第165話

 クラウディアとの戦闘が終わって間もなく、シオンたちは事態の収束に向けて動いた。

 状況を把握できていない軍人たちへの説明が終わると、それから一時間ほどで基地内部は落ち着きを取り戻した。最初は戸惑っていた兵士たちも、負傷者の救護、ヴァンデルとクラウディアの遺体の保護、破壊された基地施設の修繕作業へと速やかに移行した。


 その後、シオンたちは佐官以上の軍人を引きつれ、ヴァンデルの執務室へと移動した。兵士たちに佐官を通じてメンゲルの研究資料、並びにクラウディアに関わる資料かき集めさせ、執務室へ運ばせた。

 今は、執務室の資料と、先のかき集めた資料を、シオンたち三人が総出で読み漁っている最中だ。


「メンゲルは十字軍の関係者だが、ヴァンデルはそれを認識していなかったようだ。奴が書き記した日誌や実験の記録に、十字軍の文字が一切ない。敢えて避けている感じも見られないな」


 ハンスが、執務室の棚にあった分厚い資料に目を通しながら言った。

 すぐ近くのソファに腰を掛けるリカルドが、使い古された日記帳を広げて中身をハンスに見せる。


「クラウディアちゃんの方は十字軍の存在を知っていたみたいだ。彼女の日記に、メンゲルから仕入れた情報が幾つか記されている。彼女、この要塞基地で行われている非道な人体実験と自身の延命治療について、色々思うところがあったらしい。あの結末の後にこの日記を読むのは、中々しんどいね」


 そう言ってリカルドは愁いに溜め息を吐いた。

 しかし、そんな傷心に浸る暇はないとばかりに、今度はシオンが分厚い冊子を広げ、テーブルの上に勢いよく置いた。


「魔物の製造はメンゲルがこの基地に来る以前から実施されていたとこの資料に記録されている。亜人を使った人体実験も、メンゲルが来る前から魔物の研究の一貫で実施していたみたいだ。コボルトを始めとした魔物を基地の周辺にばら撒いていたのも、不用意に部外者をここに近づけさせないためだったらしい。この記録には、人体実験には亜人の囚人や――ガリアが国外向けに密売する奴隷を使っていたともある」

「やばい事やってるねえ。亜人の人権にうるさいグリンシュタット――その国軍の将軍がそんなことやっていたなんて、世間に知られたら大問題だ。ねえ、お宅らも思わない?」


 リカルドがげんなりとした顔をする一方で、少し厭らしく口元を歪めた。その視線の先には、壁際に並ばされた佐官たちがいる。ヴァンデル直属の部下ということらしいが、恐らくは今シオンが話した内容についても把握しているのだろう。

 その証拠に、佐官たちはリカルドに見られて、露骨に視線を外した。

 ハンスがどこか憐れんだように嘆息する。


「そう彼らを責めてやるな。基本的に軍人は上の命令に逆らえない。まして一度関わってしまえば、自分だけ抜け出すなんてことも簡単にはできないだろう」

「同情するよ」


 リカルドはどこか皮肉に言って、肩を竦めた。

 不意に、ハンスが紐で綴じられた紙の束をシオンに手渡す。シオンは受けってすぐに斜め読みを進めた。そこには、履歴書のような写真付きで、人体実験に使われた被験者の情報が記されていた。被験者は亜人だけではなく、中には人間もいた。


「人体実験の被験者リストはお前が持っていろ。これだけでもグリンシュタット政府の弱みになるはずだ。この後に王女を立てての外交が控えているのだろう? その時にいい強請のネタになる」


 騎士であれば考えることは同じかと、シオンは小さく鼻を鳴らした。それから、ふと気になることを訊いてみることにしてみた。


「ところで、ヴァンデルとクラウディアの遺体はどうなる?」

「ヴァンデルは軍に任せる。娘の方は騎士団の検死に回す。副総長に見てもらう予定だ」


 ハンスの回答は、シオンも概ね予想通りだった。

 “騎士の聖痕”を利用したクラウディアの異形化――非戦闘員であるばかりか、ただの少女が騎士三人を同時に相手にできるほどの力を手に入れたという事実は、騎士団にとってかなりの脅威だろう。もし十字軍にその技術が適用されれば、仮に全面戦争になった場合にそれに苦しめられることは火を見るよりも明らかであった。イグナーツが直々に検死を実施するということからも、その重大性が露骨に表れている。

 ただ、シオンには思うところがあった。


「……検死が終わった後は、クラウディアの遺体をこの国のどこか見晴らしのいい場所に埋葬してやってくれないか? あの娘、生まれてから今までこの基地から出たことがないらしい。だから、せめて……」


