第155話

 ハンスとリカルドは、シオンたちが留置所から解放されたことを確認したあと、ヴァンデルの執務室へと案内された。中に入ると、扉の真正面、部屋の奥にある机と椅子にヴァンデルは座っていた。


「お待たせして申し訳ない。ようやく会話の時間を設けることができた」


 ヴァンデルは立ち上がってそう短く謝罪した。執務室中央には来客用のソファが長テーブルを挟んで対面で用意されており、ハンスとリカルドはそこに座るように言われる。二人がソファに座ると、ヴァンデルも対面のソファに腰を下ろした。

 ヴァンデルは疲れたように長い息を吐き、目頭を軽く押さえる。


「お忙しそうですね。こちらこそ突然申し訳ないです」


 リカルドが軽い口調で詫びると、ヴァンデルは肩を竦めて微笑した。


「まったくです。次は是非、事前にご連絡願います。そうすれば、豪勢な食事を用意しておもてなしすることもできた。騎士といえども、酒と女は嫌いではないでしょう?」


 その冗談に、リカルドはわざとらしく苦笑して応える。


「それは勿体ないことをしました。何なら、今から出直して――」

「ヴァンデル閣下。お気遣いは大変ありがたいが、こちらもあまり余裕のある立場ではない。早速本題に入らせてほしい」


 アイスブレイクが無駄に長くなることを良しとせず、ハンスがぴしゃりと言って場の空気を引き締めた。

 ヴァンデルは嘆息し、表情を改める。


「それで――騎士団の最高幹部が二人も、何故こんな辺境の地にある軍事基地へ?」

「単刀直入にお聞きする。ここで亜人を使った人体実験を行っているな?」


 歯に衣着せぬハンスの質問だったが、ヴァンデルは特段気分を害した様子も見せず、軽く首を傾げた。


「何を根拠に?」

「教会魔術師、“流転の造命師”フリードリヒ・メンゲルをこの基地で研究者として雇っているのは先ほど確認した。あの男は以前、ガリア公国のルベルトワという街でエルフを使った人体実験を行っていた。非倫理的な人体実験は、人間、亜人を問わず、聖王教の教会法で禁じられている。その研究が――」

「継続してここで行われていると?」


 質問の要点を先に言われ、ハンスとリカルドは眉を顰める。


「確かにハンス卿の言う通り、メンゲルはここで研究員として雇っている。つい二ヶ月ほど前からだ。だが、ここでの実験は魔物の製造に関するものだけだ。政府からの承認も得ている。あなた方が懸念しているような研究はここでは行われていない」


 ヴァンデルが堂々と回答すると、リカルドは少し厭らしい笑みを浮かべた。


「はっきり仰いますねぇ。じゃあ、あの男にはここで何を――」


 リカルドの言葉を、ハンスが手を挙げて制止する。


「それならそれで結構。であれば次は、少し話を変える」

「何を?」

「フリードリヒ・メンゲルの身柄を我々に引き渡してほしい。奴は人体実験を行っていた罪で一度騎士団によって拘束された。だが、教会側の意向により――」

「なら、それでよいのでは?」


 再度言葉を遮られ、ハンスは眉間に深い皺を作る。


「メンゲルが正規の手続きを踏まずに釈放されたことは私も知っている。教皇庁上層部――もとい、教皇猊下の計らいによるものだろう? であれば、それがすべてと従うに他はない。たまたま例外的にそうなった、というだけの話だと思うが?」


 ヴァンデルは妙な自信をその表情に浮かばせながら続ける。


「騎士団分裂戦争以降、教皇庁と君たち騎士団の関係が悪化していることは少なからず把握している。メンゲルの身柄引き渡しの要求も、職権濫用ともいえる猊下の振る舞いを非難するための証拠にするつもりなのだろう?」

