第119話

 空中戦艦“ケルビム”によるラグナ・ロイウへの砲撃が開始されて十五分が経過した頃――ソーヤーはイザベラの手を引いて、“ケルビム”の死角となる場所に避難していた。当初の予定通りであれば脱出用の船がある宮殿外の海沿いに出ていたのだが、砲撃を恐れ、今は正反対の内陸側の宮殿外壁近辺にいる。


「いったい何が起きてんだよ……」


 外壁近くに立ち並ぶ柱を陰にしながら、ソーヤーが震える声で呟いた。その矢先、空中戦艦から数発の砲弾がラグナ・ロイウへと撃ち込まれる。砲弾は宮殿の外壁を軽々と貫き、ソーヤーたちの数十メートル傍を勢いよく通り抜ける。そのまま街中へと着弾し、民間人を周囲の建物ごと吹き飛ばしていった。


 景観が朱色に染まるほどに、悲鳴と絶叫、熱波が広がっていく。

 大陸有数の観光地と言われた海上の楽園の画はそこにはなく、黒煙と炎、無数の死体に侵された凄惨な地獄が出来上がっていた。


 宮殿の内陸側の柱の陰に隠れたソーヤーは、下唇を噛み締めながらその光景を見ていた。自ずと恐怖に体が震える――だが、今はそんなことを言っている場合ではない。何故なら――


「なあ、大丈夫かよ?」


 ソーヤーが、隣で膝を抱えて蹲るイザベラに、声をかけた。


「……エレオノーラが……わたくしの娘が……なんで……」


 イザベラは、エレオノーラに銃を突きつけられてから、ずっとうわ言のような独り言を呟いていた。目の焦点はどこにもあっておらず、ソーヤーが腕を引いて逃げていた時も、何度か転びそうになっていた。

 そんな実の母親の姿を、ソーヤーは沈痛な面持ちで見遣り、歯噛みする。


「あの姉ちゃんはアンタの娘じゃないよ」


 そうやって確固たる事実を改めて伝えるも、


「そんなはずは! だって、だってあの子は、ガイウス様の娘で、本人もわたくしの娘だと!」


 イザベラは決して認めず、血眼になって声を荒げるばかりだった。


「坊やは、そういう坊やは何なの? さっき、わたくしの本当の娘だとかなんとかって……」


 過呼吸寸前の状態で、イザベラがソーヤーに訊いた。

 ソーヤーは、自分の口から言うことが憚れる思いに駆られながら、視線を微かに外して伝える。


「言葉通りだよ。こんな見た目してるけど、俺は女で、アンタの実の娘」

「わけがわからない……!」

「……こっちの台詞だよ」


 両手で頭を抱えて塞ぎ込もうとするイザベラに、ソーヤーは悔しそうな顔になって首を横に振った。

 やはり、もうこの女を元に戻すことはできないのか――ソーヤーが諦めかけた時、不意にイザベラが立ち上がり、子供に向けるとは思えない形相になった。


「いくら子供とはいえ、大人を――しかもこの街の総督を悪質な嘘で揶揄うなんて、やっていいことと悪いことがあってよ! いったい何を根拠にそんなことを言い出すの!」


 子供を叱るというよりは、もう何を考えればいいのかわからないといった怒号だった。

 ソーヤーは、特に畏縮した様子もなく、嘆くように目を伏せる。


「……根拠になるかどうかはわからないけど――」


 それから自身の懐を弄り、いつも持ち歩いている昔の写真をイザベラに見せようとするが、


「……あれ?」


 間違いなく入れていたはずなのに、


「ない! 写真がない!」


 逃げる最中どこかに落としてしまったのか、取り出せなかった。

 まるで立場が逆転したかのように、今度はソーヤーが酷く取り乱す。砲撃の音が止まないにも関わらず、柱の陰から出て、四つん這いになりながら地面を探る有様だ。今にも泣き出しそうな顔になり、ない、ない、と必死になって写真を探す。

 と、その時、


「写真というのは、これのこと?」


 イザベラが、一枚の写真を手に取って見せた。それは間違いなくソーヤーの探す写真で――そこには、赤子だったソーヤーと、それを抱くイザベラが映っていた。


「さっきパーティ会場で貴方が落としたのを拾って……」


 そう言って、イザベラは写真に視線を落とす。すると、イザベラは拾った時と同じく、また暫く写真を見つめだす。そしてその表情が、まるで仮面が溶け落ちていくように、徐々に、しかし確実に、柔和なものへと変わっていった。圧政を強いる総督の顔から、一人の母親の顔へと。


