第160話

「メンゲルたちをどこへやった?」


 ハンスの問いに、パーシヴァルは肩を竦めた。


「とりあえず下の階」


 直後、シオンが“帰天”を使った。“天使化”したシオンが、床に向かって拳を振り上げる。


「ハンス、リカルド、飛べ!」


 シオンの一声を合図に、ハンスとリカルドが床を蹴って高く飛んだ。

 間髪入れず、シオンが拳を床に打ち付ける。爆撃のような轟音が響くと同時に、シオンの拳は大部屋の床を板チョコの如く捲り上げる。本来であればこの一撃で下の階まで風穴を開けられただろう。しかし、今は大部屋の内装全体がパーシヴァルの魔術によって強固な材質に変えられている。シオンの一撃を受けてもなお黒い床は下層まで貫通せず、さらにはたちまち生き物のように再生した。


 シオンは悔しそうに歯噛みして、もう一度拳を振り上げる。


「いきなりそれは勘弁してほしいね」


 そんなパーシヴァルの声が耳元で囁かれた。シオンが後方を振り返ると、パーシヴァルの黒いガラス質のマスクに、驚いた自身の顔が映っていた。

 刹那、シオンは腹に一発蹴りを見舞われ、大きく吹き飛んだ。


 不意に強烈な攻撃を受け、シオンの“天使化”が解除されてしまう。シオンの身体は床を転がったあと、壁に激しく叩きつけられた。


 それに呻く間もなく、パーシヴァルが手を伸ばして肉薄してくる。

 このまま掴まれてしまえば、魔術によって身体を別の物質に置き換えられてしまう――シオンは慌てて立ち上がろうとしたが、コンマ一秒のところで間に合わない。


 そこへ、


「私たちがいることも忘れないでもらおう」


 ハンスのハルバードが無数に飛来し、パーシヴァルの身体を真横から悉く穿った。パーシヴァルは鋼の波に飲まれ、ボロ雑巾のように宙を舞う。だが、ずたずたになったその身体も瞬き一つのうちに元通りになった。


「副総長しかり、本当にインチキ臭い魔術だね、それ」


 その矢先、今度はパーシヴァルの身体がリカルドの鋼糸に絡め取られた。リカルドは鋼糸を器用かつ豪快に操りながら、パーシヴァルの身体を引きずり回し、壁、床、天井に何度も容赦なく叩きつける。その後、パーシヴァルは大部屋の中央床に大の字で固定され、電気を流された。青白い発光と破裂音が何度も鳴り響き、焦げ臭いにおいが周囲に漂う。

 さらにそこへ駄目押しにと、ハンスがハルバードの切っ先を叩きつけた。ハルバードはパーシヴァルの胸部を深く貫き、彼の身体をビクンと大きく跳ね上がらせる。


 瞬きする間もない苛烈な攻撃を加えた直後だったが、ハンスはすぐにシオンへ振り返った。


「シオン、もう一度だ! お前はこの部屋から出ることに集中しろ!」


 議席持ちの先輩騎士二人の猛攻に目を奪われていたシオンだったが、すぐに意識を呼び戻し、再度“帰天”を使って“天使化”する。


 それを尻目に、身体を再生させたパーシヴァルが徐に立ち上がった。その有様はまるでスライムのようで、四肢を拘束する鋼糸や胸に突き刺さるハルバードを奇々怪々にすり抜けていった。


 パーシヴァルは、自身を左右から挟み込むように立つハンスとリカルドを見たあと、首を左右に軽く倒す。


「二人だけで僕をどうにかできると?」


 パーシヴァルの挑発を受け、リカルドが肩を竦めた。


「君こそ二対一で俺らに勝てると思ってるのかい? いくらその身体が再生するったって、ボコされ続けたらいずれ限界は来るでしょ」


 パーシヴァルは不気味に静かになった。頭部を覆う黒いマスクのせいで表情はわからなかったが、何故か不敵な笑みを浮かべていることだけは容易に想像できた。


 すると不意に、小部屋へと続く無数の扉が中から開いた。一つ、また一つと、蝶番の音が鳴り響く。


「ちょっとちょっと、どうなってんの?」

「……相変わらず悪趣味な男だ」


 リカルドとハンスが揃って目を剝き、顔を顰めた。


 小部屋の扉から次々と出てきたのは、“複数のパーシヴァル”だった。その全員が、最初の一人と同様に黒い戦闘用スーツと黒いマスクを装備している。


「人体実験に使われた死体で遠隔用の自分の人形を複製したか」


 ハンスが低い声で問いかけると、最初のパーシヴァルが頷いた。それに続いて、他のパーシヴァルたちも歩みを進めながら各々それに準じた反応を示す。

 その数は、ゆうに十人は超えている。


「正解」

「――で、」

「二対一が」

「なんだって?」


 せせら笑うような声色に耐えきれなくなったかのように、“天使化”したシオンがそのうちの一体に刀で斬りかかった。“天使化”による電磁気力の操作で斥力が増幅され、シオンの一刀から強烈な斬撃が生まれる。パーシヴァルの一人が体を横一線に分断されたあと、衝撃の余波でバラバラに吹き飛んだ。


