第133話

 静かだが、それでいてやけに熱のこもったミーアの言葉に、ステラたちは揃って眉を顰める。


「希望、というのは?」


 ステラが訝しげに訊くと、ミーアは余計なことを言ってしまったという感じで黙り込んでしまった。

 ユリウスが灰皿に煙草を押し付け、苛立ち混じりの紫煙を鼻と口から勢いよく吐き出す。


「わけわかんねえ表現使うんじゃねえよ。てめぇとこいつの関係が何なのか、はっきり言えや」


 チンピラのようなユリウスの形相に、ミーアは体をびくつかせ、怯えるように縮こまってしまった。すかさず、ラルフが彼女を庇うように腕を横に伸ばす。


「ミーアは、俺の家の使用人だったんだ」


 それを聞いたユリウスが、新しい煙草に火を点けながら目を細めた。


「そういや、今朝レストランで暴れた馬鹿どもが、お前のことを“没落貴族”って罵っていたな。お前、もとはこの国の貴族か?」


 ラルフは頷く。


「ああ。俺はもともとこの国の貴族――オズボーン家の嫡男だった」

「だった?」


 過去形であることに、またしてもステラたちは首を傾げた。


「勘当されたんだ、教会魔術師になれなかったために。結果、オズボーン家は落ちこぼれを産んだ家として後ろ指をさされ、ついには崩壊してしまった。父は羞恥心に耐えきれず自害、母と兄弟は夜逃げ同然に国外にいる親戚のもとへ行ってしまった」


 ラルフの境遇を聞いたユリウスが、どこか辟易した顔つきになって煙を吐く。


「随分とまた極端な家訓だな。たかが教会魔術師になれなかっただけで、大袈裟だぜ」


 次に、壁に背を預けて立っていたプリシラが不意に口を動かす。


「聞いたことがある。ノリーム王国では、王国騎士団に貴族出身の教会魔術師を所属させることが慣例だと。何百年も前から代々伝わってきたことらしい」

「なるほど。お前は教会魔術師になれなくて、その伝統をぶった切っちまったってことか。家柄や面子を重んじる貴族様には、さぞ耐えがたい屈辱なんだろうな」


 プリシラの説明を聞いたユリウスが、露骨に口の端を引きつらせた。

 確かに、教会魔術師はこの大陸において非常に名誉ある肩書だ。その免許を持つことで、家の地位を誇示できることは想像に容易い。特に中世時代では、嫡男が教会魔術師になることで家の権威を保つということはよくある話だった。一方で、現代においてはそのような考えはいささか前時代的であると蔑まれることも少なくない。ユリウスのこの反応も、悪しき風習を目の当たりにし、嫌悪したことによるものだろう。


 対してラルフは、そうは思っていないようで、自身が教会魔術師になれなかったことを酷く悔いているようだった。今も肩を落とし、顔に暗い影を落としている。


「……俺には魔術の才能がなかったらしい。筆記は通ったが、実技が――」

「てめぇ個人の能力の話なんて興味ねえよ。さっさと続き話せ」


 ユリウスがぴしゃりと言うと、ラルフは虚を突かれたように固まる。

 すかさずステラが、


「あ、その、ラルフさんが亜人の希望という話について、続きを話してもらえれば」


 やんわりとフォローを入れた。

 すると、今度はミーアが口を開いた。


「昔、ラルフ様がまだ貴族でお屋敷に住まわれていた時、ラルフ様はご両親の反対を押し切ってまで、私のような亜人をオズボーン家の使用人として大勢置いてくださいました。貴族の使用人という立場のおかげで、私たちはこの国でも人並みの生活を送ることができていたのですが……」


 そこで口淀むミーアを見て、ユリウスがつまらなそうに顔を顰める。


「オズボーン家が崩壊したことでお前を含めた多くの亜人が大量に職を失ったってか? で、今は客からセクハラされ放題の奴隷同然の生活に逆戻りと。どこが希望だよ。こいつが教会魔術師になれなくてそうなったんだから、どっちかと言えばただの甲斐性なしじゃねえか」


 ユリウスのオブラートに包まない言葉に、ステラとプリシラも思わず苦虫を嚙み潰したような顔になる。

 だが、ラルフはその事実を真正面から受け止めるように顔を上げ、毅然とした表情を見せてきた。


「勿論、彼女たち亜人をこのままにしておくつもりはない。ミーアたちとは約束した」

「約束?」


 怪訝に眉を顰めるステラ、ユリウス、プリシラ。

 一方で、堂々とした面持ちのラルフと、そんな彼を崇拝するかのような眼差しで見遣るミーア――


「必ず、亜人たちをこの劣悪な環境から解放して、真の自由をもたらすと」


 そして、そんな言葉がラルフの口から放たれた。

 直後、ユリウスが眉唾に表情を険しくする。


「どうやって?」


 ユリウスの問いに、ラルフは拳を強く握りしめる。


「亜人にも真っ当な人権を与えるという俺の主張を認めさせるには、立場が必要だ。まずは騎士団で武功を上げ、地位を得る」

「どうやって?」


 また同じことを訊いたユリウスに、ラルフが若干の苛立ちに顔を顰めた。


「今言ったばかりだろう。武功を上げて――」

「だから、どうやってその武功を上げるのかって訊いてんだ。魔物一匹まともに相手できない奴が、どうやって武功を上げんだよ? しかもお前、さっきの魔物の襲撃の時、銃器使わないで剣を使っていたよな? なんだありゃあ?」


