第六章 騎士団分裂戦争

第182話

 昔の出来事を夢の中で鮮明に思い出すのは、何も最近のことではなかった。


 騎士団分裂戦争後、シオンは一年以上投獄され、食事と睡眠を制限された極限状態のなか、毎日のように拷問を受けた。

 その時に意識を失って見る夢は、いつも決まって昔の出来事だった。

 だからこれも、すぐに夢だと自覚できた。


「猊下! ガイウス様!」


 教皇庁本部があるルーデリア大聖堂――そこのとある回廊で、シオンは前を歩く人物に声をかけた。シオンの顔は死神に追われているかのように鬼気迫っており、弱々しくもあった。


 シオンの呼びかけを受けて振り返ったのは、数年前に教皇に就任したばかりのガイウスと、枢機卿に転向したばかりのランスロットだ。

 二人は足を止め、シオンへ向き直った。


「不敬だぞ、シオン。猊下はもう騎士でもなければお前の師でも――」

「“リディア”を処刑するというのは本当ですか!?」


 シオンは、前に出てきたランスロットを片手で払いのけ、ガイウスに詰め寄った。少しの沈黙のあと、ガイウスは小さく頷く。


「ああ。とある修道女がハーフエルフであることを隠していると教皇庁へ密告があった。それが“リディア”だ」

「密告って……誰が、いつ!?」

「それは重要な話ではないだろう。問題は、彼女が本当にハーフエルフかどうかだ」


 吃驚したシオンが動転に言葉を詰まらせていると、


「その点についてはすでに事実確認が取れております。血液検査の結果、シスター・“リディア”は間違いなくハーフエルフです。今までよくバレずにいたものだと、いっそ感心します」


 ランスロットが厳しい表情でそう言った。

 ガイウスは軽く目を瞑り、踵を返そうとする。


「そういうわけだ。彼女と懇意にしていたお前には気の毒だが、これでこの話はお終いだ」

「ガイウス様!」


 この場から立ち去ろうとしたガイウスを、シオンは再度呼び止める。


「貴方は以前、混血が禁忌であることに疑問を抱いた俺にこう言いました! “俺もその禁忌に意味があるものとは思えない”と!  “リディア”は確かにハーフエルフです! しかし、彼女は何十年にもわたって教会に尽くし、大陸に住まう亜人たちの人権復興に大きく貢献しました! それを今更、ただ混血であるということだけで、何故――」

「それが“教え”だからだ。決まりごとは遵守するために存在する」


 ガイウスの口調は突き放すように冷たかったが、シオンはそれに怯まず、さらに食って掛かっていく。


「貴方はこうも言っていました! “いつかに存在したどこかの誰かが決めたことに惑わされるな”と! あれは嘘だったのですか!?」


 ガイウスは嘆息し、シオンへ振り返った。


「……“リディア”がハーフエルフであることは、密告されるまでもなく私も気付いていた。とっくの昔にな。そして、その事実を公にすることが神への忠義を貫くことになるのではと、過去に何度も苛んだ」


 己の情緒を語っている割には、不気味なほどに平坦な声色だった。


「だが、彼女の功績と教会内外への影響力を鑑みた結果、自分の口からはとても言い出すことができなかった。まして、愛弟子であるお前の心の支えであった彼女を無下に扱うことなど、私にはできなかった」


 異様に冷たいガイウスの覇気に、シオンは思わず息を呑んで黙り込む。


「しかし、だ。その事実がこうして白日の下に晒された以上、神の教えを説く最高位者として、私は目の前の不義には厳正に対処せねばならない」


 かつての師を前に、シオンは己を奮い立たせるように体に力を込めた。とにかく、“リディア”の処刑を止めさせるため、例えでっち上げだったとしても何かそれらしい理由を言わなければと、頭の中はそればかりだった。


「ガイウス様! 今このタイミングで“リディア”を失うのは貴方にとっても大きな損失なのではありませんか!? 昨今の大陸同盟締結に向けた大国間の軋轢! 特にガリアとログレスを取り巻く亜人がらみの問題は“リディア”の働きなしでは――」

