第115話
「ガイウスはお前が実子だってことを知らないんだな?」
「そのはずだけど……」
唐突なシオンの問いに、エレオノーラがしっかりと頷いた。
エレオノーラは、ひとしきり泣いたあとで落ち着きを取り戻し、シオンの背中の印章を看ていた。無論、彼女が仕込んだ仮死状態になる印章と、“悪魔の烙印”の解呪のためである。
「となると、あの男が知っている事実がどこまでなのか、少し気になるな」
「どういう意味?」
シオンの背中に紙とペンを当てながら、エレオノーラが首を傾げる。それに応じるようにしてシオンが軽く首を後ろに向けるが、すかさずエレオノーラから、動かないで、と短い叱責が飛んだ。そのやり取りは、三ヶ月前に共に旅をしていた時のそれそのままだった。
「ハーフエルフとの間に子供がいるということまでは知っていて、それがエレオノーラということを知らないのか。それとも、ハーフエルフとの間に子供をもうけているということすら知らないのか。もし後者だとすると、“教皇の不都合な真実”はまた別の意味を持つことになる」
「別の意味って?」
和解の空気を楽しむでもなく、二人は淡々と話を進める。
「子供の有無ではなく、ハーフエルフと体の関係を持っていたことが“教皇の不都合な真実”になるってことだ。もしかするとガイウスは、ハーフエルフと恋仲の関係にあったことを知られたくないのかもしれない」
シオンの推理を聞いて、エレオノーラは顔を俯ける。
「恋仲、だったのかな……。お母さん、何も話してくれなかったから、それはアタシもわからないや」
それから短い嘆息をした後で、解呪を再開する。
「でも、何で教皇はシオンがそのことを知っていると思ったんだろう? 直接アンタにそう言ったわけじゃないんでしょ?」
「完璧主義者な上に無駄に猜疑心の強いあの男の事だ。ハーフエルフに好意を寄せていた俺に余計な一言を言ってしまったせいで、自分もハーフエルフと関係を持っていたといずれ気付かれると思ったんだろう」
「余計な一言?」
「“師弟揃って、神に逆らう必要もあるまい”――あいつは俺にそう言ったことがある。神に逆らうってことが具体的に何を意味しているのかはわからないが、恐らくは聖王教が禁忌としている亜人と人間の姦通のことだろうな」
淡々と真面目に話すシオンだったが、その後ろではエレオノーラが少しだけ不機嫌そうに顔を顰めていた。
「アンタの過去は前にイグナーツ卿から大体聞かされていたけど――やっぱりアンタ、“リディア”って女と恋人同士だったんだ。前聞いた時、露骨にはぐらかしやがって」
「その話今は関係ないだろ」
直後、シオンの背中から赤い光が迸る。
「痛っ!」
不意に起こった強烈な痛みに、シオンは思わず声を上げた。
「アンタが注文していた解呪は終わったよ。これで、致命傷を負っても強制的に仮死状態になることはないけど、だからって頑丈になったわけじゃないからね。そもそも死ぬような傷を負うなんて無茶しないでよ」
そう言ったエレオノーラの声は、どこか不満げで苛立ちが覗いていた。
「機嫌悪いのか?」
「悪くない」
短く答えて、エレオノーラはシオンの背中を、ペチン、と勢いよく叩く。
「あと、“悪魔の烙印”も今できる範囲で解呪しておいた。それでもまだ全体の三割くらいしか解呪できていないから、“天使化”の負荷はまだ結構なものだと思うけど」
「それだけでも今は十分だ。ありがとう、本当に助かった」
不意打ち気味なシオンの感謝の言葉を受けて、エレオノーラはくすぐったそうな顔になる。
それから二人は外に出る準備を始めた。シオンがワイシャツを着直していると、不意にエレオノーラが彼の右手を覗き込むように見る。
「その手、大丈夫?」
シオンの右手は、エレオノーラの自傷を止めた時に裁ちばさみで貫通した。出血は治まっているが、破いたシーツで雑にぐるぐる巻きにされている状態だ。見ただけで顔を顰めてしまいそうなほどに痛々しいが、シオンは特に気にした様子もなく、右手を軽く振ってみせた。
「ああ。三日もすれば何もしなくても治るし、“帰天”を使えば一瞬で治る」
「そう。まあ、確かにアンタの怪我ってすぐに治るから、一緒に旅をしていた時も心配なんかしたことなかったか。アンタがぶっ倒れた時はさすがにびっくりしたけど」
「ステラの偽物騒動の時だな」
「よく覚えてんね」
それほど昔の話ではないにも関わらず、どこか懐かしむようにくすくすとエレオノーラは笑った。普段から表情を崩さないシオンも、どことなく柔らかい顔つきになっていた。
そんな短い談笑を終えると、
「ねえ、これからどうするの? アンタはこれでここに来た目的を果たしたんでしょ?」
エレオノーラが、近くにあった紐で髪を二つ縛りにしながらそう訊いた。
シオンはジャケットを羽織ると、壁に立てかけていた刀を手に取る。
「ランスロットとトリスタンを倒す。ネヴィルは俺をこの街から逃がすつもりでいるようだが、海に囲まれたこの街であいつらから逃げ切るのは多分無理だ。印章の解呪もしてもらったし、倒す方がまだ望みがある」
そうして準備を整え終わったシオンとエレオノーラは倉庫から出た。周囲に人気はなかったが、宮殿内では絶えず轟音が鳴り響いている。恐らくは、ネヴィルの魔術によるものだろう。
倉庫の扉の前で、シオンはエレオノーラに振り返る。
「お前はこれからどうする? 結局、イザベラを追うのか?」
「……アタシは――」
そうエレオノーラが何かを言いかけた時、シオンが咄嗟に刀を抜いた。直後、金属同士がかち合う音が大気をけたたましく震わせる。
「第二ラウンドといこうか、シオン」
声がした方を見ると、どこからか突如として姿を現したランスロットが、シオンと鍔迫り合いをしていた。
ランスロットの急襲に辛うじて反応したシオンだが、その顔に余裕はなく、剣の圧に押し負けまいと堪えるように歯噛みしていた。
「エレオノーラ、とりあえずお前はここから離れろ!」
「わ、わかった!」
シオンの指示を受け、エレオノーラが早々に立ち去る。
そんな二人のやり取りを、ランスロットは訝しげに見遣っていた。
「“紅焔の魔女”と黒騎士であるお前がどういう利害関係でいるのか、あの女の素性も含めて気になるところではあるが――」
だが、すぐに意識を目の前の黒騎士に戻したようで、再度剣を握る手に力が込められる。
「まずはお前の首と胴体を切り離すところからだな、シオン」
そう言ってランスロットが不敵に笑うと、シオンは嫌悪に顔を歪めた。
「アンタはさっさとガイウスの尻から離れたらどうだ、ランスロット」
刹那、二人は同時に“帰天”を使い、“天使化”を果たす。二人はその勢いで宮殿の中庭まで飛び出し、瞬きひとつの間に幾度と剣を交わした。
赤と青の剣戟が、凍てつく夜の寒気を爆ぜさせる。
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