 呆れた声で訊いたユリウスに、ラルフは恥じるように視線を下に落とした。


「……剣に拘るのは、教会魔術師を目指していた時の名残だ。それに、銃器の扱いも慣れていない。今更――」

「剣を使う理由はわかった。で、そんな調子でどうやって武功を上げるつもりだよ?」

「……俺には剣しかない。だが、ミーアたち亜人を救うという己の信念に従い、剣を振り続けていれば、いつか――」

「話になんねえ。クソみてえな思考停止の根性論で反吐が出る。聞いて損したぜ」


 ユリウスは心底嫌悪した声色で言って、嘆息した。その言葉を具現化するかのように、彼の口から吐き出された煙草の煙がラルフの眼前に広がっていった。そうして咽返るラルフに構わず、ユリウスはさらに続ける。


「んなことやってたら、いつまで経っても何も変わらねえよ。現実見てみろよ。この国の亜人たちはもうすぐガリアに連れ去られようとしている。仮に、てめぇが自己満騎士ごっこで一人で気持ちよくなっている間に亜人の立場が改善されたとして、その頃にはもうてめぇが救おうとした亜人はこの国に一人もいねえよ。何もかもが遅すぎる」

「だが――」

「だがもクソもあるかよハゲ。信念だか何だか知らねえが、剣振り続けるだけで事態が好転すりゃ誰も苦労しねえんだよ。この世にはな、どんな怪物も倒す“銀の弾丸”も、あらゆる戦いに勝利をもたらす“湖の剣”もねえんだ。世の因果は原因と結果、なるようにしかならねえし、なったようにしかなってねえ。強いて言うなら、降って湧くのはいつだって事故や病みたいな悲劇ばかりだ」


 額に青筋を立てながら、ユリウスは吐き捨てた。彼の言ったことにはプリシラも概ね同意しているようで、特に異を唱える様子もなく無言だった。

 ステラは、もしシオンがここにいたら、彼なら何と言っただろうと考えた。だがそれも、容易に想像できる。言葉こそ選ぶものの、きっと彼もユリウスと同じようなことを言っていたはずだ。彼と初めてエルフの森で会った時、確か彼は、エルリオに似たようなことを言っていたことを覚えている。

 恐らく騎士は、押し並べてこういう思考をするのだろうと、ステラは思った。楽観視せず、希望的観測もしない。ただただ目の前の事実を受け止め、論理的に仮説を導き、目標に対して現実的なアプローチで突き進む――そしてひとたび実行に移せば、徹底して容赦がない。

 根本が、徹底した現実主義者なのだろう。だからこそ、ラルフのような非力な理想論者に対して嫌悪感を示しているのだ。


 ラルフは、そんな騎士たちの迫力に気圧されたように、双眸を弱々しく震わせた。


「だ、だったらどうすればいい!? 他に何か手だてがあるのか!?」

「てめぇが本気で亜人をどうにかしたいと思ってんなら、さっさと亜人引き連れて国外に逃げりゃあいい。この大陸じゃあ亜人の亡命なんて珍しくもねえしな、やりようはいくらでもある。それに、グリンシュタットっていう亜人にとって都合のいい国がすぐ隣にあるんだ。さほどハードルも高くもねえだろ」


 救いを求めるようなラルフの問いかけに、ユリウスはすぐさま明瞭簡潔に答えた。さらに、


「ましてお前、実家から見放された上に仲間の騎士から疎まれてんだろ? ガキのいじめみたいにボコられてる姿見りゃあ煙たがられていることくらいわかる。だったらなおの事、この国に未練なんてねえだろ。今更迷うこともないはずだ」


 それはラルフの境遇も鑑みての案だった。確かにユリウスの言う通り、この国に居場所がないのは亜人のみならず、ラルフも同じだ。ならいっそ、見限ってしまうのが精神的にも楽なはずだ。

 しかし、ラルフは途端に思いつめた顔になり、黙りこくってしまった。

 またしてもユリウスは不機嫌に顔を歪める。


「何だよ、その反応は? てめぇ、もしかしてマゾの気でもあんのか? それとも、自分を悲劇のヒーローか何かと思ってんのか? 没落貴族と罵られても健気に騎士を務め、亜人たちにキャーキャー言われる今の境遇を気に入ってんのか?」


