第122話
十字軍の襲撃から一夜が明け、時刻は昼過ぎになった。最悪な年明けを迎えたラグナ・ロイウ――空中戦艦“ケルビム”とそのドローンから度重なる砲撃を受け壊滅した東区には、家屋の瓦礫と、犠牲になった民間人の亡骸が未だ散乱している状態だった。街の憲兵隊に加え、イグナーツ主導のもと騎士団から急遽派遣された騎士が数名駆けつけた状態だが、復興に相当な時間を要するのは誰の目から見ても明らかだった。
比較的被害の少ない中央区――そこにある高級宿の一室で、シオンは目を覚ました。天蓋の付いた豪華なベッドの寝心地は、全身が水に包まれているかのように心地よく、意識の覚醒を緩やかにさせていた。
このまま二度寝してしまおうかと、シオンはまた目を瞑るが――
「おはよ」
不意に隣から声をかけられ、渋々体を起き上がらせた。
見ると、ベッドの隣にエレオノーラがいた。一人用のソファに足を組みながら腰を掛け、何かの本を手にしている。
「まだ眠たそうだね」
シオンは、眉間を指でつまんで軽く頭を横に振る。そうやって意識をはっきりさせてから、改めてエレオノーラを見た。
「俺はどれくらい寝ていた?」
「十時間くらいかな? 昨日、いきなりぶっ倒れてそのままここに運ばれて、今この瞬間までぐっすり」
エレオノーラの回答を聞いて、シオンは眉を顰める。
「まさかお前、ずっとここで俺を監視してたのか?」
「んなわけないでしょ! アタシもちゃんと寝て、朝に起きたの。それでアンタがいつまで経っても起きないから、ちゃんと起きるか念のためここで待つことにしたってだけ」
声を荒げるエレオノーラに、シオンは大袈裟に耳を押さえてさらに顔を歪めた。続けて、
「ソーヤーはどうなった?」
「あの子も今日はここに泊まったはずだよ。イザベラの遺体は、あのネヴィルって騎士が何とかしてくれたみたいだけど、詳しいことはアタシも聞かされてない」
ソーヤーのことを聞いたが、詳しいことはエレオノーラも把握していないようだった。
シオンは、視線を下に落としつつ、軽く目を伏せる。
「そうか……。これからちゃんと、立ち直ってくれればいいんだけどな」
ぽつりと零したシオンの独り言に、エレオノーラも無言で同意する。
そんな時、不意に部屋の扉がノックされた。
シオンがそれに返事をする間もなく、勝手に扉が開かれる。入ってきたのは、ネヴィルだった。
「起きたようなので来ました」
ネヴィルはいつものへらへらした様子で軽く手を挙げる。彼の言葉を聞いたエレオノーラが、目を大きく見開きながら立ち上がった。
「まさか、ずっとこの部屋盗み聞きしてたの!?」
「そんなことしませんよ。部屋の前をたまたま通り過ぎたら、貴女の大きな声が聞こえたので多分シオン殿が起きたんだろうなって思っただけです。さすがに僕もそこまで悪趣味じゃないですよ」
心外な、と渋い顔で抗議するネヴィルを見て、エレオノーラは恥ずかしそうに身を縮こまらせながらソファに座り直した。
そんな気の抜けたやり取りをした直後だったが、ネヴィルはすぐさま表情を引き締め、シオンを見遣った。
「起きて早々なんですが、色々話しても大丈夫です?」
唐突な打診に、シオンは短く頷いた。
「その様子だと、アンタも時間がなさそうだな」
「そうですね。今回の件、色々と事態が大きく動きそうで、これから騎士団はかつてない繁忙期に入りそうです」
ネヴィルは冗談交じりに微笑するが、言葉の表現こそふざけているものの、実際その通りなのだろう。
「まずは、騎士団から貴方への処遇です。総長殿から伝言を預かっています」
突然の本題にシオンの表情が険しくなり、エレオノーラも息を呑む顔になって緊張する。
「“ステラ王女を頼む。然るべき時にログレス王国王都での聖女との戴冠式を開催できるよう、準備を進めてほしい”、だそうです」
シオンとエレオノーラは、きょとんとした顔になって、互いを見遣った。
