第187話
人々の憩いの場であった大公園は、騎士たちの戦闘により、ものの数分で荒廃した戦地と化した。
芝や石畳で覆われた地面は、剣山のように突き出た岩石や氷塊で悉く荒らされ、噴水やベンチ、記念碑は原形をとどめておらず、見るも無残な姿になっていた。
「クソったれが! 腐っても議席持ちかよ!」
ユリウスが、レティシアの双剣による猛攻を鋼糸で捌きながら、悪態をつく。
「泣き言を言うな! そんなことは始めからわかっていたことだろ!」
プリシラがユリウスの隣に着地しながら言って、すぐにまた飛び退いた。セドリックの振り下ろした大剣が地面を穿ち、そこから生じた岩の顎がプリシラとユリウスを噛み砕かんと迫る。
「私たちにできることは、シオン様がアルバート卿との戦いに集中できるよう他の二人を引き付けることだけだ!」
「んなことわかってる、畜生めが!」
迫りくる岩の顎を、プリシラは氷を張って食い止め、ユリウスは鋼糸で斬り刻んで回避した。
議席持ちⅤ番レティシアとⅥ番セドリックが繰り出す攻撃は、文字通り瞬きひとつが命取りになりかねないほどに苛烈だった。せめてシオンがアルバートとの戦いに集中できるようにと、レティシアとセドリックの相手を引き受けたはいいが――プリシラとユリウスは避けるだけでも精一杯の有様で、徐々に、しかし確実に追い詰められていた。
「随分と舐められたものだな。まさか、お前たちごときに私たちの相手が務まると、本気で思っているのか?」
レティシアがユリウスの背後に回り込み、鎌鼬の如く双剣を激しく振るわせる。ユリウスは、上体を大きく仰け反らせるのと同時に、首筋を二本の刃が掠めたのを感じた。
そうやって紙一重で避けたことに安堵する間もなく、ユリウスの身体が激しく吹き飛ばされる。
「ユリウス!」
双剣を空振りしたレティシアが、その時の勢いを殺さずに、強烈な蹴りをユリウスに見舞ったのだ。
ユリウスはおもちゃの人形のように地面を転がり、噴水のあった水溜まりの仲へと勢いよく突っ込んだ。
止めを刺すべくレティシアがユリウスへ向かって疾走するが――“天使化”状態のシオンが間に割って入った。
しかし、
「君の相手は私だろう、シオン!」
同じく“天使化”状態のアルバートが、シオンに強襲する。赤い光と青い光の衝突は大気を激しく震わせながら、強烈な衝撃波を生みだした。
「君が抵抗すれば、最悪あの二人も無駄死にすることになるんだぞ! それでもまだ戦うことを止めないのか!」
アルバートが、力任せに鍔迫り合いを制しようとする。
力負けしそうになったシオンは、顔を顰めつつ、アルバートの腹を蹴り飛ばして無理やり距離を取った。そこで生まれた僅かな隙の間に、ユリウスに止めを刺そうとしていたレティシアへ急襲する。
レティシアは、背後から迫ってきたシオンの一閃を間一髪のところで躱すと、舌打ちをして大きく飛び退いた。
ユリウスが、噴水の中からずぶ濡れの状態で姿を現す。
「余計なことするんじゃねえ!」
「だったらしっかりレティシアとセドリックの相手をしろ! こっちもそう何度も手助けできないぞ!」
言い合いをするシオンとユリウス――そこへ、プリシラも地面を転がりながらやってきた。プリシラはプリシラで、セドリックの大剣の一撃をいなし切れず、豪快に吹き飛ばされた後のようだった。
プリシラが長槍を杖代わりに立ち上がる。
「シオン様、先ほどのユリウスの泣き言ではありませんが、やはり私とユリウスでは単純な実力差でレティシア卿とセドリック卿に後れを取ってしまいます」
「わかってる。だが現状、お前たちが二人の相手をしている間に、俺がアルバートを討ち取ることでしか勝機を望めない」
