第176話

 日付が変わった時刻にも関わらず、リーデンフェルトの街並みは昼間と変わらず行き交う人々の喧騒に包まれていた。道路には依然として無数の車が走行しており、歓楽街の眩い灯りが幾つもの人影を残していた。


 しかし、今宵の慌ただしさはいつもと少しだけ違っていた。

 リーデンフェルトでも最高級のホテルとされる巨大な建物――そこに、地元の警察が集結していた。ホテルの敷地内にある庭には、三つの大きな簡易テントが粗末に建てられている。警察官たちはテントの中と外を行ったり来たりと忙しなく動き回り、怒号を飛ばすような声量で互いに情報を交わしていた。


 不意に、そのテントの一つに数人の人影が入った。

 シオン、ユリウス、プリシラの三人だ。


「何があった?」


 テントの天井中央には大きなランタンが吊るされており、屋内をそれなりに明るく照らしている。中には長テーブルがひとつあり、無数の書類が散乱していた。

 そして、それを囲んでいたのは数人の警察官、それにイグナーツとリリアンだった。


「立てこもり事件です。しかもよりよって、キルヒアイス親子が人質に取られています」


 イグナーツの言葉に、シオンたち三人は揃って怪訝になった。


 何故シオンたちがここに来たのか――他ならぬ、イグナーツに緊急事態だとして呼びつけられたからである。ステラとエレオノーラを除いたこの三人で来るようにと、つい十分ほど前にリリアンから連絡を受け、このように駆け付けたのだ。


「立てこもり?」


 シオンが訊くと、リリアンが数枚の書類を手渡してきた。

 シオンたち三人がそれに目を通している間に、イグナーツが説明を続ける。


「“燎原の獅子”と名乗る極左系の過激派組織です。指揮を執っているのは、ルドガー・シェリングというライカンスロープの男。もともとはこの国の軍人だったようで、数年前に退役し、組織に入ったそうです」

「この男の名前も組織名も聞いたことがないな」


 シオンが眉を顰めると、イグナーツは軽く肩を竦めた。


「過激な活動をするようになったのは騎士団分裂戦争以降ですからね。貴方が知らないのも仕方がない」

「どんな組織だ?」

「平たく言ってしまえば、教会を中枢に置いた今の大陸西側の体制をよく思わないテロリスト集団です。自分たちのことを大陸解放軍なんて呼ぶこともあります。構成員に亜人が多いのも特徴ですね。そのせいもあってか、ガリア公国に対してかなりの敵意を持っています」

