第130話

 宿泊するホテルの一室でソファに座っていたステラだったが、不意に扉が開かれ、跳ねるように勢いよく立ち上がった。


「この警報の正体、わかりましたか?」


 部屋に入ってきたのはプリシラだった。一時間ほど前から街中でなっている警報音が何なのか、ホテルの従業員に訊きにいってくれたのだ。


「魔物の襲撃を知らせる警報のようです。この国ではそれほど珍しいことでもないとのことでした」


 プリシラの回答に、ステラは目を剥いた。


「魔物の襲撃って――もしかして、ガリア軍ですか!? ガリア軍がこの国に来たのは、これが目的ってことですか!?」


 やや興奮気味にステラが訊いたが、プリシラは落ち着いた所作で首を横に振る。


「いえ、野生化した魔物によるものです。小国であれば、特別違和感のあるものではありません。特に冬は、山などに住まう動植物の数が激減するため、人間の集落に保存されている食料を求めて野生の魔物たちが襲撃することがあります。無論、人間そのものを食料に見なしていることもありますが」

「野生化した魔物? 魔物って、魔術で造られた生き物ですよね? 野生で存在するんですか?」


 ステラの無邪気に質問に、プリシラは頷いた。


「はい。もちろん、勝手に増えたわけではありません。モラルのない魔術師の身勝手な実験によって生み出された魔物が生きたまま廃棄され続け、結果、群れをなして野生化するのです。魔物は基本的に繫殖機能を持ちませんが、稀にしぶとく生き残り、同類を集めてコロニーを作ることがあります。それがこのような災害を招くことになるのです」


 丁寧なプリシラの説明に、ステラは恥じるように顔を少し俯ける。


「そ、そうなんですね……。私、全然知りませんでした……」

「ログレス王国などの大国では、軍による駆除が積極的に行われています。国民が野生化した魔物に出会うことはまずないでしょう。ステラ様がご存じなくても、仕方ありません」

「な、何か、私の馬鹿さをフォローしてもらったみたいですみません……」


 ステラは恥ずかしそうに身を小さくし、かしこまった。

 プリシラはそれを見て軽く笑う。


「ステラ様はまだ十五歳とお聞きしています。であれば、そんなものですよ。私も歴史や世の中について真剣に勉強をするようになったのは、従騎士になってシオン様と共に大陸各地を巡るようになってからです。必要に迫られなければ、勉強なんてしませんでした」


 プリシラの笑顔を見て、ステラは恐縮する思いになりながら愛想よく笑った。


「ただ、それはそれとして、なのですが――」


 途端、それまで優しい教師のように接してくれていたプリシラが、声色を鋭くした。ステラは、何か気に障るようなことをしてしまったのかと、若干身を強張らせる。


「ど、どうかしたんですか?」

「今回に限っては、異様に魔物の数が多いと感じました。魔物が市町村を襲撃する現場は私も何度か遭遇したことがありますが、こんなに数が多いのは初めてです」


 そう言って部屋の窓から外を覗くプリシラの双眸は、非常に強い警戒の色を持っていた。それを見たステラが、思わず息を呑む。

 妙に緊張した空気が部屋に張り詰める――と、不意に部屋の扉が開かれた。


「おう、帰ったぜ。土産も持ってきた」


 意気揚々と部屋に入ってきたのは、ユリウスだった。その肩には、ぐったりとしたままぴくりとも動かない一人の男が担がれている。

 ステラがそれにぎょっとしている傍らで、プリシラがやや不機嫌に溜め息を吐いた。


「何が土産だ。肩に担いでいるそれは何だ?」


 ユリウスは肩に担いでいた人間をベッドに仰向けに寝かせた。すぐにステラとプリシラがその人間の顔を見て、あ、と声を漏らす。酷く顔を腫らしているが、間違いなく、朝のレストランで見たラルフという若者であった。

 ユリウスが煙草に火を点け、壁に背を預ける。


「城に潜入してガリアとノリーム王国の思惑がわかったのはいいんだが、その背景についてはさっぱりだったからよ、こいつから聞き出そうって魂胆だ。魔物と仲間にボコられて瀕死だったところを救ってやったんだ。恩を感じて、こっちの質問の一つや二つ、楽に答えてくれるだろうぜ」

「……城で何があった?」


 プリシラに訊かれたのを皮切りに、ユリウスは王城で知ったことを話し始めた。ガリア公国がノリーム王国の軍備を強化する見返りに、駐屯地の設置と亜人の引き渡しを要求していること。ノリーム王国の国王が、グリンシュタット共和国に“見放された”と言っていたこと。

 ユリウスの話を聞いて、プリシラは小さく頷いた。


「なるほど。ノリーム王国がガリア公国と軍事的な同盟を結びたがっている理由に、グリンシュタット共和国が関わっているというわけか」

「関わっている、ってほどの話かはわからねえが、グリンシュタットはこれから俺たちが向かう国だ。余計な地雷を踏まないために、その経緯を知っておいた方がいいだろ」


 ユリウスの意見に、ステラも同意する。


「気になりますね、その“見放された”って言葉が」

「ああ。あまりいい印象を与える言葉を選ばなかったあたり、この国にとってグリンシュタットは現時点で非友好的な国なんだろうぜ。嫌だねえ、隣国が仲悪いってのは」


 ユリウスは軽い皮肉のつもりで言ったのだろうが、直後にプリシラから強烈な蹴りが見舞われた。プリシラの蹴りはユリウスの脛に当たり、ユリウスは煙草を噛み千切る勢いで悶絶した。


「言葉を慎め」


 プリシラの今の行動は、ステラへの配慮なのだろう。隣国であるガリア公国との仲が悪いがゆえに、様々な問題を抱えているログレス王国の王女であるステラの事を気遣ってくれたのだ。

 痛みから解放されたユリウスが、雑に床に腰を下ろした。


「んじゃ、とりあえずそこの色男が目覚めるまで、俺らはまたのんびりだらだら休憩しますかね」


 開き直ったような彼の態度を見たプリシラが少しばかり苛立ちを見せたが、諦めたように息を吐いて気を取り直す。


「まあ、それしかないな。だが、その前に――」


 プリシラはそう言って、突然、声を凍てつかせた。次の瞬間、音もなく部屋の扉の前へと立ち、勢いよく扉を開ける。


「もう一人、この部屋に招いておこうか」


 部屋の扉の前――廊下に立っていたのは、あのエルフのウェイトレス、ミーアだった。

 ミーアは、酷く驚いた顔で固まっていた。

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