シオンの見解を聞いて、忌々しげにユリウスが口から血を吐き捨てた。
「クソが。こんなことになるなら、もっと真面目に戦闘訓練やっておけばよかったぜ」
「アルバートさえ先に仕留めることができれば、レティシアとセドリックは最悪ごり押しで倒せる。そうするためにも、もう無駄に時間をかけて体力を消耗できない。次で勝負に出るぞ」
シオンの一声を合図に、三人はアルバートたち向かって駆け出した。
“天使化”状態のシオンが、霹靂の如くアルバートへ肉薄する。直後、二人は刹那の間に幾度も刃を交わし、赤と青の幾何学模様を大公園に描いていった。金属音とも爆発音ともつかない激しい衝突音が、晴天の空を慄かせる。
そしてついに、シオンが繰り出した刀の一閃が、アルバートの胴体を捉えた。
「無駄だ」
だがアルバートはそれをやすやすと長剣で受け止め、はじき返す。シオンはすぐさま体を翻し、その勢いに乗って刀の切っ先を突き出した。刀の先はアルバートの心臓部を正確に捉えていたが、それもまたあっけなく弾かれてしまう。
転瞬、シオンは刀を手放し、アルバートの頭を左右の手でがっちりと掴み上げた。そして、そのまま渾身の頭突きをアルバートの鼻先に叩き込む。
鼻先を潰されたアルバートに隙が生まれ、シオンは即座に刀を手に取った。そのまま止めの一刀を繰り出そうとしたが、突如としてシオンの身体が頭から後方に向かって大きく仰け反る。
アルバートが、お返しとばかりに、シオンの顎をつま先で蹴上げたのだ。
互いに脳が揺らされ、意識がはっきりとしない中――それでも両者は剣を手に、相手を討ち取ろうと躍起になった。
シオンとアルバート、双方が同時に繰り出した突きの一撃は、相対する互いの腕が交差する形となった。突き出した腕の延長線上にある刃は、引けばお互いの頸動脈を容易く切断する場所で静止した。
「そこまでだ!」
図らずとも膠着せざるを得ない体勢となった瞬間、不意にセドリックから制止の声が上がった。
「シオン、“天使化”を解除しろ。さもなければ、この二人の首が飛ぶぞ」
レティシアがそう言った先にあったのは、拘束されているユリウスとプリシラの姿だった。ユリウスはうつ伏せの状態でレティシアに乗られ、首元を双剣で挟み込まれていた。プリシラは長槍をセドリックに弾かれ、大剣の先を眼前に突きつけられていた。
「シオン様! どうか貴方とステラ様だけでも逃げてください!」
プリシラからそんな言葉が投げかけられるが、
「君にそんなことができるはずもない」
シオンの思いは、アルバートにあっさりと見抜かれていた。
「今一度言う。大人しく私たちに捕まり、ステラ様を引き渡してくれ。こちらの要求を呑んでくれるのであれば、今すぐに君をここで始末することはしない。イグナーツ卿が、“教皇の不都合な真実”なるものを君に期待している節もある」
互いの頸動脈に剣を添えたまま、シオンとアルバートはじっと睨み合った。そんな静寂の間を縫うように、乱れた呼吸音だけが両者の間を埋める。
「頼む、シオン」
耐え兼ねたアルバートが再三の依頼を出すが、シオンは反応を示さなかった。
「……シオン!」
怒号混じりにアルバートが叫んだ――その直後だった。
唐突に、上空から妙な音が鳴り響く。ブウウウン、という、まるで巨大な蜂が飛んでいるかのような奇怪な音だった。
あまりにも不可解な音であったため、シオンたちは一触即発の状態であることも忘れ、同時に空を見上げる。
眩い太陽の光に眩みながら、シオンたちは“空を走る小さな影”を視界に捉えた。
さらには――
「おー、派手にやってるな!」
影の正体が何なのかを考える間もなく、今この戦場には似つかわしくない、どこか気の抜けた声がどこからともなく起こった。
