第156話
シオンがクラウディアのこめかみに拳銃を押し付ける。ヴァンデルは焦燥と怒りで顔を歪めた。
「貴様、何者かは知らないが――」
「先に俺の質問に答えろ。余計な受け答えをするつもりなら、この女の顔の皮膚、ひび割れたところから全部剥ぎ取るぞ」
期待した言葉ではないと、シオンが威嚇する。シオンは、クラウディアを支える腕の手を器用に動かし、中指を彼女の顔のひび割れ部分に滑らせた。
「何を――」
「十、九――」
ヴァンデルが何かを言おうとしたが、直後にカウントダウンを始めた。シオンの中指はクラウディアの顔の皮膚を少しずつ剥がすように動かされている。
シオンの言葉が脅しでないことを理解したヴァンデルが息を呑んだ。
「ヴァンデル閣下、娘の身を案じるのであれば素直に答えた方がいい。この男は本当にやる」
ハンスの忠告に、ヴァンデルが動揺に体を震わせる。
「ハンス卿! いったい、な、何者なんだ、この男は?」
「……二年前に騎士団分裂戦争を引き起こした議席ⅩⅢ番の騎士――黒騎士シオン・クルスだ」
シオンの正体を聞いたヴァンデルが、いよいよ顔から血の気を失わせる。よろよろと後退し、机に足をぶつけて止まった。
二千年近い大陸史において、数百年前の記録を最後に長らく現れることのなかった最凶の存在、黒騎士――まして目の前にいるそれは、教皇に反旗を翻し、騎士団を二分するほどの混乱を招いた、史上最悪とも言える罪を犯している。
ヴァンデルは、そんな男が自分の娘を人質にしているという事実に直面し、呆然と目を見開いた。
「五、四――」
「待て、待て! 私が娘の代わりの人質になる! だから――」
「三、二――」
カウントダウンの数字は容赦なく、正確に減っていく。それを止めるには、シオンの質問に答えるほか、選択肢はない。
ヴァンデルは勢いよく前のめりになった。
「娘には“騎士の聖痕”を応用した人体蘇生の魔術を使った! フリードリヒ・メンゲルの提案だ!」
クラウディアの顔に差し込まれたシオンの中指が、すっと抜かれる。
「この女の背中に“騎士の聖痕”はなかった。それはどう説明する?」
「わ、私も詳しいことはわかっていない。人体蘇生の魔術がどんな原理なのかはあの男しか――」
シオンの質問にヴァンデルが答えている最中、ボトン、と何かが落ちる音が部屋の中に響く。
「クラウディア!」
ヴァンデルが悲鳴のような声で娘の名を叫んだ。
シオンに支えられながら意識を失い、ぐったりとするクラウディア――その右腕が、床に落ちたのだ。自重に耐えきれなかったのか、断面の皮膚や筋肉はゴムのように伸び、引きちぎれた形状だった。落ちた右腕はやがて白い石灰のようになり、脆く砕けていく。
この現象には、シオン、ハンス、リカルドも目を剥いた。
「そちらの質問には後で必ず答える! だからまずはこの子を治療させてほしい! お願いだ、頼む!」
ヴァンデルが裏返った声で嘆願した。シオンはそれを無情にも睨み返す。
「治療? こんな状態からどうやって元に戻す?」
「話は後にしてくれ! 時間がない!」
発狂寸前ともいえる表情でヴァンデルが声を荒げると、そこへ、
「シオン、言うことを聞いてやれ」
ハンスが、諭すように言った。シオンは短い溜め息を吐いたあと、拳銃を床に投げ捨ててクラウディアを抱え直す。何かの衝撃でまた四肢の一部がちぎれ落ちるのではないかと、細心の注意を払いながら、そっと両腕で支えた。
「この女、どうすればいい?」
「私に付いてきてくれ。これからメンゲルの研究室に連れていく」
シオンが訊くと、ヴァンデルは執務室の扉から出て彼らを先導した。執務室の外には小銃を構えた兵士たちが不安げな面持ちで隊列を組んで待ち構えていたが、ヴァンデルが一言声を上げると、戸惑いつつも即座に道を開けた。
駆け足で先を行くヴァンデルの後ろを、シオン、ハンス、リカルドが追う。階段を幾つも駆け上り、同じようなフロアを何度も巡った。
そうして何段もの階段を上ったあと、シオンたちは要塞基地の上層階に到達した。そこは階段を抜けた先から長い廊下が続いており、不気味に薄暗く、視界の頼りになるのは足元を照らすフットライトだけだ。壁や天井は打ちっぱなしのコンクリートで、ダクトや何かの配線がむき出しており、生活観と呼べるものは皆無である。
「メンゲル! クラウディアの治療を頼む! メンゲル!」
廊下を抜けても薄暗いのは相変わらずだったが、やや広めで開放感のある円状の部屋に出た。その直後、ヴァンデルが声を張り上げ、くだんの教会魔術師を呼ぶ。
すると、それが何かの合図であったかのように、室内が一気に明るくなった。シオンたちは光に目を眩ませ、咄嗟に顔を顰める。
光によって、円状の部屋の詳細が露わになる。内装は通ってきた廊下と同じようにコンクリート製で殺伐としていた。壁にはいくつもの鉄の扉が設けられており、上部の壁には漏れなく赤いランプが備え付けられている。そのうちの何個かは重々しく光っていた。
