第171話

 高層ビルの二十階に位置する場所に外務省の分室は存在した。一階ロビーにいた受付嬢に話しかけると、すぐに体格のいい黒服の男が数名表れ、シオンたちは案内された。最新式のエレベーターに乗ってすぐに二十階へ到達し、厳かな扉を経て分室へと入る。

 そこからさらに案内された客室には、すでに一人、初老の男がソファに腰かけて待っていた。駅で見かけたローマン・エーベルトである。


 エーベルトはステラの姿を見るなりすぐに立ち上がり、丁寧な物腰で会釈をして見せた。


「お、おお、ようこそいらっしゃいました。遠路はるばるお越しいただき、誠にありがとうございます。私が参事官のローマン・エーベルトです」


 直前まで何か激しい運動でもしていたのか、エーベルトの顔には汗の線が幾つか走っていた。失礼、とハンカチを取り出してそれを拭き取ると、エーベルトは改めてステラたちを見遣る。

 しかしその直後、不意に客室の奥――ステラたちが入ってきた扉とは別の扉が勢いよく開かれた。


「パパぁ! お願いだ! 話を聞いて――」

「うるさい! 今は仕事中だ! おい、カールを外へ締め出せ!」


 カールと呼ばれた青年が酷く情けない顔で何かを訴えかけようとしたが、エーベルトに一喝され、すぐに黒服たちに連れ出されてしまった。

 エーベルトは咳払いをする。


「し、失礼しました。お見苦しいところを見せてしまい……」


 シオンは少し顔を顰めたが、すぐに本題を切り出すことにした。


「円卓の議席ⅩⅠ番ヴィンセント・モリスから話は聞いているな? 首都ゼーレベルグにステラ王女と会いたがっている貴国の要人がいる。その要人へ俺たちが本物のステラ王女一行であることを証明し、取り次いでもらいたい」

「早急に手配を進めます。証明書を同封した紹介状もこちらに」


 エーベルトは懐から封筒を一つ取り出し、シオンに差し出した。封はまだされていない。


「中身を確認しても?」

「勿論」


 開けると、そこには高級感のある羊皮紙が二枚収められていた。一枚は直筆の紹介状、もう一枚は外務省のサインが入った証明書だ。


「確認した。封印してくれ」

「かしこまりました」


 シオンが封筒を返すと、エーベルトが慣れた手つきで封蝋を押した。封筒の口に赤い蝋で、グリンシュタット外務省のマークがしっかりと刻まれている。

 これでもう用はないとシオンは早々に踵を返そうとするが、ふとステラが前に出た。


「あの、訊いてもいいですか?」

「ええ、どうぞ」

「首都で待っている要人って、誰なんですか? 私に会いたがっている理由は何ですか?」


 唐突な質問だったが、エーベルトは特に動じた様子も見せなかった。


「もうすでにお察しいただいていると思いますが、一人はこの国の大統領――マティアス・フォーゲルです」


 グリンシュタットにいる要人に会ってほしい――ヴィンセントを通じて聞かされた時から、その要人が大統領であろうということは、シオンたち全員が何となく察していた。一国の王女を相手にするのだから、実際にそうだと言われて今更驚くこともない。


「大統領……」


 ステラが覚悟を決めるように一人呟いた。

 その隣で、シオンが怪訝に眉を顰める。


「一人、ってことは、まだいるのか? ステラと会いたがっている要人が」


 エーベルトが頷く。


「はい。ですが、それは私の口から言えません」

「何故?」

「今ここでその要人の正体を知ってしまえば、最悪あなた方は首都へ行くのをやめてしまうかもしれません」


 妙にすっきりしない回答に、今度はユリウスが顔を顰めた。


「んな馬鹿な話あるかよ。いいからさっさと言えや」

「申し訳ありませんが、大統領からも首都に着くまでは絶対に明かすなと言われており……」


 大統領直々に言われているのであれば仕方ないと、シオンが肩を竦める。


「誰であろうがどのみちその要人たちに会うしか俺たちに当面の選択肢はないんだ。ヴィンセントにも色々手を回してもらった手前、今更中止することもできない。言えないというのならそれまでだ。追及するだけ時間の無駄だ」

「ご理解いただけて助かります。大統領たちの予定はちょうど二週間後の正午を空けておくよう調整させていただきます。その日までに、大統領府へお越しいただくようお願いいたします」