「そこまでわかっていて我々の要求を拒むということは、十字軍との関わりも認めるな?」


 ハンスの声色は落ち着いていたが、鋭いナイフの切っ先を差し込むような冷たさがあった。しかし、ヴァンデルは片眉を上げて両手を軽く広げるだけだ。


「十字軍? それは知らんな」


 ハンスとリカルドがじっとヴァンデルを睨む。だがヴァンデルは、十字軍に関しては本当に何も知らないようで、二人の反応を怪訝に見ていた。


「恍けているように見えるかね?」


 これ以上は疑っても意味がないと、ハンスとリカルドは諦めた。

 ヴァンデルはソファから立ち上がり、部屋の時計を一瞥する。


「さあ、他に言うことがないのなら早々にお引き取り願おうか。そろそろ次の打ち合わせが――」

「ブラウドルフからこの基地へと続く雪道の途中で、私たちは魔物に襲われている一人の若い娘と遭遇した。クラウディア・ヴァンデル、恐らく彼女が貴方の娘だな?」


 ヴァンデルを再度ソファに座らせるような圧を込めて、ハンスが訊いた。ヴァンデルは一瞬固まったあと、徐に二人の方に体を向ける。


「その節は世話になった。藪から棒に何を言い出すかと思ったが、それを恩に着せてさっきの要求を呑ませるつもりか?」

「あの時、外は猛烈に吹雪いていた上に、魔物の群れにも遭遇するような状況だった。にも関わらず、彼女は町まで残り数キロ地点の所まで、たった一人で辿り着いていた」

「それが何か?」


 これまで余裕のあったヴァンデルの声色が、急に低くなった。

 ハンスはさらに続ける。


「常人離れした体力を持つ私たち騎士であっても、あの雪道を歩くのにはそれなりの苦労をした。まして、魔物に追いかけ回される状況ともなれば、“普通の人間”であればまず町に辿り着くことなど不可能だろう。極めつけは――私たちが貴方の身辺を事前に調べた限りでは、貴方の娘は数ヶ月前に病で亡くなっているとあった」


 淡々と説明するハンスを、ヴァンデルは無表情で見遣っている。


「閣下、先ほど私たちが見たあの娘は、いったい何者だ?」


 その質問に、ヴァンデルは恐ろしいまでに無感情な顔になった。


「……いま私は、とても失礼なことを言われた気がするのだが?」

「そう感じたのであれば、それを踏まえたうえで回答してもらって構わない」


 三者が睨み合い、執務室に重たい静寂が訪れる。暖房機器の低い稼働音と、時計の針の進む音が、その場を取り繕うように頼りなく響く。


 微かな振動と共に、どこからか轟音が鳴ったのはその時だった。


 突然の異変に、ハンスとリカルドがすぐさま立ち上がる。直後、執務室の扉が勢いよく開かれ、兵士が一人慌てた様子で入ってきた。


「失礼します!」

「何事だ?」


 兵士はヴァンデルに敬礼した。


「例の旅人たちが、クラウディア嬢を人質に基地内部で暴れ始めました!」

「どういうことだ? 目的は?」

「わかりません! ですがあの二人、とんでもない身体能力を有しており、一般兵士では太刀打ちできない状況です!」


 兵士の報告を受け、ヴァンデルはハンスとリカルドを険しい表情で睨みつけた。


「ハンス卿、リカルド卿、これは貴方たちの仕業か?」


 リカルドは困ったように顔を顰め、肩を竦める。


「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれないですね」


 ヴァンデルは舌打ちして懐から拳銃を取り出した。その銃口の先は、リカルドに向けられている。


「今はふざけたことを言う場面ではないと思うが?」


 刹那、先ほど執務室に入ってきた兵士が何者かに突き飛ばされ、そのまま床の上で気絶する。

 突然の出来事にハンスたちが驚いて振り返ると、兵士がいた場所に代わって、何故かシオンが立っていた。それも、クラウディアを抱え、彼女のこめかみに拳銃を突きつけた状態で。


「あーあ……」


 何てことをしてくれたんだと、リカルドが顔に手を当てて天井を仰ぐ。ハンスも無表情ながら、呆れと怒りの混ざった視線をシオンへ向けた。

 しかし、シオンはそんなことなどまったく意に介さず、


「ようやく見つけた。ハンス、リカルド、アンタらにも見てもらいたい」


 そんなことを言い出してきた。

 どうしてまたこんな面倒なことを引き起こしたのかと問い詰めそうになったハンスとリカルド――だが、シオンに抱えられてぐったりとするクラウディアを見て、両者とも目を見開いた。クラウディアの頬の皮が石膏のようになって剥げ落ち、筋繊維や腱がむき出しの状態になっていたのだ。


「クラウディア!?」


 ヴァンデルが上ずった声を出し、我を失った様子でクラウディアのもとへ駆け寄ろうとする。

 だが、シオンが拳銃の先をクラウディアの頭に押し付け、威嚇した。


「ヴァンデル将軍。アンタの娘、普通じゃないな? この娘に何をした?」


 先ほどハンスが質問した時とは打って変わり、ヴァンデルは酷く青ざめ、狼狽した。

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