第132話
「お前たちの言う通り、この国――ノリーム王国はガリア公国と軍事同盟を結ぼうとしている。本来であれば、今日その調印が行われるはずだったんだが……」
重々しく口を開いたラルフだが、すぐにまた口淀んでしまった。
すかさず、ユリウスがわざとらしく煙草を大きく吹かす。
「早く続きを話せよ」
「わかってる。ノリーム王国側が、調印の決定を明日の正午まで引き延ばした」
「んなこと知ってんだよ。俺らが訊きたいのは、その背景だっつってんだろ」
ユリウスは苛立ちながら煙草の火を灰皿に押し付け、すぐに新しいものを口に咥えた。その短気っぷりに、ステラとプリシラは嘆息した。
ラルフが神妙に表情を険しくする。
「……魔物の襲撃が、その背景だ」
彼の言葉に、ステラたち三人は揃って顔を見合わせる。それから、プリシラが首を傾げた。
「魔物の襲撃が、ガリアと同盟を結ぶきっかけになったと?」
それにラルフが頷いた。
直後にユリウスが、
「“グリンシュタットに見放された”――この言葉に何か心当たりはねえか?」
そう訊くと、ラルフは吃驚した。
「何故それを――」
「いいからさっさとこっちの質問に答えろよ。ちんたらしてっとマジで殺すぞ」
ユリウスが、チンピラの恫喝の如く声を低くした。途端、ステラが、きっ、と目つきを鋭くし、ユリウスを睨む。
「ユリウスさん!」
ステラに叱られ、ユリウスは両手を軽く上げて詫びた。ステラは嘆息した後で、改めてラルフを見遣る。
「ラルフさん、教えてくれませんか? 私たちにとって、重要なことかもしれないんです」
ステラの真摯な態度に感化されたのか、ラルフもまた気を持ち直したように真面目な顔になる。
「この国では野生化した魔物の襲撃は珍しいことではなく、台風や地震といった一種の災害のように扱われてきた。それなりの被害には遭うものの、建国以来、国家存亡に関わる致命的な損失も被ることなく、今まで過ごすことができていた。だが、それは自国の力だけで成し遂げられたわけではなく、隣国グリンシュタットの協力あってのことだった。グリンシュタットの軍が、隣国を含めて魔物の対応をしてくれていたため、このノリーム王国も難なく乗り切ることができていたんだ」
「あの、これまで私たちが聞いた話をまとめた限りなんですけど、もしかして、グリンシュタットが対魔物に関する協力を打ち切ったんでしょうか? だから、ガリアと軍事的な同盟を結ぶことに?」
ステラの問いかけに、ラルフは頷いた。
「その通りだ。俺たち王国騎士団の戦力だけでは、近いうちに限界がくる。圧倒的な数で攻め入ってくる魔物に、到底、ノリーム王国は自国の軍事力だけで捌ききれない」
そう言って、ラルフは悔しそうに両拳を握りしめた。
しかし、感傷に浸る暇はないと言わんが如く、
「何故グリンシュタットはノリーム王国に協力することを止めた?」
プリシラが訊いた。
ラルフは少し思案した顔になりつつ、話を続ける。
「憶測にはなってしまうが――恐らく、この国での亜人の社会的な扱いについて、業を煮やしたのだろう」
その回答にステラは大きく首を傾げた。だが、プリシラとユリウスは納得したように体の緊張を解く。
「少し見えてきたぜ。グリンシュタットはログレス並に亜人の人権に煩い国だ。ノリーム王国での亜人の扱いが奴隷同然であることに、ついにキレたか」
「かもしれないな。三十年ほど前にあったノリーム王国の奴隷制度撤廃が実現できたのも、グリンシュタットとの協定があったからとも聞いている。現状を鑑みるに、それを反故にされたと思っているのだろう」
ユリウスとプリシラの推理に、ラルフは沈黙で肯定した。
その傍らで、ステラはますます頭に疑問符を浮かべて間抜けな顔になる。
「じゃあ、ノリーム王国での亜人の扱いをよくすれば解決するんじゃないですか? ていうか、そもそももう奴隷じゃないんですよね? なんでグリンシュタットが怒るんですか?」
「お前、シオンが言っていた以上に馬鹿だな」
「な!?」
ユリウスからの突然の罵りに、ステラは反射的に声を上げた。抗議しようとステラが顔を赤くして両腕を上げるが、すかさずユリウスが口を開く。
「それができたら、この国は今こんなことになってないだろ。そうしたくてもできない理由があんだろうよ」
「り、理由、ですか?」
今度はプリシラが頷く。
「はい。奴隷制度が撤廃され、それまで様々な制限を受けていた亜人が人間と同じように扱われることになれば、ノリーム王国の社会基盤にも大きな影響を与えることになるでしょう。奴隷制度がなくなった現状においても、今なおこの国の亜人には様々な制約が設けられています。社会保障がそのもっともたる例ですが――仮にそれをこの国に住まうすべての亜人に適用したとすれば、それだけで国の予算が大きく削られます。他にも、亜人が自由に職業選択をできるようになれば、誰もやりたがらない仕事がいよいよ誰もやらなくなり、社会が機能しなくなることも考えられます。例えそれが一時的なものであろうと、ノリーム王国のように小国で人口が少ない国では突発的な代替もきかず、死活問題になりえます」