 意外に時間を取らせるなと、シオンたちが少しだけ面食らった顔になる。エレオノーラが呆れた顔で嘆息した。


「そっちが呼びつけたくせに、随分長い事待たせんのね」

「相手は一国のトップだ。俺たちもいつ相手に会えるかわからない状況だったんだ。急に予定を変えさせることもできないんだろ」


 シオンのフォローに、エーベルトが頷く。


「恐れ入ります。そのお詫びというわけではありませんが、この国に滞在する間の旅費はすべてグリンシュタット政府が負担いたしましょう。小切手をいくつか用意してありますので、必要に応じて利用してください」


 続けて、五枚の小切手を手渡してきた。そこに書かれている額面を見て、ステラが目を丸くさせる。


「こ、こんなに……!」

「本日は長旅でお疲れでしょう。もしよろしければこちらでホテルを手配させていただきますが、いかがでしょうか?」


 驚くステラを余所に、そんな提案がエーベルトからされた。

 シオンは軽くエレオノーラたちの方を見て全員の意思を確認すると、すぐに頷いた。


「折角だ、頼んでおく」

「承知いたしました。どうか存分に英気を養ってくださいませ」







「不気味なくらい順調に済んだな」


 分室のある高層ビルを出て、ユリウスが開口一番に言った。手早く煙草に火を点け、白い息と共に紫煙を勢いよく吐き出す。


「ああ。このまま何も起きないことを祈るばかりだ」


 ともあれ、この街の目的は早々に果たすことができた。シオンはホッと胸を撫でおろし、受け取った封筒を懐に大事にしまう。

 その隣では、プリシラが小切手を手に難しい表情をしていた。



「それにしてもこの小切手の金額、到底旅費として使い切れませんね」

「その時は王都奪還のための費用に当てればいい。貰った以上、使い道をこちらで決めたところで文句は言わないだろ」


 ステラが小さく笑った。


「あとは折角だから、ちょっとだけ贅沢したいですね。いつもよりいい物食べるとか」

「普段からそれなりにいい物食ってんだろ、主に俺とプリシラの金で」


 チクりとユリウスが言って、ステラがウっと唸った。この旅のステラにかかる費用は主にユリウスとプリシラのポケットマネーから出されている。仮にも王族であるステラにはできるだけひもじい思いをさせまいと、二人は普段から彼女の食事には気を遣っていた。にもかかわらず贅沢をしたいと言われたことに、ユリウスなりに不満があったのだろう。ステラもそれを察したようで、すぐに頭を下げた。


