第186話
大公園から鳴り響く轟音に、大統領府の会談の間がざわめいた。円卓に座る各国の首脳陣が揃って狼狽し、不安に表情を曇らせる。
「大統領」
そんな時、会談の間の扉が勢いよく開かれた。入ってきたのは、黒服を着た警護の男だ。
男は、グリンシュタット共和国大統領であるマティアス・フォーゲルのもとへ駆け寄ると、厳しい表情で耳打ちをした。
「騎士たちが?」
フォーゲルが眉根を寄せながら聞き返すと、警護の男はしっかりと頷き返した。
そのやり取りを、ステラは見逃さなかった。
「騎士? 何かあったんですか?」
椅子から立ち上がり、声を張り上げた。
フォーゲルは、一瞬だけ言うのを躊躇ったようだが、すぐに観念したように口を開いた。
「大公園で、騎士と思しき人物たちが黒騎士と交戦しているようです」
「シオンさん!」
ステラは反射的に扉へ向かって駆け出した。しかし、扉の前に警護の男たちが立ちはだかり、行く手を阻まれてしまう。
「ど、退いてください!」
「行って何をなされるので?」
諭すようにステラを制したのは、ガイウスだった。
ステラは振り返り、唸る犬のような形相でガイウスを睨みつける。
「貴方の仕業ですか?」
「騎士団はもう私の管理下にはなく、独自の思惑で動いています。もっとも、今は幹部連中の意思統一が取れていないようですがね。そんなことより――先ほどの戴冠式の件について、早々にお返事を頂こうか」
先ほどから鳴り響く騎士たちの戦闘音など意にも介さず、ガイウスは催促してきた。その不気味なまでの落ち着きように、ステラは堪らず息を呑む。
「い、今はそんなことを言っている場合ではないでしょう! すぐそこで騎士たちが――」
「承諾いただけるのであれば、黒騎士を自由にしてやってもいい」
「……どういう意味ですか?」
ガイウスからの突然の提案に、ステラは呆然と固まる。
「貴女が我々と共に戴冠式の開催に赴いていただけるのであれば、シオン・クルスを騎士団分裂戦争の戦犯認定から無罪放免にすることを交換条件にしてもいい」
またもや信じられない言葉を耳にし、いよいよステラは愕然と目を丸くさせた。
「この取引、貴女にとってはメリットしかない。これ以上、何か悩む必要がありますか?」
ガイウス・ヴァレンタインは、自身が信頼を寄せるシオンの怨敵である――時計の秒針が五秒も動かない間に、ステラは何度もそのことを頭の中で復唱した。ましてこの男は、ログレス王国を侵略するガリア公国と通じている。どう考えても、裏がある取引としか思えなかった。
「……教皇猊下、教えてください。貴方はいったい、何を望んでいるんですか? ガリアと協力関係にあった貴方が、どうして私をログレス王国の女王に即位させようとするんですか? そんなことをすれば、ガリアとの関係が一気に悪化するはずです。何を目的にそんな――」
ステラがガイウスを問い詰めようとした時、会談の間が激しく震えた。まさか、シオンたちの戦闘がもうすぐそこにまで迫ってきているのだろうか――
「皆さま! 至急、ここから避難してください!」
そう考えた矢先、会談の間に、先ほどとはまた違った警護の男が入ってきた。
「騎士たちが大統領府のすぐ近くにまで迫っております。このままでは巻き込まれるのも時間の問題です。さあ、急ぎ避難を!」
警護の男は、予断を許さぬ表情で各国の首脳陣を部屋の外へと誘導した。
首脳たちが我先にと会談の間から出ていく中、ガイウスだけが円卓に座したまま微動だにしないでいた。
「猊下、ここは職員の誘導に従いましょう! この場にいる首脳陣に何かあっては、グリンシュタットとしても示しが尽きません!」
フォーゲルが説得を試みるも、ガイウスは何も反応を示さなかった。強くなる振動に耐え兼ね、ついにフォーゲルも会談の間から出ていった。
そうして会談の間に残ったのは、ステラと、ガイウスと、警護の男の三人である。
「猊下、いかに元騎士である貴方といえどもここに留まるのは危険です。早急な避難を」
警護の男が、ガイウスの傍らに付いて再度避難を促した。
ガイウスは目を合わせず、徐に椅子から立ち上がる。
「……そうだな、その通りだ。だがその前に――」
そして何を血迷ったのか、警護の男の頭を片手で掴み上げ、円卓に激しく打ち付けた。
「何故お前がここにいるのか、説明してもらおうか、イグナーツ?」
ガイウスの言葉にステラが驚く間もなく、警護の男の身体が光の粒子となって霧散する。
刹那、
「な、何が――」
会談の間に、突如として巨大な壁が現れた。壁は部屋を両断し、ガイウスとステラを隔てる形となった。
「ステラ様、こちらへ」
何がどうなっているのかとステラが怯えていた時、ふと彼女の右腕が引かれた。振り返り、見てみると――
「リリアンさん! それにイグナーツさんも!」
リリアンがステラの腕を引き、大統領府の廊下へと強制的に連れ出していた。そして、その道を先導していたのは、イグナーツだった。
「念のためにと私たちも首都に来たのですが、大正解だったようですね。ステラ王女、今、貴女を教皇の傍に置いておくことは、我々騎士団としては非常に都合が悪い」
イグナーツが今までに見たことのない緊張の面持ちでそう言ってきた。
「いったい何が起きているんですか!? シオンさんたちが騎士と戦っているって! イグナーツさんの仕業ですか!?」
「それは違います。詳細な話は後で順を追って説明しますが、とりあえず今は、ここから出ることを最優先に考えてください」
「……もしかして、イグナーツさんたちはここに教皇がいることを知っていたんですか?」
ステラの無邪気な質問に、イグナーツは首を横に振った。
「いえ、私たちが懸念していたのは、別の人物についてです」
「別の人物?」
「ガラハッド・ペリノア――かつて、歴代最強とまで謳われた、先代の議席ⅩⅢ番の騎士です。当初の目的はガラハッドの監視だったのですが、まさか教皇もここにいるとは」
「監視? なんでまたそんなことを?」
「説明は後です。もうお喋りをしている余裕は――」
廊下の角を曲がった時、ふとイグナーツが言葉を発するのを止め、同時に足も止めた。そして、どこからともなく現れた杖を手に取り、厳しい顔つきで正面を見据える。
次いで、リリアンもステラの腕を放し、一歩前に出た。ステラの盾になるような位置に立ちつつ、静かに構える。
間もなく、廊下に靴音が響いた。
ステラたちが見つめる廊下の奥から、一人の男が姿を現した。
その身なりから、聖王教の枢機卿であることは一目でわかった。歳はまだ若く、三十歳にも満たしていないように見える。儚げな白髪に、どこか虚ろな青い双眸を携えた顔は、まるで精巧な蝋人形のように不気味で、美しかった。
「ガラハッド……」
イグナーツの呼びかけに応じるかのように、ガラハッドは腰から一対の長剣を引き抜いた。
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