第173話
「ああ、やはり驚かせてしまいましたわね。写真と全然違うこと、先にお詫びいたしますわ」
ハルフリーダは艶やかな金髪を靡かせながら、申し訳なさそうに少しだけ顔を伏せた。
「実は、お見合い用の写真に写っていたのはペットのゴリラなんですの。キャサリンっていって、とても賢くて可愛いんですのよ」
そんな突然のカミングアウトに、シオンが戸惑う。
「な、何でそのペットの写真をお見合い写真に?」
「だって、見ず知らずの殿方に自分の写真を見せるなんてとても恥ずかしくて。送る直前で怖気づいてしまって、ついついキャサリンの写真を送ってしまいました」
「……よくそれでお見合いができると思ったな」
両頬を手で覆いながらもじもじと体をくねらせるハルフリーダに、シオンは冷ややかな視線を送った。
「失礼なことをしてしまったとは重々承知しておりますわ。改めて謝罪いたします。それにしても――」
そうやってげんなりとするシオンのことなどいざ知らず、ハルフリーダがずいっと距離を詰めてくる。
「カール様がここまで凛々しくお美しい方だったとは、わたくし、とても驚きましたわ。お写真のお姿よりも、本物の方がずっと素敵です。今日は勇気を出してここに来て、本当に良かったですわ」
ハルフリーダは両目を輝かせ、上目遣いにシオンを見遣った。
それにシオンが何らかの反応を示す間もなく、
「さあ、それでは早速ディナーを頂きましょう。このホテルには父も来ているのですが、別件があり同席できません。ご了承くださいませ。ともあれ、そのおかげで二人っきりです。誰にも邪魔されずにゆっくりとお話しできますわね」
ハルフリーダはマイペースに、テーブルへと促してきた。
※
ハルフリーダがまさかの美女であったことに驚くシオン――その様子を、中庭を挟んだバーの窓際席から見ていたステラたちも、同様に目を丸くさせていた。ステラとユリウスはヘッドセットと双眼鏡を外し、互いに困惑した顔を見合わせた。
「あの写真、本当にゴリラだったのか。確かに、人間っていうにはさすがに無理があると思ったがな」
「冷静に考えて、誰がどう見てもゴリラでしたもんね。逆に安心しましたよ」
写真に写っていたのが本当にゴリラであったことに、ユリウスとステラは揃って納得し、妙な安心感にホッと胸を撫でおろした。
「まあ、相手がゴリラだろうがヒトだろうがやることに変わりはねえさ。あとはあいつが適当にあのお嬢様をあしらってこの話は一件落着だ。ゴリラじゃなかったせいで、面白味は大分減ったけどな」
気を取り直すようにユリウスが言って、肩を竦めた。
ステラもそれに同意して小さく笑う。
「ゴリラを前にどうしたらいいか困ってるシオンさん、見てみたかったですね。ねえ、エレオノーラさ――」
と、隣にいたエレオノーラとさらにその奥にいたプリシラに話を振ろうとしたが、ステラは途端に言葉を詰まらせた。
ただならぬ殺気が、二人の美女から放たれていたのである。
「ど、どうしたんですか、お二人とも!? なんでそんな今すぐにでも人を殺しそうな顔してるんですか!?」
エレオノーラとプリシラは、ヘッドセットと双眼鏡を付けたまま、シオンのいる部屋を凝視していた。顔はほとんど無表情だが、目つきだけが明らかに普通ではなく、人を殺す時のそれであった。
ユリウスが煙草に火を点けながら呆れの吐息を漏らす。
「嫉妬してんだろ。ゴリラが来るかと思ったらまさかの美女だったからな」
「嫉妬って……ただ食事するだけですよ?」
「女ってのはな、自分より綺麗な女が気になる男に近づくだけで殺意を抱くもんだ。たとえほんの一瞬でも、男の意識が知らない女に向くだけで妬ましく思うんだよ」
どこか達観したユリウスの見解を聞いて、ステラが眉根を寄せる。自分も女だが、果たしてそこまで嫉妬に心を乱すことなどあるのかと。
「はあ……そんなもんで――」
「静かに」「静かに」
エレオノーラとプリシラが冷たい声でぴしゃりと言って、ステラはびくつきながら口を噤んだ。
それから、ステラとユリウスもヘッドセットと双眼鏡を身に付け、大人しくシオンたちの観察を再開した。
向こうではちょうど食事が運ばれ、シオンとハルフリーダが口にし始めたところである。
『もしかして、お料理がお口にあいませんか?』