声のした方を見ると、そこには一人の小柄な少女が立っていた。かなり幼く見え、年はまだ十二歳ほどしかないように見える。艶のある長い直毛の黒髪をサイドで一本にまとめているのが特徴的で、どことなく異国の雰囲気を醸し出していた。服装もこの大陸ではあまり見かけないもので、体のラインがはっきりとわかる、横に深いスリットの入った衣装だ。東の大国――セリカの民族衣装を基にした服のようで、これもまた少女を異国風に見せている要因だった。
何故こんなところにこんな子供が――その場にいた一同が、揃ってそんなことを頭に思い浮かべる。
「お嬢ちゃん、ここは危ない。早く親御さんの所に……」
苦虫を嚙み潰したような顔でセドリックが立ち去るように警告したが――途端、今度は、何かに気付いたように固まる。
「どうした、セドリック? ガキを相手に何を固まっている?」
続けてレティシアが少女の方を見遣るが、彼女もまた、何かに気付いたように、徐に目を丸くさせた。
「……お前、まさか――」
刹那、シオンたちのいる場所に向かって、何かが空から落ちてきた。それは紛れもなく、先ほどの“空を走る小さな影”で――その正体は、両翼の付いた小型の飛行機械だった。飛行機械は機体から黒煙と火花を吐き出しながら滑空し、地面を抉りながら滑っていく。
「今度は何だ!?」
飛行機械はすぐにとある記念碑へと衝突して停止したが、間髪入れずに大爆発を起こした。
間近で起きた強烈な衝撃に、レティシアとセドリックが堪らず拘束していたユリウスとプリシラを解放してしまう。シオンとアルバートも、膠着状態の体勢を解き、互いに距離を取って不測の事態に備えた。
そして、飛行機械が墜落した場所――激しい炎と黒煙が立ち込める中から、何かが飛び出してきた。
「あっぶねあっぶね! 普通の人間だったら死んでるところだったぜ!」
慌てた様子で出てきたのは、一人の若い男だった。緩やかなウェーブのかかった明るい茶髪に、どこか気のよさそうな顔つきをした垂れ目の青年だ。青年は、火のついた革のヘルメットとゴーグル、ジャケットを脱ぎ捨て、一人忙しく体に点いた火の消火活動に当たる。やがてそれも終えると、辺りの様子を急いで確認し――シオンたちをその視界に捉えた。
「おー、お前ら! 久しぶりだな! 元気してたかぁ!?」
青年は辺りを憚ることもなく、文字通り大手を振ってシオンたちの方へと駆け寄ってきた。
そして、
「ヴィンセント!?」
シオンたち全員が驚きの声を上げた。
この青年もまた円卓の議席持ちの騎士であり――ⅩⅠ番ヴィンセント・モリスなのである。
「ヴィンセント! 合流時間ぴったりだな!」
皆の驚きが冷める間もなく、今度は先の少女がヴィンセントを見てそんなことを言い出した。
ヴィンセントは眉根を寄せ、まじまじと少女を見る。
「んあ? なんだぁ、このちんちくりん?」
直後、ヴィンセントの身体が、車で轢かれたかの如く、軽々と飛ばされた。
「ちんちくりんとはなんだ! ちんちくりんとは! ウチはこれでもお前より年上だぞ!」
見ると、少女が片足を上げた状態で、蹴りの残心を取っていた。ヴィンセントは、この少女に蹴り飛ばされたのである。
「じょ、冗談だって、冗談! お前は相変わらず見た目に似合わない怪力してんなぁ、メイリン」
ヴィンセントが、着地した場所からのそっと立ち上がる。
そして、アルバート、レティシア、セドリックが驚愕に目を丸くした。
「まさかそいつ……議席ⅩⅡ番のメイリン・レイか!?」
訊かれて、少女――メイリン・レイは、両腰に手を当てて威張るように胸を張った。
本人が認めたところで、アルバートたちはさらに無言で驚く。
