第四章 蝋の翼

第148話

 ノリーム王国から国境を越え、グリンシュタット共和国の領土に入って早一時間――十四時を過ぎた頃、シオンたちは新雪に覆われた国道上を走行していた。小国地帯とは違って道路こそコンクリートで綺麗に舗装されているが、周囲の景観はひたすらに鬱蒼とした林が続いている。人気のなさも相俟って、妙な心細さを覚えさせる雰囲気があった。


「グリンシュタットに入ったはいいけどよ、これからどこに向かうのか、当てはあんのか?」


 雲一つない冬の晴天の光が、周囲の雪に反射して目を眩ませる。車の助手席に座るユリウスが、眼鏡をかけ直しながら、運転席に座るプリシラに訊いた。


「首都ゼーレベルクだ」

「んなことわかってる。俺が訊いてんのは直近の話だ。こんな雪道じゃあ、休まず丸一日走っても首都まで着かねえだろ。どっか適当なところで一、二泊する必要あるぜ」


 凛々たる寒気に吐息を白くさせながら、二人は小さな会議を始める。


「確かにな。日が沈む前に、どこか宿を取ることができればいいのだが」

「首都に入るまでの話も兼ねて、ここいらで一休みするか? 天気もいいし、立ち止まって休憩するなら今だろ」

「そうだな」


 ユリウスの意見に同意したプリシラが、車のアクセルを強く踏み倒す。

 車の進行方向には一筋の轍が延びていた。先行して走るシオンの自動二輪車が残したものだ。プリシラたちの乗る車がそれに追いつくと、彼女は並走するように速度を緩めた。


「おい、シオン!」


 すかさず、助手席のユリウスが身を乗り出してシオンに話しかける。自動二輪車の後ろに乗っているエレオノーラが先にそれに気付き、シオンの肩を軽く叩いた。シオンは防寒具のマスクを下げて車の方を一瞥する。


「何だ?」

「次にどこ行くか、休憩がてらいったん停車して決めようぜ。どうせお前も当てはないんだろ?」

「そうだな。首都までまだかなりの距離がある。そろそろ宿泊する場所を考えた方がいい」


 走行音に負けない声を互いに張り上げ、シオンの自動二輪車とプリシラの車はほぼ同時に速度を落として停車した。


 自動二輪車が完全に動きを止めたあと、エレオノーラが降りて頭の防寒具を外す。薄桃色のツインテールを振りながら、白い息を小さく吐いた。


「なんかさ、三ヶ月前もこんなやり取りしたっけ。人通りのない山道で、寝床を探さないとって」


 不意にエレオノーラが、シオンの方を見ながら言った。彼女と同じく頭の防寒具を外していたシオンが、きょとんとした顔で振り返る。


「あったか?」

「あった。アンタが“天使化”の反動でぶっ倒れた時。リズトーン出てすぐあと」


 シオンは斜め上を睨むように見上げたあと、ああ、と短い声を上げた。


「……迷惑かけたな」

「ホントね。あの時、大変だったんだから」


 エレオノーラは両手を腰に当てながら肩を竦める。それから、どこか鬼の首を取ったような顔で、にやりと笑った。


「なんだよ、その顔」


 シオンが不穏なものを感じ取ったように眉を顰めると、エレオノーラはますます楽しそうな顔になった。彼女はそのまま、話の勢いに任せたかのように、車の後部座席を見遣る。

 しかし、直後にハッとして、たじろぐような反応をした。

 ステラとはまだ、三ヶ月前の喧嘩別れについて、和解のためのけじめを付けられていない。にもかかわらず、つい何気なく、一緒に旅をしていた時と同じようにステラへ話しかけそうになった。


 それから、ほんの数秒の沈黙が生まれるが――エレオノーラは、一度大きく深呼吸をして、意を決したように表情を引き締める。

 そして改めて、ステラのいる方へ向き直った。


「ねえ、ステラ。アンタも――」


 できるだけ明るく、以前と同じような調子で話しかけたエレオノーラだったが、すぐに声を小さくした。


「ステラ?」


 国境近辺での騒動で屋根を失い、内装が露わになった車――その後部座席で、ステラは顔を俯けて座っている。そのまま人形のように動かないでいることに、彼女以外の全員が訝しんだ。


