第123話
「そういえば、今日出発するんでしたか、シオンとエレオノーラは」
依然として瓦礫が散乱するラグナ・ロイウの東区のとある一角にて――配下の騎士と、ラグナ・ロイウの憲兵たちに指示を出し終えて、イグナーツは思い出したように言った。煙草に火を点け、ほっと一息つく。
隣にいたネヴィルが、紫煙に顔を顰めながら頷いた。
「ええ。ちょうど今船が出た頃じゃないですかね。ちょっと前にソーヤーが見送りに行きました」
イグナーツは微かな笑みを携え、煙草大きく吹かす。
「結局、二人とも私には会ってくれませんでしたね。ちょっと寂しい気もします」
「用もないのに好んで貴方と会う人なんてそうそういないでしょ」
「ネヴィル卿、真面目に減給しますよ」
「すみません、言いすぎでした」
その謝罪のあと、ネヴィルは少しだけ真剣な表情を取り戻し、再度イグナーツを見遣った。
「それにしても、今回の件は肝が冷えました。総長がいなかったらと思うと、ぞっとしますね」
「確かにそうですが、一方で、総長が表に出てしまったことは、かなり後を引くと思われます。聖女と引き離してしまいましたしね」
「今はⅩⅡ番が聖女の護衛に付いているんでしたっけ? なんというか、よくこの近辺に運よくいましたね。いなかったら聖女もここに留まらせるしかなく、十字軍の恰好の的になっていたかもしれないですね」
イグナーツは魔術で地上から椅子を生やし、徐に腰を掛ける。
「我々からしてみれば、運がよかった、という見方になるのでしょうね。ですが、シオンからしてみれば、ⅩⅡ番がこの街の近くにいたことは計画通りだったのかもしれません」
イグナーツの言葉の意味が理解できず、ネヴィルは訝しげに眉を顰めた。
「どういう意味ですか?」
「聖王祭でシオンが聖都を襲撃した時、未確認の飛行機械に乗って彼はやってきました。その飛行機械は、グリンシュタット共和国で開発されている汎用小型飛行機の試作機であることが、ヴァルター卿の調べでわかっています」
「それが何か?」
「その飛行機械を操縦していたのが、なんと議席ⅩⅠ番ヴィンセント・モリスだったんですよ」
まさか、議席持ちの名前が上がるとは思わず、ネヴィルが少しだけ目を丸くさせる。
「……なるほど。ⅩⅠ番とⅩⅡ番はペアで大陸中を回って諜報活動をしていますもんね。しかも、あの二人はシオン殿と仲が良いときた」
「十中八九、シオンの行動予定はあの二人に共有されているはずです。もしかすると、シオンはラグナ・ロイウでⅩⅡ番と合流するつもりだったのかもしれないですね。もしくは、ⅩⅡ番がシオンと合流するつもりでいたのか」
イグナーツの推理に同意して、ネヴィルがうんうんと何度も頷いた。
「議席持ちの騎士が密かに黒騎士に協力していたとは、いやはや、世も末ですね」
他人事のようなネヴィルの言葉に、イグナーツが珍しく不機嫌に顔を顰めた。
「それは貴方も同じでしょう。今でこそ教皇庁と明確な対立関係になったからうやむやに出来るものの、それがなければ騎士団は今度こそそれを弱みに解体させられていましたよ」
ぴしゃりと上司からの叱責を受け、ネヴィルはバツが悪そうに言葉を詰まらせる。
それからすぐに、場の空気を変えるかの如く、
「と、ところで、総長殿はこれからどう教皇庁と向き合うおつもりで?」
話題を総長の動向に変えた。
イグナーツは煙草を右手で弄びながら、耽るように目の前をぼんやりと見る。
「まずは教皇と、四人の枢機卿を相手に話をするつもりのようです。まあ、何を言い出して要求するかは大体察しがつきますが」
「注目するべきは、総長殿が、それに対してどう折り合いをつけるか、ってところですかね。ちなみになんですが、四人の枢機卿っていうのは誰なんですか? 四人のうち二人は恐らく、ランスロット殿とトリスタン殿でしょうが、残りの二人は?」
無邪気なネヴィルの質問だったが、イグナーツは一度目瞑り、勘弁してほしいと言わんばかりの表情を見せてきた。それから重い口を開き、
「パーシヴァル・リスティスと、ガラハッド・ペリノアです」
と、短く回答した。
途端、今度はネヴィルの表情が、嘆くように険しくなる。それを見たイグナーツが、救いようがない、と皮肉ったような笑みを浮かべた。
「笑えないですよね。私も彼ら四人を見た時、血の気が引きました」
そう言って、イグナーツは煙草を吹かす。
対するネヴィルは暫く固まっていたが、見えない氷が徐々に溶かされたように、また口を動かす。
「パーシヴァル・リスティスということは、今回、“ケルビム”を動かしたのも彼が?」
「いえ、それは違うようです。ですが、空中戦艦の制御権限がいつの間にかすべて奪われてしまったと、ヴァルター卿から聞いています。なので、空中戦艦はもはや騎士団では扱えない状態ですね」
「あのジジイ、いつも小言が煩いくせに大事なところで役に立たないですね」
その通り、と言わんばかりにイグナーツが鼻で笑った。
「パーシヴァルも厄介ですが、それ以上に危険なのがガラハッドです。まさか、彼が教皇に与するとは思いもよりませんでした」
「先代の議席ⅩⅢ番にして、単騎における最強の騎士でしたもんね。イグナーツ殿どころか、総長殿や教皇より強いって噂に聞いていますけど、本当ですか? 未だに信じられないんですが」
「本当ですよ。総長、教皇、私の三人がかりで、ようやく勝負になるくらいの強さだと思ったらいいです」
「悪夢ですね。聞かなかったことにします」
冗談めいた風にネヴィルは言ったが、その思いに嘘はなかった。それほどまでに、ガラハッドという枢機卿――もとい、元騎士が敵に回ったことを認めたくなかったのだ。
隣ではイグナーツが、虚空を見つめながら煙草を手で持て余していた。
「覚めない悪夢はないと言いますが、覚める前に永遠の眠りについてしまった場合は、その悪夢を延々と見続けることになるんですかね」
何気なく思ったそんなことを口にして、すぐに後悔したように、イグナーツは煙草の火を消した。
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