第128話

 レストランでの騒動が落ち着いて、ステラはエルフのウェイトレスと共に怪我人の介抱をしていた。レストランの片隅に怪我人――ラルフ・アンダーソンという王国騎士の青年を移動させ、顔から滴る血をナプキンで拭き取る。


「大丈夫ですか?」

「ああ。もう、大丈夫だ」


 ステラが訊くと、ラルフは徐に立ち上がって身なりを軽く整えた。ラルフはそれから、エルフのウェイトレスを見遣る。


「ミーア、君はすぐに仕事に戻れ。俺に関わっていることを支配人に知られると、また酷いことをされるぞ」


 エルフのウェイトレス――ミーアは、少しだけ悲しそうな目になって顔を俯け、ラルフから一歩引いた。

 それを確認したラルフは、踵を返しながらステラたちに目礼をする。


「貴方たちにも迷惑をかけた。それでは」


 そう言い残し、足早にレストランから去っていった。そのすぐ後で、ミーアも会釈をしてステラたちのもとを離れる。


 あっという間の出来事に、ステラたち三人の間に妙な沈黙が広がるが――それを破ったのは、ユリウスがオイルライターを開く音だった。ユリウスは煙草に火を点けると、近くのテーブルの上に腰を掛けながら紫煙を吐いた。


「プリシラ、俺はこれから城に向かう」


 唐突な宣言だったが、プリシラは始めからそれを知っていたかのように頷く。


「次こそは有益な情報を掴んで来い。そろそろこの状況を何とかしなければ、あとでシオン様に叱られてしまう」


 一人話に追いつけないでいるステラが、眉間に皺を寄せながら首を傾げた。


「あの、お城で何をするんですか?」

「さっきの偉そうな姉ちゃん――セシリア・ロスって呼ばれていたか。そいつの話じゃあ、これからガリア大公が城に来るらしい。なんでこの国にガリア軍が駐在しているのか、その理由がわかるかもしれねえ」


 煙草を吹かしながら答えるユリウスに、ステラが、ああ、と声を上げて納得した。プリシラがさらに説明を続ける。


「ガリア公国のトップが自ら小国に赴いたのです。それなりのことを成すために来たのでしょう。グリンシュタットへ入国できる目途も気になりますが、ガリアが何をしようとしているのかも気になります」


 煙草を咥えたユリウスがどこか楽しげに口元を歪ませた。


「ノリーム王国とガリア公国は地理的に離れているうえ、歴史的にも特別仲がいいってわけじゃねえ。それゆえに、ガリア大公が直接来たってことは、例外的かつかなり重要な外交なんだろうな」

「何かしらの条約を結ぶのだろうとは予測できるが、今は何を言っても憶測の域を出ない。というわけで、ユリウス、さっさと城に行け」


 どこか高圧的なプリシラの態度に、ユリウスは大きな舌打ちをして煙草を灰皿に押し付けた。

 不意に、ステラが手を挙げる。


「あの、普通に考えてなんですけど、お城に行っても入れてもらえないんじゃないですか? そんな偉い人が来ている時に、無関係な人間をお城に入れるなんてことしないと思いますが」


 ステラの素朴な疑問に、ユリウスは軽く鼻を鳴らした。


「ああ。だからこっそり忍び込む。安心しろ、こういうのは騎士の任務で慣れてっから」


 次いで、プリシラも頷く。


「ステラ様、ご安心ください。不思議とユリウスはこの手の潜入は得意としています」

「は、はあ……」


 騎士の二人がそう言うのだから大丈夫なのだろうと、ステラは納得することにした。シオンもそうだったが、騎士という生き物は、淡々と冷静に、かつ大胆に事を進めるのが好きだなと、ステラは改めて認識した。

 話がまとまり、ユリウスはウェイトレスを呼び、預けていた自身の帽子とコートを返してもらう。持ってきてくれたのは、先ほどのミーアというエルフの少女だ。

 ユリウスは手早くコートを羽織ると、帽子はプリシラに向かって投げた。


「帽子は邪魔になるから、お前、預かっててくれ」

「私にとっても邪魔だ。捨てておく」


 プリシラは帽子を受け取るや否や、即効で潰してしまった。それを見て、ユリウスが腹立たしそうに顔を顰める。


「クソが。まあいい。十三時までにはホテルに戻る。それまで王女の護衛頼んだぜ」

「戻る時に後を付けられるなよ」


 最後に悪態をついて、ユリウスはレストランを後にした。

 これで当面の活動方針に目途が付いたと、ステラが緊張の面持ちを残しつつ少しだけ肩の荷を下ろす。


 その矢先、レストランが再び騒がしくなった。


「騒ぎを起こしたのはまたお前か! エルフはまともに配膳の仕事ひとつできんのか!」


 突然の怒号。見ると、厨房の入り口近くにて、スーツ姿の小太りの中年男性が、ミーアに向かって口角泡を飛ばしていた。やけに偉そうな態度であることから、恐らくはこのレストランの支配人なのだろう。