「そ、そうですね、すみません。さっきの台詞は、決して普段食べている物が悪いとか――」

「それ以上贅沢なもん食ったら豚になるぞ」

「んな!?」


 そんな他愛のないやり取りをしつつ、一行はエーベルトが手配したホテルへと足を向けた。


 高層ビルの一階出入り口から慌ただしく何者かが飛び出してきたのは、その時だった。


「嫌だぁ! け、結婚は勘弁してくれぇ!」

「お待ちください、カール様!」


 この世の終わりに直面したかのような声を上げたのは、エーベルトの息子と思しきカールという青年だった。

 カールは黒服の男数人に追われながら、決死の形相でシオンたちの方向に向かって走っていた。


 エレオノーラが呆れた顔で肩を竦める。


「まだやってる」


 と、その時――カールの視線がエレオノーラに留まった。次いで、カールが黒服の男たちを振り切りながらエレオノーラへと迫っていく。


「き、きみぃ! そこのピンク色の髪をしたきみぃ!」


 声をかけられ、エレオノーラがびくりと体を震わせる。


「え、な、なに!?」


 カールはエレオノーラの目の前に立つなり、彼女の両手を勢いよく取った。


「僕と結婚してくれ!」


 突然の求婚――数秒、時を止められたような沈黙が訪れるが、それは間もなくエレオノーラの甲高い悲鳴で破られた。


「な、なにこいつ! きっしょ!」


 エレオノーラが青ざめた顔でカールの手を払う。

 しかし、カールは引き下がらなかった。


「頼む、一生のお願いだ! じゃないと僕は――」


 再度エレオノーラに触れようと彼女に向かって手を伸ばすカール。だが、咄嗟に間に入ったシオンが、カールの手を掴み上げた。


「何のつもりかは知らないが、いきなり求婚されて頷く奴なんていないだろ」


 シオンが真っ当なことを言うが、カールはそんなことなどお構いなしだった。取り乱したように、今度はプリシラの方を見遣る。


「じゃ、じゃあ、そこの銀髪おかっぱの娘でもいい! 僕と結婚してくれ!」

「シオン様、こいつ殺していいですか?」


 プリシラが苛立ちを抑えた声で縦長のスーツケースから自身の長槍を取り出す。

 ユリウスがそれをやんわりと止めた。


「やめとけよ。こいつ、エーベルトの息子だろ? 今ここで下手に手を出したら面倒なことになりそうだ」

「今でももう充分面倒な感じだと思うんですが……」


 そうやってステラがげんなりして言っている間もなお、カールは喚き続けていた。


「お願いだぁ! 結婚したくない! 誰か僕と結婚してくれぇ!」

「言っていることが支離滅裂なんだけど、何なのこいつ!?」


 エレオノーラが、カールに握られた両手をハンカチで入念に拭きながら、シオンの背中に隠れる。得体のしれない恐怖心に顔を歪め、微かに怯えていた。


 奇怪に騒然としたこの場だったが、振り切られた黒服の男たちがようやくやってきて、喚き散らかすカールをすぐさま羽交い絞めにした。


「カール様! いい加減にしてください! いくら参事官のご子息と言えども、これ以上の我儘は許されないですよ!」

「嫌なものは嫌だ!」

「いいではありませんか! 相手はあの“キルヒアイス家”の御令嬢ですよ! 無事結婚できれば、逆玉の輿ですよ!」


 “キルヒアイス家”――この言葉に、シオン、ユリウス、プリシラの目つきが変わった。


「知るもんか! とにかく、パパがこの縁談を破棄してくれるまで僕は――」


 カールが何かを言いかけていた時、突然、黒服の男たちが意識を失ってその場に倒れる。シオンとユリウスの仕業だ。

 何が起きたのか理解できずに呆然とするカールの前に、シオンが立つ。


「少し話を聞かせてもらっていいか? アンタ、参事官の息子だな?」

「あ、ああ。そうだけど……」


 シオンたちの急変に、ステラも思わずといった様子でたじろぐ。


「シオンさん、どうしたんですか? 急に眼の色変えちゃって。それにキルヒアイス家って……」

「キルヒアイス家はこの大陸でもっとも多くの資産を有する大財閥です。もとは中世期頃にこのグリンシュタット共和国で小さな銀行業を始めた一族でしたが、次第にその資金を活用して多種多様な商売に手を出し、今では幾つもの大企業を有するまでになっています。その経済的な影響力は大陸四大国も無視できないほどで、総資産は小国の国家予算を遥かに上回るほどです」


 プリシラの説明に、ステラが感嘆の声を漏らす。


「す、すごいですね。国に影響を与えるほどの財力なんて……」

「やばいのはそれだけじゃねえ。キルヒアイス家はガリア公国とのつながりが強いことでも有名だ」


 続けてユリウスが説明を始める。


「つながりが強いっていうのは?」

「ガリア公国は今から二百年ほど前に起きた革命で王族が滅ぼされて以来、今日この日まで貴族によって国全体が統治されている。で、その貴族たちのパトロンになっているのがキルヒアイス家だって話だ。革命成功の暁に、ガリア国内での商売を優遇させることを条件に付き合いが始まったらしい。革命が終わったあとも、ガリアの貴族とキルヒアイス家は互いに子供を何人か政略結婚させ、国内の経済社会を盤石なものにしていった。ガリアが大国化できたのも、キルヒアイス家あってのことだ」


 今度はエレオノーラが首を傾げた。


「それが今この状況とどう関わってくんの? アタシらに何か不都合なことでもあるの?」

「今でこそキルヒアイス家はガリア公国と強いつながりを持っているが、もとの出自はこのグリンシュタット共和国だ。それゆえにグリンシュタットは長年キルヒアイス家を裏切りの一族として酷く忌み嫌っていたはずだが、それがどうして政府関係者の息子と縁談を持つことになったのか」


 シオンの見解にプリシラが頷いた。


「ことと場合によっては、キルヒアイス家を介して、ガリアとグリンシュタットが秘密裏に接近している可能性もありますね。ガリアがトリガーになっているのか、それともグリンシュタット側が切り出したのかはわかりませんが」


 ユリウスが長い紫煙を吐いたあと、煙草の火を靴の裏で消す。


「そうなると、今俺らがやろうとしていることが途端に胡散臭くなってくるな。もしグリンシュタットがガリアと仲良くしようとしてるってんなら、王女を呼びつけたのが罠って可能性もある。タイミングがタイミングなだけに、はっきりさせておきてえ」