「その軋轢を生んでいる原因の一つが、他ならぬ彼女だろう」


 まるで剣の切っ先を刺し込むかの如く、ガイウスはシオンの考えを真っ向から否定した。


「大陸同盟の締結は何よりも優先されるべき話だ。しかし、“リディア”がガリアの主張を認めないがために、現在の進捗は停滞期に陥っている。ログレスが“リディア”の存在と主張を後ろ盾にしていることもあって、話はいつまで経っても平行線のままだ。だがそれも、“リディア”がいなくなれば話を大きく前進させることができる」


 途端、シオンの頭の中は真っ白になり――次の瞬間には、怒りの感情で顔を歪めていた。


「……アンタまさか、全部自分で手引きしたのか!」


 今にも斬りかかりそうなほどに激昂したシオン――騎士の瞬発力を以てガイウスへ肉薄しようとした刹那、ランスロットに体を押さえつけられる。


「ガイウス!」


 ガイウスはすでに回廊を進む歩みを再開していた。その後ろでは、ランスロットと床に挟まりながら、シオンが声を張り上げ続けていた。


「そうまでして大陸同盟を実現させて、いったい何になる!? そのために何人の亜人を犠牲にするつもりだ! ガリアの亜人排斥の思想を認めて得をするのは、それこそ限られた一部の人間たちだけだろ!」


 かつての弟子の決死の呼びかけにも、ガイウスは反応を示さなかった。


「“個の意思は有象無象に染まるべきではなく、また己の精神を殺す必然もない”! あの言葉も嘘だったのか! 答えろ! ガイウス!」


 そこでようやく、ガイウスは足を止めた。


「――シオン」


 そして、微かに顔を後ろに向け、


「お前もすぐわかるようになる。俺が憎ければな」


 そう言い残した。







「シオンさーん。起きてくださーい」


 そんなステラの呼びかけで、シオンは目を覚ました。


「着きましたよ、首都ゼーレベルグに」


 シオンは窓から車両の外を見た。汽車はすでにゼーレベルグの駅に停車しており、続々と乗客が降りているところだった。

 シオンのすぐ隣では、エレオノーラたちが各々の荷物を手に、降車の準備をしていた。


「大丈夫? 何か、酷くうなされていたけど」


 不意にエレオノーラが心配そうに訊いてきた。

 シオンは、うなされていたという言葉を聞いて、若干の恥ずかしさに顔を顰める。


「ああ」


 そう短く答えて、さっさと車両から降りた。


 そうして一行は改札まで抜けると、まずは駅の正面出入口の端に集まった。

 ユリウスが荷物を降ろし、煙草に火点ける。


「で、こっからどうする? 大統領とはいつどこで会うんだ?」

「十一日後の正午に大統領府で会う」


 シオンの回答に、プリシラが小さく肩を竦めた。


「時間を持て余しますね」

「そうだな。だが折角だし、いい機会だ。予定の日時まで、首都から出ないことを条件に各自自由に過ごすといい。ステラに限っては、必ずプリシラを護衛に付けてもらうがな」


 そう提案したシオンだったが――なぜか、ステラは少し不安げで、驚いているような顔をしていた。


「わ、わかりました……」


 気遣うようなステラの視線にシオンは一瞬当惑したが、さらに続ける。


「なら、今から自由行動開始だ。宿泊先のホテルから出る時は必ず誰か一人には行き先を伝えること、その日の十八時には宿泊先のホテルに必ず戻ること。これだけを守ってくれるなら、あとは好きにしてくれ」


 そう言って、シオンはどこか他人行儀に踵を返した。


「し、シオン、アンタはこれからどこ行くの?」


 思わずといった様子で、エレオノーラが呼び止める。

 シオンは振り返らず、


「ホテルに行って休む」


 淡々と答えた。

 エレオノーラは慌てて荷物を担ぎ、彼の後を追おうとした。しかし、


「あ、じゃ、じゃあアタシも――」

「お前は私とステラ様に付き合え。これから買い物だ」

「は!?」


 プリシラに腕を掴まれ、阻止された。

 そこからまたいつもの言い合いが始まり、ステラが仲裁に入る。ギャーギャーと姦しいやり取りがすぐ傍で起きている一方で――


「おい」


 今度はユリウスがシオンに声をかけた。


「どっか調子悪いのか? ただでさえ青白い顔が、いつも以上に青白くなってるぜ?」


 煙草を吹かしながら、真面目な顔で軽口を言ってきた。


「……昔の夢を見て、少し気分が悪くなっただけだ」


 シオンはそう言い残し、街の喧騒の中に姿を消した。

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