第161話

 対パーシヴァルとの戦線を離脱したシオンは、基地の下層へ向かって走った。後方からパーシヴァルが追ってきていないところを見る限り、ハンスとリカルドはうまく食い止められているのだろう。


 幾つもの階段を駆け下り、ようやく基地一階の巨大なホール部分に辿り着いた。

 シオンはそこで、ふと足を止める。


「止まれ!」


 広大なホールの中に無数に立つ巨大な支柱の陰から、何人もの武装した兵士が姿を現した。恐らくはヴァンデルの命令によって動員された兵士だろう。いったい、この基地に在籍する何人の兵士が駆り出されているのか――視界に入るだけでも百人は軽く超えている。


 シオンは肩で何度も空気を吸い込み、無理やり呼吸を整えた。それから足を一歩踏み出した矢先、


「これより黒騎士討伐の作戦行動を開始する! 総員、戦闘態勢!」


 隊列を組んで立ち並ぶ兵士の一人が声を張り上げた。

 兵士たちが一斉に小銃を構える。それらすべてが、大陸でも珍しい最新式の全自動小銃だった。多くの国軍で標準採用されている半自動小銃のように手動での弾丸装填が不要なため、弾切れになるまで弾丸を連続で撃つことができる代物だ。


「さっきの今でこれを相手にするのはさすがにキツイ……」


 グリンシュタット軍が現時点で持ちうる最高の軍事力を惜しみなく反映させた兵装を目の当たりにし、シオンは堪らず歯噛みした。


「目標黒騎士! 総員、構え!」


 指揮官と思しき兵士が号令を出すと、他の兵士たちが小銃の先をシオンに定めた。


「撃て!」


 小銃から一斉に弾丸が放たれる。

 無数に飛来する弾丸を避けるべく、シオンは勢いよく地を蹴った。猟豹をも凌ぐ速度で壁伝いに走るシオンの後方で、コンクリートの壁が弾丸の雨によって激しく穿たれる。

 シオンは、ホールに立ち並ぶ支柱を盾にしながら、兵士の隊列へと肉薄した。

 それに兵士たちが驚く間もなく、まずは一人、蹴り飛ばす。蹴られた兵士は床を転がって動かなくなった。


 シオンはそのまま隊列の中へと突っ込み、次々と兵士を殴打して気絶させていく。息の根を止めないのは、この後に控えている外交を鑑みて、この戦闘で下手に死人を出すわけにはいかないと判断してのことだった。


「やはり騎士相手に銃程度では効果がない! 一般兵は下がれ!」


 シオンに打ち倒されていく兵士たちを見て、指揮官が悔しそうに叫んだ。直後、それが何かの合図であったかのように、無数に存在する巨大な鉄の扉の一つが物々しく開かれる。

 そこから現れたのは、他よりも明らかに大柄で屈強な兵士たちだった。数はおよそ十人。さらには巨大な檻を積んだ軍用の運搬車一台が忙しなく入場する。檻の中に詰められているのは、この基地に向かう時にも遭遇した雪男のような魔物――コボルトたちだった。


「これよりオーガ隊、戦線に合流する!」

「コボルトも同時に投入しろ! 数で押せ!」


 そんな威勢のいい声がホールに響いて間もなく、大柄な兵士たちが一斉にオーガへと姿を変える。双角を生やした三メートル近い体躯の人間ベースの魔物たちが、巨獣の如くシオンへと突進した。それに追随するように、遠吠えを上げながら二十体近いコボルトたちが疾駆する。


 シオンは刀を鞘から引き抜き、目にも止まらぬ速さで迫りくる魔物の群れの中に入り込んだ。その間に、三体のコボルトを斬り伏せている。


「怯むな! 相手はたった一人だ!」


 オーガの兵士が周囲を鼓舞し、シオンに向かって拳を突き出した。シオンがそれを難なく躱すと、標的を失ったオーガの拳が床のコンクリートに深く突き刺さった。

 それからすぐに身を翻したシオンは、オーガのこめかみに向かって蹴りを繰り出した。ブーツのつま先は弧を描きながらオーガの側頭部へ吸い込まれ、鈍い打撲音が鳴る。シオンの蹴りはオーガの頭を瞬間的に強く揺らし、脳震盪によってその巨体を沈黙させた。

 コボルトは刀で斬り、オーガは頭部を強烈な力で打って気絶させる――一人、一体、また一人、一体と、シオンは息を切らしながら地道に、しかし確実に魔物の部隊を制圧していった。


 普通の人間では到底真似できない芸当を見せつけるシオンに、兵士たちがこぞって狼狽する。

 そんな状況に危機感を覚えたのか、指揮官が壁に立てかけられた内線用の電話に駆け寄り、慌てて受話器を手に取った。


「聞こえるか!? 待機させていたゴーレムを急いで稼働させろ! 戦車もだ!」


 その通信が終わった時ちょうど、シオンが最後のオーガを倒したところだった。オーガの巨体が音を立てて倒れると、その傍らでシオンが軽くたたらを踏んだ。パーシヴァルとの連戦による疲労が目眩を起こし、身体をふらつかせる。


 しかし、呼吸を整える間も与えられず、また一つ鉄の扉が轟音を上げながら物々しく開かれる。


「……あんなものまでここにあったか」


 “それ”を見たシオンが、肩で息をしながら忌々しげに吐き捨てた。


 開かれた扉から姿を現したのは鋼鉄の巨人――ゴーレムだった。鈍い銀色の光沢を放つ巨躯は五メートルを軽く越え、前進するたびにホールの中に鈍重な足の揺れが響いた。いうなれば、ゴーレムは魔物に強化人間の技術を適用した兵器――サイクロプスやトロールといった大型の魔物を素体に、強化人間と同様の機械化技術を施した魔物だ。

