第183話
「ど、どうでしょうか?」
ホテルのロビーにて、ステラは姿見に映る自身の姿をぎこちない面持ちで見ていた。淑やかなスカートタイプの黒のスーツと、それに合わせた黒ヒールを履いており――着なれない衣装の姿に、自分でもどこか滑稽に思えてならなかった。
「お似合いですよ、ステラ様」
「着せられてる感は否めねえな」
振り返ると、プリシラとユリウスが各々の感想を短く言ってきた。二人もまた、黒のスーツ姿だ。
続けて、これまた同じく黒のスーツ姿であるエレオノーラが、どこか力なく苦笑いする。
「緊張してんの?」
「そりゃあ、まあ……」
ステラは頭の後ろを掻きながら、いつもの調子で小さく笑った。
それにつられて、エレオノーラたちも笑い出す。
今日はいよいよ、この国の大統領との会談の日だ。時刻は午前十時を回っており、これから正午に向けて大統領府に移動する。
首都に着いてから今日この日を迎えるまでの十日間は、文字通り束の間の休息であった。長旅の疲れを癒すため、ステラは普段できないことを、それこそ年頃の女子が遊びに興じるようにして楽しんだ。毎日のように朝から晩まで、エレオノーラ、プリシラと共に買い物や映画、お洒落なカフェに行った。
そうやって心身ともに毎日を充実させていたのだが――同時に、彼女にはどうしても気にかかることがあった。
「そういえば、シオンさんは? 首都に着いてから、たまにしか会いませんけど……」
首都に着いてから今まで、シオンの姿をまともに見ることがなかった。エレオノーラたちと外に出かけているから当然と言えば当然なのだが、それを考慮したとしても、この十日間で彼の姿をまともに見ることは片手で数えるほどしかなかった。ユリウスともあまり顔を合わせることはなかったが、彼とは食事の場で何度か一緒になった分、まだシオンより姿を見ている。
いよいよ心配してシオンの部屋を訪れたこともあったが、彼はいたって平然とした様子で扉を開けて軽く反応するだけだった。その時はそれで安心したのだが――
「何か用か?」
そんなことを思い返している矢先に、シオンがステラたちのもとへやってきた。いつものラフな格好ではなく、彼もまた黒のスーツを纏っている。
「どこ行ってたのさ?」
「どこって……今さっき部屋から出てここに来ただけだ」
エレオノーラが若干苛立たしそうに言って、シオンは少しだけ心外そうになる。
「首都に着いてから今日までの数日間、アンタの姿ほとんど見ることなかったから……」
シオンが姿を見せないことに、エレオノーラもまた不安を募らせているのだ。買い物やカフェでお茶をしている時も、時折シオンの近況について話題にすることが多々あった。
しかし、シオンはそんなことなどまったく気付いていない様子で、ただただエレオノーラの反応を見て不思議そうにしていた。
「基本、ホテルの部屋で休んでいたからな」
「シオンさん。エレオノーラさんはシオンさんのこと心配してるんですよ」
思わず、ステラがそう切り返した。
「心配? 何の?」
今度こそシオンは、わけがわからないといった顔で呆けた表情になる。
ユリウスが長い紫煙を吐きだした。
「お前、やっぱ自覚なかったんだな」
続いて、プリシラが気遣わしげに眉根を寄せる。
「首都に着いてからの数日間、シオン様は私たちが話しかけてもどこか上の空という感じでした。何か、酷く思いつめているように見え……」
もともとシオンは話し好きなタイプではないが、それでも普段は何気ない会話にも相手をしてくれる。だがここに着いてからは、話しかけてもイエスかノーかの回答だけで、殊更に会話をすぐに終わらせようとする傾向にあった。
そのことは、ステラだけでなく、エレオノーラ、ユリウス、プリシラも気にかけていた。
「何か悩みでもあるんですか?」
ステラが訊くと、シオンはまた驚いたように首を横に振った。
「いや、まったくそんなことはないんだが……」
ユリウスが煙草の火を灰皿で消し、ソファから立ち上がる。
