第125話
「で、何でステラたちはグリンシュタットの手前で立ち往生食らってんの?」
ワイングラスを片手に、バスローブ姿のエレオノーラが少しだけ不機嫌に言った。
シオンとエレオノーラは、つい先ほどルームサービスで夕食を済ませた。今は、ピーナッツ類をつまみに食後のワインを嗜みつつ、明日からの作戦会議を始めているところだ。
一人掛け用のソファが四角いテーブルを挟んで対面に並び、二人はそこに向かい合わせに座っている。
エレオノーラが足を組みながらピーナッツをぼりぼりと食べる一方で、シオンはいたって真面目な顔だった。
「あいつらが滞在している小国に、ガリア軍がいるらしい」
そう言ってシオンは、ピーナッツの皿を退けつつ、テーブルの上に大陸の地図を広げる。続けて、地図上のくだんの小国を赤いペンでマーキングすると、不意にエレオノーラが覗き込んだ。
「その小国って、ガリア公国と同盟とか結んでいる国なの?」
「ノリーム王国だ。ガリアとは特別仲がいいわけでもないはずだが、何でそんな状況になっているのかはプリシラもわからないと言っていた。ステラを探しているというわけでもないらしい」
シオンの説明に、エレオノーラが眉を顰める。
「何それ? ていうかさ、グリンシュタットは何やってんの? 軍事大国であるガリアの軍隊が隣国で好き勝手やっててさ、さすがにだんまりはしていないんじゃない? 同じ大陸四大国の一つでしょ?」
「ああ。国境付近で一触即発状態らしい。ステラたちがグリンシュタットに入国できない原因がそれだ。今は、グリンシュタット側がガリア軍を警戒して他国との国交を一切禁止している。ステラたちもその網を抜けられないせいで、身動きが取れないって話だ」
エレオノーラが少しだけ呆れたように息を吐き、肩を竦めた。
「ステラを呼びつけたのはグリンシュタット側でしょ? それもどうかと思うけどね」
「仕方がない。これも秘密裏に進めている外交だ。公に事を起こすわけにもいかないんだろう。それに、グリンシュタット側も、何も考えていないということはさすがにないはずだ」
シオンがエレオノーラの苦言を宥めると、彼女はピーナッツを口に運びながら、
「んで、アタシたちは明日からノリーム王国に向かうわけ?」
そう訊いた。
「ああ。ノリーム王国の方は国交を封鎖していないから、そこで落ち合うことにした」
シオンの回答を聞いて、エレオノーラは一度ワインを飲み干す。その後、口を軽く手で拭って、身を少し乗り出した。
「目的地はわかった。で、そこまでどうやって行くの? やっぱり鉄道?」
「それが一番楽な方法ではあるんだが、これから小国地帯に入って幾つもの国境を超えることを考えると、国交旅券が必要になるっていうのがネックだ」
小国地帯――文字通り、幾つもの小国が密集した地帯を、ユリアラン大陸に住まう人々はそう呼んだ。小国の定義としては、大陸四大国に属さないすべての大陸西側諸国が該当する。大陸四大国のうち、ガリア公国、アウソニア連邦、ログレス王国は、それぞれ順に東、北、西に位置して隣接するのだが、グリンシュタット共和国だけはそれに準じていない。かの国は、アウソニア連邦とログレス王国よりもさらに西に存在する小国地帯のど真ん中に、四つ目の大国として鎮座しているのだ。
では、何故小国地帯が厄介なのかと言うと――小国と言えども、そこにあるのは立派なひとつの主権国家である。国境を超えるには、それなりの手続き、もしくはルールを順守する必要があった。平たく言えば、国交旅券がなければ、公共交通機関を使ってグリンシュタット共和国へ到達できないということなのである。
そのことが、シオンたちの直近の課題となっていた。
「アタシは教会魔術師だから銀のペンタクルがその代わりになるからいいけど、アンタはやばいね。黒騎士ってバレたら、最悪教会に通報されるかも」
「ああ。通報されたら最後、ここぞとばかりに十字軍やアルバートたちが飛んでくるだろうな。正直、もうあいつらとは戦いたくない」
シオンが心底嫌がるように言って、眉間を手で押さえた。
そんな時、ふとエレオノーラが思い立ったように短く声を上げる。
「そういえばなんだけど、アンタはどうやってラグナ・ロイウまでやってきたの? 聖都で暴れに暴れたんでしょ? アウソニア国内で鉄道なんて使ったら真っ先にしょっ引かれそうなものだけど」
