第172話
「……本当にやるのか?」
自分でも今までに聞いたことのない沈んだ声でシオンが言った。その身なりは黒のスーツで小奇麗にまとまっており、長髪も丁寧に梳かされた上で襟足から三つ編みに縛られている。
エーベルトから書状を受け取って二日が経った今――シオンたちは未だにリーデンフェルトにいた。時刻はあと三十分とせずに十八時になる頃で、彼らのいる高級ホテルの一階ラウンジは宿泊客の喧騒で満たされていた。
そんな賑やかな空間の一角――三人掛けのソファを対面に挟んだローテーブルの席に、シオン一行と、カール・エーベルトは座っている。ソファにはそれぞれ男女で別れて座っており、男側のソファはシオンを間にユリウスとカールが左右にいた。
「ここまで来て何ひよってんだよ。あと一時間もしねえで相手が来るぞ」
「頼むよ、黒騎士さん。これもガリア公国を弱体化させるための活動だと思ってさ。お見合いなんて言ったところで、ただちょっと楽しく食事をするだけさ」
無表情ながらも暗い影を落とすシオンを見て、ユリウスとカールがそれぞれ声をかけた。
この写真――髪型変えたら、シオンさんに似てません?
シオンの悲劇は、ステラの何気ないこの一言から始まった。
カールの話を聞いたあと、どういうわけか彼の代わりにシオンがお見合いに出席することになってしまったのだ。とりあえずお見合いには一度出席し、そこから破談になってそれきりの関係になれば、すべては万事解決するだろうという思惑である。お見合いに現れた人物が写真の通りであれば、キルヒアイス家の御令嬢の機嫌を損ねることもないだろうとの判断である。それさえ乗り切ってしまえば、後はお互いに縁がなかったとして、適当なところで切り上げてしまえばいいという段取りだ。
相手方からの信用を保ちつつ、事を無難に収めるには、シオンが代わりに出ればいいと――なぜかステラたちも含め満場一致だった。
男三人がそんなやり取りをする対面のソファ――女性陣が腰をかけるなかで、プリシラが嘆息する。
「貴様が言えた口か。まったく、シオン様になんて事を……」
続けてステラが、
「すみません、私が余計なこと言ってしまったせいで」
そう言った。
しかし、二人ともどこか顔がニヤついていた。ここまでテンションの下がったシオンを見るのが楽しくてしょうがないといった雰囲気だ。
「……その割にはあまり申し訳なさそうな顔しているようには見えないが?」
「いえ、そんなことないですよ。ほんと、シオンさんにはなんてお詫びをすればいいか」
ステラは即座にシオンの問いを否定したものの、やはりどこか他人事というか、悪戯っぽさがその口調から垣間見える。
エレオノーラが肩を竦めた。
「まあお見合いって言ったって、ただ食事して話すだけでしょ? 今回はただの顔合わせって話だし、こっちが脈なしだってわかったら相手もだらだらお見合いを続けるようなことはしないって」
うんうん、とシオン以外の全員が頷く。
「ちょっとゴリラの前でウホウホ言いながら飯食うだけだ。簡単だろ」
ユリウスが殊更に嗤笑を顔に見せ、シオンは眉間に深い皺を寄せる。
ちなみにユリウスが言ったゴリラとは、無論、お見合い相手であるキルヒアイス家の御令嬢のことである。恐らく、ユリウスたちがさっきから笑いをこらえているような顔をしているのは、シオンがゴリラの前で淡々と食事をしている絵面を想像しているからに違いない。
「……お前たち、楽しんでるだろ」
「いや、まさか」「いや、まさか」「いや、まさか」「いや、まさか」
ステラ、エレオノーラ、ユリウス、プリシラから同じ否定の言葉が発せられ、シオンは悲嘆に屈したかの如く、手で顔を覆いながら俯いた。
そんな時、ふとあることに気付き、唐突にカールを見遣った。
「ところで、参事官はどうするんだ? これがただの若者同士のお見合いじゃなく、政治的な目論みあってのことなら参事官も当然同席するんだろ? 替え玉なんてしたらすぐにばれるんじゃないのか?」
カールは、ああ、と微笑した。
「そこは大丈夫だよ。最近、隣国のノリーム王国がガリアに軍事的な侵略を受けたらしくてね。そのせいで最近は周辺の友好国と一緒になってバタバタしてるんだ。今日も緊急の会合があるとかで、パパは不在だ。運がよかったよ」