 ミーアは完全に畏縮した様子で、その長い耳を寝かせて身を竦めていた。


「も、申し訳――」

「来い!」


 ミーアの有無を言わさず、中年男性は、彼女の腕を引いて店の奥へと消えてしまった。

 これから何がなされるのか、ある程度の想像ができた。ゆえに、ステラは咄嗟にミーアたちが消えた方向に足を踏み出したが――


「ステラ様、これは他国の事情です。貴女が思いつめる必要も、関わる必要も一切ありません」


 プリシラが腕を横に伸ばし、ステラを制止させた。

 ステラはすぐに我に返り、表情を一度きつく強張らせる。その後で、


「――はい、わかっています」


 自身を無理やり納得させるように応じた。







 ノリーム王国の王城は、国の中心部に建てられていた。庭を含めれば戦艦を複数隻収められるほどの広大な敷地の中で、白の煉瓦造りの外観は中世の色をそのままに、荘厳かつ美麗に鎮座している。屋根には雪化粧を彩り、曇天の空のもとで幻想的な雰囲気を醸し出していた。

 しかし、映る景色はおとぎ話のようにとはいかず、周辺は物々しい有様だった。白の制服で統一されたノリーム王国の騎士たちが至る所に配備され、全員が小銃で武装している。さらに異様だったのは――しかし、やはりとも言えたのは、そこに紺色の軍服――ガリア軍の兵士も混ざっていたことだ。


 城の正面だけで何人が配備されているのか、ユリウスは近くの雑木林に身を潜めながら、数秒の間、地道に数えていたが、五十を超えたところで諦めた。


「さすがに大国のトップが来るってなりゃあ、城も厳戒態勢か。ガリア軍もかなりの精鋭を連れ込んでいるみてえだな」


 ユリウスが見た先には、強化人間と魔物で編成された部隊があった。他の兵士たちとは一線を画す無機質な顔つきで、強化人間の兵士たちがまるで人形のようにして立ち並んでいる。そして、その周囲を手綱もなくうろうろと徘徊するのは、ライオンほどの大きさもある赤黒い犬――ヘルハウンドと呼ばれる魔物だった。凶悪な見た目に反して主人の指示には従順に従う一方、敵対する者は容赦なく食い殺す狂暴性を持っている。口からは超高温の火を吐き、それを口内に宿したまま噛みつくことで、敵対者を絶叫のうちに焼死させることを得意とする。


 それらの戦力を見て、ユリウスは悩んだ。ヘルハウンドは普通の犬のように鼻と耳がよく利く。恐らく、今隠れている雑木林が、ヘルハウンドたちに察知されない最低ラインなのだろう。これ以上近づけば、ヘルハウンドたちが吠えだすことも考えられる。


(まあ、はなっから真正面から入るつもりもないんだけどな)


 ユリウスは雑木林から出て、今度は城の側面へと回った。そこは、主郭をぐるりと囲う高さ十五メートルほどの城壁――ところどころに見張り用の窓と小さな扉が設けられていたが、それらが存在しない場所だけ、警備は手薄だった。

 ユリウスはそこを侵入経路とすることにした。厄介なヘルハウンドが周囲にいないタイミングを見計らい、目にも止まらぬ速さで城壁を昇り切る。鋼糸を巧みに操り、断崖絶壁を滑るようにして駆け上がった。


 城壁を越え、ユリウスは城の敷地全体を一度見渡す。それからすぐに最適な侵入ルートを捉え、音を殺して主郭へと疾駆した。

 城内へと侵入したユリウスは、兵士たちの会話と動きを頼りに奥へと進んだ。やがて辿り着いた先は、玉座を備える謁見の間と思しき大部屋だった。幸いにもまだ人気はなく、身を隠す時間は容易に確保できた。ユリウスはそこの天井ぎりぎりにあった石柱の裏に鋼糸を絡ませ、身を隠す。


 それから間もなくして、ぞろぞろと三十人ほどが謁見の間に入ってきた。先頭を歩くのは初老の男で、大仰な冠を被り、赤い外套を纏っている。見るからに、この男が王なのだろう。その後に続く二人は、恐らくは大臣。そしてさらに後ろに控えるのは、護衛の騎士たちだ。騎士の中には、先ほどのレストランで見かけたセシリア・ロスという女騎士もいる。