 露骨に棘のある言い方をするユリウス――誰の目から見ても、ラルフを挑発していることは明らかだった。だがそれでも、ラルフは乗ってこない。

 それに見かねたのか、ミーアが勢いよくベッドから立ち上がった。


「違います! ラルフ様は――」

「ミーア!」


 ミーアが何かを伝えようとした矢先、ラルフが制止した。

 二人の妙なやり取りに、ステラが驚きながら怪訝に眉を顰める。


「な、何か、のっぴきならない事情があるんですか?」


 すると、ミーアが、何かの許可を求めるようにラルフを見た。ラルフがそれに無言で応じると――


「……ラルフ様には、婚約者がいらっしゃるんです」


 重々しく、ミーアが口を開いた。

 ラルフは小さく息を吐き、


「元、だ。今はもう、赤の他人だ」


 そう補足した。

 それを聞いたユリウスは、思い出したように吸いかけの煙草を途中で口から離した。


「もしかして、お前がピンチになると決まって助けに来た、あのセシリア・ロスとかいう女か? でも今は赤の他人なんだろ? それが何の理由になんだよ?」


 しかし、ラルフは何も答えず、沈黙するだけだった。その隣では、ミーアが気遣わしげに悲痛な顔をしている。


「おい、聞いてんのか? まさかお前、信念だの何だの散々カッコつけたこと言っておいて、昔の女が気になってるから身動きとれねえとかアホなこと抜かすんじゃねえだろうな?」


 ユリウスはいよいよ苛立ちを抑えきれなくなったのか、少し語気を荒げていた。足の貧乏ゆすりの勢いも強くなっている。煙草に至っては、火を点けたばかりにも関わらず、一回の吸引で吸い殻に変えてしまった。

 それに気付いたステラが慌ててフォローに入ろうとするが、


「ユリウス、その辺にしておけ。話は少し前から彼らの私事に変わっている。これ以上は、聞いても私たちにとって何の得もない」


 先にプリシラが止めてくれた。

 ホッと胸を撫でおろすステラの傍らで、


「クソが、しまらねえ」


 ユリウスは悪態をつき、椅子から立ち上がった。彼はそのまま、それきり話に興味を失ったように壁際に移動する。


 話が終わったところで――今度は、ラルフが口を開いた。


「お前たちはいったい何者なんだ? 今更だが、この国の人間ではないな?」


 ラルフに問われ、ステラは一度、ユリウスとプリシラを見る。なんて答えればよいかを二人に伺おうとした――その矢先だった。


「ステラ様!」


 プリシラが叫んだのとほぼ同時に、ステラの体は彼女に押し倒された。直後、ホテルのガラス窓を突き破って、何かがこの部屋に侵入する。


「この国の騎士は役立たずばかりかよ」


 ユリウスが愚痴って見た先にいたのは、一体のキマイラだった。恐らくは、王国騎士たちが倒し損ねた生き残りだろう。キマイラは、虎ほどの大きさもある蜥蜴の体と猿の頭を持つ、文字通りの異形だった。


「ステラ様、お下がりください」


 プリシラに言われ、立ち上がったステラはすぐに部屋の奥の方へと避難する。

 キマイラはというと、獲物を物色するかのようにクローゼット付近の壁を左右に行ったり来たりしていた。

 突然の魔物の強襲に慄くミーア――ラルフは、そんな彼女を庇うように、身を乗り出した。だが、


「おい、余計なことすんなよ。てめぇもそこでじっとしてろ」


 ユリウスがすぐに指を差してラルフを牽制した。

 直後、キマイラがユリウスに向かって飛びかかる。キマイラは、注意を外したユリウスに狙いを定めたのだ。

 猿の頭から発せられる甲高い奇声に、ステラ、ラルフ、ミーアが咄嗟に顔を顰める。


 そして次の瞬間、キマイラの奇声は断末魔に変わった。


 ユリウスとプリシラが、キマイラを窓の外に向かって蹴り飛ばしたのである。二人の蹴りは、キマイラの喉元あたりに直撃した。キマイラの体は勢いよく外へと飛び出し、ホテル正面の道路へと真っ逆さまに落ちていく。そのまま、ぐしゃ、という短い有機的な音が鳴ったのと同時に、キマイラの断末魔も聞こえなくなった。


 生身の人間が成し遂げたとは到底思えない光景に、ラルフとミーアは唖然として目を丸くさせていた。


「な、なんだ!? 魔物をただの蹴り一撃で……! お前たちは……!」


 ラルフが恐怖と驚きで呂律をうまく回せないでいると、


「私とそこのヤニカス眼鏡は聖王騎士団に所属する騎士だ」

「ついでに言うと、今は極秘任務中だ。他の奴らに口外したら殺すからな」


 プリシラが身なりを整えながら、ユリウスが新しい煙草に火を点けながら、答えた。

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