第167話

 要塞基地の上層階――かつてメンゲルの研究施設のあった階層は、騎士たちの戦いの場となったがために、ほぼ全壊の状態となっていた。天井は崩れ落ち、“天使化”状態のシオンが踵落としをしたことで床も丸ごと下層に落ちてしまっている。

 そんな有様だったが、手術台が備えられている小部屋が一つ無事だった。

 ハンスとリカルドは、この基地にイグナーツを招き入れたあと、彼をその小部屋へと案内した。手術台の上には異形の怪物と化したクラウディアの遺体が横たわっており、すぐに検死が始められる状態だった。


 そして、それからおよそ五時間にわたってイグナーツによる検死が行われ――唐突にメスが置かれて終了した。イグナーツがハンスとリカルドに目配せをすると、二人はそれを合図に大きな布を取り出し、検死済みのクラウディアの遺体に被せた。


 イグナーツはマスクと手袋を取り、黒の長髪を結っていた紐を乱暴に解く。その後で、適当なパイプ椅子に腰を掛けた。


「いかがでした?」

「犠牲になった少女には申し訳ない言い方ですが――あんな化け物が世に放たれたらと思うと背筋が凍りますね。ハンス卿、リカルド卿、よく討伐できましたね」


 ハンスに訊かれて、イグナーツが首を左右に倒しながら言った。

 リカルドが肩を竦めて微笑する。


「シオンくんもいたので」

「確かに、シオンがいなければあなた方といえども、危なかったかもしれないですね。“帰天”を使える騎士がいないと、この天使の怪物は倒せないと思われます」


 いつになく神妙な顔のイグナーツを見て、ハンスは眉間に深い皺を残した。


「何かわかったので?」

「姿こそ異形ですが、恐らくは基本的な能力は“天使化”した騎士と同じものを備えているでしょう。生物の域を超えた身体能力、電磁気力を利用した引力と斥力の操作、四肢の欠損すら回復する再生力、それらすべてを持っています。もしこれが十字軍の標準武装に加えられたりでもしたら、騎士団は一巻の終わりかもしれないですね。冗談抜きに」

「シオンの話では、この状態になると知能の低下が起こるとのことでした。実際我々が見た時も、被験者になった少女が変身以前より幼い言動をしていたことを確認しています。兵士として扱うには問題があるかと」


 ハンスの考察を聞き、イグナーツは片眉を上げて渋い顔をした。


「兵士としては使えないかもしれないですが、兵器としては使えるでしょう。爆弾犬と一緒ですよ。むしろ知能が低い方が、飼いならして特攻的な作戦に使いやすい」


 嫌なことを聞いてしまったと、ハンスとリカルドが目を伏せて露骨に顔を顰める。それを尻目に、イグナーツはさらに続けた。


「それに、魂の件についても中々頭を悩まされます」

「副総長はメンゲルの話を信じるので?」

「まあ、ひとつの説として。何もメンゲルが初めて提唱したわけではないですし」


 リカルドが胡乱げに目を細める。


「魂を呼び戻して生き返らせるなんて、本当にできるんですかねえ」

「実際にそれをやってのけた結果がこの少女なのでしょう? ただ話を聞く限り、成功とは言い難いものだったらしいですが」


 そこでハンスが親指ほどの厚みのある冊子をイグナーツに手渡した。その冊子はメンゲルの研究成果が記されたレポートで、彼がここで行った実験の要点が簡単にまとめられている。


