第120話
“天使化”した二人の騎士の衝突を受け、“ケルビム・ドローン”は船体のバランスを大きく崩しながら徐々に高度を落としていく。
シオンは、ランスロットの体を足で押さえつけると、彼の左肩に刀を突き立て上甲板に固定した。直後、ランスロットがお返しにとばかりに、不敵に笑いながらシオンの同じ箇所を長剣で刺す。
「いい動きになったじゃないか、シオン! 昔のような思い切りのよさを取り戻しているぞ!」
ランスロットは、昂りを抑えきれず、愉しむかのように笑った。
「強さに衰えがないのは、同じ師を持つ兄弟子として喜ばしい限りだ! だが、その未熟な精神にはほとほと呆れているのも事実だ!」
双方、得物を握る手の力を強め、互いの首元に向かって刃を走らせようとした。両者とも相手の剣の刀身を素手で掴み、刺された箇所からそれ以上動かないように抵抗する。
「いつまで“あのハーフエルフ”に固執する!? 愛に縋らなければ生きていけないほど弱い男でもないだろうに!」
ランスロットが煽るように、だがそれでいてシオンの気骨を認めるような発言をしたうえで、さらに口元を歪めた。
シオンは、そんなことなどまるで耳に入っていない様子で、歯を食いしばり、淡々と両腕に力を込める。
「私からしてみれば、お前は生きた亡霊だよ! 怨念に取り憑かれ、醜い復讐心を糧に戦い続けなければ現世に命を留めておくことすらできない――程度で言えば、いつ来るかもわからない救済の時をひたすらに待つだけの、“辺獄”に墜とされた哀れな魂と同じだ!」
ランスロットの長剣が、少しずつシオンの首に向かって動いていく。シオンは痛みに顔を顰めつつ、刃に抗う手に一層の力を込めた。
「騎士としての名誉と立場を失ったばかりか、お前にはもう何も護るものがないはずだ! なのに、何故お前はそうまでして我々に歯向かう!? “黒騎士”!」
ランスロットにそう問われたのと同時に、シオンは刀から手を離した。離した手は自身の肩を貫く長剣へと向けられる。シオンがそのまま両手に力を込めると、長剣が音を立てて中央から派手に割れた。
ランスロットがそれに目を剥いた矢先――シオンは、折れた長剣を握るランスロットの腕を足蹴にし、上甲板に押さえつけた。
「騎士だった時から何度もアンタと喧嘩したが、ようやく今理解できたことが、一つある……!」
シオンは、ランスロットを固定したまま右の拳を振り被った。右腕に黒い血管のような線が幾つも走り出し、赤黒い稲妻が音を立てて収束する。“悪魔の烙印”が、最大出力でシオンの力を抑制しようとしているのだ。
「アンタの“それっぽい高尚な話”にはまったく興味が湧かない――だからその顔を見るたびに苛立つんだってな!」
そして、シオンはランスロットの顔面に拳を打ち付けた。その衝撃は、先に二人が衝突した時よりも数段激しいものだった。辛うじて飛行を維持していた“ケルビム・ドローン”だが、ついにラグナ・ロイウの運河へと無残に墜ちていく。
“ケルビム・ドローン”の墜落した水面から、轟音と共に爆発が巻き起こった。
※
――また喧嘩したの?
