第三章 信念は嘘よりも危険な真理の敵

第126話

「ここに座るのは一年ぶりか?」


 騎士団本部――“円卓の間”にて、騎士団総長ユーグ・ド・リドフォールがⅠ番の議席に座ったのを見て、Ⅳ番の議席に座るヴァルターは調子を伺うように訊いた。騎士団最年長である老騎士の問いに、ユーグは長い息を吐きながら目を瞑った。


「ああ。だが、久しぶりという感じはあまりしないな」

「聖女との大陸巡礼にはそれなりの心労があったと察する」

「私ももう五十五を過ぎた。騎士といえども身体の衰えには逆らえない。表向きは巡礼と称していたが、実際は要人警護だ。一人で常に気を張り続けるのは、中々に応えた」


 溜まりに溜まった疲労を身体から抜くようにしてユーグの口から苦労話が洩れる。そんな彼を労わるように、ふと円卓の上に湯気の立つティーカップが置かれた。ユーグが目を開けて横を見ると、会釈をするリリアンの姿が映った。


「君とこうして会うのも久しぶりだな、リリアン卿」

「お久しぶりでございます、ユーグ様。早速ですが、こちらをご確認ください」


 次いで、綴じ紐で封をされた書類が円卓に置かれる。コースターほどの厚みのあるそれを、ユーグは手に取って間もなく斜め読みを進める。


「本日までに議席持ちの騎士たちが収集した十字軍に関わる情報となります」

「十字軍の存在を知ってからまだ一ヶ月も経っていないというのに、よくこれほどの情報を集めたな。さすがは議席持ちといったところか。それにしても、教皇は、これほどの規模の軍隊をよく我々に気付かれることなく準備することができたな」


 ユーグが感心かつ辟易したため息を漏らすと、ヴァルターが肩を竦めた。


「ガリア公国の協力あってのことだろう。十字軍を構成する兵士の中には強化人間もいるらしい」

「ガリア軍との連合結成ということかな?」

「ガリア軍の一部が十字軍に併合したのは間違いない。だが、所属する兵士の半数以上は大陸諸国から集めた一般人だ」

「徴兵をしていたと?」


 ヴァルターは首を横に振った。


「いや、公に徴兵という体は見せていなかった。仮にしていれば、さすがに我々も気付いている。表向きには新興の修道会を謳い、熱心な信者や、信仰による免罪に食らいついた犯罪者を大陸中からかき集めたらしい。寄付金を目当てにした怪しい修道会の立ち上げ事例は腐るほどあるからな。よくあることとして気にも留めていなかった。盲点とはいえ、恥ずべきことだ」


 忌々しそうに吐き捨てるヴァルターの一方で、ユーグは眉間に皺を寄せた。


「だとして、その戦力はいかほどのものだ? 訓練を受けていない一般人が兵士になったところで、さほど脅威でもあるまい」

「ガリア公国が絡んでいるのだ。強化人間なり、人間ベースの魔物なり、短期間で使い物にする改造手段はいくらでもある」


 ユーグは書類を円卓に置き、背もたれに体重を預ける。


「まったく以て嘆かわしい話だな」

「ガイウスの意向なのかどうかは知らんが、さすがにやり過ぎと言わざるを得ない。もはや自軍の兵をヒトとすら思っていない有様だ。戦力の増強に、手段を選ぶつもりは毛頭ないらしい」

「厄介な話だ」

「厄介な話はまだある」


 追い打ちをかけるようなヴァルターの声色だった。ユーグは背もたれに体を預けたまま、視線だけをヴァルターに向ける。


「何人もの教会魔術師が十字軍に雇われた。先日のラグナ・ロイウ襲撃に用いられた空中戦艦“ケルビム”を動かしていたのも教会魔術師だ」

「空中戦艦の操舵は一朝一夕でできるようなものではないはずだ。それをどうやって雇われの教会魔術師が?」

「恐らくはパーシヴァルが絡んでいるはずだ。奴が教会魔術師たちを訓練したとしか考えられん。我が弟子ながら、とんでもないことをしてくれた」


 そう言って、表情に微かな悔恨の色を見せたヴァルターだった。それには構わず、ユーグはさらに続ける。


「他に何か私の頭を悩ませるようなことは?」

「あるぞ、特大のが」


 ヴァルターからの不穏な回答に、ユーグは背もたれから体を離して傾聴した。


「亜人への“騎士の聖痕”適合実験が成功し、その成果が早くも十字軍に反映されているらしい」

「具体的には?」

「そこはまだ調査中だ。だが、イグナーツの見立てでは、仮に実験が成功していたとすれば相当にまずいのでは、と言っていた。真面目な顔で危機感を覚えるあいつを見るのは久しぶりだ。総じて嫌な話ばかりだが――残念ながら、現時点でわかっていることは以上だ」