ノリーム王国の一件が、まさかこんなところにまで波及しているとは――ただでさえ凄惨な出来事であったがために耳にするだけで腹立たしいが、今はそれとはまた別の不快感がシオンの胸中を苛ませた。
「ま、何はともあれもう後に引くことはできねえんだ。しっかりやってこいや」
「シオンさん、頑張ってください」
ユリウスとステラが言って、シオン以外がソファから立つ。
最後にカールがシオンの肩に手を置いて踵を返した。
「それじゃあ、後は頼んだよ」
「アンタはどこに行くんだ?」
シオンは、てっきりカールはこのお見合いの行く末を見届けるものだと思っていた。いくら人に任せるとはいえ、本来はカールのことである。
しかし、カールはどこ吹く風といったところで、
「ああ、これからちょっとバーに行ってくるよ。いつも遊んでる女の子を待たせてるんだ。ここに僕がいたって何もすることなんかないだろ?」
一切悪びれた様子もなく、堂々と言い切った。
あまりの開き直りっぷりに、シオンは文句の一言も発せずに硬直してしまう。そうしている間に仲間たちもどこかに行ってしまい、シオンはラウンジのソファに一人取り残されてしまった。
「……どうして、こんな」
シオンが珍しく不平不満の独り言をぼやく。ずーん、と重い空気で顔を暗くしていると――不意に、近くで誰かが立ち止まる気配がした。
シオンが気付いて面を上げると――
「おや、シオン?」
シオンの座るソファのすぐ隣を、騎士団副総長にして議席Ⅱ番イグナーツ・フォン・マンシュタインと、その補佐的な立ち位置である議席Ⅲ番リリアン・ウォルコットが、通り過ぎようとしているところだった。
「奇遇ですね。こんなところで何をしているので?」
イグナーツとリリアンが、シオンを見て足を止める。
シオンは驚きで思わず立ち上がり、目を剥いた。
「い、イグナーツ!? それにリリアンも……! なんでここに!?」
「何ですか、貴方らしくない慌てっぷりですね。それに、その恰好は?」
指摘され、シオンが思わずたじろぐ。答えに詰まっていると、
「香水の匂い……宝石メーカー、リビダムの男性用香水ですね。女性からも人気が高く、デートの際によく利用される物と同種の香りがいたします」
リリアンがいつもの人形のような無機質な顔で淡々と言ってきた。それにシオンが何かを弁明する前に、
「ほお。これからデートですか? まあ、息抜きも大切ですしね。ステラ王女のお許しを得ているのなら、私たちから何も言いませんよ」
イグナーツがそう結論付けた。
シオンは、今からではもう何を言っても無駄に体力を使うと、否定も事情の説明もしないことにした。
それよりも気になるのは、何故騎士団の議席持ち――しかも、Ⅱ番とⅢ番という組織の中枢的存在がここにいるのかということである。
シオンは少しだけ表情を真面目なものに改めた。
「……そういうアンタらは何をしにここへ?」
イグナーツは軽く肩を竦める。
「勿論、騎士団の任務ですよ。今は資金確保のために二人で大陸中を巡っているところです」
「資金確保?」
「教皇庁と敵対してしまったがために、教会からお金を止められてしまいましてね。今は騎士団のスポンサーを血眼になって探しているところです。ここに来たのも、とある財閥の当主と――」
「まさか、キルヒアイス家か?」
シオンが言い当てると、イグナーツの双眸が微かに細められた。
「ええ、よくご存じで。どこからか情報が漏れましたかね?」
空気が少しだけ張り詰めた。
その時、
「そういえば――」
次にリリアンが口を開く。
「キルヒアイス家の御令嬢が、この国の外交官のご子息とお見合いをされると伺っております。ご当主であるアルベルト・キルヒアイス様が我々と面会をする裏で、ご息女であるハルフリーダ・キルヒアイス様がお見合いをなされると」
「……ほお」
イグナーツが含みを孕んだ視線で、シオンの恰好を舐めるように見た。
思わずシオンの身体に力が入る。一応は味方であるとはいえ、腹の底は何を考えているのかわからない男だ。そんな男に、すべて見透かされたような、あるいは探りを入れられるような振る舞いをされて、到底気分のいいものではない。