「おい、ステラ? 大丈夫か?」


 シオンが声をかけても、ステラは何も反応を示さない。

 運転席に座っていたプリシラがすぐに後部座席へと移動し、ステラの体にそっと触れる。


「ステラ様? どうかされましたか?」


 その直後、ステラの体が力なく横に倒れる。何の抵抗も感じさせない異様な倒れ方に、一同は目を剥いた。


「ステラ!?」


 シオンとエレオノーラが揃って駆け寄る。二人が近づく前に、プリシラがステラの額に手を当てて体温を確認した。


「酷い熱です。意識も失いかけています」


 プリシラの短い診断の通り、すでにステラは誰の呼びかけにも応じられていない状態だ。顔は赤く、目を虚ろにし、寒さに体温を奪われるかのように呼吸を乱している。


 車の助手席に座っていたユリウスが、呆れたように顔を顰めた。


「国境越えてから急に冷え込んだうえ、屋根を剥ぎ取られたこんなおんぼろ車に乗り続けていたんだ。ガキの体力じゃあ風邪の一つや二つ簡単に引くだろうよ」

「それだけじゃない」


 ユリウスの見解のあと、すかさずシオンが言った。


「ノリーム王国での一件、ステラはかなりの責任を感じていた。精神的にも相当弱っていたんだろう」


 シオンは、どこか同情するように目を伏せる。たかだか十五歳の少女が、己の判断が原因で多くの亜人たちを苦しめ、その行く末を決めてしまったのだ。確かにあの一件は、何がどう転んでも悲劇にしかならなかった。だがしかし、それゆえに、そのプレッシャーは、仮に大人が同じことをしたとしても、耐えがたいものであっただろう。

 シオンを始めとして、エレオノーラ、プリシラ、ユリウスも、そのことは暗黙のうちに了解していた。


「とにかく、一刻も早くステラ様を温かい屋内で安静にさせましょう。この熱、下手をすると命に関わりそうです」


 ステラの状態を確認し終わったプリシラがそう切り出した。

 すると、シオンがすぐに自動二輪車に括りつけた荷物から地図を取り出す。暫くそれを眺めたあと、不意にエレオノーラの方を向いた。


「エレオノーラ。お前はこれから車に乗って、ステラの傍にいてやってくれないか?」

「い、いいけど、突然どうしたの?」


 エレオノーラが首を傾げると、シオンは三人の前に地図を広げて見せ、とある一点を指差した。


「地図を見る限り、このまま二十キロほど進んだ場所にブラウドルフという町がある。それなりの大きさの町らしい。俺が先行してそこに向かい、宿と医者を見つけてくる」

「ああ、なるほど」


 エレオノーラはすぐに納得した。

 次にシオンはプリシラを見遣る。


「プリシラ、ブラウドルフに着いたら町のシンボルの時計台近くで待っていてくれ。見ればわかるほどの大きさらしい。そこで合流しよう」

「かしこまりました」


 そうして、シオンは自動二輪車から余計な荷物を手早く降ろした。防寒具を着直し、自動二輪車に跨って間もなく、アクセルを全開にしてあっという間にこの場から去ってしまう。


 そのエンジン音が消えないうちに、エレオノーラたちも動き出した。

 エレオノーラは、シオンが降ろした荷物を車のトランクに詰め込んだあとで後部座席に座った。それから、苦しそうに横たわるステラの頭を膝に乗せ、自身のコートを彼女の体の上に被せる。

 その時、


「……ごめん、なさい……」


 ステラが、うなされながらそう言った。


「……私の、せいで……」


 今にも息絶えそうな弱々しい呼吸だった。

 エレオノーラが、ステラの顔を優しく撫でる。


「……アンタのせいじゃないよ」


 間もなく車が走り出し、シオンの後を追った。

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