「隠し事するのは勝手だが、迷惑だけはかけんなよ。まして、今日はこの後王女が大統領と会談する。失敗は許されねえからな」
「わかっている。わかっているが……」
そこでようやく、シオンが自分でも何かに気付いたのか、視線を泳がせた。
「どうしたの?」
エレオノーラが首を傾げた。
「最近、どういうわけか昔のことをよく思い出すようになって、それで……」
珍しくシオンが、弱々しい不安げな面持ちを見せてきた。
そこからさらに何かを言いかけたが、
「――いや、何でもない。俺なら大丈夫だ」
すぐにまた、いつもの凛々しく、険しい表情に戻った。
自身の弱みは見せたくないという彼の意思が、手に取るようにわかった。
ユリウスが天井に向かって短いため息を吐く。
「なら、さっさと大統領府に行こうぜ。会談が始まって気を張るようになりゃあ、余計な事考える余裕もなくなるだろ」
ユリウスの言葉は、殊更にシオンへ助け船を出しているかのようだった。恐らくそれは、エレオノーラとプリシラも同様に思っただろう。だが誰一人として、それ以上、シオンの事を追求しなかった。
それから一行はホテルの正面玄関を出た。ロータリーでは、送迎のタクシーが忙しなく乗客を出し入れしては、停車と発進を繰り返している。
その中で、ひと際目につく車が一台、堂々とホテルの真正面に停車していた。通常の乗用車より車体が長い、高級感漂う黒のリムジンだ。その周辺に、二人の黒服の男が立っていた。
黒服の男の一人が、ステラたちの姿を確認するなり、きびきびとした動きで近づいてきた。
「我々はこの国の大統領――マティアス・フォーゲルの遣いです。リーデンフェルトでお受け取りになった紹介状を確認させていただきたい」
シオンたちが警戒と合わせて殺気を飛ばしたことなど意にも介さず、黒服の男は堂々とそう言った。
シオンはすぐに紹介状を取り出し、黒服の男に渡した。黒服の男は慣れた手つきで封を切ると、手早く中身を確認する。
そして、
「ようこそ、グリンシュタット共和国へ。大統領共々、御身に拝謁する日を心待ちにしておりました、ステラ王女殿下」
深々とステラに一礼をして見せた。
※
リムジンに乗って首都の国道を一時間ほど走ったあと、ステラたちは大統領府に到着した。首都内にある高層ビルと比べ遥かに小さい建物だが、大公園を兼ねた敷地の存在も相俟って、荘厳かつ巨大に見えた。左右対称のシンメトリーな作りで、太古の神殿を思わせるような柱が特徴的だった。
リムジンが大公園を抜けて大統領府の正面に停車する。それから間もなく黒服が車のドアを開けると、ステラは周囲を警戒しながら恐る恐る降りた。
そこへ、大統領府の正面扉が徐に開き、紺のスーツを着た一人の男がこちらに向かってきた。歳は五十歳前後で、白髪混じりの髪の毛は綺麗に整えられている。細身かつ長身で、顔には髭もなく、若々しい雰囲気を醸し出していた。
「お待ちしておりました、ステラ王女殿下」
男はステラを前にし、右手を伸ばした。
「私がこの国の大統領、マティアス・フォーゲルです」
次に自らが大統領であることを明かし、口元だけに柔和な笑みを浮かばせる。
まさかいきなり大統領が目の前に現れるとは思わず、ステラは驚きに慌てふためいた。
「……す、ステラ・エイミスです」
それから急いでフォーゲルの右手を取り、緊張の面持ちで握り返す。
握手を終えたあと、フォーゲルは片腕を広げてステラを大統領府の中へと促した。
「一国の王族とこんな所で立ち話をするのは忍びありません。早速ですが、会談の間までご案内いたします」
ステラは言われるがまま覚束ない足取りで大統領府の内部へ進んだ。途中、履き慣れていないヒールの踵が赤い絨毯の中に埋まって躓きそうになるのを何とか持ちこたえながら、どうにかしてフォーゲルの隣に懸命に並ぼうとした。
その後ろをシオンたちが付いていくが――
「恐れ入りますが、ここから先はステラ王女殿下おひとりでのご入場とさせていただきます」