ネヴィルの言葉通りなら、騎士団は黒騎士に対して何もしないということになる。そればかりか、シオンとステラの接触を容認さえしている有様だ。
そのことにシオンとエレオノーラが揃って疑問を抱いていると、
「総長殿としては、ステラ王女を女王にする計画は、このままシオン殿に進めてもらいたいそうです。イグナーツ殿には、総長殿から直接話を通すとも言っていました」
ネヴィルが答えてくれた。
「いいのか? そんなことをすれば、騎士団が黒騎士を認めることになるぞ?」
シオンが不安げに訊くと、ネヴィルはとぼけた顔になって肩を竦める。
「勿論、公にはそんなこと言いませんよ。騎士団と黒騎士の関りは、あくまで水面下でのやり取りです。まあ、今回の件で、教皇庁とは実質敵対することになるので、あちら側の意向を正直に汲み取る必要もなくなったっていうのが一番の理由でしょうね。黒騎士討伐なんかより、教皇庁――正確には、ガイウス・ヴァレンタインとその一派をどうにかしたいというのが、総長殿のお考えです。ですが――」
幸先のよい話で終わるかと思ったが、途端にネヴィルが表情を曇らせる。
「それはあくまで総長殿の話であって、騎士団の総意ではないです。議席持ちの中には、依然としてシオン殿を討伐し、ステラ王女を騎士団の管轄下に置くべきと主張する騎士もいます」
それを聞いたシオンが、すぐに心当たりを見つけた。
「レティシア、セドリック、アルバートあたりか?」
「ご名答。まあ、あの武闘派三人は頭が固いですしね。彼らがそう言っていると聞かされたところで、何ら違和感はなかったです」
「同感だ。つまり、俺は未だにあの三人に命を狙われる可能性があるってことだな」
シオンが疲れた顔で言うと、ネヴィルも苦笑して頷いた。
「そういうことになりますね。特にレティシア殿がイグナーツ殿に対して非常に懐疑的なようで、貴方を生かして“教皇の不都合な真実”を聞き出すという計画に不満たらたらみたいです。そんな話、当てになるかって」
“教皇の不都合な真実”――その言葉が出て、エレオノーラの表情が一瞬強張る。教皇の子供がハーフエルフとの間に生まれた存在であり、それがエレオノーラであること――それを騎士団が知れば、確かに教皇の罷免が容易になるだろうが、エレオノーラの命がない。これを公表する手段はもはや、シオンにとって禁じ手になっていた。
不可解な雰囲気をシオンとエレオノーラから感じ取ったのか、不意にネヴィルが首を傾げてきた。
「どうしました?」
「何がだ?」
「え、いや、何か一瞬凄く険しい顔になったので」
「気にするな、少し滅入っただけだ。それより――」
気取られまいと、シオンが咄嗟に恍けた返事をする。続けて、
「この街の今後はどうなる?」
ラグナ・ロイウの話に切り替えた。
するとネヴィルは、ああ、と声を上げた。
「今更感は否めないですが、早朝、イグナーツ殿がこの街に来てくれました。この後、彼と一緒に僕も事後処理にあたります。イザベラを含めた犠牲者の埋葬、復興準備、新しい総督を決める段取り――やることてんこ盛りですが、当面は僕ら騎士団に任せてください。なんなら、顔を見せにいきますか? お二人とも、イグナーツ殿とはそれなりに縁があるでしょう」
意地悪くネヴィルが訊くと、シオンとエレオノーラは勢いよく首を横に振った。
「結構」「結構」
揃って同じことを口にすると、ネヴィルが引きつった笑いをして見せた。
「僕もあの人とは極力関りたくないので、気持ちはわかります。まあ、お二人がよろしく言っていた、くらいのことは社交辞令で伝えておきますよ。それと、ソーヤーについてですが――」
唐突にソーヤーの名前が出て、シオンとエレオノーラが神妙な面持ちになった。
「彼女は強い子ですね。昨夜、実の母親を目の前で亡くしたばかりだというのに、もうだいぶ調子を取り戻したみたいです。今は、イザベラを含めた犠牲者の葬儀に向けて、被害をまったく受けなかった西区スラム街の協力を得ようと走り回ってます」
