局面で引き込んだ? もしや、戴冠式に聖女を呼びつけるためか?」


 そう訊いた。

 すると、ガラハッドは即答せず、そのまま黙り込んだ。

 アルバートが目つきを鋭くする。


「セドリック卿の読みは当たりのようですね。何故、そうまでして聖女に――」

「三度は言わない。お前たちの問いに答えることはない」


 刃を通すような鋭い口調で、ガラハッドが遮った。

 議席持ちの騎士六人が、ガラハッドを中心にして取り囲む。


「どけ」


 騎士団の最高戦力、その約半数から殺気を向けられてもなお、ガラハッドは堂々かつ淡々としていた。あたかも、脅威になど始めから感じていないかのように。


 シオンが刀を鞘から引き抜き、静かに構えた。


「ステラは返してもらう」

「本人に言え」


 それが戦闘開始の合図だった。


 目にも止まらぬ速さで繰り出したシオンの横一閃が、ガラハッドの胴体を横に分断しようと迫る。しかし、シオンが刀を振り切る前に、ガラハッドは姿を消していた。

 直後に、シオンの身体が前面から地面に激しく叩きつけられる。何が起こったのか理解できないで困惑するシオンの後頭部を押さえつけているのは、ガラハッドの右足だった。


 続けて、ガラハッドの背後に四発の弾丸が迫る。ヴィンセントの二丁拳銃から放たれた弾丸は、狙撃用のライフル弾をも凌ぐ速度でガラハッドを急襲する。

 しかし、それらがガラハッドを捉えることはなかった。また、いつの間にかガラハッドの姿が消えていた。


 次に姿を現したのは、ヴィンセントの背後だった。

 ガラハッドはそこで背中合わせに立っており――その手には、“血塗られた”一対の長剣が両手に握られていた。刹那、ヴィンセントの胸部から、×の字で鮮血が噴出する。


「嘘だろ……!」


 吃驚と戦慄にヴィンセントが声を上げ、そのままがくりと両膝をついた。


 不意に、ガラハッドの上空からメイリンが振ってくる。ガラハッドはそれを、体を少し横に逸らして躱した。

 標的を失ったメイリンの踵が、地面を激しく穿つ。間髪入れず、メイリンはガラハッドに無数の拳と蹴りと打ち込もうとした。一発まともに当たれば体をバラバラに吹き飛ばしかねないほどの威力を持った攻撃だが――ガラハッドはそれらを完全に見切り、手足で防ぐまでもなく、必要最小限の動きで避け切った。


 休む間は与えないと、ガラハッドの背後から今度はレティシアが強襲した。レティシアの双剣が、鎌鼬の如くガラハッドの首を掻っ切ろうとするが――またしても、ガラハッドの姿はそこから消えていた。

 同時に、メイリンとレティシアの腹部には、ガラハッドの一対の長剣がそれぞれ深々と突き刺さっていた。


 二人が驚きと慄きの表情で地に伏そうとした時、ガラハッドが二人の腹から長剣を一気に引き抜く。


 鮮血が迸る中――ガラハッドの足元が唐突に隆起した。


 セドリックの魔術だ。セドリックが大剣を地面に突き刺し、ガラハッドの足元に大地の顎を作り出したのだ。


 ガラハッドの近くの地面は大蛇のように蠢きだし、それの大口のようにして彼へ迫っていく。岩の牙はガラハッドを追い立てまわし、セドリックの正面に誘い込んだ。

 待ち構えていたセドリックが大剣を振り被り、逃げ場のなくなったガラハッドに渾身の一撃を見舞おうとする。


 だが、セドリックの大剣は虚しく宙を薙いだ。

 そして、セドリックの身体から夥しい量の血飛沫が舞う。苦悶の声を上げる間もなく、セドリックの巨体は豪快に地面に伏した。


 次にガラハッドへ立ち向かったのは、アルバートだ。


 刹那の狭間の中で、アルバートが長剣の突きを繰り出す。例によってガラハッドはそれを何事もなかったように躱し、目にも止まらぬ速さでアルバートへ反撃するが――アルバートはそれを受け止めた。