ハルフリーダがどこか不安げな声でシオンに訊いた。
二人の前には、何かの肉で作られた、いかにも高級そうなソテーが並べられている。
シオンはそれを黙々と食べていただけだが、彼のいつもの仏頂面が、ハルフリーダの気に止まったらしい。
シオンはナイフとフォークの動きを止めた。
『いえ、そんなことは』
『もし他のお料理をご希望されるのであれば、何なりとお申し付けください。この場はキルヒアイス家がすべてお支払いいたしますので、お好きなものを召し上がってくださいまし』
ハルフリーダからそんな気遣いの言葉が発せられた直後、プリシラの口からみしぃ、という重い歯軋りの音が鳴った。
「シオン様の好物はドライフルーツだ、馬鹿女が。事前に調べて用意しておけ、破廉恥ビッチが」
「もともとシオンのために用意された食事じゃねえだろ……」
そうやってユリウスが冷静な突っ込みをした間にも、シオンたちの会話はさらに進む。
『普段、あまりこういった物は食べないので。少し恐縮しているだけです、お気遣いなく』
『そうでしたの。では、普段はどういうお食事を召し上がっているのですか?』
聞き返され、シオンは暫く固まる。
それから五秒ほどの間を置いて、
『……肉とか、魚とか?』
自分のことを疑問形で答えた。
「シオンさん、急に会話の返しがポンコツになりましたね。今食べてるあれも肉ですよ」
「あいつ、ああいう社交場で自己紹介とかするの苦手だからな。騎士だった時も食事会とかよくドタキャンしていた」
「真面目そうに見えて、結構だらしないんですね……何となくわかる気がしますけど」
ユリウスとステラのそんな会話を余所に、ヘッドセットからはハルフリーダの控えめな笑い声が聞こえた。
『ふふ、今召し上がっているお料理もお肉ですわよ。見た目の雰囲気からお堅い方と思っていましたが、そんなご冗談も仰いますのね』
思いがけず、場の緊張が和らいだらしい。ハルフリーダの声色が、少しだけ打ち解けたものになっていた。
「何か、図らずとも好感度が上がったみたいですね」
「顔がいいと、ちょっと抜けたことするだけでギャップが刺さったりするからな。あいつ、一見すると何でもできる兄貴分に見えるが、どちらかといえば所々間の抜けた世話を焼かれるタイプなんだよ。所謂、末っ子気質ってやつだ」
「あー、それ、何かわかります」
ユリウスの説明にステラが納得した一方で、ヘッドセットの先ではさらに話が進められる。
『もしよろしければ、カール様の好物をお伺いしてもよろしいですか? どんなお料理がお好きなのか、是非お聞かせください』
『……干したリンゴ、とか』
シオンは少し考えたような間を置いてから静かに答えた。
ステラが苦笑気味にハハッと笑う。
「プリシラさんの言った通り、シオンさん、ドライフルーツが好きなんですね。初めて知りました。それにしても、干したリンゴって……」
「……“リディア”先生がガキだった頃のあいつによく食わせていた。多分、それがあって今でも好きなんだろ」
ユリウスの言葉を聞いて、ステラは蚊の鳴くような声量で、あっ、と声を上げた。思いがけないところでシオンの郷愁を感じ取り、少しだけ胸が締め付けられるような感覚に陥ったのだ。“育ての親であり、恋人でもあったハーフエルフの女性”――その存在がシオンにとってどれだけ大きなものであるか――今の短いやり取りから、その片鱗が垣間見えた気がした。
『まあ、ドライフルーツがお好きなんですね。キルヒアイス家もドライフルーツを取り扱っているお店を経営しておりますの。大陸各地から取り寄せた最高級の果物でとても美味しいドライフルーツを作っておりますのよ。今度、お送りいたしますわね。きっとお気に召されると思いますわ』
しかし、ヘッドセットの向こう側ではそんな感傷に浸る間も与えられず、ハルフリーダが怒涛の勢いで会話を進めていた。
それから小一時間ほど、カールに扮したシオンとハルフリーダのお見合いは続いた。
といっても、内容としてはハルフリーダが一方的に質問をするか身の上話をするだけで、シオンは返事以外の言葉をほとんど発しなかった。
次第に、ステラとユリウスにも飽きが見え始める。
「それにしてもあのお嬢様、よくシオン相手にあそこまでどうでもいい話をだらだら喋り続けていられるな。銅像相手でも延々と話してそうだな」
