第175話

「随分と楽しいことをしていたようで」


 カール・エーベルト――もとい、シオンとハルフリーダのお見合いについては今日のところは解散となり、後日改めて続きを行う運びとなった。時刻は二十三時を回り、シオンたちは、イグナーツとリリアンも交えて宿泊先のホテルの一階ラウンジに集まっていた。


 イグナーツはシオンたちを一度ぐるりと見渡したあと、含みのある微笑を浮かべる。


「まさかシオンが、外交官の息子、カール・エーベルトの代役を務めていたとは」


 シオン、ステラ、エレオノーラ、ユリウス、プリシラが、気まずそうに視線を逸らす。


「さっきから何を気まずそうにしているんですかね?」


 そんな彼らの心中を読み取ったかのように、イグナーツが肩を竦めた。


「もしや、私がそのことを弱みに貴方たちに何かを要求しようとしているとでも思っていますか? 心外ですね、そんなことしませんよ」


 はっはっは、とわざとらしく笑うイグナーツだったが、シオンたちの顔からは警戒と緊張の色は消えなかった。かつてイグナーツと同じく円卓を囲んでいたシオンは勿論のこと、ユリウスとプリシラも眉間に皺を寄せながら妙な汗を顔に滴らせている。さながら、仕事の失敗で上司に詰められている部下のような有様だった。エレオノーラも似たような面持ちで、イグナーツとは魔術師としての師弟関係にあるためか、いつもの強気な姿勢はそこにはなく、借りてきた猫のように静かだ。


「……じゃあ何で俺たちをここに呼びつけた?」


 そんな重たい空気を無理やり解消させるように、シオンが徐に口を開いた。

 イグナーツは煙草に火を点け、まずは一服する。


「貴方たちが何を企んでこんなことをしているのかは知りませんが、ちょっと助言しておこうと思いましてね」


 一同は揃って眉を顰めた。


「助言?」

「ええ。キルヒアイス家当主――アルベルト・キルヒアイスについてです。彼、結構面倒くさい性格していますよ」

「面倒とは?」

「気難しいって感じですかね。良くも悪くも根っからの商売人です。利益にならないことには消極的なうえ、不誠実なものには強い拒絶反応を見せてきました」


 話が見えず、シオンたちは首を傾げながら互いに顔を見合わせた。

 イグナーツは一度煙草を大きく吹かす。


「シオンと御令嬢がお見合いをしている間、私とリリアン卿はアルベルト・キルヒアイスと会談をしていました。騎士団への資金援助をお願いするためにですね。結論から言ってしまうと、聞く耳は一切持ってもらえませんでした。彼の言い分としては、騎士団へ資金援助をしたところで何の利益にもならないうえ、信用がないと言われてしまいましてね」

「信用?」

「騎士団分裂戦争、ひいては直近の教皇庁との対立姿勢――これら一連の騒動がどうにも気に入らないようで。アルベルト・キルヒアイスも聖王教会の熱心な信者です。騎士団の振る舞いが教会への不義に当たるとして、利益がない事よりもそちらをやり玉に挙げられました。内部紛争を起こすばかりか、新たな騒乱の火種を作るとは言語道断、とね」


 それを聞いたステラが、難しい顔になって小さく唸る。


「さっきはそんな険悪な会話をした後には見えなかったですが……」

「先ほども言ったように、良くも悪くも商売人なんですよ、あの男は。切り替えが早いんです」


 ステラはいまひとつ納得していない様子だったが、イグナーツはそれを尻目に話を続けた。


「話を戻しますね。つまり私が何を言いたいかというと――悪戯をするなら、“ちゃんと最後まで責任を持ってやり切ってください”、ということです」


 シオンたちが、うぐっ、と顔を顰める。


「あなた方もわかっているでしょう? もしここでアルベルト・キルヒアイスがへそを曲げたりなんかしたら、自分の娘が侮辱されたとして、その報復にグリンシュタット共和国へ重い経済制裁を与えかねません。まして、その実行役がステラ王女一行となれば、今後の対ガリア公国への活動にどんな影響を及ぼすことか」


 イグナーツの見解に、シオンたちの顔色がますます悪くなる。


「というわけで、悪戯もほどほどによろしくお願いします。私から言いたいことは以上です。それでは、失礼します」


 イグナーツは煙草の火を灰皿で消し、ソファから立ち上がった。それから軽く身なりを整え、リリアンと共に踵を返す。二人はそのままラウンジを後にした。

 イグナーツたちが席を立ってから数秒の間、残ったシオンたちは暫し沈黙に固まった。


「……どうする? いや、どうするつもりだ? こんな馬鹿げたことをやるって言い出したのは、お前たちだぞ」


 そんな静寂を、シオンの恨み言が破った。


「おまけに、エレオノーラとプリシラに至っては突然乱入してくる始末。いったい何を考えている?」


 シオンに睨まれ、エレオノーラとプリシラが、ぎくっと体を震わせる。

 しかしエレオノーラはすぐに平静を取り戻し、肩を竦めた。


「ちゃんとお見合いが破談になるように、カール・エーベルトが女を何人も侍らすクズだって演出しようとしただけじゃん。そんなぷんすか怒らないでよ」

「カールさん、とんだとばっちりですね」


 ステラの突っ込みにエレオノーラが鼻を鳴らす。


「本物のカールだって今頃はバーで女遊びしてんでしょ? 嘘ではないじゃん」


 何も悪い事はやっていないと、エレオノーラは自信満々に胸を張った。

 シオンは具合が悪くなったように頭を軽く抱える。


「ただ破談にすればいいってわけじゃないだろ。お互いに縁がなかったと、円満な形で破談にする必要がある。相手に不必要に不愉快な思いをさせたら、それこそさっきイグナーツが言ったみたいに、この国に何の不利益が課せられるかわかったものじゃない」