二階へ続く階段の手前で、黒服の男たちに止められた。
シオン、エレオノーラ、ユリウス、プリシラの目つきが鋭くなる。
「何故?」
「ここから先は非武装地帯となっております。超人的な戦闘力を持つ騎士と教会魔術師である皆様には、どうかご遠慮いただきたく」
「非武装地帯とは――まるでどっかの国と戦争しているかのような言い草だな」
ユリウスが鼻を鳴らして皮肉っぽく言ったが、黒服の男たちはポーカーフェイスを崩さず、淡々としていた。
「ステラ王女殿下の安全はこの国の威信にかけて保障いたします。どうかご理解を」
大人しく引き下がらなければ実力行使も厭わないといった黒服たちの対応に、シオンたちの顔が強張る。空気が張り詰めた。
その時、階段へ足をかけていたステラが、シオンたちの方へ振り返る。
「私なら大丈夫です」
緊張こそしていたものの、ステラは覚悟を決めていた。
強張った顔に携えられる彼女の双眸を見て、シオンたちは一歩下がる。
「……どうしても一人で決められないことがあった時は、不用意にその場で即答するな。まずは、グリンシュタットが何を意図してお前を呼びつけたのか、それを明らかにするんだ」
「わかっています」
そして、ステラはシオンたちを残して、会談の間へと続く道を一人進んだ。
「どうぞ、こちらへ」
階段を上って五階へと到達した時、フォーゲルがそう案内してきた。
ステラはようやくヒールに慣れ始め、フォーゲルと並んで歩くことが苦にならなくなっていた。自ずと顔にもゆとりが表れる。
「貴国が大変な情勢になっているというのに、突然の拝謁の申し入れに応じていただき、誠に感謝しております」
そんな余裕を読み取ったのか、不意にフォーゲルがそう切り出してきた。
「いえ……」
「そう緊張なさらないでください。ガリアと違い、御身を捕えてどうこうしようなどという魂胆は一切ありません。むしろ、ログレス王国の主権回復に向けて、微力ながら我が国も協力させていただきたいと考えております」
「グリンシュタットはログレスと長年友好関係にある国ですが、特別、軍事同盟などは結んでいません。もしログレスに協力していただけたとして、一歩間違えれば貴国もガリアと戦火を交わすことになりえます。なのに、どうしてですか?」
どこかたどたどしい喋り方だったが、ステラは必死の思いで考えていることを伝えた。
フォーゲルは、自身の隣を歩く少女をただの十五歳のそれとはみなさず、敬意を込めた面持ちで見遣った。
「……世間的にはまだ公になっていないですが――ステラ様は、“大陸同盟”という言葉をご存じですか?」
「はい」
「あれは、アウソニア連邦、ガリア公国、ログレス王国を中心に結ばれようとしている歴史上類を見ない強大かつ強固な同盟です。ですが、大陸四大国のうち、グリンシュタットだけが主要国家として認められていない。私たちは、それがとても気に入らないのです」
フォーゲルの声は穏やかだったが、どことなく異様な熱が込められていた。
「確かに、アウソニア連邦とガリア公国は、北東の“名もなき帝国”と極東のセリカとの間に国境を持つため、大規模な軍事的衝突を起こす危険性が他国と比べて非常に高い。アウソニア連邦とガリア公国の隣国であるログレス王国もまた然りです。しかし、こうも露骨に除け者にされるのは、さすがに大国としてのプライドに傷がつきます」
「あの……もしかして、私をここに呼んだのは……」
恐る恐る訊いたステラに、フォーゲルは頷いた。
「現在、ガリア公国に代理統治という名目で支配されているログレス王国――その主権回復に協力する代わりに、ステラ様には、グリンシュタットが主要国家として大陸同盟へ参画することを後押ししていただきたいのです」
「今の私にそんな力は――」