 シオンが改めてカールを見た。


「というわけだ。話を聞かせてもらうぞ」

「は、はい……」


 喚き疲れたのか、それともシオンの迫力に気圧されたのか――カールは急に大人しくなって身を縮こまらせていた。







 シオンたち一行はカールを連れ、エーベルトが手配したホテルへと移動した。この街、リーデンフェルトの中でも最高級とされるホテルだ。一階レストランにあったパーティルームを半ば無理やり貸し切り、ひとまずそこで話を進めることにした。


 カールはそこで椅子に座らせられ、一人心細く怯えていた。

 そして、目の前に新しい椅子が荒々しく置かれ、ユリウスがそこにドカッと腰を下ろす。


「で、何でてめえはキルヒアイス家の御令嬢と見合いなんてさせられそうになってんだ?」


 ユリウスがガラ悪く煙草に火を点け、紫煙をカールに吹きかける。まるで尋問のような有様だった。


「く、詳しいことは僕も知らないが、パパが言うには、キルヒアイス家から打診があったらしい。あちらの言い分としては、そろそろグリンシュタットとの関係を修復したいとか何とか……」


 自身がなさそうにカールが尻すぼみに声を小さくした。


「シオン様、これと関係しているのではありませんか?」


 不意にプリシラがシオンに新聞を差し出した。今回の件について何か情報を得ようと、ホテルからいくつか新聞を譲ってもらっていたのだ。それを調べていたプリシラが、どうやら関係ありそうな記事を見つけたらしい。

 シオンが新聞を受け取って目を通す。するとそこには、ガリア公国を拠点に展開するキルヒアイス家の企業が軒並み業績不振になり、ここ数年の間で純利益、株価共に下降傾向にあることが記されていた。その原因が、昨今のガリア公国が中心になって起きている紛争だとも書かれていた。


「ガリアが立て続けに大陸の治安を脅かしたせいで、その煽りをキルヒアイス家が食らっているのは納得だ。それで商売の拠点をグリンシュタットに変えようって腹積りか。あり得るな」


 シオンとプリシラが話す傍ら、ステラが小首を傾げた。


「でも、どうしてわざわざ嫌われているグリンシュタットに歩み寄ってきたんでしょうか?」

「拠点にするからには大陸四大国であることは外せなかったんだろう。だが、ログレスは実質ガリアに支配されている状態でまともに事業を進められない、だからといってアウソニア連邦は教会の総本山があるせいで商売をやるには監視の目が厳しい。となれば、消去法でグリンシュタットが選ばれたと考えられる」

「なるほど」


 エレオノーラも両腕を組みながら納得した。


「キルヒアイス家が自分たちの企業の力を回復するためにグリンシュタットと寄りを戻そうとしているってことか」

「とりあえずは、ガリアとグリンシュタットの癒着の線はないと見ていいか」


 一番懸念していたことがなさそうだと、ひとまずシオンは安堵した。

 その一方で、


「背景はそうだとして、何でてめえはお見合いを嫌がってんだよ。しかも手当たり次第に求婚なんてまでして」


 ユリウスは引き続きカールから情報を聞き出そうとしていた。

 カールはユリウスに気圧されながら、震える唇を徐に動かす。


「ほ、他の誰かと結婚すれば、お見合いそのものをしなくて済むだろう? それに、そこの二人なら美人だしまあ結婚してもいいかなって」


 途端、エレオノーラとプリシラのこめかみに青筋が入った。


「何こいつ、すげえ失礼なこと言ってきたんだけど。ぶん殴りたいくらいには腹立った」

「珍しく意見があったな。やるなら手を貸すぞ」


 そうやってポキポキと指を鳴らす美女二人を、ステラが慌てて宥める。

 それを余所に、カールとの話は続いた。


「だがよ、相手はあのキルヒアイス家だぜ? 結婚したら逆玉確定だろ? 何が原因でそこまでしてお見合いを避けようとしてんだ?」

「そんなの、この写真を見ればすぐにわかる!」


 ユリウスの質問が愚問だとばかりに、カールがテーブルの上に何かを叩きつけた。カールの手が離されると、そこに残ったのは一枚の写真だった。

 そしてその写真に写っているのは――


「何だ、このゴリラ? どっかの動物園で撮ったのか?」

「これがお見合い相手の御令嬢、ハルフリーダ・キルヒアイスだ」


 ゴリラ――もとい、カールのお見合い相手となるキルヒアイス家の御令嬢であった。


 シオンたち全員が写真を見て無言かつ真顔で固まる。

 ユリウスが言ったゴリラという表現、それは比喩でも何でもなく、写真に写るそれはその通りでしかなかった。黒く毛深い体毛に身を包み、片手のバナナを貪り食っている、まごうことなきゴリラだった。普通のゴリラと違うのは、申し訳程度の服を着ていることである。もしかすると写真写りの悪いライカンスロープではないかとも考えられたが、キルヒアイス家は人間で構成される。たとえそうだったとして、人間相手にお見合いの話を出すことはないと、すぐにその線は消えた。


