第149話
ブラウドルフは、町のシンボルである時計台広場を中心にした古風な町並みだった。雪を踏みしめた靴跡の隙間からは黒い石畳が覗き、鋭角な三角屋根の木造家屋が至る所に建ち並んでいる。中世時代の面影が町全体に色濃く残っており、仄かな雪景色も相俟って、どこか幻想的にすら思える景観だ。
「冬季に流行るウィルス性の風邪ですが、症状が非常に強いです。このまま高熱の状態が続いて体力を消耗してしまうと、命に関わりかねません」
シオンが急いで取ったホテルの一室にて、往診の医者がステラの容体をそう診断した。医者の言葉通り、ステラはベッドの中で今にも息絶えそうなほどに呼吸を乱し、酷くうなされている。ベッドの傍に座るプリシラがステラの汗を拭きとっていくが、止まる気配は一向になかった。
シオンは、ステラをプリシラに任せ、医者と一緒に部屋の外へ出る。それにエレオノーラとユリウスが続き、四人は廊下で静かに向き合った。
「どうすればいい?」
シオンの開口一番を聞いて、医者は神妙な顔になる。
「解熱剤などはこちらでも用意できます、後で病院に来てもらえれば処方いたしますよ。それで幾分か症状は緩和できるはずですが、根本的な治療にはなりません。早く治すため、ウィルスの増殖を防ぐための抗ウィルス剤があれば望ましいのですが――この町でも一ヶ月ほど前から流行り出し、今は在庫を切らしてしまって……」
言葉を尻すぼみにして、医者は申し訳なさそうに眉根を寄せた。
「簡単には手に入らないのか?」
「発注自体は数日前に済ませています。ですが、いかんせん、この雪ですので。到着にはまだ数日かかるかと」
「他に手に入れる手段は?」
「あるにはあります、が……」
シオンが訊くと、医者はどことなく躊躇うように視線を外した。妙な含みを持つ反応だったが、それには構わず、シオンは医者に一歩詰め寄る。
「教えてくれ」
ずいっと目の前に立たれ、医者は一瞬だけ驚きで肩を上下させる。その後すぐに、観念したかのように嘆息した。
「ここから三十キロほど離れた場所に、軍の要塞基地があります。そこの医療設備なら、間違いなく抗ウィルス剤があるはずです。ただ、そこまでの道のりがかなり危険で――」
「軍の要塞基地に行けば手に入るんだな?」
「まさか、行こうと思っているんですか?」
医者が信じられないと声を張り上げると、シオンは小首を傾げた。
「何か問題が?」
「要塞基地へ行くには専用の地下道を使う必要があります。ですが、その通路は一般人は利用できないんです。どうしても利用しなければならない場合は、事前の承認が必須となります。ちなみに、申請が承認されるには最短でも一週間は見込みます」
「その地下道を使わないで行くことはできないのか?」
「かなり危険です。ここから基地に直通する地上の道は、地元でも冬の間は天候が非常に不安定なことで有名で、車も走らせることができないほどに荒れています。そんな場所なので、野生化した魔物の駆除もあまり行き届いておらず、足を踏み入れた途端、襲われて命を落とすなんてことも」
医者の説明を聞いて、シオンは少しだけ安心したように息を吐いた。
「それだけならいい」
「そ、それだけって……」
「とにかく、軍の要塞基地に行けば薬が手に入るんだな? そのことに間違いがないなら、問題ない」
「……どうなっても私は知りませんよ」
医者は呆れた顔を左右に振って、この場を後にした。
シオンが、エレオノーラとユリウスの方を向く。
「俺はこれから軍の要塞基地に行く」
「言うと思った」
エレオノーラが苦笑して肩を竦めた。
一方で、
「おい、待て」
廊下の壁に背を預けていたユリウスが、組んでいた腕を解いた。
「何だ?」
「俺も行く。てめぇ一人はさすがにやばいだろ」
そう言ってユリウスは懐から煙草を取り出し、火を点けた。
「別にいい。薬を取りに行くだけだ」
