第129話
城から街に戻ったユリウスは、まずは一服つけることにした。寒気の中で、白い吐息と紫煙が混ざって大気に消える。ユリウスはその後で、一度ぐるりと周囲を見渡し、尾行されていないかを確認した。
街の中は朝の人通りがそれなりに落ち着いてきた頃で、ピークは過ぎているようだった。大通を走る馬車や自動車も少なく、雪の上にはすでに多くの轍が作られた後だった。
これだけすかすかな人口密度で、騎士に気付かれず尾行することは、普通の人間には不可能だろう。遠くからの視線も感じないことから、ユリウスは尾行されていないと判断した。
次にユリウスはホテルへと足を向け、雪道を踏みしめた。
と、そんな時だった。
突如として、街全域にけたたましい音が鳴り響く。極めて大きく、それでいて不快な音――ユリウスはそれが何かの警報音であると察した。
「何の警報だ?」
途端、住民たちが一斉に近くの家屋へと避難した。通りの商店や施設の従業員が、道行く人々を手招きし、急いで中へと誘導する。やがて扉、シャッターが次々に閉められ、街の中は一切の人気を失った。
ただならぬ住民たちの反応を見て、ユリウスは近くのカフェの屋上へと昇った。これから何が起こるのか、ここから静観しようと思った矢先――
「三号警報です! 魔物の襲撃に備えてください!」
今度は、王城の方角からそんな号令が聞こえた。
声の主は、早朝のレストランで一喝のもとに騒ぎを鎮めたセシリア・ロスという王国の女騎士だ。
彼女の後ろに展開されているのは、銃火器や大盾で武装した王国騎士の隊列だ。人数は五十人ほどで、中にはあのラルフとかいう若者もいる。
王国騎士たちはセシリアの号令を合図に、次々と戦闘準備を進めた。セシリアが率いる部隊が、ユリウスのいるカフェの眼前に配備される。
それから街に冷たい静寂が訪れるが――それも、すぐに終わった。
「なるほど。野生化した魔物の被害を受けてんのか、この国は」
カフェの屋上から高みの見物を決め込んでいたユリウス――彼の眼鏡越しの碧眼に映ったのは、街の外から雪煙を上げて迫る魔物の群れだった。
魔物の多くは石器や動物の皮で武装したゴブリンだったが、その中に幾つか自動車ほどの大きさを持つ異形の巨躯が交ざっていた。
キマイラ――合成獣とも呼ばれる魔物だ。その姿は複数の異なる種族の動物を掛け合わせたものであり、まさに異形の化け物と形容するしかなかった。もとより、魔物は複数の動物の肉体を魔術で融合させることで造り上げる人工生物なのだが、このキマイラに関しては、その失敗作として分類されている。魔術師たちの意図しない結果になった魔物――いわば廃棄物といったところだ。それゆえに、習性や特性の個体差が非常に大きく、戦闘面における対策が難しいと言われている魔物でもある。
奇声を上げながら街の大通を雪崩の如く侵攻する魔物たち――対峙する騎士たちが、各々の思いを込めた表情で、武器を構えた。
それを見て、ユリウスが煙草を吹かしながら、にやつく。
「ゴブリンが百匹、キマイラが五匹ってところか。思いがけず、おもしれえもんが見れたな」
ユリウスの口からひと際大きな煙が吐かれ、それが合戦開始の合図になった。
王国騎士団と魔物の戦いが始まる。
無数の発砲音が、凍てついた空気を幾度と震わせた。騎士たちが手にする単発式ライフルから放たれた弾丸が、ゴブリンたちを群れの先頭から屠っていく。だが、ゴブリンたちは一切怯むことなく、数と勢いで無理やり押し切ろうとした。撃たれたゴブリンの中には頭半分を失ってもなお前進しようとする個体もおり、その悍ましい姿に慄き、逃げ出す騎士もいた。
やがて、王国騎士たちとゴブリンたちとの間で白兵戦が始まった。騎士たちは金属製の大盾でゴブリンの石斧や石槍を受け止めるが、あえなく力負けしてしまう。ゴブリンは小柄ながら、その筋力は人間の大人よりもずっと強い。ライカンスロープでようやく太刀打ちができるほどである。
そうして大盾の部隊が悉くゴブリンに叩き潰されたところに、さらに追い打ちをかけるかのようにキマイラの巨体が蹂躙した。
もはや、象の大群が蟻の群れを踏み潰しているに等しい有様だった。
「さて、こっから王国騎士団はどうする?」
スポーツ観戦をするかのようにユリウスは呟いた。だが、それは彼を愉しませるような展開にはならなかった。
騎士たちの半数以上が戦意を喪失し、我先にと後退し始めたのである。これにはさすがのユリウスも、目も当てられないと、苦虫を嚙み潰したような顔で嫌悪した。
しかし、そんな状況でもなお、セシリアという女騎士は毅然と立っていた。
隊の指揮官として後方にいた彼女だが、逃げ出す騎士たちとは逆に、前線へと歩みを進めていた。
