第131話

 ミーアは、不意に眼前の扉を部屋の中から開けられ、驚愕と慄きで呆然と通路に立ち尽くした。おそらく彼女は、自分が人間よりも遥かに感覚が優れているエルフであるが故、扉越しにでも中の人間が近づく気配を察知できると自負していたのだろう。

 だが、騎士相手ではそうもいかなかった。

 扉越しに音もなく急接近したプリシラの気配は、エルフでも気付くことはできなかった。


 プリシラは、固まったまま動かないでいるミーアの腕を引き、部屋の中に強引に招き入れた。それから彼女を部屋の奥へと連れ、


「どうして私たちの部屋の前にいた?」


 冷たく言い放った。

 ミーアは青ざめた顔になるが、すぐにベッドの上で顔を腫らして仰向けになるラルフを見つけ、無言で目を剥いた。

 それを見たユリウスが、煙草を吹かしながらニヤつく。


「んなもん、そこで無様晒してる奴が気になったからに決まってんだろ。ホテルには裏口から入ったんだが、二階を上がったあたりでこのエルフが後を付けているのは俺も気付いていた」


 ユリウスが言うと、プリシラは少しだけ呆れたように息を吐く。


「このエルフは、まんまとユリウスに釣られたというわけか」

「情報の出どころは多いに越したことはねえだろ」


 プリシラは不本意ながらもそれに同意したようで、面白くなさそうに鼻を鳴らした。

 そんな二人には構わず、ステラは、怯えたまま動けないでいるミーアにそっと寄り添うように近づいた。それに気付いたミーアが身を震わせると、ステラは慌てて両手を身体の前で振った。