「お前、騎士だった時に一度雪山で遭難したことあるだろ。そんな前例ある奴を一人で行かせられるか」
ふー、と紫煙を大きく吐き出しながらユリウスがちくりと言うと、シオンはどことなくばつの悪そうな顔になって口を噤んだ。
そんなやり取りを傍から見ていたエレオノーラが、物珍しそうに目をぱちぱちとさせる。
「え、何? アンタら、仲悪そうに見えて実は仲いいの?」
しかし、ユリウスは煙草のフィルターを噛み千切らんばかりの勢いで口の周辺の筋肉を引きつらせた。シオンもまた同じく、酷いしかめっ面になっている。
「んなわけあるか、クソが。こっちはこいつを殺すためだけにこんな不本意な旅に付き合ってやってんだ。勝手なところで死なれたら困るってだけだ」
「あっそ」
面倒くさいことを聞いてしまったと、若干悔いるようにエレオノーラがしらけた。
そんな微妙な空気をリセットするかの如く、シオンが動き出す。
「エレオノーラはここでプリシラと一緒にステラを看てやってくれ。二人で交代すれば、看病の負担も減らせるだろ」
シオンの頼みを聞いて、エレオノーラがやや気を重たそうに嘆息した。
「あのプリシラって女騎士のことは嫌いなんだけど、まあ仕方ないか」
「すまないが、頼んだ」
「ステラのためだからね、我慢するよ。それじゃあ早速、看病に必要なものを色々揃えてこようかね。これからちょっと、水なり何なり買ってくるよ。さっきのお医者さんから薬も処方してもらわないと」
エレオノーラは気分を切り替えるように手を振って、踵を返した。彼女の姿が廊下の角に消えたのと同時に、シオンが出発の準備を始める。防寒具を着込み始めるシオンを見たユリウスが、携帯灰皿に煙草を捨てながら顔を顰めた。
「おい、あと二時間もしないで日が暮れるぜ? まさか、これから行くつもりなのか?」
「ああ」
きっぱりとシオンが言い切り、ユリウスは大きな溜め息を吐いて天井を仰ぐ。
「急ぐ気持ちはわかるが、俺らが失敗したら元も子もねえんだからな? クソが、せめて準備だけはしっかりしておけよ」
やれやれと呆れるユリウスだったが、彼の言葉を聞いたシオンが、何かに気付いたようにはっとした。
「準備と言えば、お前こそ戦闘準備、しっかりしておけ」
シオンの言葉を聞いて、ユリウスは訝しげに眉根を寄せた。
「あ? まさかお前、薬貰うためにグリンシュタットの軍相手に一戦やらかすつもりか?」
「違う。さっきの医者の話を聞いて、少し気になることがあった」
「気になること?」
「野生化した魔物の駆除が行き届いていないって話だ」
ユリウスはますます怪訝な顔になる。
「それならさっき医者が言ってただろうが。天候が不安定なせいだって。冬の間は軍人たちも足を踏み入れられないくらい天気が荒れてんだろ」
「なら、夏は?」
間髪入れないシオンの切り返しに、ユリウスが押し黙る。
「この国の軍はつい最近まで、自国周辺の地域も含めて魔物の駆除を率先してやっていた。そんな軍が、足を踏み入れることが危険と言われるほどまでに魔物が蔓延っている状況を放置しているのは不自然だ。まして、基地の周辺だぞ。毎日ずっと天気が荒れているというわけでもないだろうし、夏であれば雪も溶ける。その時に駆除すればいい」
「軍が、敢えて基地の周りに魔物を放っているって言いてえのか?」
ユリウスの推理に、シオンは首を横に振った。
「わからない。ちなみに、お前はどう思う?」
「知らねえが――お前の懸念はごもっともだ。少し用心しといた方がいいかもしれねえな」
シオンが頷く。
「時間をかけてしまえばステラの命に関わるかもしれない。遭遇するトラブルに容赦はするなよ」
「そのトラブルが、魔物程度で済めばいいんだけどな」
最後にユリウスが小さく鼻を鳴らし、二人はホテルを後にした。
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