 締まりのない報告だったが、ユーグはやむを得ないといった様子で表情を険しくする。


「おおよそはわかった。十字軍については引き続き調査を頼む。次に、我々騎士団の状況について訊きたいのだが――」


 そこで区切って、ユーグは円卓の議席をぐるりと一周見遣った。

 布を被せられて座すことが許されていないⅩⅢ番の議席は除いて――今この場に出席しているのは、Ⅰ番ユーグ、Ⅲ番リリアン、Ⅳ番ヴァルターだけである。イグナーツやネヴィルのように任務で不在としている騎士については何も問題はないのだが――


「Ⅴ番、Ⅵ番、Ⅶ番の姿がどこにも見当たらないが、三人はどこへ? 彼らには新しい任務が与えられたのか?」


 議席持ちの中でも武闘派と呼ばれる三人――Ⅴ番レティシア、Ⅵ番セドリック、Ⅶ番アルバートの姿が見当たらないことに、ユーグは怪訝になった。

 ヴァルターは困ったように顔を顰め、頭を軽く横に振る。


「アルバートたちはステラ王女奪還のため、独自に動き出した。イグナーツの制止も振り切ってな。総長のお前があと少し早く戻ってくれば、三人を止められたかもしれなかった。まあ、組織のトップが一年も不在だったのだ。幹部の統制が乱れるのも無理はない」


 不満と皮肉を絶妙に混ぜ合わせた声色でヴァルターが言った。ユーグは居たたまれない顔になって苦笑する。


「そう言わないでくれ。私とて、好きでここを離れていたわけではない」


 四十年来、共に騎士として戦ってきたユーグとヴァルター――老齢の騎士二人が、凝り固まった緊張をほぐすようにして軽く笑い合う。

 “円卓の間”の扉が勢いよく開かれたのは、そんな時だった。


「失礼いたします」


 やけに重々しい雰囲気を携えて入ってきたのは、部屋の門番をしていたⅧ番リカルドと、Ⅸ番ハンスだった。双方、その顔は、まるでこれから戦場へ赴くのかと思うほどに張り詰めていた。

 リカルドとハンスが、入って早々、ユーグに会釈をする。


「総長、教皇猊下が騎士団本部へいらっしゃいました。現在、別の騎士たちが会合の場へお招きしている最中ですので――」

「長話をするつもりはない。ここでいい」


 その二人の間に剣を通すかのような声が起こり、“円卓の間”に緊張が走った。


「お久しぶりです。ユーグ・ド・リドフォール総長」


 そう言って“円卓の間”に入ってきたのは、教皇アーノエル六世ガイウス・ヴァレンタインだった。

 そして、その両脇には二人の枢機卿を引き連れている。

 パーシヴァル・リスティスと、ガラハッド・ペリノア――この場にいる議席持ちの騎士たちは、この二人の枢機卿のことをよく知っていた。


 パーシヴァル・リスティス――丸くまとめた栗色の髪に細長の眼鏡が印象的な、三十代中盤ほどのいかにも頭のよさそうな男である。その表情は常に妙な自信で満ち溢れており、図らずとも他人を嘲笑うかのような趣があった。

 ガラハッド・ペリノア――無造作な白髪と、虚空を映し出したかような青い瞳を持つ儚げな青年は、もう一人の枢機卿とは対照的に、まるで人形のように無機質だった。雰囲気だけで言えば、リリアンに似ている。だが、この男の方がより人間味がなく、寡黙であった。


 教皇と二人の枢機卿は、議席持ちの騎士たちから放たれる鋭い視線を受けつつ、ずかずかと不敵に“円卓の間”に進入していった。それどころか、教皇に至っては、大胆にも空いている適当な議席に座る始末である。


「ようやく貴方に会うことが叶った。これで諸々の話を進められる」


 教皇の言葉に、ユーグは露骨に顔を顰める。


「教皇猊下――いや、敢えてここでは昔と同じくガイウスと呼ばせてもらう」


 ガイウスは特に気にした素振りも見せず、じっとユーグを見ていた。


「単刀直入に訊く。“リディア”の失脚、騎士団分裂戦争の発起、黒騎士の誕生、十字軍の結成――これほどまでの企てをしてまで、君は何をなそうとしている?」


 ユーグの言葉を受け、教皇は酷く冷たい表情になった。

 そして――


「聖女はどこだ? まず先に、それを教えろ」


 汚物の拭き零しを目の当たりにしたような眼差しで、言った。

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