「きゅ、急に近づいてごめんなさい。あの、確かお名前は、ミーアさん、でしたよね?」


 ステラの無垢な振る舞いに、ミーアは少しだけ警戒心を解いたようだった。恐る恐る、徐に頷く。


「そこにいるラルフさんとはお知り合いなんですか? 今朝のレストランでの騒動の時も、面識があるような感じでしたけど……」


 ステラの質問に、ミーアはどこか複雑な表情をして黙ってしまった。なんとも言えない雰囲気に、ステラ、プリシラ、ユリウスの三人が揃って眉を顰める。


「また亜人と人間の間で禁断の恋か? そういう話はシオンだけで勘弁してくれ」


 ユリウスが心底呆れたように吐き捨てると、すかさず彼の腹にプリシラが蹴りを入れた。

 それを尻目に、ステラは神妙な面持ちでミーアを見遣る。


「……何か、複雑な関係みたいですね」


 ステラのその言葉を最後に、妙な沈黙が始まった――と思われた矢先、不意にラルフが呻きながら目を覚ました。


「ここは……?」


 ラルフは何度も目を瞬かせると、痛みに顔を歪めながら上半身をベッドから起こした。その双眸にミーアの姿が映ると、今度は驚きに目を丸くさせる。


「……まさか、ミーア、君が助けてくれたのか?」


 ラルフの問いにミーアが戸惑っていると、二人の間にユリウスが割って入った。


「てめぇをここに運んだのは俺だよ」


 ユリウスが、プリシラに蹴られた腹を押さえながら言った。

 ラルフは瞬時に鋭い目つきになってベッドの上で身構える。だが、周りの空気を読み取ったかのように、すぐに敵意を鎮めた。


「……貴方たちは、今朝にレストランで騒動に巻き込んでしまった客だな? どうやら、また迷惑をかけてしまったようだ」

「そう思うんなら話は早い」


 ラルフから殊勝な言葉が聞けたことを言質に、ユリウスは少しだけ機嫌をよくした。それから椅子を片手に取ってベッドの脇に置き、ドカッと背もたれを前面にして座る。


「助けてやった代わりに色々聞かせろ。この国、ガリアと軍事的な同盟を結ぼうとしているみたいじゃねえか。理由はなんだ?」

「何故それを!?」


 突然に始まったユリウスの質問に、ラルフは吃驚した。

 しかし、


「いいからさっさと答えろ」


 ユリウスは貧乏ゆすりをしながら苛立たしそうに顔を顰めた。

 対するラルフはというと、腫れた瞼を一度きつく閉じ、それから勢いよく首を横に振る。


「……駄目だ、答えられない。これはまだ一般人には知られてはいけない話で――」

「そうかよ」


 直後、ユリウスが腕を振って虚空を薙いだ。すると、ラルフの体が音もなくベッドから浮き上がり、空中で大の字に広げられる。


「ユリウスさん!」


 何が起きたのか理解できないでいるラルフとミーアを置き去りに、ステラが声を上げた。この現象は、ユリウスの仕業だ。彼が鋼糸を使って、ラルフの体を宙吊りにしたのだ。


「ちんたらするのは嫌いだ。言いたくなるまで適当に痛めつける」


 刹那、ラルフの四肢が体の外側に向かって引っ張られていく。ミシミシと関節が悲鳴を上げる音が、静かに部屋に響いた。


「な、なんだこれは……!」


 ラルフは痛みで顔を歪めながらも、それに屈するものかと必死に耐える。


「何が起きているのかはしらないが……やるならやればいい! だが、俺は絶対に口を割らんぞ!」


 ラルフの煽りを受け、ユリウスが素直にそれに乗る。今度は、ラルフの右腕があらぬ方向に曲げられつつあった。

 ラルフの悲鳴が室内に迸る。

 思わずステラが目を背けた時、突如として、ミーアがラルフとユリウスの間に立った。ミーアは両腕を横に広げ、ラルフを庇うようにユリウスの前に立ち塞がる。


「あん? 何だてめぇは?」


 ユリウスが冷たい視線を送るが、ミーアは恐怖で震えながらも断固としてそこから動こうとしなかった。

 それを見たラルフが、苦痛で引きつる口を動かす。


「み、ミーア……! 俺に、構うな……!」


 そして、ユリウスがもう片方の腕を振るった。途端、今度はミーアの体が宙に舞った。ミーアは、ラルフと同じく大の字になって、彼の隣に宙吊りの状態になった。

 それを見たラルフの表情が怒りに歪むと、ユリウスは新種の虫を見つけたような顔になりながら紫煙を大きく吐き出した。


「なるほど。こいつは、自分よりこのエルフを痛めつけられる方が効くらしい」


 ユリウスのその言葉に、ラルフとミーアが血の気を失った。

 直後、ステラがユリウスの腕を掴む。


「ユリウスさん! やめてください! いくら何でもやりすぎです!」


 ユリウスは一瞬横目でステラを見遣ったが、それだけで、二人を解放する素振りは微塵も見せなかった。


「このエルフが五体満足でいられるかどうかはてめぇ次第だ、王国騎士様」

「貴様……!」


 ユリウスが指を動かすのに合わせて、ミーアの四肢が己の意思に反して動き出す。それを隣で見ていたラルフが、決死の形相になってもがき始めた。

 だが、ユリウスはそんなことなどどこ吹く風で、我関せずと鋼糸を淡々と操作し続ける。


「安心しろ、殺しゃしねえよ。手足の一、二本は折るかもしれないがな」

「ユリウスさん!」


 ステラが悲痛な叫びを上げ――不意に鈍い打撲音が鳴った。プリシラが、ユリウスの頭を拳で殴ったのだ。


「やり過ぎだ、ユリウス。その辺にしておけ」


 ユリウスはプリシラを一瞬睨みつけたが、すぐにラルフとミーアを解放した。二人の体がベッドの上に勢いよく落ちる。

 ユリウスは眼鏡の位置を直しながら椅子から立ち上がり、一歩下がった。

 入れ替わるようにして、今度はプリシラがラルフたちの前に立った。


「無駄に怖い思いをさせてすまない。だが、話せないというのなら、私たちもそれなりの対応をさせてもらう。ただの善意で助けたわけではないからな」


 プリシラの声は普段通りの柔らかい口調だったが、不穏な冷たさが含まれていた。

 それにラルフも気付いたのか、緊張に唾を大きく飲み込む。


「……何を、するつもりだ?」

「私から言えるのは、こちらが知りたいことを素直に話してくれれば、“全て世は事もなし”ということだけだ」


 抽象的な言葉だったが、結局はプリシラもユリウスと同じことをやろうとしているのである。ステラは、二人の容赦のないやり方に、若干の嫌悪感を覚えた。同時に、いかにシオンが恩情的な騎士であったか――いや、彼も彼で、一般人を脅していたことがあったなと思い出す。元来騎士という生き物は、目的達成のためには手段を選ばない、悪魔にもなりきれる存在なのではと、ステラは密かに戦慄した。


 ステラがそんなことを考えている傍らで、


「……わかった。だが、これだけは約束してくれ。ミーアのことだけは、何があってもその身を保障すると」

「ああ、約束しよう」


 苦汁を飲まされたような顔でラルフが言って、プリシラが応じた。

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