 ガラハッドの剣の軌跡は、アルバートの首の動脈を正確に捉えていた。アルバートはそれを間一髪のところで剣を盾にして防いだのだ。


 鬼気迫るアルバートの表情を見たガラハッドの目が、少しだけ細められる。


「お前はさすがに防ぐか」

「私は貴方の弟子です。これくらいのことができなくて、それを名乗ることは許されません」


 己を鼓舞するように言ったアルバートだったが――直後に、手持ち無沙汰だったガラハッドの左手の剣が、アルバートの心臓部に迫る。


 アルバートがそれに気付き、即座に距離を取ろうとするが、間に合わない。


 そこへ、黒い影が両者の間に差し込んだ。


 シオンが下から上に振り抜いた刀が、ガラハッドの長剣を上に弾いた。


 微かに生まれたこの隙を、シオンは見逃さなかった。続けて、シオンはガラハッドの身体を袈裟懸けに斬りつけようとする。


 しかし、シオンの一刀は、激しい金属音と火花を上げながら、ガラハッドの二本の長剣によって阻まれた。

 不意打ちでも駄目なのかとシオンが歯噛みした時、彼の身体はガラハッドの蹴りで遠くに突き飛ばされてしまった。


 その衝撃でシオンは一瞬目を閉じ――次に開いた時には、眼前にガラハッドが一対の長剣を振り被って迫っていた。


 そんな窮地を救ったのはアルバートだった。シオンへ肉薄するガラハッドの背後に向かって、アルバートが長剣を横薙ぎに振るう。


 ガラハッドはそれを軽々と躱すも、さらにそこへアルバートが追撃を加えようとする。


「アルバート!」


 シオンが自身の刀をアルバートへ投げ渡した。

 シオンの刀を受け取ったアルバートは、すぐさま“帰天”を使って“天使化”した。そして、自身の長剣との二刀流で、ガラハッドへ苛烈な斬撃を無数に見舞った。

 “天使化”の能力によって斥力を増幅された斬撃であれば、いかにガラハッドであってもまともに防ぐことはできない。その目論見通り、ガラハッドはアルバートの剣戟を紙一重の所で避けることしかできないでいた。


 あと少し、あと少しで刃が届くというところだった。


 そこへ、駄目押しにと、シオンがセドリックの大剣を手にガラハッドへ斬りかかる。シオンもまた“帰天”を使って“天使化”状態となり、前面の欠けた光輪を携え、赤黒い光と稲妻をその身に纏う。

 獣の雄叫びのような低い叫び声を上げ、シオンは全身全霊を込めて大剣をガラハッドに叩きつけた。


 大地と大気が、三人を中心に激しく吹き飛ぶ。周囲には激しい土埃が舞い上がった。


 そして、間もなく土埃が晴れていく。


 シオンの大剣とアルバートの剣は、間違いなくガラハッドを捉えていた。

 だがそれでも、その刃は彼に届いていなかった。


 シオンとアルバートの目に映っていたのは、二重の光輪を頭上に携える“天使化”したガラハッドだった。


 驚愕する二人には構わず、ガラハッドは二本の長剣でシオンの大剣を挟み込む。刹那、大剣が宙を舞い、シオンの両腕も胴体から斬り離された。

 すぐに再生が始まるが、それを待つ間もなくシオンの首元に横から長剣が一本突き刺される。首の脊髄を損傷させられたシオンは、そのまま糸を切られた人形のように、両膝をついてうつ伏せに倒れた。


 ガラハッドは、次にアルバートの背後を取った。それにアルバートは辛うじて反応できたものの、その時にはすでに心臓を貫かれていた。

 続けてガラハッドは長剣を奪い取り、仰向けに倒れるアルバートの左右両手首に突き刺し、地面に磔にした。


 そして、大公園に静寂が訪れた。


 議席持ちの騎士六人が、五分とせずに一人の枢機卿に打ち倒されたのである。


 ガラハッドは“天使化”を解き、地面に伏す騎士たちには目もくれず、淡々とした佇まいで身なりを軽く整えた。それから、徐に帰路へ足を向ける。


 そこへ――


「ガラハッドォォォ!」


 シオンが、悪魔のような形相で、ガラハッドに飛びかかっていった。自身の首を貫いていた長剣を引き抜き、ガラハッドへと強襲する。


 だが、それも意味をなさなかった。


 ガラハッドが投擲したシオンの刀が、持ち主の首を正面から貫いた。首を貫かれたシオンはそのまま地面に堕ち、蹲るように体を打ちつけた。


「お前を殺すと王女が機嫌を損ねるらしい。王女に命を救われたな」


 ガラハッドは最後に、シオンへそう言い残して消えた。

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