「テロリストたちは敢えてキルヒアイス家を狙ったのか?」

「キルヒアイス家が経営する企業の主な拠点はガリア公国ですからね。彼らからしてみれば、人質として好都合なことこの上ない」


 イグナーツが概要を説明し終えると、リリアンが更にもう一枚、書類を渡してきた。


「彼らの要求です」


 そこには、犯人たちの要求が殴り書きで綴られていた。

 それを見たユリウスが、煙草に火を点けながら渋い顔をする。


「……グリンシュタット国内で留置されている組織の最高指導者の解放、身代金百億、キルヒアイス家傘下の企業をガリア公国から完全撤退させる――随分と欲張りやがるな」


 大財閥の当主とその娘が人質であることをいいことに大胆な要求を寄越してきたと、一同は思わず苦虫を嚙み潰したようになる。


 シオンは書類から目を離し、イグナーツとリリアンに向き直った。


「それで、何で俺たちを呼びつけた?」

「それは勿論、貴方たちに人質救出とテロリストの捕縛を手伝ってほしいからですよ」


 当然のように言い放ったイグナーツだが、シオンたちの表情は反射的に険しくなった。


「たかがテロリスト如き、アンタとリリアンの二人で充分だろ」

「私とリリアン卿はここで警察たちと協力して現場の指揮を取らないと駄目でしてね。すぐに動ける騎士も周辺にいないので、貴方たちが適任なんですよ」


 尤もらしい理由に、シオンたちは反論の余地を失う。


「シオン、実行役はエレオノーラだったとはいえ、私は貴方の命を救ってあげました。その借りをこのお願いひとつで返せると思えば、破格と思えませんかね?」


 それをいいことに、さらにイグナーツが何やら不穏な笑みを浮かべてそう言ってきた。

 シオンの顔が、心底気味悪くなったと、ますます歪められる。


「俺は黒騎士だぞ。公に騎士団と協力するわけにはいかないだろ」


 予めその回答が来るのを予期していたかのように、不意にイグナーツがシオンに向かって何かを投げ渡した。

 シオンはそれを雑に受け取り、掌を広げて見遣る。


「それ、貴方のです」


 そこにあったのは、騎士である身分を証明する“剣のペンダント”だった。

 シオン、ユリウス、プリシラが無言で驚いていると、


「シオン・クルス。今夜限り、騎士として活動することを副総長の私が許可します」


 イグナーツはそう言ってさらに三人を驚かせた。

 吃驚の沈黙が数秒続いたが、シオンが正気を取り戻したように表情を引き締める。


「……教皇庁や十字軍に知られたりでもしたら、また騎士団の評判を無駄に下げられるぞ」

「その時はその時です。バレなきゃいいんですよ。もしもの時は、有事であることを口実にして、適当に弁解しますよ」


 それでもシオンは納得できず、引きつった顔をしたままだった。

 イグナーツが軽く鼻で笑う。


「そんな渋い顔しないでください。もしかすると、何かいいことがあるかもしれないですしね」

「いいこと?」

「さて、それでは早速、人質救出のための作戦会議といきましょうか。リリアン卿」


 シオンの疑問に答えることも、了承を得ることもなく、イグナーツは一方的に話を進める。呼ばれたリリアンはリリアンで、それ以上シオンたちには口を挟ませまいと、長テーブルにホテルの間取りが記載された紙を強引に広げた。


「人質が捕まっているのはホテルの最上階にあるロイヤルスイートの一室になります。ここへは基本的に正面の扉からしか入れません。部屋には窓もありますが、転落防止のために開けることができない仕様となっております」


 もうやるしかないのかと、シオン、ユリウス、プリシラの三人は一度顔を見合わせた後で軽く嘆息する。それから気を取り直すように、長テーブルへと向き直った。


「テロリストの人数は?」

「十四人です。おおよその配置ですが、以下のようになっております」


 リリアンが手にしたペンで手早く間取り図に赤い印を残していく。

 全部の印がつけられたところで、プリシラが悩ましそうに顎に手を添えた。


「……人質のいる部屋に入るにはどうやっても正面の扉から入るしかなく、テロリストたちに気付かれないで侵入するのも無理そうですね」


 イグナーツが頷いた。


「ええ。なので、ホテルを停電させ、闇討ちでテロリストを片付けます」


 今度はイグナーツが、ホテルの別の間取り図を長テーブルに広げた。それは地下一階の間取り図で、主に施設管理のための部屋が存在していることを示していた。

 イグナーツはそこの一つに赤い丸を残す。


「ホテルの電源設備はすべてこの部屋にある基盤で管理されています。ユリウス卿はここへ侵入し、ホテルの灯りをすべて落としてください」

「ではテロリストたちを締め上げる実行役は、私とシオン様ということですか?」


 プリシラの質問にイグナーツは首を横に振った。


「いえ、プリシラ卿には彼らの逃走ルートを潰してもらいます」

「もう逃走ルートがわかっているのですか?」

「彼らは逃走用の車も要求していますが、それは囮です。ホテルの地下から外の地上へと続く出入り口から少し離れた場所に不審な車が数台確認されています。それがテロリストたちの車であることは、警察の皆さんが裏を取ってくれました。今は気付かないふりをして泳がせていますが、プリシラ卿にはそれを叩いてもらいます」


 シオンが少しだけ難しい顔になって両腕を組んだ。


「となると、テロリストは俺一人でやることになるのか」

「そういうことになりますね。まあ、条件さえ整っていれば、貴方にとっては文字通り朝飯前でしょう」


 遠回しにシオンの実力を褒めたたえてきたイグナーツ――しかし、シオンはその言葉を聞いて、一層眉間の皺を深くした。


「どうしました? 何か疑ってます?」


 恍けた顔で首を傾げるイグナーツだったが、


「……いや」


 今ここで何かを追及するのも不毛だと、シオンは無理やり納得することにした。


「さて、それでは早速いきましょうかね。頼みましたよ、議席ⅩⅢ番――“シオン卿”」


 この男が何も企んでいないはずなどないと、シオンの心中は晴れないまま作戦が開始された。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る