第134話
時刻は十七時を回った。日はすでに沈み、曇りの夜は街灯の光だけが視界の頼りになっている。昼間にあった魔物の襲撃はすでに鎮圧され、ノリーム王国の街並みは従来の喧騒を取り戻しつつあった。王国騎士団の騎士や工事業者が破壊された街を修繕する傍らで、住民たちが徐々に表に出てきている。
「あの甲斐性なしの言っていたことは本当らしい。外に出て聞き込みするまでもなかった」
そんな街並みをホテルの部屋の窓から見ていたステラ――不意に部屋の扉が開かれ、ユリウスがそう言いながら入ってきた。彼の手には新聞が複数握られている。
ユリウスは長テーブルの前に立つと、勢いよくそれらを広げた。日付を見るとどれも一年前ほど前のもので、恐らくはホテルから譲ってもらったものだろう。
次にユリウスは新聞のとある箇所を複数指差し、ステラとプリシラが同時に覗き込んだ。
そこに書かれていたのは、ノリーム王国とグリンシュタットの協議に関する内容と、オズボーン家の没落についての記事だった。
「グリンシュタットが魔物の対応をしなくなったことが書かれていますね。それに、オズボーン家が崩壊したことも。ふと気になったんですけど、貴族の一家が丸々なくなって、この国の政治とかは大丈夫だったんでしょうか?」
ステラが素朴な疑問を言うと、ユリウスが一服つけた後で口を開く。
「このノリーム王国は国ひとつが巨大な都市国家として機能している。で、この国の貴族は都市を構成する十以上の区画のどれかを統治しているんだが、オズボーン家は西にあるグリンシュタットとの国境沿いの区画を領地にしていたらしい。まあ、それを聞いて色々納得はした」
「どういう意味ですか?」
「俺はこの国に滞在してから今日まで、国境の様子見るために何度かその区画を通過したが、あそこはスラム同然の状態だった。あの惨状がオズボーン家の崩壊によるものだとしたら、確かにあの甲斐性なしは国民に恨まれても仕方ねえよ。今日の朝も、ガキが焚火囲んで野良猫を朝飯にしていた有様だ」
唐突にシビアな現況を聞かされ、ステラは何とも言えない表情になってしまう。
ユリウスはさらに続ける。
「ついでに言うと、この国の亜人のほとんどがその区画に住まわされているみてえだ。通った時、でけぇ屋敷が亜人の収容所みたいに使われていたのをちらっと見たが、もしかするとあれがオズボーン家の屋敷だったのかもな」
「オズボーン家の崩壊によって行き場を失った亜人をその空き家に押し込めたか。無駄のないことだ」
プリシラがどこか嘆息混じりに感心した。その傍らで、ユリウスは紫煙を吐きながらソファに勢いよく腰を下ろす。
「ま、だからって俺らに何か影響があるわけじゃないんだけどな。今日は色々あって疲れた。さっさと飯食って寝ようぜ」
そう言って緊張の糸を緩めるユリウスだったが、ステラは新聞を見つめたまま、少しだけ物悲しい表情になっていた。
「ステラ様? 具合でも悪いのですか?」
それに気付いたプリシラが声をかけるが、ステラはハッとしてすぐに首を横に振る。
「え? あ、いえ……」
ステラのそんな反応を見て、ユリウスが目を細めた。
「王女、今のうちに釘を刺しておく。これは、お前には一切関係のない話だ。余計な首突っ込むなよ」
どこか呆れ気味に言ったユリウスに、ステラは表情を引き締めて頷いた。
「わかってます」
「“あいつの、わかってます、は信用するな”――てめぇの面倒見るうえでのシオンからの助言だ。余計なことに巻き込まれそうになったら、俺とプリシラは力づくでも止めるからな」
一切の忖度のないユリウスの言葉に、ステラは少しだけむっと頬を膨らませる。まるで、言うことを聞かない犬猫のように見られていることに、若干、自尊心を傷つけられた。
そんなステラの肩を持つ意図があったかどうかは不明だが、
「ユリウス、そういう貴様はどうするつもりだ?」
プリシラが唐突にそう切り出した。
「何が?」
「あのラルフとかいう男に余計なことを吹き込んだこと、忘れたとは言わせないぞ。もし彼が本当に亜人を引き連れて亡命したらどう責任を取る?」
プリシラからの小言に、ユリウスは顔を顰めた。
「なんで俺が責任取る必要あるんだよ。やるかやらないかはあいつの意思だ。俺はただ現状を打開する手段のひとつを言ったまでだぜ」
「でも、ラルフさん、ホテルから出る時、かなり追い詰められているような顔をしていましたよ?」
ユリウスとプリシラがキマイラを蹴り倒し、二人が騎士であることを明かした後、ラルフとミーアは間もなく各々の帰路についた。ミーアはともかく、ラルフの方はというと、部屋から出る間際に見せた顔は、酷く思いつめたものになっていた。
それが脳裏に焼き付いてしまい、ステラは今の今まで妙な焦燥感に見舞われているのである。
「ま、やるならやるでいいんじゃねえの? どのみち俺らには関係ないことだ」
「どうかな。今このタイミングで亜人が大勢亡命することになれば、ガリアも黙っていないだろう。調印を一方的に反故にされたと、最悪、この国を滅ぼすかもしれない」
プリシラの懸念を聞いて、ユリウスは愉快そうに煙草の煙を吐き出す。
「いいんじゃねえの? それはそれで面白そうだ」
「馬鹿が、何もよくない。もしこのままこの国丸ごとガリアに支配されたら、いよいよグリンシュタットに入国する目途が立たなくなるぞ。そればかりか、ステラ様の身を危険に晒してしまうことも考えられる」
プリシラが苛立つと、それに反応したかのようにユリウスも顔を引きつらせた。
瞬く間に雰囲気が悪くなる。
「その時はさっさとこの国から出りゃあいいだろ」
「シオン様とはこの国で合流する手筈になっている」
「合流した後で国を出りゃあいいだろ」
「合流する前にそうなったらどうするつもりだ! シオン様が入国できなくなることも考えられるんだぞ!」
「うるせえな! そうなったらその時に考えりゃいいだろうが! あいつなら放っておいてもうまくやれんだろ!」
「貴様が変に調子に乗って無責任なことを言わなければ気にしなくて済んだ話だ! 煙草の吸い過ぎで脳みそにヤニがこびりつき始めているんじゃないのか!」
「黙れよ、変態ストーカー女! シオンの介護中、てめぇがあいつに何してたか本人にばらすぞ!」
「ば、ばらされて困るようなことはしていない! ちゃんとシオン様を介抱していた!」
「あいつの体拭いている最中、キモい笑い方しながら鼻血垂らしていた癖によくいうぜ」
突然のユリウスの暴露に、プリシラが明らかに動揺する。横一線に揃えた前髪から覗く紫色の双眸が大きく見開かれ、羞恥と困惑に震えていた。
そんな彼女を、ステラは白い目で見遣る。
「す、ステラ様、誤解です! 私は本当に、純粋にシオン様を介護していただけです! そ、そのような目で見ないでください!」
プリシラがそう必死に自己弁護を図るが、
「何でもいいですけど、喧嘩はほどほどにしてくださいね」
その慌てっぷりが逆に“それ”を認めているようで、ステラは自ずと一歩、プリシラから距離を取ってしまった。
そんな光景を、ユリウスは声を上げて笑って見ていた。
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