第170話

 太陽が朱色に染まりつつある時間帯にも関わらず、リーデンフェルトの駅は多くの人で賑わっていた。人間のみならず、ライカンスロープや、僅かながらエルフやドワーフの姿も見かけた。

 シオンたちはその人混みをすり抜けて駅の正面出入口へと向かった。広い下り階段の先に広がるのは高層ビルが建ち並ぶ街の風景であり、そこもまた大勢のヒトで満たされていた。


「凄い人の数ですねー! これぞ都会って感じです!」


 階段を下りる手前で、ステラが目を輝かせながら言った。

 その隣で、エレオノーラが腰を反って大きく伸びをする。


「で、そのエーベルトって外交官はどこにいるの?」


 エレオノーラに訊かれて、シオンが南の方を指差した。


「ここから少し南に歩いたところに外務省の分室がある。そこで会う予定だ」

「ふーん。もしかしてあのデカい建物かな?」


 シオンが指し示した方角に、ひと際大きな建築物があった。周りの高層ビルの例に漏れず五十メートル以上の高さがあったが、建築様式がやけに古めかしく、どこか厳かだ。エレオノーラは、そのお堅い雰囲気からあれが政府の施設だと察したのだろう。

 シオンは頷いた。


「ああ。あの建物の中に外務省の分室があるはずだ。騎士だった時、一度だけ入ったことがある」

「んじゃ迷うこともなさそうだね。さっさと用事済ませてホテルで休もうよ。なんか今日はもう何もやる気起きないわ」


 しかし、シオンはすぐに歩みを進めなかった。周囲の様子を確認し、自分たちに敵意を持った輩がいないかを軽く見定める。

 プリシラとユリウスも同様に辺りを警戒していた。警戒自体はいつもしていることだが、あまりの人口密度に自ずと三人の顔が顰められる。

 不意にプリシラがシオンの隣に立った。


「こうヒトの数が多いと、周囲を警戒するのにもいつも以上に気を張り詰めてしまいますね」

「確かに、ここまでヒトが密集していると警戒するだけでもそれなりに疲れるな」


 シオンが辟易すると、ユリウスが煙草を吹かしながら鼻を鳴らした。


「だが、さすがにここにガリアどもはいねえだろ。アルバートたちにしても、こんなところでいきなりドンパチ吹っ掛けるなんてこともねえはずだ。もうちょい気楽にいこうぜ」


 確かに、グリンシュタット国内にガリア兵が堂々といることは考えづらいうえ、仮にアルバートたちがこの街にいたところで奇襲をかけてくるとも思えない。

 ユリウスの言い分はもっともだったが、プリシラは不快に表情を険しくした。


「油断大敵だ。私たちだけの身の安全を守ればいいという話ではないのだぞ。今回はステラ様がいる。周囲の警戒はやり過ぎるくらいがちょうどいい」


 プリシラの忠告にユリウスが肩を竦める。


「へいへい。ま、てめぇの言う通り、こういう時に限ってテロが起こったり――」


 ユリウスの台詞は、突如として起こった轟音に阻まれた。駅の階段を下りた歩道部分――そこの電柱に、一台の車が衝突していた。ボンネットからは白煙と、シューという異音を出している。悲鳴こそなかったものの、駅前は騒然となった。


「ユリウス……また貴様か……」

「だから俺がやったわけじゃねえだろ!」

「お前の冗談は大体悪い方に転ぶ。そのヤニくさい口を二度と開くな」


 プリシラとユリウスがそんなやり取りをしている時、不意に、大破した車の運転席から若い男が飛び出してきた。歳は二十歳前後で、小奇麗なスーツを着ている。整髪料で綺麗にまとめられた髪が走る勢いに合わせて徐々に崩れるが、そんなことなどお構いなしに駅へ向かって入っていく。


 いったい何事かと、その場にいた誰もが同じことを思ったが、


「だ、誰か! そいつを捕まえてくれ!」


 その疑問が解決する間もなく、続けてそんな怒号が響き渡る。

 見ると、事故を起こした車のすぐ近くに、また新しい車が一台停まった。それは黒塗りの高級車で、そこから三人の男が飛び出した。一人は白髪混じりの頭をした初老の男で、これまた小奇麗なスーツ姿をしている。他の二人はその男のボディーガードのようで、体格の良さがスーツ越しにでもわかった。


 最初に走り出した若い男がそれを見て、ぎょっと顔を青くする。情けない声を上げながら、ヒトを押し倒して駅へと走っていった。このままいけば、ちょうどシオンたちの横を通り過ぎる。


「シオンさん!」


 ステラがシオンへ呼びかける。この騒動を傍から見た限り、追いかけられている若い男が何かしらの悪事を働いたのだろうと、ステラは思ったのだろう。

 シオンは短い溜め息を吐いたあと、ユリウスを見遣った。


「ユリウス」


 ユリウスは始めからこうなることがわかっていたかのように、呼ばれてからの行動が早かった。彼が腕を軽く振ると、鋼糸が若い男の足元へ延びた。次の瞬間、若い男の足が鋼糸に引っ掛かり、派手に転倒する。


 何が起きたのか、若い男が痛みに悶えながら混乱していると、


「確保ぉ!」


 後を追いかけていた三人の男が、若い男を羽交い絞めにした。

 屈強な男二人が、若い男の両脇を抱える。


「た、頼む! 見逃してくれ!」

「まだ言うか! いい加減にしろ!」


 若い男は涙と鼻水を飛ばしながら酷く情けない声を上げる。だが、初老の男はそれを一蹴し、怒鳴りつけた。


 とにかくこれで一件落着と、シオンは早々に踵を返して彼らに背を向ける。


「面倒事に巻き込まれる前にさっさとここを離れるぞ」


 そう言ったシオンの後をステラたちが付いていく。

 だが、プリシラだけが立ち止まったままだった。


「シオン様」

「何だ?」

「あの初老の男、我々が会う予定のエーベルト氏ではないでしょうか?」


 プリシラの言葉に、シオンが固まる。それから間もなく振り返り、懐からエーベルトの写真を取り出して目の前にいる初老の男と顔を比較した。


「……本当だ」


 シオンの顔が険しいものになる。


 そんなことなどいざ知らず、エーベルトと思しき人物たちは依然として駅の階段で騒いでいた。


「嫌だぁ! パパ! お願いだから! 僕はお見合いなんてしたくない!」


 若い男はそんなことをひたすらに喚き散らかしていた。どうやらこの若い男は、初老の男の息子のようである。


「この期に及んでまだ言うか! いいからさっさと来なさい!」


 そして、初老の男がそう言って、若い男は黒塗りの高級車へと無理やり連れ込まれていった。高級車は慌ただしく走り出し、シオンたちが向かおうとしている外務省分室のある建物の方へと消えていく。


「何か、早くも厄介事に巻き込まれそうな雰囲気ですね……」


 ステラの呟きに、シオンはげんなりと空を仰いだ。

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