 ゴーレムは背中に積まれたエンジン音を咆哮のように響かせながら、標的となるシオンを頭部の視覚用レンズに映し出す。


 刹那、シオンがゴーレムの頭部に向かって渾身の蹴りを叩きこんだ。だが、ゴーレムは微動だにしない。それどこか、蹴りに使われたシオンの足を掴み上げ、彼を壁に向かって投げつける。

 シオンは受け身を取って両足を壁に着地させ、床と水平の状態になった。そして、反動を使ってすぐにまたゴーレムへと肉薄する。今度は体の中心部に向かって拳を叩きつけるが、またしても効果は薄く、ゴーレムはすぐに反撃してきた。ゴーレムは再度シオンを掴み上げると、先ほどと同じようにまた勢いよく壁に向かって投げつける。シオンの身体は、壁の隅に布を被せて積まれていた大型の軍用重機へ突っ込んだ。


 これまで黒騎士によって一方的な戦いを強いられていた兵士たちから、歓声の声が上がる。


「よし、今のうちに負傷者を下がらせろ! オーガ隊は増員が到着次第――」


 指揮官の指示は、突如として響いた異様なエンジン音によって阻まれた。そのブォンブォンという音は、シオンが突っ込んだ場所から鳴っている。

 驚いた兵士たちがこぞって見遣ると、そこにはこれまた信じられない光景があった。


 鬼気迫る表情で頭から血を流したシオンが、小型車ほどの大きさはある軍用重機を手に立っていたのだ。そして彼が手にしている軍用重機は何かというと、長い柄の付いた巨大な電動式の丸鋸だった。本来であれば戦車や専用の車にアームで繋げて使用する代物なのだろうが、シオンは騎士の身体能力で力任せに自前の腕力で使う気だった。


 青ざめる兵士たちを余所に、シオンが三度ゴーレムへ強襲する。高く跳躍したシオンが振り下ろした丸鋸はゴーレムの首元へと食い込み、火花を上げながら鋼の装甲を徐々に削り切っていく。

 ゴーレムはその巨体を丸鋸の振動で小刻みに揺らしながら抵抗した。丸鋸の柄を両手で掴み、身体から引き離そうとする。

 しかし、シオンはそれを許さず、丸鋸を押し込む力をさらに強めた。


 そんな力比べが数秒の間、装甲を削る激しい火花を挟んで続いたが、遂にゴーレムが力負けした。ゴーレムはその巨躯を袈裟懸けに両断され、鋼の身体の中にあった生身の臓物を床にぶちまけながら停止する。


 ゴーレムの返り血を浴びたシオンが丸鋸を投げ捨てた。兵士たちはそれを見て戦慄し、絶句する。


 直後、またホールの扉が一つ開かれた。


「戦車、準備できました!」


 兵士の声を合図に、一台の戦車がキャタピラ音を鳴らしながら前進する。


「砲撃用意! 左! 目標黒騎士! 徹甲!」


 走行する戦車の砲塔がぐるりと回り、シオンを狙いに定める。


「――撃て!」


 砲口から激しい轟音と共に、徹甲弾がシオンに向かって撃ち込まれる。

 シオンがそれを横っ飛びになって躱すと、彼の後方でコンクリートの壁が粉微塵になって消し飛んだ。


「そのまま轢け!」


 シオンが体勢を立て直そうとしたところに、戦車が猛スピードで突っ込んできた。戦車の突進は砲弾よりも遥かに遅かったが、咄嗟の出来事に、疲労を蓄積したシオンは反応しきれなかった。

 シオンの身体は、戦車の突進を真正面から受けてしまう。戦車はそのままシオンを壁際へと押しやった。

 誰もが挽肉同然になったシオンの姿を想像したに違いない。だが――


「う、嘘だろ!?」


 壁まであと少しというところで、シオンが戦車に両腕を立てて持ちこたえていた。“帰天”を使って“天使化”状態になり、赤黒い光と稲妻を周囲に迸らせている。その音に混じり、キャタピラがコンクリートの床を滑るけたたましい音がホール全体に響いた。


「この戦車、百トンはあるんだぞ!」


 兵士たちが次々と怯えた悲鳴を上げる。


「後退! 後退しろ!」


 戦車が突如として後ろに走り出す。しかし、すでにシオンの姿は見当たらなかった。


「黒騎士はどこに行った!?」


 ホール内にいた兵士たちが揃って辺りを見渡す。

 そして、天井の方から何かが剥がされていくような不気味な音が鳴った。


 シオンが、内装がむき出しになっていた天井部分から鉄骨を引き剥がし、戦車に向かって叩きつけようとしていたのだ。


「脱出しろ!」


 戦車に乗っていた兵士たちが慌てて降りる。

 直後、シオンが鉄骨を戦車に突き刺した。“天使化”の電磁気力によって原子間、物質間の結合力を増幅された鉄骨は、天雷の如く戦車を貫いた。戦車を穿った際の火花が中の燃料に引火し、激しい爆発を起こす。

 その後で、シオンが地上に降り立った。


「な、何が騎士だ……! これじゃあ、まんま悪魔じゃないか……!」


 慄く兵士たちの目に映るのは、爆炎を背に立ち、疲労困憊に顔を顰めるシオンの姿だった。

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