第166話

 シオンがブラウドルフに着いたのは正午過ぎだった。要塞基地と町を繋ぐ軍専用の地下通路を使って戻った。空は雲一つない晴天で、地上に出たあとは暫く目を細めて歩いた。


 やがてステラたちのいるホテルが見えてきて、入口に見慣れた女の姿が目に入った。

 淡い桃色の髪を二つに分けた特徴的な髪型――遠目からでもエレオノーラだとわかる。エレオノーラはコートを着込んでホテルの前に一人ぼーっと立っており、何をするでもなく、ただ白い吐息を吐いていた。

 そこへシオンが近づくと、一瞬驚いた顔になったあと、ぱあっと顔を明るくさせた。


「シオン!」


 しかし、シオンの身なりを見て、すぐに表情を曇らせた。

 要塞基地での立て続けの戦闘で、シオンの服は汚れや損傷でぼろぼろになっていた。唯一、基地から拝借した軍用コートだけがまともな状態だった。


「ぼろぼろじゃん! 大丈夫なの!?」

「少し疲れているだけで他は問題ない。それより、何で外に一人でいるんだ?」


 自身の身なりの話を軽く流したあと、シオンが不思議に思ってそう訊いた。

 するとエレオノーラは口を尖らせ、露骨に苛立たしそうな顔になった。


「あのプリシラって女と同じ部屋にいるとほぼ間違いなく喧嘩になるからここにいんの。ステラの看病にいちいちうるさいこと言ってくるから腹立ってさ」

「だからって何もホテルの外に出ることはないだろ。今度はお前が風邪をひくぞ」

「天気よかったからちょっと外の空気吸いたかっただけ。そんな何時間もいないよ」


 どうしてこうもエレオノーラとプリシラの二人は仲が悪いのか――シオンは頭を悩ませ、嘆息した。だが、ここで考えても仕方がないと、すぐに切り替えることにする。


「ところでステラはどうなった? ユリウスが薬を届けたはずだよな?」

「ああ、ステラなら――」







 ステラの部屋にはプリシラとユリウスもいた。ユリウスは部屋の扉の近くで椅子に座って門番をしており、シオンのノックに反応して中へと入れてくれた。

 そして、ステラとプリシラはというと――


「――というわけで、現代こそ教会の意向で各国の公用語は大陸共通語に強制されていますが、五百年以上前は各国がそれぞれ国語を持ち、それを公用語としていました。今も完全に使われなくなったというわけではなく、何かの言葉の語源だったり、文化的な背景のある物の名称にそのまま使われていたりなど、日常生活の中でもその存在を確認できます」

「なるほどー」


 ステラはベッドから上半身だけを起こした状態で、ふむふむと唸るように何度も首を縦に振っていた。その傍らには、スケッチブックを手に何かを説明するプリシラが座っている。


 思いがけない光景に、シオンは眉根を寄せて隣のエレオノーラを見た。


「あいつら何している?」

「薬飲んだらあっという間に体調よくなっちゃって。でもまだ病み上がりでしょう? 部屋で大人しくしろって言い聞かせてたんだけど、暇だって駄々こねるもんだから」

「プリシラが勉強を教えているのか」


 エレオノーラが皆まで言わずとも、シオンは状況を把握した。

 そんな二人のやり取りに、ステラとプリシラが気付いてハッとする。両者ともよほど集中していたのか、シオンとエレオノーラが部屋に入っていたことにまったく気付いていなかったようだ。


「シオンさん!」「シオン様!」


 ステラが嬉しそうな顔をする一方で、プリシラが悲痛な面持ちで立ち上がってシオンへ猛スピードで駆け寄った。プリシラはシオンの眼前に立つなり、彼の頭のてっぺんから爪先までを舐めるように見る。


「その御姿……おいたわしや……! 一体、要塞基地で何が!?」

「後で話す。それより――」


 わなわなと取り乱す一歩手前のプリシラを軽くあしらい、シオンはステラへ視線を送った。


「ステラ、もう大丈夫なのか?」


 ステラははにかむように小さく笑い、頭の後ろを掻いた。


「はい、おかげさまで。ご迷惑をおかけしました」


 ステラが心身ともに回復した姿を見て、シオンがほっと胸を撫でおろす。


「治って何よりだ」

「で、俺がいなくなったあと、要塞基地で何があった? 政府の弱みになるようなブツは手に入れられたのか? リカルドとハンスは?」


 シオンが安堵した矢先、扉の脇の椅子に座っていたユリウスが不意に話しかけてきた。シオンはコートを脱ぎながら、神妙な顔になって部屋の中央にあるソファに腰を下ろす。


「……ああ」


 それから三十分ほどの時間をかけて、シオンは要塞基地であったことを話した。

 メンゲルという教会魔術師が“騎士の聖痕”を使った人体実験を行っていたこと。その実験にヴァンデル将軍とその娘のクラウディアという少女が関わっていたこと。リカルドとハンスがメンゲルを捕縛しようとしたがパーシヴァルに阻まれたこと。そして、“騎士の聖痕”によって暴走したクラウディアと交戦し、撃破したこと。