妙な緊張がシオンとイグナーツの間に走るが――
「まあ、私たちには関係ない話ですね。そっちはそっちで好きにやってください、という感じです。貴方もそう思いませんか、シオン?」
敢えて恍けた様子でイグナーツが問いかけてきた。シオンは表情を警戒心で強張らせたまま黙り込む。
そんな彼を見て、イグナーツは愉快そうに小さく鼻を鳴らし、踵を返した。
「――さて、私たちはこれで失礼します。行きましょうか、リリアン卿」
「はい。それでは、失礼いたします」
リリアンが会釈したのを最後に、二人とはそれきり別れた。
シオンは深い息を吐いて体の緊張を解いた。これから嫌なことが控えているというのに、無駄に神経をとがらせてしまったと、余計な心労に一人辟易する。
今更うだうだ言っても仕方がないと、シオンは気持ちを切り替えるようにラウンジを後にした。そしてその足で、お見合い会場であるホテル一階のレストランへと移動した。
レストランの受付にカールの名を伝えると、シオンは奥のVIPルームへと案内された。部屋には、高級そうなクロスを被せられた長いテーブルが一つあり、それの中央部分に二つの椅子が対面で配置されている。南側の壁は一面が大きなガラス窓になっており、そこからレストランの中庭に続いていた。
不意に、シオンはガラス窓から複数の視線を感じる。見ると、ホテルの三階にあるバーの窓際席にステラたちがいた。しかも四人とも、双眼鏡とヘッドフォンを付けていた。
まさかと思いながら、シオンが長テーブルのクロスを捲り上げると、そこにはマイクが一つ仕込まれていた。どうやら、室内の音声はあちら側に筒抜けのようである。
「……あいつら」
シオンが睨むようにステラたちの方を見遣ると、四人が親指を立ててきた。見守ってくれているのかとシオンは一瞬考えたが――そんなわけはないとすぐに自分で否定した。やはり、この状況を楽しんでいるだけなのである。
シオンは大きな溜め息を吐いたあと、窓際とは反対の椅子に腰を掛けた。
と、そんな時だった。
「あ、あの……」
部屋に誰かが入ってきた。どうやら扉が開けっ放しであったため、音もなく入られたようだ。
見ると、そこには一人の女がいた。
「何か?」
聞き返しながら、シオンは少しだけ驚く。
その女が、飛び切り美しい見た目をしていたからだ。歳は二十歳より少し若いくらい。背はやや低めであったが、そのスタイルは胸から腰にかけてのメリハリが大きく、エレオノーラやプリシラをも凌駕していた。しかし、その凶悪な体つきに反して顔はまだ幼さを残しており、愛らしい小動物のような可憐さがある。胸の谷間と太ももを強調するような布面積の少ないドレスを着ており、歩く場所が場所なら瞬く間に暴漢の餌食になることだろう。
女はおどおどした様子で、やや上目遣いにシオンを見る。
「いきなり不躾に訊いてしまうのですが、あ、貴方が、カール・エーベルト様でしょうか?」
「いや、俺は――は、はい。そうですが」
シオンは、咄嗟に自分が今、“カール・エーベルト”であることを思い出し、すぐに言い直した。
シオンがそうやって冷や汗をかいているのを余所に、女は感激したように表情を明るくする。
「やっぱり! お写真と同じお顔ですもの! 勘違いじゃなくてよかったですわ!」
突然嬉しそうに声を上げた女に、シオンは眉を顰めた。
「……貴女は?」
「あ、わたくしったら、なんてはしたない。失礼いたしました」
女は一歩引いて、短いドレスの裾を軽く持ち上げ、カーテシーをして見せる。
「申し遅れました。わたくし、キルヒアイス家当主、アルベルト・キルヒアイスの三女――ハルフリーダ・キルヒアイスと申します。お会いできるのを楽しみにしておりました、カール・エーベルト様」
ハルフリーダ・キルヒアイス――それは確か、写真に写っていたゴリラ、もとい、お見合い相手の名前であったはず――シオンは無言のまま五秒ほど固まった。
そして、
「は!?」
遠目で覗き見しているステラたちと一緒になって、驚愕した。
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