「僭越ながら、そのことは我々も重々承知しております。何よりもまずは、ステラ様がログレス王国の女王へ即位いただくことが、我々としても最優先事項と考えております。そういう意味では、互いの利益は一致していると言えるのではないでしょうか? それに、うまくいけば同盟内でのガリアの影響力を著しく下げることもできます。ガリアの力が弱まるのは、我々としてもとても都合がいい」
「グリンシュタットも、ガリアと仲が悪いんですか?」
これまでの旅でそれとなく良い関係にはないのだろうと思いつつ、ステラは改めて訊いてみた。
「ガリア公国が覇権主義を掲げて他国へ影響力を強めていることは、当事者であるステラ様もご存じでしょう。地政学的にグリンシュタットはガリアの影響を受けにくい国ではありますが、昨今の大陸情勢から、そんな悠長な考えもしていられなくなりました。隣国のノリーム王国がガリアに武力制圧を受けたことで緊張は一層高まり、もはや一刻の猶予もない状況です」
「……確かに、利害という話であれば、私たちの思惑は一致していると思えます。ですが、ガリア公国は教会――いえ、教皇と協力関係にあります。ログレスへの侵略が黙認されていることが何よりの証拠です。ガリアと対峙するということは、教皇とも相対することになりえると思います。それでも、グリンシュタットは私たちログレス王国に協力していただけるのでしょうか?」
ガリアと教皇は繋がっている――それは、シオンとの旅を通じて嫌というほど目の当たりにしてきた事実だ。まして、聖王騎士団副総長であるイグナーツからもその説明を受けている。もはや、ステラにとっては言うまでもないことなのだが――
「教皇猊下が? そんなまさか」
フォーゲルは、眉間に皺を寄せて驚いた。
だが、ステラはこの反応もある程度予想していた。教皇がガリアと通じている事実は世間的に伏せられているため、例え大国の大統領が知らないとしても、何ら違和感を覚えない。
「信じられないかもしれませんが、本当です。事実、私はガリア大公と教会の枢機卿がノリーム王国を陥れるために、亜人を利用した貴国への破壊工作活動の現場を目の当たりにしています」
「にわかに信じられませんね……」
「本当です! 他にも、ガリア国内でエルフを使った非道な人体実験を――」
「着きました」
ステラはここぞとばかりにガリアと教皇の悪行を伝えようとしたが、不意にフォーゲルが足を止めた。
そこにあったのは、巨大な両開きの扉だ。
「ここが会談の間です。続きはこの先で話しましょう。“他の方々”もすでにお揃いです」
「……“他の方々”?」
ステラは怪訝に眉を顰めた。
しかしフォーゲルはそれに答える間もなく、扉を開ける。
ステラは、徐に中へ足を踏み入れた。
「皆さま、ステラ王女殿下がおいでになられました」
そこにあったのは、運動場と見まがうほどの広い部屋で、中央には巨大なドーナツ状の円卓が置かれていた。
そして、そこにはすでに、二十人は超える何者かが座っていた。その全員が、少なくとも四十歳は超えている様相で、ただならぬ雰囲気を発している。厳格で、覇気にあふれた落ち着き――どことなく、フォーゲルに似ている。
ステラが入るなり、円卓に座る者たちが一斉に彼女をじろりと見た。
「あ、あの、この人たちは――」
「無論、各国の首脳陣です」
気圧されて一歩後退するステラだったが、フォーゲルに肩を押さえられる形で止められた。
あまりにも重々しく妙な空気に、ステラは沈黙のまま驚きに目を開く。
そして、
「ステラ王女殿下、先ほどの話ですが、今この場で真偽のほどを確認いたしましょう」
「え?」
「教皇猊下が、ガリアと協力関係にあるというお話です」
フォーゲルの言葉が合図であったかのように、会談の間のもう一方の扉が開いた。
「私をお呼びですか?」
そこから入ってきた人物を見て、ステラは言葉を失い、慄いた。
「お初にお目にかかります、ステラ王女殿下。聖王教会教皇、アーノエル六世ガイウス・ヴァレンタインです」
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