 しかし、


「――!?」


 突如として起こった強烈な風圧に、ソーヤーとイザベラは身を投げ出されそうになった。慌てて柱の陰に隠れ直し、どうにかその場に留まる。


 見ると、すぐ近くの上空に、巨大な鋼の塊が浮いていた。空中戦艦“ケルビム”から飛び発った“ケルビム・ドローン”の一機だ。母船ほどの大きさではないとはいえ、それでも全長はゆうに十五メートルは超えている。そんなものが怨霊の如く低い駆動音を上げながら宙を飛んでいるのだから、目の当たりにした人物からすればこの上ない恐怖だろう。


 “ケルビム・ドローン”は、サーチライトをカメレオンの目のように忙しなく動かし、羽虫を探すように街中の闇を照らし出す。破壊されていない建築物や、逃げ惑う民間人を捉えた暁には、その場所に容赦ない砲撃が繰り出していた。


 ソーヤーとイザベラは、そんな鋼鉄の天使の暴挙を見て、絶句する。


 どうかこちらに気付かないでくれと願うばかりだが――“ケルビム・ドローン”の風圧が、イザベラの手に握られていた写真を飛ばしてしまった。


「あ!」


 咄嗟にイザベラが声を上げたのは、条件反射のようにしてソーヤーが柱の陰から飛び出したからだ。ソーヤーはすぐに写真を拾うことができたものの、


「やばい!」


 “ケルビム・ドローン”のサーチライトに照らされてしまった。直後に、ソーヤーのすぐ近くに砲撃が撃ち込まれる。

 辛うじてソーヤーに当たることはなかったが、すぐに二発目が飛んできた。


「坊や、こちらへ!」


 ソーヤーは後ろで二発目の砲弾の爆発を感じながら、イザベラの誘導に従って走った。

 二人は宮殿の中へ避難しようと、建ち並ぶ柱を盾に、懸命に走る。

 するとそこへ、


「二人とも、こっちへ!」


 開かれた宮殿の扉から、エレオノーラが姿を現した。

 エレオノーラは長大なライフルを杖のように地面に立て、魔術を発動させる。砲撃から逃げるソーヤーとイザベラを守るように、地面から無数の壁が現れるが、それも“ケルビム・ドローン”の砲撃の前には焼け石に水であった。悉く撃ち抜かれ、到底二人を守り切れるものではない。


 そして、逃げる二人の後ろを、砲撃が火の点いた導火線のように追い、ついに到達した。

 その時――


「――え?」


 ソーヤーの体が、不意に進行方向に向かって突き飛ばされる。直後、彼女のすぐ後ろが爆発した。そのままソーヤーは、爆発の余波に乗って、勢いよくエレオノーラに飛び込む形で宮殿の中に入った。エレオノーラはそれを受け止めきれず、勢い余って地面に押し倒された。


 ソーヤーとエレオノーラは、重なり合いながら、衝撃と黒煙に激しく咽返る。

 双方、どうにか間に合ったと安堵するが――イザベラの姿が見当たらない。二人はそれに気付き、すぐに立ち上がり、黒煙の中をかき分けるように周囲を見渡す。


 そして、“ケルビム・ドローン”の風圧が黒煙を晴らした先にあった光景に、言葉を失った。


「――お母さん!」


 ソーヤーが叫んだ先にあったのは、身体を激しく損傷させて地面に横たわるイザベラの姿だった。

 宮殿に入る直前にソーヤーが感じた浮遊感――あれは、イザベラがソーヤーの背中を突き飛ばし、砲撃から守ったためであった。だが、そうしたがために、イザベラは砲撃の直撃を受けることになり、


「お母さん!」


 もはや、実の娘の呼びかけにぴくりとも反応せず、虫の息の状態になっていた。


 まだ砲撃が続いているにも関わらず、ソーヤーが宮殿の外に堪らず飛び出そうとする。そんな彼女の体を、エレオノーラが後ろから羽交い絞めにして止めた。


「駄目、今出たら砲撃に当たる!」

「お母さん! お母さん!」


 しかし、そんなことなどお構いなしに、ソーヤーは半狂乱になって振りほどこうとする。母を呼ぶ声に、喉を裂かんばかりの甲高い悲鳴が混ざる。


「お母さん!」


 その時だった。

 突如として起こった轟音と共に、夜の大気が慄くように震える。


 “ケルビム・ドローン”が、“何か”の衝突を受け、空中で大きくバランスを崩した。衝突した場所にあるのは、赤い光と青い光――“天使化”状態のシオンとランスロットだ。


 それまでいったいどんな戦いを繰り広げていたのか――二人は突如として、彗星の如く、上空から凄まじい勢いで降ってきたのだ。それは、シオンがランスロットに馬乗りになるようにして、“ケルビム・ドローン”の上甲板に叩きつける形になった。


 まるで、傲慢な天使を地獄に叩き落とす、憤怒に狂う悪魔の如く。

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