 国王が玉座に座ると、大臣と思しき二人がその両脇に付いた。騎士たちは、部屋の入り口から玉座まで道を作るようにして整列し、規律正しく静止する。


 これから何が始まるのか、ユリウスが神妙な面持ちで見守っていた矢先――国王たちが入室して数分と経たないうちに、再度部屋の扉が開かれた。


「おお、ガリア大公カミーユ・グラス殿下。遠路はるばる、よくぞ参られた」


 予想より早くに来たのか、国王はどこか慌てていた。だが、余裕ある振る舞いを心がけようと、大袈裟に両腕を広げて賓客を出迎えた。


 謁見の間に入ってきたのは、国王が言った通り、ガリア公国の国家元首、ガリア大公カミーユ・グラスだった。初老ながらもその顔つきは血気盛んに厳しく、眼鏡の奥の眼光は鋭い。一見すると気迫に満ち溢れた覇王的な男だが、どことなく焦燥感に駆られた落ち着きのなさも垣間見える。


 ガリア大公は、後ろに何人ものガリア軍の兵士と魔物を従え、ずかずかと玉座に向かって前進した。

 対して、国王は満面の笑みを携える。


「こうして直接会えたこと、余としても――」


 瞬間、ガリア大公は国王の下顎を片手で掴み上げ、彼の後頭部を玉座の背もたれに叩きつけた。

 突然の横暴に騎士たちが武器を手に構えるが、ガリアの兵士と魔物たちに威嚇され、尻込みした。


「玉座に座っての出迎えとは、いつからお前はわしより偉くなった、コンラディン三世? ガリア大公であるわしが、どうしてこんな小国にわざわざ直接赴いたのか、知っているか? 少なくとも、我が軍に号令をかければ一夜で滅ぶような弱小国家の王に首を垂れるためではないぞ」


 ガリア大公は国王に顔を近づけ、牙を剥くように唸った。その威圧に押され、国王は非礼を責める間もなく屈する。


「し、失礼いたした……! さ、早速、会談の場所へ――」

「会談? 何か話し合いをしなければならないことでもあるのか?」


 ガリア大公が手を離すと、国王は咽ながら自身の喉を擦った。


「で、殿下が仰ったのではないか。我が国とガリア公国が軍事的な同盟を結ぶことで、この国の騎士団の軍備を大陸最新鋭のものにしていただけると」

「そうだ。それの見返りに、ガリア軍の駐屯地をノリーム王国国内に設置すること。亜人の国民全員をガリア公国に引き渡すこと。その二つを条件にした」


 天井の柱の裏で見ていたユリウスが怪訝に眉を顰める。同盟を結ぶつもりでいたのはやはりというべきだが、その経緯は依然として疑問だった。


「で、ですから、その条件について相談を――」


 国王が何かを言おうとしたが、瞬間、彼の身体が横に吹き飛び、玉座から転げ落ちた。ガリア大公が、傍若無人にも、国王に蹴りを入れたのだ。国王は無様に床に転がるが、ガリア大公はさらにその上に片足を乗せて踏みつける。


「何を相談する? この条件を飲むか、飲まないかの二択しかないつもりだが? 飲まなければ同盟の話はなしだ。わしはその回答を直接この耳で聞き、調印するために赴いたのだ」

「し、しかし、いくらなんでもその条件は――」

「他国の軍備を支援することに、いったいどれだけの労力と金がかかると思っている? それなりの対価を払うのが筋というものだろうが!」


 国王の腹に一発蹴りを入れ、ガリア大公は踵を返そうとする。


「もういい、興が冷めた。この話はなかったことにさせてもらう。とんだ無駄足だ」

「ま、待たれよ!」


 大臣の手を借りて立ち上がった国王が、ガリア大公を呼び止めた。


「一晩、一晩だけ我らに猶予を与えていただけないだろうか!?」


 その提案に、ガリア大公は酷く冷酷な表情で鼻を鳴らした。


「明日の正午だ。明日の正午に回答をまた聞く。それ以降は一秒たりとも待たん」


 ガリア大公はそれを最後に吐き捨て、謁見の間から出ていった。


 異様な緊張が未だ解けず、国王と大臣はおろか、警護の騎士たちすら固まって息を呑んでいる状況だった。


「陛下、ご無事ですか?」


 国王に肩を貸す大臣が、気遣わしげに言った。


「もう一度、お考えを改めてみてはいかがでしょうか? ガリア大公の振る舞い、到底一国の主とは思えませぬ。マフィアと言われた方が、幾分納得できる有様ですぞ」


 しかし国王は、やんわりと首を横に振った。


「わかっておる。だが、この国はどうしても軍備を強化する必要があるのだ。グリンシュタットに見放された今、他に頼れる大国はガリアしかおらんのだ……」


 謁見の間は、まるで誰かの葬式が行われた後のように沈んだ空気になった。

 それを天井から見ていたユリウスが、顎に手を置いて思案する。


(“ノリーム王国がグリンシュタット共和国に見放された”、ねえ。正確な状況を掴むには、この国の直近の情勢について調べてみる必要がありそうだな。余計な地雷にならないといいが)


 そうしてユリウスは、足早にステラとプリシラのいるホテルへと戻ることにした。

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