 生前のクラウディアから彼女の境遇を聞いてしまったがゆえに、憐憫の情でそんな願いを言ってみた。

 ハンスは数秒沈黙したあと、軽く目を伏せる。


「考慮しておく。だが、騎士団も今は色々と余裕がない。優先順位は少し低めに設定させてもらう」

「余裕?」


 妙に曖昧な表現を使ったことに、思わずシオンは反射的に訊き返した。

 ハンスに代わって、リカルドが口を開く。


「最近、教皇庁の圧力が露骨になってきて、騎士団の裁量が前よりさらに狭まったんだよね。教会から騎士団へ分配される資金も大幅に減らされたし、昔みたいな羽振りのいいお金の使い方ができなくなった。お墓ひとつ建てるにも、身内じゃないならどうなるか」

「今の騎士団の経済事情は切実な問題になりつつある。そこは理解してくれ」


 あの騎士団が、一人の死者を弔うことにも躊躇するような状況なのかと、シオンは顔を顰めながら驚いた。同時に、かつての権威を失い、頼りなさが露呈している現状に、失望にも似た若干の苛立ちを覚える。

 そんなシオンの胸中を察したのか、ハンスとリカルドは顔を見合わせて軽く肩を竦めた。


「ま、騎士団が金出せないってんなら、そん時は俺とハンスで何とかするさ。最悪、彼らを使うって手段もあるしね。検死こそさせてもらうけど、最後はちゃんと丁重に弔うよ」


 リカルドはそう言って佐官たちを見つつ微笑した。

 クラウディアを弔う一定の方針が出たことに、シオンは小さく安堵した。


「頼んだ」


 話が一区切りついたところで、ハンスが改めてシオンを見遣る。


「シオン、それでお前の用件は終わりか? 私たちはまだここでやることがあるが、お前は早く仲間のところに戻った方がいい。いつまでも私たちといると、お互い十字軍に無駄に警戒される」


 それに従うようにシオンはソファから立ち上がった。先の戦闘でぼろぼろになった服を整えながら、ハンスとリカルドに向き直る。


「ああ、そうさせてもらう。それにしても――ただ薬を貰うだけの話が、随分な大事になった」

「君が大事にしたんでしょうが。今度からもっと慎重に行動しなよ。同じ議席持ちの先輩からのアドバイス」


 リカルドの冷ややかな視線を受け、シオンはぐうの音も出ないといった表情で口を噤んだ。この後に控えている外交のためとはいえ、少々荒っぽい手段を取ってしまったのはさすがに反省点だと、シオンも考えた。もっとも、パーシヴァルの介入があったことを鑑みれば、どのみち大事になっていた気がしなくもないが。

 そんなことをシオンが頭の中で考えていた時、ふとハンスが何かを思い出したかのように小さく声を上げた。


「慎重といえば、お前に伝えておくことがある」


 シオンが振り返る。


「何だ?」

「アルバートたちの件だ」


 思いがけないタイミングで警戒するべき人物の名前を耳にし、シオンの表情が自ずと強張った。


「あいつらもこの国にいるらしい。お前と王女を捕縛し、騎士団の管理下に置くつもりだ」

「アルバートたちが俺とステラを狙っていることはネヴィルから聞いていたが、すでにこの国にいるのか。俺たちのことは総長も認めているはずだが、あいつら、総長の命令を無視しているのか?」


 リカルドが、お手上げ、と殊更に言いたそうに両手を挙げる。


「らしいよ。まあ、仕方ないよ。議席持ちの騎士は十三人全員が同じ権限を持っている。総長の命令だろうが、騎士団に敵意を見せない限りは無視して独断で行動することができちゃう。そのことは、二年前に騎士団の意向を無視して大暴れした君が一番よく知っているだろう?」


 リカルドは軽い皮肉のつもりで最後の一文を言ったのだろうが、シオンにとってその過去はそうやって気安く触れられて愉快になるものではなかった。シオンがムッとなり、空気が一瞬凍り付くが――雰囲気が悪くなる前に、すぐにハンスが話を繋げた。


「単純に王女の身の安全を確保することが目的ならアルバートたちの行動にも賛同できた。だが今回は、教皇罷免のためにステラ王女を女王にすることが目的だ。騎士団が王女を保護したところで、教皇や十字軍に睨まれている以上、騎士団はあまり自由に動くことはできない。それよりは、身軽なお前たちに任せた方が、戴冠式に向けた諸々の準備を進められると考えている。無論、王女に身の危険が及びやすいというリスクはあるがな」

「俺とハンスも含めて、ほとんどの議席持ちがそう考えているよ。だから、できればこのまま君らに手を貸してあげたいところなんだけど――」

「先に言った通り、我々はまだここでやることがある。他の騎士も十字軍の対応で手一杯の状況だ。アルバートたちと遭遇してしまった場合は、すまないが、どうにか自力で切り抜けてほしい」