「……そうか」
シオンは、どこかやるせない思いでその一言を発した。エレオノーラもまた彼の心境と同じようで、どこか憂う瞳で床の一点を見つめている。
だが、そんな感傷に浸る暇など与えない、といった様子で、
「ところで、“紅焔の魔女”殿は、これからどうされます? このまま街に残って、復興作業に協力しますか? それとも――」
ネヴィルが言って、シオンとエレオノーラを交互に見遣った。
「シオン殿についていって、今度こそステラ王女を女王にするため、旅に出ますか?」
エレオノーラは、一度大きく息を吸って、天井を仰いだ。それから徐に息を吐き、ネヴィルに視線を戻す。
「この街には長くいたし、それなりの愛着も持ってる。本来、アタシの立場なら、復興に協力するっていうのが筋なんだろうけど――教皇の実子である以上、こんな暴挙に出たクソ親父を止める方が、気持ちの優先度としては高いかな。ステラを女王にすることが教皇の罷免に繋がるっていうなら、シオンと一緒に行くよ」
意を決した顔で、エレオノーラが言った。
ネヴィルが納得したように頷く。だが、
「そうですか。でも、ちょっとだけ訊いていいですか? 貴女は何故、イザベラの娘を演じていたのです?」
丸眼鏡の奥で目つきを鋭くしながら、そう訊いてきた。
途端、エレオノーラの表情が凍り付く。シオンもまた、身体を緊張に強張らせた。
「結局、そこだけ何もわからずじまいなんですよね。どうして貴女が、狂ったイザベラのままごとにそんなに根気よく付き合っていたのか」
エレオノーラがイザベラの娘を演じていた理由が、母親がハーフエルフであると密告されたことに対する復讐だと知られるわけにはいかない――探りを入れてくるようなネヴィルの問いかけに、部屋の中の空気が一気に張り詰める。
しかし――
「ま、いいでしょう。これは別に騎士団として知りたい情報ではなく、ただの興味本位の域を出ない話なので、余計な詮索はしないでおきます」
ネヴィルは力を抜くように長い息を吐き、両手を広げて先に折れた。シオンとエレオノーラが、どっと疲れたように目を伏せ、安堵する。
そんな二人の姿をどこか面白おかしく見遣って、ネヴィルは踵を返し、部屋を出ようとした。
「僕が話したいことは以上です。それじゃあ、旅のご無事を」
※
シオンが目を覚ました三日後の午前十一時――シオンとエレオノーラは、ラグナ・ロイウと大陸本土を結ぶ船の発着港で連絡船を待っていた。
シオンはいつも通りの動きやすい服装。一方のエレオノーラは、以前旅をしていた時よりも、よりカジュアルで身軽な恰好だった。シャツの上にベスト、さらにその上にジャケットを羽織っている。下はショートパンツにロングブーツを合わせ、活発な印象を与える装いだった。
「ねえ、ステラとはどこで合流するの?」
潮風に二つ縛りの髪を靡かせながら、エレオノーラがシオンに訊いた。
「“グリンシュタット共和国”だ。あいつらはもう着いている頃だろうな」
「グリンシュタットってことは、小国地帯を抜けることになるのか。ちょっと面倒だね」
エレオノーラのぼやきに、シオンも同意するように軽く頷いた。
そんな時、連絡船からタラップが降ろされ、乗組員から乗船を促すアナウンスがかかった。
シオンとエレオノーラは、それぞれの荷物を手に連絡船へと向かう。
と、不意に、ラグナ・ロイウの街の方から、二人を呼ぶ声が聞こえた。
「おーい! 兄貴たちー!」
大手を振って走ってきたのは、ソーヤーだった。相変わらず少女とは思えない身なりで、ぱっと見は工場で働く少年だ。
ソーヤーは二人の前に立つと、息を切らしながら険しい表情を見せてきた。
「酷いぜ、二人とも! 何にも言わずに街から出ていこうなんて!」
汗を拭きながら怒るソーヤーに、シオンが少しだけ申し訳なさそうになる。
