第174話

「だ、誰ですか? 警備は何をしておりますの?」


 突然部屋に入ってきたエレオノーラとプリシラを前に、ハルフリーダは慄きながらシオンにしがみついた。

 途端、エレオノーラとプリシラから夥しいまでの殺気が放たれる。その様子だと、部屋には力尽くで入ってきたものと思われる。恐らく、警備に付いていた者たちは今頃気絶しているのだろう。


 シオンは状況を飲み込めず、目を丸くさせたまま固まった。何故、この二人がここに――その言葉だけが頭の中で何度も反響する。


 そして――


「誰よ、その女!」「誰ですか、その女は!」

「――!?」


 エレオノーラとプリシラが、まるで悲劇のヒロインを演じるかの如く、甲高い声を上げた。


「アタシたちとの約束をすっぽかして何しているのかと思ったら、こんなところでこんな女と乳繰り合ってるとか信じられない!」

「今日は一緒にオペラを見に行くという約束ではあったではありませんか! それが、どうして……!」


 先ほどまでの狂戦士を彷彿とさせる面持ちから一変、二人は大袈裟に顔を両手で覆いながら、うっすらと涙を浮かばせていた。

 まるで事態を飲み込めないシオンが困惑に眉を顰める。


「お、オペラ……?」


 それはハルフリーダも同じで、シオンの腕の中で不安の表情を見せていた。


「か、カール様、この方たちは?」

「こいつ――か、彼女たちは……」


 その先の言葉をどう紡ごうかと、シオンがほんの一瞬、言い淀む。

 すると、


「愛人一号と」

「二号だ」

「――!?」


 エレオノーラとプリシラが真顔でとんでもないことを言い出した。

 シオンは顔面蒼白にしながら、口の動きだけでプリシラと無音の会話を試みることにした。


「(いったい何のつもりだ!? 俺がカールじゃないってバレたら――)」

「(シオン様、この女は危険です。今すぐ作戦放棄を提案します)」

「(作戦放棄って……)」


 ますます意味が分からず混乱するシオン――その時、身を縮こまらせていたハルフリーダが少しだけ表情を険しいものにする。


「愛人……」


 これはまずいと、シオンが焦った。

 もともとこのお見合いの目的は、キルヒアイス家の機嫌を損ねずに縁談を破談させることである。ここで下手に心証を悪くしてしまっては、グリンシュタット共和国にどんな不利益が被られるかわからない。


「い、いや、違います。彼女たちは、その、友人で――」

「酷い! アンタ、アタシのことあれだけ弄んでおいて友達の関係で済ませるつもりなの!?」


 弁明しようとした矢先、エレオノーラが迫真の声でそんなことを言ってきた。


「何を勝手なこと――」

「私たちは身も心もすべて貴方のものです! なのに、今更そんな他人行儀なことを仰るなんて! 私たちよりもその女の方がいいとでも言うのですか!」


 プリシラまでもが畳み掛けるように狂言染みたことを言ってくる。

 いったいこの二人は何を目的にこんなことをしているんだと、シオンは顔に冷や汗を滴らせた。


「と、とにかく、落ち着いてくれ! まずは話をさせてほしい!」


 突然、目の前で泣き崩れるエレオノーラとプリシラ――シオンは引き気味に顔を顰めた。


(なんで浮気した男みたいなことになってるんだ……)


 理不尽に追い込まれたこの状況と自分の情けない振る舞いに、シオンは堪らず心の中で何度も悪態をついた。

 三人でそんな茶番劇を繰り広げていると、


「……カール様、愛人が二人もいらっしゃったのですね」

「え!?」


 ハルフリーダが低い声で言った。


「い、いや、これは――」

「そうだけど」「そうだ」

「――!?」


 シオンの否定を許さないと、エレオノーラとプリシラが噓泣きを瞬時に終えて立ち上がる。


「もうわかったでしょ。こいつは何人もの女を侍らすようなスケコマシで、女癖最悪なの」

「今まで何人もの女を泣かせている。並の精神力では嫉妬に狂って破滅するだけだ。貴様では手に負えん」


 シオンはエレオノーラとプリシラの言葉を聞いて、何故か耳が痛くなった。俺のことを言っているわけじゃないよなと、何度も無言で自問自答した。


「……わかりました」


 ハルフリーダが、ぼそりと言った。

 その回答に、エレオノーラとプリシラが勝ち誇ったような、安堵したかのような顔で鼻を鳴らす。

 だが――


「愛人の一人や二人いたところで、わたくしは全然気にしませんわ!」


 ――!?