不意に、扉の一つがゆっくりと開く。
「将軍ですか? 今忙しいんで、後にしてもらえないですかね?」
扉から出てきたのはメンゲルだった。その身に纏う白衣は、返り血を浴びたかのように赤く染まっている。顔にも赤い飛沫が付いており、メンゲルは眼鏡に付着したそれを気だるげに拭き取っていた。
「悪いんですが、さっき承認してもらった実験を最優先に――」
メンゲルの台詞は、一発の発砲音によって遮られた。ヴァンデルが握る拳銃から放たれた弾丸は、メンゲルのすぐそばを通り抜け、コンクリートの壁に弾痕を残した。
メンゲルは、やれやれと肩を竦める。
「はいはい、わかりましたよ。それじゃあこっち来てください」
そう言ってメンゲルは扉の一つを開け、入室するよう促してきた。
シオンたちが中に入った瞬間、これまた明るい光が部屋の天井中央から降り注ぐ。
そして、シオン、ハンス、リカルドは怪訝に眉を顰め、言葉を失った。
案内された部屋は、一辺が二十メートルほどの真四角な間取りで、ここもまたコンクリートがむき出しの冷たい空間だ。異様だったのは、床一面に無数の印章が描かれていることだった。それらは互いに何本もの線で連鎖的に繋げられ――各印章の上には、棺のような装置が置かれていた。中に何かが入っているように見えるが、それを確認する術は今はない。
「いつも通り、お嬢さんを中央の台に寝かせて」
メンゲルが指し示したのは、中央に鎮座する台座だ。まるで神への供物を捧げるための祭壇のような趣があった。
シオンは、そんな不気味さを感じつつも、指定された台にクラウディアを仰向きで寝かせる。この時すでに、クラウディアは虫の息であった。
「それじゃあさっさと始めるんで、下がっててください。術に巻き込まれると“取り込まれてしまう”かもしれないので」
メンゲルがそう言ってシオンたちを部屋の隅に追いやる。
シオンたちは大人しく従い――この異様な部屋の光景に、表情を険しくした。
「床に描かれているのは連結印章だな。複数の印章を特定の位置に配置し、それぞれの相関を線で結んで表現する。そうすることで一つの巨大な印章として扱い、強力な魔術を発動させることが可能だ。さらに言えばこれは、魔物の製造に使われるものとよく似ている」
ハンスが言うと、リカルドも頷いた。
「線で繋がれている印章は“騎士の聖痕”――によく似た見たことのない印章だ。あのメンゲルとかいう教会魔術師が考えたオリジナルの印章かな?」
「多分そうだろう。あいつはルベルトワで亜人を使った“騎士の聖痕”の研究を行っていた。床に描かれている印章は、その過程で生み出されたものだと思う」
シオンがそう同意した直後、メンゲルが魔術を行使した。
青い光が部屋全体を明るく照らす。先ほどのハンスの説明を裏付けるかのように、通常の印章を使ったものとは比較にならないほどの勢いで光と音が放たれた。
そして、中央で仰向けに寝るクラウディアの異変を見て、シオンたちは吃驚した。
クラウディアの顔のひび割れと、右腕の欠損がみるみるうちに再生していくのだ。それはさながら、“帰天”を使った時の反応であった。
「まさか、劣化が治った?」
「……にわかに信じられないな」
リカルドとハンスが、眼前の眉唾な現象を否定する面持ちで唸った。隣のシオンも無言で二人の反応に追随する。
そうしている間に、ものの数十秒でクラウディアの身体は元通りになった。魔術の実行反応も止み、部屋は一気に静けさを取り戻す。
「クラウディア!」
ヴァンデルが駆け出し、台座で寝るクラウディアの上体を起こす。
それを見たメンゲルは、うんうんと満足げに頷いてさっさと踵を返した。
「お嬢さん治ったみたいだね。それじゃあ、僕はこれで――」
途端、メンゲルの動きが止まる。まるで、見えない腕に体を拘束されたかのように、歩く時の姿勢のままぴたりと静止してしまっていた。
リカルドが、戦闘用のグローブを付けた片手を大きく広げて、メンゲルに掌を向けていた。その指先からは、細長い銀閃が蜘蛛の糸のように張り巡らされている。ユリウスの武器と同じ鋼糸である。リカルドの鋼糸がメンゲルの身体の自由を奪っているのだ。
「お、おや?」
「“流転の造命師”、フリードリヒ・メンゲルだな?」
戸惑っているメンゲルに、ハンスが歩み寄って声をかける。
「貴様には騎士団から様々な嫌疑をかけられている。ここで何をしているのか、さっきの魔術の詳細も含め、色々聞かせてもらおう」
今度はリカルドが、ヴァンデルの方に視線を送った。
「ヴァンデル閣下も、ご協力のほどよろしくお願いします。“騎士の聖痕”は教会の最重要機密です。それに類似した印章を大国の軍事施設で利用しているこの事実――場合によっては貴方を異端審問にかけなければならない。これからする我々の質問には嘘偽りなくお答えください」
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