「……まあ、愛嬌があっていいんじゃねえか?」

「貴様にはお似合いだ。結婚した暁には盛大に式を挙げるといい」

「ウェディングケーキにはバナナケーキとか喜びそうだね」


 ユリウス、プリシラ、エレオノーラが突き放すように言った。

 カールが涙目になる。


「君たち、他人事だからって適当なこと言っているだろ! ついさっきゴリラって言っていたじゃないか! 見ての通り、これじゃあまともに意思疎通ができるかどうかも怪しいよ!」


 ユリウスが煙草に火を点けて顔を顰めた。


「うるせえな。嫌なら嫌でさっさと断ればいいだろが」

「それができたらとっくにしている。パパはこれを千載一遇のチャンスだと言っているんだ。もしこれを機にキルヒアイス家とグリンシュタットの間に繋がりができれば、グリンシュタットはキルヒアイス家の財力に肖れるし、間接的にガリアの国力を落とすことができるかもしれない。結婚までいかないにしても、せめてお見合いだけでもやれと言われているんだ」

「ならお見合いだけ大人しく受けて、破談になるよう振舞えばいい。嫌な男を演じれば、破談なんて簡単にできるだろ」

「……問題は他にもある」


 急に声のトーンを落としたカールに、一同が揃って怪訝になる。


「何だ、問題って?」


 するとカールは、さらにもう一枚写真を取り出し、テーブルに乗せた。

 そこに写っていたのは、まさしく絵に描いたような美男子だった。凛とした佇まいの中にある整った顔立ちは一見すると美女にも見えるが、男らしい精悍さが表情に現れており、美しさと逞しさを見事に両立させていた。


「誰だ、これ?」

「僕だよ」


 シオン以外の全員が吹き出した。

 カールと同一人物というには、月とすっぽん以上の開きがあると言ってもいい。

 写真をよく見ると、元の紙からさらにインクで何重にも書き足され、妙な厚みが出来上がっていた。


「いくらお見合い写真だからって、加工しすぎでしょ。インク乗せすぎてもはや絵じゃん」

「別人にしか見えねえ」

「よくこれを写真と言い切れたな」


 エレオノーラ、ユリウス、プリシラが次々と呆れの感想を残した。

 カールはバツが悪そうに頭の後ろを掻く。


「僕も最初はキルヒアイス家と聞いてやる気満々だったんだ。だからその、写真屋にお願いしてもりもりに盛ってもらったんだ。そしてその結果、相手方がこの写真をとても気に入ってしまったようで、引くに引けなくなり……」


 ユリウスとプリシラが、納得したように肩を竦めた。


「そこまで期待値上げて、いざ本番になって顔合わせたら情けないツラした男だった――結婚は回避できるかもしれねえが、心証は悪いだろうな。これは詐欺のレベルだ」

「最悪、誠実さの欠片もない悪質ないたずらと捉えられ、キルヒアイス家を怒らせるなんてことにもなるかもしれない。そうなると、グリンシュタット国内の経済にもそれなりのダメージが出る可能性もあるな」


 カールがいよいよ肩を落とす。


「しかも写真はパパにも内緒で盛ってしまったんだ。もしそんなことになれば……」


 話を一通り聞いたとして、シオンたちは踵を返した。

 最後にユリウスがカールの肩に手を置いて、軽く同情する。


「なるほど。大体の事情はわかった。そりゃあ、いっそお見合いそのものを回避したくなるわな。じゃ、頑張れよ」

「え、ちょ、話を聞くだけ聞いて終わりかい!?」


 プリシラが手を軽く振る。


「私たちが懸念していたこととは違っているようだからな。あとはよろしくやってほしい」

「そんな!」


 見捨てられ、絶望の表情で立ち尽くすカールだった。


 そんな時、ふとステラがまだテーブルの写真を見つめていることにシオンが気付く。


「ステラ、何をしている? さっさと行くぞ」


 声をかけると、ステラがカールの写真を手にシオンの方へ振り返った。

 そして、写真とシオンを見比べながら、


「……この写真――髪型変えたら、シオンさんに似てません?」


 そんなことを言ってしまった。

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