「総員、下がってください! 私がやります!」
セシリアがそう言うと、彼女の周りが淡く青色に光った。
魔術の実行反応である。
刹那、ゴブリンとキマイラたちの体が、地面から突き出た岩の槍に次々と貫かれた。それらは瞬く間にゴブリンを十匹、キマイラを二匹仕留める。
「さすがはロス隊長だ!」
セシリアの活躍を見て、騎士たちから歓声が上がる。それによって戦意を取り戻した騎士たちが、再び武器を手に魔物の群れへと突撃していった。
そして、そこにはあのラルフとかいう若い男の騎士の姿もあった。
不意に、ユリウスはラルフを見て眉を顰める。どういうわけか、彼だけ銃火器による武装ではなく、剣を手に戦っていた。確かにこれだけ接近されたのであれば近接武器の方が役に立つかもしれないが、それはあくまで同じ人間を相手にした場合の話である。ゴブリンにしろ、キマイラにしろ、膂力で大きく負けてしまうのであれば、いっそ至近距離で銃を撃った方が有効なダメージを与えられるはずだ。
そんなこと、こんな命がけの戦いをする身であればわかっていて当然だろうに――
「ラルフ!」
と、ユリウスがそんなことを考えていた矢先、セシリアが悲鳴のような声でラルフの名を叫んだ。
ゴブリンがラルフの上に馬乗りになっていたのである。ラルフは必死に剣を振って抵抗したが、ゴブリンはそれを嘲笑いながら受け止め――ラルフの顔面に拳を叩きこんだ。それから数発、容赦のない打撃がラルフを襲う。
「ラルフ!」
セシリアがもう一度ラルフの名を叫んで――彼の上に乗っていたゴブリンの頭が、岩の槍に貫かれて弾け飛んだ。
セシリアは急いでラルフのもとへと駆け寄り、仰向けのまま動かない彼の上半身を起こした。その顔は酷く腫れあがり、至る所から血を流している状態だった。
そんな時、
「ロス隊長! 逃げてください!」
騎士の一人が叫んだ。
セシリアが顔を上げた視線の先に映ったのは――獅子の顔が大口を開けて彼女に迫っている姿だった。キマイラが一匹、セシリアとラルフを二人同時に飲み込まんと、肉薄していたのである。
セシリアが、咄嗟にラルフの体を抱き寄せ、きつく目を閉じる。死を覚悟した人間の反応だ。
しかし――
「……な、なんだ!?」
数秒遅れて、騎士たちから驚愕の声が上がる。
セシリアが恐る恐る目を開くと、そこにあったのは、あれだけいた魔物が一匹残らず無残に身体をばらばらにして地に伏している姿だった。
「ここにたまたま俺がいなかったら、この国滅んでたんじゃねえのか?」
そう言って、ユリウスは魔物の血に濡れた鋼糸を自身のもとへ引き寄せる。それから、煙草の火を消して、新しいものを吸い出した。
斬り刻まれた魔物たちは、ユリウスの計らいである。あまりの悪戦ぶりに見かねたユリウスが、カフェの屋上から鋼糸を放ち、数秒のうちに一匹残らず魔物を細断したのだ。
しかし、騎士たちはそんなことなどいざ知らず、まるで神の恩寵が降りた様を目の当たりにしたかのように呆然と立ち尽くしていた。
そこへ、
「何をぼーっとしているのですか! すぐに他の区域へ合流しに行きなさい!」
セシリアが声を張り上げた。彼女は、負傷したラルフを安静に寝かせたあとで、すぐに新たな指示を出して隊を率いた。どうやら、他の隊の援軍に行くようである。
ユリウスはそれを見て、これ以上は付き合っていられるかと、紫煙と一緒に大きなため息を吐いた。
そうしてこの場に残ったのは、魔物の死骸と、数人の騎士の死体、あとは動けないでいる負傷者たちだ。
ユリウスはそれきり興味を失い、踵を返してホテルへ向かおうとした。
しかし――
「てめぇはいったい何度迷惑かけたら気が済むんだ、ラルフ!」
「あともう少しでロス隊長が魔物に食われるところだったんだぞ!」
突然の怒号が起き、足を止めた。そこへ視線を馳せると、数人の騎士たちが、負傷して動けないラルフの体を蹴り飛ばしている姿があった。ラルフはすでに意識を失っており、されるがままの状態である。騎士たちは暫くそうしていたが、やがて満足したのか、後にセシリアが向かった方へと駆け出していった。
取り残されたラルフはというと、もはや虫の息も同然といった様子だ。魔物から受けた傷に加え、仲間の騎士たちからの追い打ち、極めつけはこの冬の寒さである。放っておけば、命を落とすことにまず間違いないだろう。
不意にユリウスが、ラルフの前に忽然と立った。
「こいつ、この国の情報聞き出すのに使えそうだな。ホテルに持って帰るか」
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