 全員が神妙な面持ちで食い入るようにシオンの話を聞いていた。

 とりわけ、一番興味を引かれたのは――


「んな馬鹿な話あるかよ」


 ユリウスが“その話”の途中で、そう遮った。シオンはそれを咎めることなく、静かにユリウスを見遣る。


「クラウディアが魂の状態で彷徨った先に“リディア”を見た、という話か?」

「それ以外に何がある」


 ユリウスが小馬鹿にしたような所作で鼻を鳴らした。言葉にこそしていないが、ステラたちもそれは同意見のようで、どこか怪訝に眉を顰めていた。


「だが、クラウディアは間違いなくそう言っていた。あの娘が生前の“リディア”を知っていたとは到底思えない。だとすれば、クラウディアの言う通り、魂だけの状態で存在できる“何か”がこの世界にあるのかもしれない」


 いつもはシオンに対して全面的に肯定の姿勢を見せるプリシラだが、彼女も今回に限っては否定の難色を示していた。


「そのクラウディアという娘が十字軍に何かを吹き込まれていたという可能性は考えられないでしょうか? 例えば、外に出してもらえる代わりに、シオン様を動揺させる、といった取引を……」


 しかし、すぐにシオンは首を横に振った。


「俺を殺したいと思いこそすれ、あの場で俺を動揺させるメリットが十字軍にあるとは思えない」


 確かに、とプリシラがすぐに押し黙る。

 唐突に訪れた数秒の沈黙――それを破ったのは、ユリウスだった。


「……今更だが、なんで教皇はシオンのことを殺したがっているんだろうな」


 プリシラが、本当に何を今更に、と苛立たしそうになる。


「それは以前、貴様も副総長から聞いただろう。シオン様が“教皇の不都合な真実”を知っているからかもしれないと」

「まあそうなんだろうけどよ。どうにも釈然としねえっていうか、眉唾っていうか」

「なら他に何がある?」

「知るかよ。ただ何となくそう思っただけだ」


 そのままユリウスとプリシラの間で言い合いが始まりそうになり、シオンが割って入ることにした。


「確かにあの男の性格を鑑みればそれが妥当な線だ。ガイウスは合理的な完璧主義者だが、その本質は心配性で小心者だ。俺が弟子だった時にあいつの汚点となるようなことを俺が知ってしまった――ゆえにあいつが教皇という立場になった今、そのことが気になって仕方がなく、結果、俺がそれに気付く前に排除しようという結論に至ったと聞かされても違和感はない。ただ――」

「ただ?」


 ユリウスが聞き返し、シオンは表情を険しくする。


「パーシヴァルと戦った時、あいつが俺に訊いてきたことが気になる。ガイウスが大陸同盟の事を真面目に考えているとは思えない。ガイウスと“リディア”がどういう関係にあったのか、それをお前は知っているか――あいつはそう訊いてきた」

「真面目に考えているとは思えないって……曲がりなりにも教皇っていうこの大陸の最高権力者だぜ? 考えてねえことはねえだろ。それに、“リディア”先生は教皇にとって聖女に並ぶ政敵だったんだろ? 関係なんてそんなもんだろ」

「……“リディア”と聖女を敵視する理由は同じ、か」

「何を気にしてやがる? お前の命が狙われることに、何か関係あんのか?」

「……大陸同盟締結のために“リディア”と聖女が邪魔だった――だがそれは、ガイウスというより教皇庁の意向だ。パーシヴァルの言う通り、ガイウス個人の思惑とは到底思えない」


 シオンの考察に、プリシラが首を傾げる。


「と、仰るのは?」

「大陸同盟が実現したところで、ガイウスにとって何かメリットがあるとは思えない。あの男はそんなことに関心を寄せるようなタイプじゃないからな」


 それを聞いたユリウスが拍子抜けしたように溜め息を吐いた。


「んなわけあるかよ。ガイウスが教皇になる直前の出来事、知らねえとは言わせねえぞ。他殺としか思えない前教皇の不審死、さらには教皇の候補者だった枢機卿全員の集団失脚、それら全部にガイウスが関わっているって言われているじゃねえか。そこまでして教皇の権力に執着するような奴が、大陸同盟締結っていう大陸史に名を刻むような偉業に興味ねえはずがねえだろ」