「まあ、俺がいたところであの武闘派三人組に勝てる気はしないけどね。頑張ってちょうだいな」


 最後にリカルドが気の抜けた応援の言葉をかけてくれた。

 シオンは、疲れたように大きな息を吐いて、


「わかった。情報提供、助かる」


 短いお礼を返した。

 これで話は終わりかと、シオンが踵を返そうとした時、


「それと、こちらからも一つ頼みがある」


 ハンスにそう呼び止められた。

 シオンは振り返って眉根を寄せる。


「頼み?」

「もし聖女が十字軍に囚われそうになった時は、彼女を助けてやってほしい」

「何の話だ? そもそも聖女は今どこに? 数年前から総長と一緒に大陸の巡礼に出ているはずじゃあ……」

「我々も正確な居場所は把握していない。だが、今はⅩⅡ番と共に行動している」


 ⅩⅡ番と聞いて、シオンは困惑に顔を顰める。


「……“あいつ”と?」


 リカルドが頷いた。


「シオンくんがラグナ・ロイウで十字軍とやり合った時、偶然そこに聖女とⅩⅡ番もいたんだってさ。そのタイミングで、総長が十字軍の対応をする代わりに、ⅩⅡ番が聖女の護衛に付いたってわけ」


 あの時にそんなことが、とシオンが呆けていると、ハンスが少しだけ厳しい目つきで見遣ってきた。


「聖王祭の日にお前が大聖堂を襲撃した際、飛行機械を操縦していたのはⅩⅠ番ヴィンセントだな? となれば、ⅩⅡ番もお前の協力者なのだろうと我々は予想した」

「君ら、ⅩⅠ番、ⅩⅡ番、ⅩⅢ番の三人組で仲良かったからね」


 ハンスとリカルドの見解に、シオンは難色を示す。


「……仲が良かった――のかはちょっと何とも言えない……」


 歯切れの悪い回答に、リカルドが渋い顔で笑った。


「実態、シオンくんが他の二人に一方的に懐かれていたって感じか。まあ、何となくわかる」

「直近、直接“あいつ”と連絡を取ったことはない。だが、ヴィンセントが“あいつ”の協力も得られないか声をかけてみるとは言っていた。ラグナ・ロイウにいたのも、ヴィンセントから指示を受けていたからかもしれない」


 シオンの話を聞いて、ハンスは合点がいったように小さく頷いた。


「なるほど。どちらにせよ、今後、お前たちの旅に聖女が関わってくる可能性が高い。ステラ王女の戴冠式を開催するためにも、聖女は何としても十字軍から守る必要がある」


 ステラが女王になるには、教皇か聖女、そのどちらかから戴冠を承る必要がある。教皇が敵である以上、戴冠は間違いなく聖女から受けることになるだろう。ゆえに、シオンたちとしても、聖女の身の危険は排除せねばならない問題だ。

 だが――


「ひとついいか?」


 どうしてもシオンには聖女に関して腑に落ちない点があり、そう切り出した。


「何だ?」

「どうして聖女は十字軍に――教皇に狙われている? 総長が聖女を連れて長期の巡礼に出たのは、騎士団分裂戦争が始まった頃とほぼ同時期だ。あの一連の出来事と、何か関係があるのか?」


 しかし、ハンスは即座に首を横に振った。


「何故聖女が狙われているのか、それは我々にもわからない。聖女の権力を恐れているという説もあるが、それが真実かは総長も、聖女本人すらもわからないと言っている。その理由を知っているのは、現状、教皇本人――ガイウス・ヴァレンタインだけだ。だがお前の言う通り、教皇が聖女の身柄を抑えようとしたのは、騎士団分裂戦争と同時期――さらに正確に言えば、“リディア”が騎士団に捕まった頃だ」


 ――何かを凄く後悔しているように見えたかも……。謝っているような、悲しんでいるような……。


 生前のクラウディアから聞いた、魂だけの状態の時に見たという“リディア”と思しき女性の様子――何故かその時知らされた言葉が、シオンの頭の中で瞬時に呼び起こされた。


 シオンの頭の中で、何かが欠けた昔の記憶が再生される。


「おーい、大丈夫かい? 連戦の疲労で意識飛びかけてる?」


 だがそれも、リカルドの呼びかけで唐突に終わった。

 シオンは意識を目の前に戻し、ハッとした。


「いや、何でもない……」


 ハンスはシオンの様子がおかしいことに若干訝しんでいたが、


「何でもないならいい。ついでだ、最後にひとつ。今更な話だとは思うが、アルバートはお前よりも強い。まずはあいつらと遭遇しないことを最優先に考えて行動しろ。これが、今私ができる唯一の助言だ」


 そうやって念を押してきた。


「ああ、そのつもりだ。この後の移動経路については、町に戻ったあとユリウスたちと話して決める」

「我が弟子ユリウスにもよろしく言っといて。君たちの旅の無事を祈ってるよ」


 リカルドがひらひらと手を振って、激励の言葉を伝えてきた。

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