「しかし、メンゲルはいずれそれを完璧な魔術に仕上げると豪語していました。あの男の並々ならぬ執着心、本当にやりかねません」

「“騎士の聖痕”を利用して肉体を自在に造りなおし、そこに任意の魂を入れる――神への冒涜もいいところです。ガイウスは神の反逆者にでもなるつもりなのか」


 ぱらぱらと冊子を斜め読みしながらイグナーツがぼやく。

 そこへ、


「それと個人的に気になることがあります」

「何です?」


 ハンスが更にもう一枚の紙をイグナーツへ手渡した。そこには手書きのメモで、クラウディアの蘇生に使われた連結印章についてまとめられている。


「被験者の少女を蘇生させる時に利用していた印章です。副総長が来る前に私も軽く調べてみたのですが、この印章、連結印章にする必要がまったくないことがわかりました」


 ハンスの報告を聞いたイグナーツが訝しげに眉を顰める。


「……何だか気味が悪いですね。連結印章は普通の印章よりも手間がかかるし微調整も面倒です。それを敢えて選ぶ理由があるのか」

「わかりません。基地に残っていた研究資料を漁りましたが、該当しそうなページが丸ごと欠落しており……」

「パーシヴァルの仕業ですかね。抜け目がない」

「ですが逆に、奴らにとって連結印章であることが重要で、我々にも知られたくないこと、ということになります」

「そうですね。この件は、私も調べておきます。まとめてくださってありがとうございます」


 そう言ってイグナーツは椅子から立ち上がり、小部屋の外へ続く扉に向かって踵を返した。


「副総長はこれから本部に?」

「ええ。十字軍のせいで仕事が山積みです。一度本部に戻って、その後はリリアン卿と一緒に各国を回って資産家たちに資金援助の打診に回ります」

「厳しい旅になりそうですねえ。投資とは違ってお金を渡したところで資産家たちの懐が温まることはないですもんね」

「仕方がないですよ。いざとなれば強請ってでもむしり取ります」


 リカルドの皮肉に、イグナーツが過激な発言で応じた。リカルドは苦笑して肩を竦める。


「では、これで検死は終わりで?」

「ええ。犠牲になった少女は丁重に弔ってください。騎士団のお金も自由に使ってもらって結構です」


 イグナーツの言葉を聞いて、リカルドが微かに口元を緩ませた。同様にハンスも先ほどまでの険しさが表情から消え、どこか安堵したものになっている。

 イグナーツが怪訝に小首を傾げた。


「どうしました?」

「いえ。シオンも安心するでしょう」


 ハンスが答えて、イグナーツも小さく笑った。


「そうですか」







「いやはや助かりましたよ、パーシヴァル枢機卿猊下」


 パーシヴァルの手引きによって騎士団の手から逃れたメンゲル――彼は今、大型空中戦艦“スローネ”の船室にいた。簡易ベッドに腰を掛け、自身を救出してくれたパーシヴァルを正面に据えている。

 パーシヴァルは壁に背を預けるように立ちながら眼鏡を拭いていた。


「助けに入るのが間に合ってよかった。早速で悪いけど、君はこれからこの空中戦艦に乗ってまた新しい研究施設に行ってもらう」

「願ったり叶ったりです。今は一刻も早く研究を進めたい。それで、次はどこへ?」


 パーシヴァルが拭き終わった眼鏡をかけた。


「ガリア公国」

「ほお。それはまた」


 かつての古巣であったことに、メンゲルが思わず感嘆の声を漏らす。

 パーシヴァルはそれを満足そうに見て、微笑を浮かべた。


「そこでちょっと試してほしいことがあるんだ」

「何でしょうか?」

「クラウディアとかいう少女に使った蘇生の魔術で、“とある軍人”を蘇らせてほしい。それも、今度はいきなり異形化した“天使化”状態で」

「やったことはないですが、多分できますね。いいですよ、研究施設に着いたら早速取り掛かりましょう」


 メンゲルが快諾すると、パーシヴァルはさらに口の端を愉快そうに上げた。


「助かるよ。現地には強化人間の製造技術者たちもいる。詳しい指示は彼らから聞いてほしい」

「強化人間の……?」


 何故そこで強化人間がと、メンゲルは咄嗟に眉根を寄せる。

 対してパーシヴァルは、不気味な笑顔を見せつけるだけだった。


「きっと君もわくわくする」







「――ノリーム王国とメンゲル回収に関わる報告は以上です。これでガリア大公の機嫌も戻ってくれるといいですね。ちなみにメンゲルは今、僕と一緒にガリアへ向かっている途中なので、着いたらまた改めて連絡いたします」