そうして驚いているのはアルバートたちだけではなく、ユリウスとプリシラも同様であった。
「見るのが久しぶり過ぎて顔を忘れていたぜ……」
「言われてみればそうだと思い出せるが、あの人、見た目が昔と変わらなさすぎでは……」
議席ⅩⅠ番、ⅩⅡ番が突然姿を現したことに戸惑いを隠せない一同。
それには構わず、ヴィンセントが身なりを整えながらシオンに近づいていく。
「にしても何してんの、お前ら? 訓練にしちゃあ、ちょいとやり過ぎでないかい? しかもこんな一般大衆が集まりそうな場所で」
「飛行機械を墜落させたお前が言うな! ここら辺一帯の修繕費、高くつきそうだぞ! また総長に怒られるな!」
すかさずメイリンが大きな声でそう言って、何が面白いのか、ヴィンセントと一緒になってゲラゲラと笑い出し始めた。
そんなマイペースな二人だったが、
「ヴィンセント、メイリン! 頼む、力を貸してくれ!」
シオンの呼びかけに、すん、と表情を真面目にした。
その後、ヴィンセントは顎に手を当て、舐めるように周囲を見渡す。
「ははーん、わかったぜ。アルバート、お前ら武闘派三人、相変わらず融通利かないことやってんだろ?」
何かを察したヴィンセントがそう言うと、アルバートは鋭い視線を彼に返した。
「ヴィンセント、メイリン、悪い事は言わない。ここは引き下がってくれ。シオンを取り巻く一連の出来事については、この件について諜報活動を続けていた君たちが誰よりも一番詳しいはずだ」
「まあそうなんだけどよぉ――それはそれとして、お前らは何しようとしてんの?」
ヴィンセントが気の抜けた声で、自身の耳をほじりながら聞き返した。
「ステラ王女の身柄を騎士団で保護するのと同時に、黒騎士を無力化するつもりでいる」
「シオンをどうするつもりだ!? わかりやすい言葉ではっきり言え!」
メイリンが無駄に大きな声で訊くと、アルバート、レティシア、セドリックの間の空気が一気に張り詰めた。
「私たちの要求に応えられないようであれば、最悪ここで始末することも選択肢の一つだ」
その言葉を合図に、シオン、ユリウス、プリシラも身構えた。
ヴィンセントが難しい顔になって、面倒くさそうに溜め息を吐く。
「なるほど、なるほど」
ヴィンセントとメイリンが、それぞれシオンの両隣に付いた。
「そんなこと聞いちゃあ、シオンに協力しないわけにはいかんでしょ。俺らの計画は、シオンありきで動いているんで」
「右に同じ!」
ヴィンセントとメイリンの回答を聞いて、アルバートたちは心底嘆かわしそうに溜め息を吐いた。
それには構わず、ヴィンセントとメイリンは、今度はユリウスとプリシラに視線を送る。
「ユリウスとプリシラは休んでな。その様子じゃあ、もう限界近いだろ」
「無理はよくないぞ!」
そして、ヴィンセントは腰から二丁の拳銃を取り出した。拳銃といっても大きさは成人男性の肘から指先ほどもあり、到底普通の人間では扱うことができないサイズだ。回転式の拳銃ではあるが、オートマチックのような幅の広い銃身が特徴的である。
次いで、メイリンが自身の手荷物であるリュックから、一対のガントレットとレガースを取り出し、手早くそれを身に付けた。
「二年前の戦争の時は色々あって間に合わなかったが、今回はちゃんと間に合って何よりだ」
ヴィンセントが言うと、シオンは少しだけ安堵したように目を瞑った。
そして、改めてアルバートたちへ対峙する。
「っしゃあ! そんじゃまあ、騎士団分裂戦争――延長戦といこうや!」
「いこうや!」
ヴィンセントとメイリンの掛け声を合図に、シオンは再度駆け出した。
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