 意を決した表情で答えたハルフリーダに、シオン、エレオノーラ、プリシラが無言で固まる。


「それに、カール様ほどの美しい殿方がたった一人の女性と一生を添い遂げるなんて、そもそもおかしな話ですわ。優秀な遺伝子を持つ殿方の子孫はより多く残さなければ、社会の大きな損失です。わたくしが正式な妻になった暁には、お二人との関係も容認いたします」


 ハルフリーダはさらにそう続け、胸に手を当て、どこか悟った面持ちでしんみりと目を瞑る。


 ――この女……強い……!


 それを見たシオン、エレオノーラ、プリシラの感想は、奇しくも同じであった。

 あまりにも予想外の反応に困惑して動きを止めていた三人だったが――エレオノーラが痺れを切らしたかのように一歩前に出た。


「何が正式な妻だ、アバズレが! いいからさっさとそいつから離れろっつってんの!」


 ガラ悪く声を荒げるエレオノーラに、ハルフリーダが悲鳴を上げる。


「きゃあ! 怖いです、カール様!」


 そのままシオンの胸へと再度飛びつき、顔を埋めた。

 刹那、エレオノーラの顔中の筋肉が引きつり、顔の至る所から青筋が浮かび上がる。隣のプリシラも同じような形相で殺気立っていた。


 このままでは、わけもわからずハルフリーダがこの二人に殺されかねない。シオンはそう判断し、まずはこの場を離れようと、ハルフリーダを連れて部屋から出ようと考えた。

 獣のように目を光らせる美女二人の動向を伺いながら、シオンは自身の胸の中で恐怖に震えるハルフリーダを抱え上げようとした――その時だった。


「おや」


 部屋にまた誰かがやってきた。人数は三人。そして、そのうちの一人は――


「お父様!」


 ハルフリーダの父親――アルベルト・キルヒアイスだった。細身で背が高い初老の男で、光沢のある漆黒のスーツを纏っている。

 アルベルトは娘の姿を見るなり、毛先を上向きにした口ひげを優雅に撫でながら、金持ちらしい余裕のある微笑みを見せてきた。


「ハルフリーダ、お見合いは順調かな?」


 お見合い中とは到底思えない光景にも関わらず、アルベルトはのんきにそんなことを言った。

 ハルフリーダはどこか申し訳なさそうに眉根を寄せる。


「それが――」

「おお、君がカール・エーベルト君か!」


 娘が何か言おうとしたのも気にせず、アルベルトはずかずかとシオンの方へ歩みを進めた。アルベルトは、シオンのことを頭の先からつま先まで品定めをするように見たあと、高笑いしながらシオンの背を何度も叩いた。


「写真で見た通り、器量の良い美青年じゃないか! ハルフリーダの美しさに引けを取らん! お似合いじゃないか!」

「まあ! お父様もカール様を気に入られまして!?」


 父の評価を聞き、先ほどまでの不安げな面持ちから一変、ハルフリーダが目を輝かせる。


「そうだな、見た目に関しては文句なしの合格だ! だが、内面についてはこれからじっくりと評価させてもらうぞ! せいぜい頑張りたまえ!」

「もう、お父様! 失礼ですわよ!」


 金持ち父娘が、いかにもといった様子で互いに笑い合う。

 そんな雰囲気に完全に飲まれて置いてけぼりになっていたシオンたち――暫し呆気に取られていた時、不意にシオンは不気味な視線を感じ、悪寒に緊張した。


「……なるほど。貴方が、“カール・エーベルト”でしたか」


 アルベルト・キルヒアイスと同時に入室してきた残りの二人――それは、イグナーツとリリアンであった。


 厄介なこの状況でこれまた厄介な奴に見られてしまったと、シオンは血の気が引く思いに陥った。


「む? イグナーツ卿、彼とはどこかで会ったことが?」


 アルベルトに尋ねられ、イグナーツは厭らしい笑みを浮かべた。


「いえ、ちょっと。御身との会合の前にホテルのラウンジで少しお話ししただけですよ。ねえ、カール・エーベルト殿?」


 イグナーツはそう言って、シオンに冷ややかな視線を送った。

 一番弱みを握られたくない奴にこの場を見られてしまったと、シオンは無表情のまま体を小刻みに震わせた。

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