 教皇庁本部ルーデリア大聖堂の教皇専用執務室にて、パーシヴァルが教皇に向けての報告の終わりにそう付け加えた。

 パーシヴァルと机を挟んで対面に座る教皇は、特に言葉を挟むことも、表情を変えることもなく、淡々と椅子に座って報告内容を聞いていた。


「わかった。下がれ」


 その様子は、内容に満足しているというよりは、最初から何も期待していない、あるいはどうなっても関心がないかのようにも捉えられた。

 一言で表すなら、上の空の状態だ。


 教皇から漂う不可解な雰囲気が気になり、パーシヴァルは下がらずに立ち続けた。


「猊下、別件で少しよろしいですか?」


 教皇が無言でパーシヴァルに視線を送り、許可する。


「グリンシュタットでシオンと会ったのは先の報告の通りです。その時僕は、彼にこんなことを訊いてみたんですよ。“あのガイウス”が、大陸同盟締結なんてものに殊勝に執着すると思うか――って」


 途端、パーシヴァルの背後に強烈な殺気が浴びせられた。そこには教皇の警護を務めているランスロットとトリスタンが立っている。この殺気は、ランスロットから放たれたものだ。


「パーシヴァル! 猊下に対してなんて無礼な!」


 今にもパーシヴァルに斬りかかりそうな形相でランスロットが吠えるが、教皇は片手を挙げて制した。


「それで?」

「その後にこんなことも訊きました。ガイウスと“リディア”の間にどういう関係があったのか、君は知っているか――と」


 教皇は眉一つ動かさずにパーシヴァルを見つめていた。

 質問されている本人よりも、ランスロットの方が遥かに気を荒立てていた。


「パーシヴァル、貴様! ガイウス様に不敬だぞ!」

「シオンはなんて答えた?」


 ランスロットのことは無視して、教皇が続きを促す。

 パーシヴァルは小さなため息を吐いて、おどけるように肩を竦めた。


「知らねえよ、ってぶちギレられて、ボコボコにされました。怖かったです」


 その言葉を聞いた教皇が、微かに鼻を鳴らした。

 そしてそれを、パーシヴァルは見逃さなかった。


「猊下、今少しホッとしました?」


 ほんの一瞬、教皇からパーシヴァルに向けて殺意の針が飛ばされる。それはランスロットとトリスタンも感じ取ったようで、二人は露骨に慌てた。


「パーシヴァル、その辺にしておけ! それ以上は私が許さん!」


 ランスロットに肩を掴まれるが、それでもなおパーシヴァルは怯まなかった。よく見ないと気付かないほどの薄笑いを口元に浮かべ、教皇の反応を待つ。

 すると、


「パーシヴァル、お前は何を知りたい?」


 逆に教皇が質問してきた。

 してやったりと、パーシヴァルの笑みが更に厭らしく歪む。


「貴方の本当の目的です、ガイウス・ヴァレンタイン」

「パーシヴァル!」「もうよせ! これ以上は猊下を怒らせる!」


 制止しようとするランスロットとトリスタンに構わず、パーシヴァルはさらに続ける。


「僕らが目指す“真の平和”とはまた違う目的があるんでしょう? それか、その“真の平和”すらも利用して何かを成し遂げようとしているんじゃないですか?」


 パーシヴァルを見る教皇の顔には、何の感情も映っていなかった。まるで人形のように、分厚い仮面を被っているように、面白くもつまらなくもなさそうに、ただただ目と鼻と口が付いているだけの顔だった。

 それに気付いたランスロットとトリスタンが、ぎょっとして思わず机から距離を取る。二人の双眸は、意図せず地獄の深淵を覗き込んでしまったかのように、戦慄に震えていた。


 しかしパーシヴァルはいつもの調子ままで、口元に笑みを残していた。


「猊下、そろそろ僕ら四騎士には腹割って話してくれてもいいんじゃないですかね? 信用は大事ですよ」


 パーシヴァルは眼鏡のブリッジを指で上げてかけ直すと、笑みを消した。


「改めて訊きます。ガイウス・ヴァレンタイン、貴方の目的は?」


 時が止まったと錯覚するほどに空気が張り詰めた。それから秒針の音が十回を超えた時、定刻を知らせる鐘の音が鳴る。


 そして、鐘の音が静まった直後――


「――復讐だ」


 教皇――ガイウス・ヴァレンタインは、そう答えた。

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