それを聞いて、ステラは、なるほど、と唸った。
しかし、ユリウスの方はというと、聞きながらどこか懐疑的であった。
「けどよ、グリンシュタットだってそんくらいのことは容易に想像するはずだろ? さすがに大国としての面子がある。協定を結んでそれっきり放置なんてしねえはずだ。奴隷制度を撤廃する時に、それなりの資金援助なり何なりがあったんじゃねえのか?」
ユリウスの見解にはプリシラも同意しているようだった。二人は、確かに何故だろう、といった風に軽く眉を顰めて考え始める。
そこへふと、ラルフが口を開いた。
「お前の言う通りだ。確かにノリーム王国は、グリンシュタット共和国から多額の支援金を受け取った。だが……どうやら我が国は、その金を別のことに使い込んでしまったらしい」
疑問の答えを聞いて、ステラ、プリシラ、ユリウスが固まる。
「受け取った支援金は、本来であれば、亜人の生活保障や、国の社会基盤の変更に伴う損失を補填するのに費やすべきものだった。だが実際は、まったく別の国策に使われてしまったとのことだ。しかも、ノリーム王国はそのことを棚に上げ、奴隷制度の撤廃を強要されたことで損失を受けたとし、最近になって都合よくグリンシュタット側に追加の資金援助を要求したこともある。無論、グリンシュタットはそれを断ったがな」
言葉にするのも憚れるといった様子でラルフが言って、数秒の沈黙が部屋に流れる。そして、それを破ったのは、ユリウスの笑い声だった。
「何が“グリンシュタットに見放された”だよ。そりゃあグリンシュタットもぶちギレるわけだ。国同士で協定を結んで金を渡したのに謂れのない文句を言われたんだ。ただの自業自得じゃねえか。ここ最近聞いた話で一番の笑い話だ」
ユリウスが大笑いする隣で、プリシラは長い溜め息を吐く。
「大まかな流れを整理すると――グリンシュタットがノリーム王国と協定を結び、亜人の奴隷制度撤廃を実現しつつ資金を援助した。しかし、ノリーム王国はその資金を別のことに使い込み、あまつさえ今になってグリンシュタットに責任を追及して追加資金を要求。それに腹を立てたグリンシュタットが、それまで好意の範疇でやっていた隣国を含む魔物による襲撃対応を止めてしまった。そのせいでノリーム王国は自国だけで魔物を迎え撃つことができなくなり、大国であるガリアの力を頼らざるを得なくなった、と」
その是非は、項垂れるラルフの姿が物語っていた。ラルフは、自国の粗末な政治を恥じるように顔を顰めていた。
不意に、一通り笑い終えたユリウスが涙を拭きながら、
「だったら、もうこの国はガリアと同盟を結ぶしか選択肢はないな。国王が地面に頭突っ込んで謝っても、グリンシュタットはきっと許してくれないだろうしよ」
第三者的に結論を言った。
しかし、ラルフは激昂した表情で面を上げる。
「それは駄目だ!」
そう言い放った気迫に、彼以外の誰もが一瞬だけ身を竦めた。
「ガリアは同盟を結ぶ条件に、この国の亜人全員を引き渡すように要求している! ガリア公国は依然として亜人の奴隷化を合法としている! そんなことになれば、この国の亜人たちはまた奴隷に戻ってしまう!」
「この国での扱いも奴隷と大差ねえだろ。そこまで熱上げて気にすることかよ。それよりも、亜人がやっていた仕事の補填を気にするべきだろ」
ユリウスの淡々とした言葉に、ラルフはさらに顔を歪める。
「どうしてそんな酷いことを軽々しく言える!? そこにいるミーアが、ガリア公国で今よりももっと酷い扱いを受けることになるかもしれないんだぞ!?」
「俺には関係ねえからな。わりぃけど、無関係な奴の行く末を気にするほど出来た人間じゃねえんだわ」
ユリウスは煙草の火を消してラルフに向き直る。
「てめぇこそなんでそんなキレてんだよ。お前の個人的な感情の話になったのか? そこのエルフのことが好きで奴隷にされることが耐えられないってんなら、同情くらいはしてやるが?」
そう言って新しい煙草を咥えるユリウスに、ラルフが立ち上がって拳を振り上げた。
「貴様!」
「ま、待ってください!」
直後に、ステラが二人の間に割って入る。
「け、喧嘩はよくないです。落ち着いてください。ユリウスさんも言葉を選んでください」
ステラの説得に、ユリウスは無表情で煙草に火を点けて紫煙を吐き出す。ラルフも歯を食いしばり、有りっ丈の理性で、どうにか拳を収めてベッドに腰を下ろした。
それを確認したステラは安堵して、
「あの、ラルフさんは、ミーアさんとはどのようなご関係なんですか? 今の反応から察するに、それなりに懇意にされているように見えますが」
そんな問いかけをした。
すると、ラルフは数秒目を泳がせたあと、渋るように口を開く。
「……なんてことはない。ただの――」
「ラルフ様は、私たち亜人種の希望なのです」
ラルフの言葉を遮ったのは、それまで一言も発さないでいたミーアだった。
「この国で、私たち亜人のことを心から思ってくれる人は、ラルフ様だけなのです」
ミーアはさらにそう続けて、ステラを正面に据えた。
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