「色々と忙しそうだったからな。それに、会いたくない奴がお前の近くにいるらしいから、躊躇った」
「最後のはなんだよ。それに、さよならを言うくらいの時間はあるって」
ふざけた顔で口を尖らせるソーヤーだが、シオンは真面目な顔を返す。
「もう、大丈夫なのか?」
その言葉には色んな意味が含まれていたが、ソーヤーはそれを汲み取ったうえで、笑顔を返してきた。
「ああ。復興が軌道に乗るまでボスも残ってくれるし、何より俺にはスラムの皆もいるしな。いつまでもめそめそしてらんないよ」
「そうか」
少しだけ無理をした顔で、それでも健気に明るく振舞うソーヤーを見て、シオンは居たたまれない気持ちに苛まれた。だが、すぐに表情を綻ばせ、
「張り切り過ぎて体を壊すなよ」
憎まれ口のような励ましの言葉をかけた。すると、ソーヤーもどこか意地の悪い顔になって、
「兄貴こそ、女の子をたぶらかすのほどほどにしときなよ。抽選会でできた兄貴のファン、未だに兄貴のこと探しているみたいだぜ?」
そんなことを言い出した。
途端、エレオノーラが眉間に皺を寄せて、シオンを睨む。
「なにそれ? 女の子をたぶらかす? ファンって?」
シオンは真顔なままで、
「知らない。覚えてない」
短く答えた。だが、納得していないエレオノーラは、今度は詰めるようにソーヤーを見る。
「その話、もうちょっと詳しく聴きたいんだけど」
エレオノーラから発せられるあまりの気迫に、ソーヤーは自分で言い出したことを後悔しながら目の前で両手をブンブンと振った。エレオノーラがシオンに好意を抱いていると、ソーヤーはここで気が付いた。
「え、あ、あとで兄貴本人に訊いてくれよ! 俺もよく知らねえ!」
しかし、エレオノーラは無言で圧をかけ、追及をやめようとしない。そこでソーヤーは、
「ま、まあ、思い出したら言うよ。だからさ、復興が終わったらまた街に来てくれよ。今度は観光――二人の新婚旅行とかで、なんちゃって」
と、調子のいいことを言って、エレオノーラの怒りを鎮めようとした。
どうだ? と顔色を伺うが――
「ちょ、やだぁ、もう! 新婚旅行だなんて!」
効果は抜群だったようで、エレオノーラは体をくねらせながらシオンの背中を何度もバンバンと叩いていた。シオンは、ただただ無表情で、されるがままだった。
そんな二人の光景をソーヤーが苦笑しながら見ていると、連絡船の乗組員から再度乗船のアナウンスがかかった。そろそろ、時間だ。
不意に、シオンがソーヤーに手を伸ばした。
「色々世話になった。お前には助けられたよ」
「こちらこそ」
ソーヤーはそう言って手を握り返し、鼻の下を空いている方の手で軽く擦った。
次に、エレオノーラがソーヤーと握手する。
「アタシには色々言いたいことあるでしょ? いいの、こんなあっさりで?」
「さっきも言ったろ。いつまでもめそめそしたくないんだ。まあ、どうしても許せなくて我慢できなかったら、次会った時に一発ビンタくらいさせてもらうさ」
「……わかった、“エレオノーラ”」
エレオノーラが、ソーヤーの本名を言って、長い息を吐いた。ソーヤーは、力なく笑う。
そして、シオンとエレオノーラは連絡船に乗り込んだ。数分後、タラップがしまわれ、ゆっくりと連絡船が港を離れる。
二人が連絡船のデッキに立つと、ソーヤーが両手を大きく振って見送ってくれていた。
「またなー!」
シオンとエレオノーラも、軽く手を振って応える。
暫くそうして、ソーヤーの姿が見えなくなった時――ふとエレオノーラがシオンの顔を覗き込んできた。
「死ねない理由ができたね、お互いに」
言われて、シオンはハッとした。
普通ならどうでもいいと思えるただの口約束だが――シオンとエレオノーラにとっては、未来に進むための大きな標だった。
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