「まあ、女のヒトってお喋り好きですしね。シオンさん、特に面倒くさいことも言ってこないし、むしろ聞き上手だと思われているかもしれないです」
ユリウスがこのバーに来て十本目の煙草に火を点ける。その後で、ちらりと視線をステラの向こう側にやった。
「そして、そこの女二人はさっきから微動だにしねえな。目も血走ってやがる」
「暫く無言なの、滅茶苦茶怖いんですが……」
そこにいるのは、ヘッドセットと双眼鏡を身に付けたまま一切動かないエレオノーラとプリシラだ。二人はまるで置物のようにしてシオンたちを観察しているが、そのただならぬ雰囲気にステラたちはおろか、周りの客や店員も彼女たちの近くを避けて歩く有様である。
そんな時だった。シオンたちに、動きが見られた。
『きゃっ』
ハルフリーダの短い悲鳴に混ざって、液体が零れる音が鳴る。双眼鏡越しに見ると、ハルフリーダが飲み水を零したようだった。口に運ぶ時に零したのか、胸元から下腹部まで、身体の前面が大きく濡れてしまっている。白いドレスが微かに透け、下着のラインがはっきりと映り込んでいた。
『わたくしったら、何て粗相を』
ハルフリーダが慌ててナプキンを手に取る。水滴が、大きく開いた胸元の谷間にみるみるうちに吸い込まれ、ハルフリーダはそれを恥ずかしそうに拭いていた。時折、何故か無駄に前屈みになっているのは、谷間を強調させ、シオンに自身の性的な魅力をアピールしているからだろうか。
『お見苦しいものをお見せしてしまいましたわ』
ハルフリーダは頬を赤らめながら、ちらりとシオンを見遣った。シオンは特に気にした様子もなく、終始いつもの無表情だ。
対して、エレオノーラとプリシラの方から、バキンッ、という小さな破裂音が鳴った。見ると、彼女たちの持つ双眼鏡にヒビが入っていた。
「ぴぃ!?」
ステラが思わずびびり散らかし、二人から距離を取る。
「あれはわざとだね」
「わざとだな」
普段仲の悪い二人の美女が、ここぞとばかりに同調する。
さらに、
『あ、あのぅ、もしよろしければ、背中の紐を緩めていただけませんか? はしたなくて申し訳ありませんが、少しお腹がきつくなってしまって……』
ハルフリーダがシオンに向かってそんな申し出をしてきた。
エレオノーラとプリシラの双眼鏡が、派手に壊れた。
「ほわっ!?」
慄くステラを余所に、エレオノーラとプリシラは無言で立ち上がる。どうやら二人とも、バーから出るつもりのようだ。
慌ててユリウスも立ち上がった。
「おい、おい! どこ行くんだてめえら! まさかシオンのところに行こうってんじゃないだろうな!? あいつがカールじゃないってバレたら結構やべえんだぞ! おい、聞いてんのか!?」
しかし、エレオノーラとプリシラの耳にはまったく届いておらず、両者とも無言のまま出入り口に向かって歩き出していた。
「おい、ちょっと待てって――」
ユリウスが二人の肩に手を置いて制止しようとした瞬間、彼の身体が窓際席のカウンターテーブルに勢いよく叩きつけられた。エレオノーラとプリシラが、まるで長年の息の合ったコンビのようにしてやったのだ。ユリウスはカウンターテーブルに頭から突っ込み、そのまま動かなかった。
「ユリウスさん!?」
現代アートのようになってしまったユリウスに、ステラが焦りながら駆け寄る。
「ちょ、ユリウスさん! しっかりしてください! あの二人、もう行っちゃいましたよ! ユリウスさん!」
『あぁん』
慌てふためくステラを嘲笑うかの如く、ヘッドセットからハルフリーダの艶っぽい声が零れた。
ステラはいったんユリウスを放っておき、恐る恐るヘッドセットと双眼鏡を身に付けてシオンたちの方を確認する。
『ごめんなさい。わたくし、少し酔っぱらっちゃったみたいで……』
見ると、ハルフリーダがシオンに体重を預けるように寄りかかっていた。
そしてそのタイミングで、エレオノーラとプリシラが、早くもシオンたちのいる部屋に入ってきてしまった。
「これは、まずい……!」
突然の修羅場に、ステラは顔面を蒼白にして唇を震わせた。
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