「ガイウス・ヴァレンタイン個人に何か恩恵がなくとも、大陸同盟は東の“帝国”と“セリカ”に対する強力な防衛網です。教皇という立場である以上、それは成し遂げなければならない義務なのでは? 個人的な動機がなくとも、教皇としての責務があると思いますが」


 ユリウスを援護するようにプリシラもそう続いた。


「そうだな……お前たちの言う通りだ。だが、仮にだ。もしもの話で、こう考えたら――」


 シオンも二人の見解には一定の納得感を持っている。だが、彼にはそれとは違う、まったく別の推理を持っていた。


「何だよ、もしもの話って」


 ユリウスが促して、シオンが徐に口を開く。

 しかし、


「――いや、やっぱり何でもない。何も確証がない以上、憶測でしか話を広げられない。忘れてくれ」


 シオンはその推理を話すのを止めた。結局、今ここで言ったところで、“あまりにも突拍子のない説”でしかなく、この場にいる誰一人として耳を傾けることはしないだろうと悟ったからだ。


 妙にらしくないシオンの反応に、他の全員が心配そうな顔をする。


「大丈夫かよ。戦いっぱなしで頭やられてんじゃねえのか?」


 ユリウスが聞いて、シオンは軽く手を挙げて問題ないと応えた。


 ここで話がようやくひと段落した。

 緊張の糸が解けたように、各々がやりたい行動に移る。

 そんな時、不意にエレオノーラがシオンに近づいた。


「ところでさ、これからどうするの? いつまでもこの町にいるわけじゃないんでしょ?」


 シオンはカップにお茶を注ぎながら頷く。


「ああ。ステラの体調が回復次第、ここを発つ」

「私ならもう大丈夫ですよ?」


 ベッドに座るステラがそう言ったが、シオンは首を横に振った。


「症状が治まっただけだろ。今下手に動けばまたぶり返すぞ。それに、さすがに俺も疲れた。少し休みたい」


 それを聞いたエレオノーラが、呆れたように苦笑する。


「そういえばアンタ、徹夜でバイク走らせたうえに休みなしでドンパチやったんだもんね……。ぶっ倒れてない方が不思議だわ」


 煙草を吸いに部屋から出ようとしていたユリウスがふと足を止めて振り返った。


「そういや、ハンスの話じゃあアルバートたちも王女のこと探し回ってるんだろ? シオンと王女が休んでる間に、これから首都に向かうまでの計画、しっかり立てておきてえな」

「ああ。それに、そろそろヴィンセントとの合流方法も考えたい。あいつとは暫く連絡が取れていない状況だからな」


 シオンが同意すると、プリシラが立ち上がった。


「では、三日はこの町に滞在しましょう。ホテルの延長等、これから準備を進めます」


 そうして、ユリウスとプリシラは部屋から出ていった。残ったのは、シオンとエレオノーラ、それとベッドに座るステラだけになった。


「ねえ、シオン」


 不意に、エレオノーラがシオンに耳打ちする距離で話しかけてきた。


「“教皇の不都合な真実”――アタシの正体のことなんだけど……」

「誰にも言うつもりはない」

「ステラには、アタシから言おうと思う」


 エレオノーラの提案に、シオンは少しだけ驚く。その理由を問おうとしたが、


「あの子のこと、色々騙しちゃったから。だから、せめてもう隠し事はしないでおこうと思って。それに、ステラなら知られても大丈夫かなって」


 先にエレオノーラが言って、納得した。

 シオンは肩の力を抜くように小さく息を吐いた。


「そうか。ステラなら口も堅いし、理解もある。お前がそうしたいのなら、特別異論はない」


 すると、エレオノーラは何も言わずに笑顔になって、少し顔を俯けた。それからすぐにステラの方を振り向く。


「ねえ、ステラ。ちょっと話があるんだけど――」


 エレオノーラが話し始めて、シオンはカップを手に部屋の扉の前に立った。ユリウスとプリシラにはまだ“教皇の不都合な真実”を聞かせるわけにはいかない。二人が戻ってきた時は、すぐにエレオノーラの話を止めるつもりだ。


 そこでふと、シオンはあることを思い出した。

 “教皇の不都合な真実”――それは、ガイウスがハーフエルフとの間に子供を作ったことなのか、それとも、ガイウスがハーフエルフと体の関係を持っていたことなのか、はたまた――


「……あの男のこと、未だにわからないことだらけだ」


 ガイウスを取り巻く多くの謎に苛みながら、シオンは口にカップを近づけた。

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