エレオノーラの素朴な疑問に、シオンは軽く肩を竦める。
「その時の移動にはバイクを使った。お前の言う通り、聖都で色々やったあとは、さすがに鉄道でアウソニア国内を移動する気にはなれなかったからな」
シオンの尤もらしい回答を得て、エレオノーラは、ふーん、と納得する。
しかし、
「――ちょっと待って。今はそのバイクどうしたの? っていうか、金なしのアンタが何でバイクなんて持ってたの?」
割と鋭い声色で、質問を続けた。
シオンは少しだけ驚いた顔になる。
「ば、バイクはラグナ・ロイウに入る時に手放した。あの街には持ち込むだけで違法だったらしいからな。で、その手放したバイクはプリシラに買ってもらった」
途端、エレオノーラの目つきが変わる。
「いくら?」
「二百万くらいだったはず。オーストン・モーター社のKRS―5Xだ。どうせそのうち乗り捨てるから安物でいいって言ったんだが、かなりいい最新型を買ってくれた」
「……ふーん」
エレオノーラが、異様な目つきでシオンを見る――というより、もはや睨むような形相だった。
続けて、
「じゃあ、同じようにノリーム王国までバイクで行こうよ」
エレオノーラからそんな提案が飛んできた。
「お前バイク乗れるのか?」
すると、エレオノーラは急にもじもじと身を小さくし、視線を下に外した。
「……タンデム」
そして、ぼそっと、そう言った。
シオンはますます顔を渋くする。
「ここから何キロあると思っている、相当疲れるぞ? 小国地帯に入れば舗装されていない道がほとんどだ。それに、燃料も潤沢に補給できるかわからない」
小国地帯の国々は大国ほどインフラが整っていない。そのため、車やバイクでの移動はそれなりに困難であるというのが通説だ。おまけに、バイクを動かすための燃料――ガソリンも、まだ一般的に普及していない国が多い。ここを出発地点とした総走行距離を鑑みても、バイクはあまり用いたくない手段だった。
しかし、そんなことはエレオノーラも理解しているようで、
「舗装されていないって言ったって、昔から使われている馬車が通れる程度の道はあるはずでしょ? それに、燃料は必要な分ストック積めばいいじゃん」
そう言い返してきた。
シオンはすぐに言い返せず、少しばかり押し黙ってしまう。だが、すぐにこの案の致命的な問題を思い出した。
「一番の問題がある。金がない」
「買ってあげる」
即座にエレオノーラが解決した。
シオンは虚を突かれて再び黙ってしまうが、さらにあることを思い出す。
「お前には刀も買ってもらった。これ以上お前から金を借り――」
「あげる」
「は?」
思いがけない言葉を聞いて、シオンはそんな間抜けな声を上げた。
「いいよ、その借金は。勿論、バイクも」
エレオノーラが、不気味なほどに羽振りのいいことを言い出した。
これには、さすがのシオンも動揺した。
「い、いや。そんな大金を――」
「いいから」
聞き間違えと疑う間もなく、畳みかけるようにエレオノーラが言ってくる。
「でも――」
「くどい」
これ以上何か言おうものなら、怒りの火球が飛んでくるのではと思うほどにエレオノーラはピリついていた。
ここはいったん、バイクという手段を呑むしかないと、シオンは受け入れる。
「わ、わかった。だ、だけど、バイクを使うならせめてサイドカーにしてくれ。タンデムで長距離移動はさすがに――」
「やだ」
長距離移動による疲労を考慮しての提案だったが、エレオノーラは断固として拒否した。
そのあまりの確固たる意思に、シオンも次の言葉を失う。
「タンデムで」
エレオノーラが、念を押すように言った。
「ど、どうして?」
絞り出すようにシオンが訊いて、
「スポンサーに理由を問うの?」
エレオノーラは有無を言わさなかった。
その静かな気迫に、堪らずシオンも身を竦めてしまう。
「……わかった」
翌朝、二人は町で一番大きな自動二輪車の店に向かって、一番品質のいいものを購入した。
手荷物を括りつけるためのカスタム料金も含めて、総額、五百万フローリン。あまりの高額にシオンは絶句して目を剥いたが、一方のエレオノーラは何故か満足げ――いや、何かに勝利したかのように誇らしげだった。
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