“リディア”の声が聞こえたということは、ついに死後の世界へ到達したのかと、シオンは思った。だが、何も見えない暗転した世界であるものの、そうと考えられるほどに意識は鮮明だった。
――もう貴方の好きに生きればいいのに。
続けて、死んだことを否定するような“リディア”の声が起き、シオンはそこでハッとした。目を開けると、自分はまだラグナ・ロイウにいるのだと認識できた。夜空は、街の至る場所から立ち込める炎のせいで淡い朱色に染まっており、まだ事態が収束していないことを証明していた。
シオンは自身の体が石畳の上で仰向けになっていることを確認すると、慌てて跳ね起きる。
すると、
「――ほんっと、アンタってさ、やるだけやったらその後のこと何も考えてないよね……」
すぐ隣で、ずぶ濡れになったエレオノーラがそんな小言を伝えてきた。恐らく彼女が、“ケルビム・ドローン”ごと運河に墜ちた自分を救い出してくれたのだろうと、シオンは理解した。
「……エレオノーラ?」
確認するようにシオンが呼ぶと、エレオノーラは小さく鼻を鳴らして微笑を返してきた。
「助かった」
「どういたしまして――って、言っても、アタシらもアンタの無茶に助けられたようなものだけど。あのままドローンに砲撃されていたらヤバかった」
エレオノーラがドレスの裾を絞りながら肩を竦める。意味深なその言葉に、シオンが眉根を寄せた。
「何があった?」
シオンが訊くと、エレオノーラは途端に神妙な面持ちになった。彼女はそれから、徐にある場所を人差し指で示す。
「イザベラが、あの子を――自分の娘を砲撃から庇ったの」
そこには、今にも息絶えそうなほどに弱った仰向け状態のイザベラと、ソーヤーが両膝をついて傍らに付いている姿があった。
イザベラは、ヒュー、ヒュー、と頼りない呼吸を辛うじてしているが、身体の損傷が激しく、もう長くないことは誰の目から見ても明らかだった。
それはすぐ傍のソーヤーも理解しているようで、実母の悲惨な姿を目の当たりにし、必死になって下唇を噛み締めていた。
そんな時――
「……エレオノーラ?」
不意に、イザベラが虚ろな瞳に再び光を取り戻し、そう言った。
ソーヤーは少しだけ驚いたあと、両目を腕で軽く拭ってエレオノーラの方へと振り返る。
「……なあ、姉ちゃん、最後に――」
「貴女、いつの間にこんなに大きくなったの……?」
しかし、イザベラが見ていたのは、ソーヤーだった。イザベラは、自分の本当の娘の名を、ソーヤーの本当の名前を呼んだのだ。
「エレオノーラ?」
母からの呼びかけを受けて、ソーヤーの両目から大量の涙が溢れだす。ソーヤーの頭の中は未だに整理がついておらず、呆然とした表情のままだ。
「どうしたの? どうしてそんなに泣いているの?」
心配そうな顔でイザベラが手を伸ばし、ソーヤーの涙を指で拭き取った。
そこでようやく、ソーヤーの表情が激しく崩れた。
「お母さん……!」
「なぁに? どうしたの?」
涙と鼻水に塗れになった顔を胸にうずめてくる娘の頭を、イザベラは戸惑いつつも優しく撫でた。
「もうすっかり夜じゃない。食事の用意をしなきゃ」
ソーヤーを撫でながら、イザベラが思い立ったように呟いた。もうあと数分も持たない命とは思えないほどに、鮮明で、明るく、優しい声だった。
「エレオノーラ、何を食べたい? 特に何もないなら、お母さん、クロスティーニが食べたいな。それで、いい?」
訊かれて、ソーヤーは顔を上げた。それから無言で何度も頷き、声を押し殺していた。
「どう、したの? エレオノーラ? ど、う、して、泣いているの?」
やがてイザベラの声が小さくなっていく。ソーヤーがイザベラの手を握るが、握り返される力はほとんどなかった。
「ああ……ごめんなさい……お母さん、少し、眠く、なってきた、みたい……」
海の音にも負けてしまいそうなほどにか細くなった声――ソーヤーは耳を傍立て、頭の中に焼き付けようとした。
「エレオノーラ……愛してる……」
ついにイザベラの双眸から命の光が消える。
それから間もなく、ソーヤーが声を上げて泣いた。ずっと我慢していた嗚咽が、喉の奥から絞り出されていく。
歪な母娘の別れを遠くから見ていたエレオノーラ――彼女もまた、両目を微かに濡らしていた。復讐するべき相手が穏やかな死を迎えたことに対する怒りなのか、それとも非業の死を目の当たりにしての悲しみなのか――それは本人も識別できていないようで、握りしめた両手を震わせ、悔恨に顔を顰めていた。
堪らず、といった様子で、エレオノーラはシオンに頭を預けた。血塗れになった彼の胸に縋るように、涙を拭いた。
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