第150話

「――ってわけだから。アンタとアタシは、ここでステラの看病しろって、シオンが」


 ステラの眠る部屋に入ったエレオノーラが、プリシラに向かってそう言った。日用品や薬の入った紙袋をテーブルに置き、防寒具を脱ぎながらソファの上に腰をかける。ふー、と長い息を吐いて天井を仰ぐほどの間があったが、プリシラからは何も反応がなかった。

 エレオノーラは露骨にむっとして、眉間に皺を寄せる。


「何か言ったら? さすがにシカト決められると、無駄に腹立つんだけど」

「貴様と話すことは何もない」


 プリシラは、ステラが寝るベッド脇の小椅子に座ったまま、無愛想に答えた。エレオノーラは小さく舌を鳴らして顔を顰める。


「あっそ」

「他に用件がないならこの部屋から出ていけ。ステラ様は私が看る」

「用件ならある」

「さっさと言え」


 ステラの方を見たままプリシラが訊いた。エレオノーラはしかめっ面のまま、紙袋から薬と日用品を取り出していく。


「さっきホテルに戻った時、車を移動しろってスタッフの人に言われた。夜中に雪かきするから、指定した場所に移動させろだって」

「貴様がやればいい。私はステラ様の看病で忙しい」

「アタシ、車の運転できないんで」


 その回答に、プリシラが露骨に苛立ちを孕んだ溜め息を吐いた。それからすぐに無言で立ち上がり、すたすたと部屋から出ていってしまう。

 やや雑に閉められた扉を見て、エレオノーラは口元の筋肉を引きつらせた。


「っとに感じ悪いな、あの女。アタシの何が気にくわないんだろ」


 そんな時だった。不意に、ステラが咳き込む。

 エレオノーラは水の入った瓶と薬を手に、急いで駆け寄った。


「……エレオノーラさん?」


 ステラがうっすらと目を開くが、その青い瞳は視点が定まっていない。顔はしもやけを起こしたように赤く、汗まみれだった。


「ごめんね。起こしちゃった」


 謝りながらエレオノーラは小椅子に座る。その流れでグラスに水を注ぎ、薬を一錠取り出した。


「でも起きたならちょうどよかった。さっきお医者さんに解熱剤貰ったから、今のうちに飲んじゃって。これで幾分か体が楽に――」

「ごめんなさい……」


 突然、謝罪の言葉を口にしたステラに、エレオノーラは一瞬だけ固まる。だがすぐに力なく笑い、タオルでステラの顔の汗を拭き取っていった。


「別にいいって。体調なんて誰でも崩すんだし。今はしっかり休んどきなさい」

「私、何も知らなかったくせに、三ヶ月前、エレオノーラさんに、酷いことを……」


 息を切らしながら、ステラは必死に伝えてきた。エレオノーラは、そんなことかと、さらに笑う。


「今はどうでもいいでしょ、そんなこと。ていうか、どちらかと言えばアタシが悪かったんだし。アンタらを騙していたことには変わりないしさ」

「……でも、エレオノーラさんは、あの時から、助けてあげるつもりだったんですよね?」


 ステラが途切れ途切れに話した内容を聞いて、エレオノーラは少しだけ気恥ずかしそうになって頭の後ろを掻いた。


「まあ、結果的に、ね。“あいつ”の命を助けることが一番の目的ってわけじゃなかったんだけど……」


 そんなエレオノーラを見て、ステラが、ふふ、と笑った。


「何笑ってんの?」

「エレオノーラさんって、素直じゃないですよね」


 意味が分からず、エレオノーラは首を傾げる。すると、


「“あいつ”って、誰のことですか? 私、具体的に誰かなんて、言ってないですよ」


 ステラが意地悪いことを言ってきた。エレオノーラはバツが悪そうに視線を横にずらし、顔をほんのり紅潮させる。


「病気なのをいいことに、言いたいこと言ってくれるじゃん」

「三ヶ月前の、ちょっとした仕返しです」


 まさかステラに踊らされる日が来るとは、しかもこんな弱った状態で――エレオノーラは、長い息を吐きながら、呆れたように脱力した。


「はいはい。もう満足したでしょ。じゃあ、薬飲んで大人しくまた寝てな」


 そう言って薬と水の入ったグラスを差し出すと、ステラは上半身を徐に起き上がらせた。薬とグラスを受け取り――それらを口に運ぶ前に、ふとエレオノーラを見遣る。


「エレオノーラさん」

「なに?」

「仲直り、してくれますか?」


 やけにまっすぐな瞳でそう言われ、エレオノーラは堪らず面食らった。ほんの数秒の間、暖房と時計の音だけが部屋に響くが、


「アンタがちゃんと治ったらね」


 エレオノーラは肩を竦めて笑った。その返答に納得したかのように、ステラもまた笑顔になる。

 それからステラは薬を飲んだ後、グラスを返しながら、何か思い出したようにはっとした。


「そういえばなんですけど、どうしてまたエレオノーラさんもこんなところに来たんですか? あ、そうか、野暮なこと聞いちゃいました。シオンさんがいるから――」

「それも、アンタが治ったらちゃんと教えるから」


 エレオノーラは答えるのが面倒くさくなり、半ば強引にステラをベッドに寝かせた。


「とにかく、さっさとその風邪治す! そしたら、また色々お喋りしてあげるから」


 そうやって少しだけ声を張り、エレオノーラは小椅子から立ち上がった。その顔は、また少し赤くなっていた。


「はい」


 そんな彼女を見て、ステラは楽しそうに顔をほころばせていた。

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