 それを聞いたプリシラが、悩ましげな顔で顎に手を当てた。


「しかし、状況としては私たちが望む方とは逆に事が進んでいるかと。ハルフリーダ・キルヒアイスは、カール・エーベルト――もとい、シオン様へ印象を悪くするどころか、かなりの好意を抱いているようです」

「……適当に相槌打って食事していただけなんだけどな」


 あれ以上何をどうすればよかったのかと、シオンが仏頂面でぼやいた。

 すると、エレオノーラが苛立ちを顔に出しながら舌打ちした。


「もうさ、アンタの顔、焼き潰そうよ。そうしたらあのお嬢様も諦めると思うんだけど。どうせ“帰天”使ったら治るんだし」

「いや、さすがにそこまでは――」

「だってあのお嬢様、絶対アンタのこと顔で選んでるって。もうこれしか手段ないと思うけど」


 そう言いながら、エレオノーラがいつの間にか自身のライフルを取り出し、手に構えていた。顔も真剣そのものである。


「ほ、本気で言ってるのか?」

「ついでに他の変な女共にキャーキャー騒がれなくなるし、一石二鳥でいいでしょ」


 ライフルの銃口が、当然のようにシオンに向けられた。


「よ、よくない。そんな理由で、はいそうですかって顔面潰す奴がどこにいる」

「シオン様」


 不意にプリシラがシオンへ声をかけてきた。


「火傷の痛みがあまり出ないよう、エレオノーラが焼いたあとは私が氷でお顔を冷やします」


 その手には、槍が握られている。

 この二人は冗談ではなく本気でやるつもりなのだと、シオンは気付いた。二人の美女から放たれる狂気に、シオンは慄きで顔を青くする。


 そんな妙なやり取りが繰り広げられている傍らで、少し離れた場所のソファに座っていたユリウスが、のそっと立ち上がった。先刻、エレオノーラとプリシラに顔面からバーのテーブルに叩きつけられたため、鼻先を中心に大きな絆創膏がマスクのように貼られていた。


「もう正直に全部バラしちまった方がいいんじゃねえのか? 今ならまだ傷も浅いだろ。このままずるずるいって、いよいよ引き返せなくなってからバレるよりかはずっとマシだ」


 ユリウスの提案にステラも頷いた。


「私もそうした方がいいと思います。何だか、想像以上に厄介なことになりそうですし」


 エレオノーラとプリシラの案よりずっと建設的な意見だったが、シオンは恨めしそうに目を細めた。


「……俺が責任を取れみたいな言い方しているが、お前たちが悪ノリしなければこんなことにはならなかったんだからな? これだけは何度でも言わせてもらう」


 シオン以外の四人が、バツが悪そうに顔を明後日の方に向ける。


「とりあえず、今日はもう休みたい。無駄に疲れた……」


 シオンは大きな溜め息を吐き、がっくりと頭を下げた。







 お見合いが終わり、キルヒアイス親子は宿泊先のホテル――最上階に存在するロイヤルスイートルームのリビングで、深夜のティータイムを楽しんでいた。ローテーブルを挟んだ向かい合わせのソファに、アルベルトとハルフリーダが座っている。


「カール様はとても誠実なお方でしたわ。わたくしのお話にも飽きることなく耳を傾けてくださいましたし、お食事のマナーも完璧でとてもお上品でした。それに何より、お顔がとてもお美しい……!」


 お見合いの席であったことをうっとりと話すハルフリーダに、アルベルトは顔を綻ばせた。


「ハルフリーダがそこまで絶賛するとは、珍しいこともあるものだ。彼のことをとても気に入ったようだな」

「はい! わたくし、絶対にカール様と結婚いたします! 生涯のパートナーはもうあの方しか考えられません! はあ……恋というものはなんて罪深いものなんでしょう。離れている時間がこんなにも寂しく、苦しいものだなんて……」


 ハルフリーダは大袈裟に胸を押さえ、恍惚とした表情で愛しの我が君に耽る。娘のそんな様子を見たアルベルトが、堪らず声を上げて笑った。


「色恋沙汰にまったく興味を示さなかった時はどうしたものかと案じたが、その調子だと、孫を見る日もそう遠くはなさそうだな」


 父の言葉を聞いて、ハルフリーダは顔を赤くしながら体をくねくねさせた。


「嫌ですわ、お父様。気が早すぎます」

「そうとなれば、善は急げだ。早速、次のお見合いの日程を――」


 そんな親子のひと時が、突如として破られる。

 部屋の扉が荒々しく開かれ、そこから何者かが大勢侵入してきた。そのどれもが銃器で武装しており、覆面を被っている。体格がよく、恐らくは漏れなく全員が男だろう。


「な、なんだ、お前たちは!?」


 瞬く間に部屋の中は十数人の侵入者によって埋め尽くされ、占拠された。

 その中の一人、リーダー格と思しき男がずかずかと前に出る。


「キルヒアイス家当主、アルベルト・キルヒアイスと、その娘、ハルフリーダ・キルヒアイスだな?」


 尋ねられ、アルベルトが勇ましくソファから立ち上がる。


「お前たち、いったい――」


 刹那、一発の銃声が響いた。絨毯に赤い飛沫が飛び散り、ハルフリーダの悲鳴が室内に迸る。


「お父様!」


 リーダー格の男の拳銃から放たれた銃弾が、アルベルトの左脛を穿ったのだ。

 痛みで蹲るアルベルトに、リーダー格の男が詰め寄る。


「優雅なお茶会はここで終いだ。ここからは、俺たち大陸解放軍――“燎原の獅子”と一緒にスリル満点の一夜を過ごそうじゃねえか」

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