 それを合図に、他のパーシヴァルたちが一斉にシオン、ハンス、リカルドに強襲する。


 “天使化”したシオンが一番の脅威と捉えられているのか、パーシヴァルの半数以上がシオンとの戦闘に当てられた。


 初めこそ圧倒していたシオンだが、捨て身同然に肉薄してくる複数のパーシヴァルの猛攻に、やがて数で押されるようになった。どれだけ刀で斬り伏せても、すぐに何事もなかったかのように再生し、また襲い掛かってくる。

 やがてシオンの太刀筋には隙が見えるようになり――とある一体に袈裟懸けに斬りつけた一撃が甘いものとなってしまった。刃はパーシヴァルの胴体を抜けることなく、彼の鎖骨当たりで留まってしまう。

 パーシヴァルは刀の刃を左手で、刀を握るシオンの手を右手で掴み上げる。直後、パーシヴァルの身体がコンクリートのように固まる。


「しまっ――」


 シオンがハッとして驚きの声を上げた時にはすでに遅く、パーシヴァルが自爆した。パーシヴァルは自分自身を爆発物に書き換えたのだ。

 黒煙が立ち込める爆心地にパーシヴァルの姿は跡形もなく、代わりに体を激しく損傷したシオンが横たわっていた。幸い“帰天”のおかげで致命傷も即座に回復したが、シオンの体力はすでに底をついている状態だった。爆発によるダメージが回復した矢先に“天使化”が解けた。シオンは呻くように床に両腕を立て、立ち上がろうとする。


 そこへ、パーシヴァルの一人がシオンの首を掴み上げ、壁に叩きつけた。

 シオンはパーシヴァルの腕を両手で掴んで抵抗を試みるが、両脇からさらに二人のパーシヴァルがやってきて、逆に両腕を伸ばされて磔の状態にされてしまった。


「君は、どうしてガイウスが“リディア”を排除したのか、その理由を知っているかい?」


 正面に立つパーシヴァルが、シオンの首から手を離しながらそんなことを言ってきた。それからパーシヴァルは、シオンの服の前面を裂き、胸部と腹部を露わにさせる。


「“リディア”は大陸同盟締結のための大きな障害だったことに違いはない。当時まだ教皇になりたてのガイウスにとって、各方面に発言力のあった“リディア”はある意味で聖女以上の厄介者だった。事実、彼女が消えたことで大陸同盟の締結に関わる諸々の話が、ガイウス主導で飛躍的に進んだからね。でもね、“あのガイウス”が、大陸同盟締結なんてものに殊勝に執着すると思うかい?」

「何が言いたい……!?」


 シオンが狂犬のように唸った直後、パーシヴァルの右手の指五本がシオンの腹部に突き立てられた。シオンは、これまでに感じたことのない異様な激痛に短い悲鳴を上げた。

 それから間もなく、シオンの身体に異変が起きる。

 パーシヴァルの指が突き刺さった部位から、まるで病が可視化されたかの如く、シオンの身体が黒く変色していく。腹部から広がったそれは徐々に全身を侵し、ついにはシオンの顔の付近にまで迫った。


 苦悶に悲鳴を上げるシオンに、パーシヴァルが顔を近づける。


「ガイウスと“リディア”――あの二人の間にどういう関係があったのか、君は知っているか?」


 パーシヴァルの黒いマスクに、痛みに歪むシオンの顔が映る。

 そして――


「――知らねえよ!」


 らしくない言葉遣いの一声のもと、シオンは再度“天使化”した。


 赤黒い光と稲妻が迸り、三人のパーシヴァルを焼いていく。黒く変色したシオンの身体は瞬く間に元通りになった。その後、シオンは正面にいたパーシヴァルを渾身の力で蹴り飛ばす。続けて、身体を壁に押さえつけていた二人のパーシヴァルを力任せに振りほどき、二人の頭部を両の拳でそれぞれ殴り潰した。


「君が知らないなら、ガイウスに直接訊――」


 残った一人が何かを言いかけたが、怒り狂ったシオンに頭を蹴り飛ばされて沈黙する。


 そうして再起したシオンを遠目から確認したリカルドが、どこか勢いに乗ったように口笛を吹いて指を鳴らした。


「シオンくん! 天使パンチもう一回!」

「次は蹴りでやる!」


 刹那、勢いよく宙に飛んだ“天使化”状態のシオンが、右足を天井高く振り上げる。“悪魔の烙印”による激しい抑制反応が起こり、大部屋の中が赤い光と稲妻で満たされた。

 そして、霹靂の如く振り下ろされる。

 シオンの全力の踵落としは大部屋の黒い床を軽々と粉砕し、この場にいた全員もろとも下の階層に叩き落とした。


 煙が充満する中、シオン、ハンス、リカルドがすぐさま瓦礫をかき分けて立ち上がる。それに追随するようにパーシヴァルたちも煙の中から姿を現した。


「シオン、お前はメンゲルたちを追え! 必ず捕まえろ!」


 取り付く島もなく複数のパーシヴァルが再度強襲してきた。その直後、ハンスがハルバードを自身の周囲に展開させながら吠えた。リカルドも鋼糸を張り巡らせ、パーシヴァルの行く手を阻む。


 シオンは、“帰天”の連続使用による疲労に顔を顰めながら、刀を拾って下層へ向かって走った。

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