第114話

「アンタの言う通り、アタシは人間とハーフエルフの間に生まれた子供――言ってみれば、クォーターエルフ」


 エレオノーラが声を絞り出した。彼女は、生気を半分失ったような顔で、シオンに背中を預けていた。シオンもまた、彼女の自傷行為を止めた時の体勢のまま、後ろから抱き支える形で話しを聞く。


「何でイグナーツはそのことを知らないんだ? 教会魔術師なら血液検査を受けているはず。混血かどうかはその時にわかるんじゃ……」


 仮説を立てて予想していたとはいえ、いざそれが事実だとわかると、さすがのシオンも動揺を隠せなかった。質問した彼の声は微かに震えていた。


「単純だよ。四分の一にまで薄まったエルフの血は、今の技術じゃ検出できないってだけ。でも、そのうち技術が洗練されて精度が上がれば、いずれ血液検査でわかる時が来る」


 そう言ったエレオノーラは、口調こそしっかりしていたものの、茫然自失といったように目が虚ろだった。


「耳も瞳もエルフの特徴がないおかげで純血の人間のフリができているけど、寿命はどうかわからない。もしかしたらエルフやハーフエルフみたいに三百年近く生きることになるかもしれないし、そうじゃないかもしれない。もしそうだったらアタシは、人間の姿で長い時間を生きることになる」


 そのことを恐れるかのように、弱々しく説明した。


「髪をピンクに染めているのも、地毛がエルフと同じような金髪だから。混血だってバレるのが怖くて、奇抜な色に染めたんだ。もし色が抜けて金髪が見えても、普段からそんな色してたらただの派手好きな女で誤魔化せるしね」


 エレオノーラは微笑していたが、それが精一杯の虚勢であることは手に取るようにわかった。シオンは、痛々しい思いに駆られながらも、必要なことを聞かなければと、心を鬼にする思いで質問を続ける。


「教えてくれ。お前の目的はなんだ? どうしてイザベラの娘を演じている?」


 すると、エレオノーラは不意に視線を落とした。口を横一文字にきつく結んだあとで、徐に動かす。


「……アンタと一緒だよ」


 小さく、低い声だった。それにシオンが痛ましく顔を顰めると、


「復讐――お母さんの仇を討ちたい、それだけ」


 間髪入れずに、そう補足してきた。


「その復讐相手がイザベラってことか?」

「それと、もう一人。お母さんがハーフエルフだって騎士団に通報したのがイザベラ、そしてお母さんを捕まえに来たのが、当時まだ騎士だった教皇――ガイウス・ヴァレンタインだった」


 思いがけない回答に、シオンは言葉を失い吃驚する。


「教皇は騎士だった時、どんな任務も完璧にこなす優秀な騎士として評判だった。アンタもあの男の弟子だったんなら、それくらいのことは知っているでしょ? でも、そんな男が唯一失敗した任務があった」

「何の任務に失敗した?」


 エレオノーラはそこで一度手に力を込める。未だに手放していない、シオンの血に塗れた裁ちばさみが、微かに震えた。


「ハーフエルフの捕縛――アタシのお母さんを捕まえるのに、一度失敗したみたい」

「それは、どういう――」

「知らない。知りたくもない。お母さんも、当時はアタシの父親の話なんて一切してくれなかったし、二人の間に何があったのかは知らないけど――あの男はお母さんを捕まえ損ねて、初めて任務を失敗した」


 エレオノーラはさらに続ける。


「その後まもなくアタシが生まれて、アタシはお母さんと二人だけで一緒に暮らすことになった。この国の人里離れた場所で、人間のフリをしつつ、ひっそりとね。でも、アタシが七歳くらいになった時から、周辺で妙な人間たちをたびたび見るようになった」

「妙な人間たち?」

「イザベラの配下たち。イザベラは、教皇に気に入られようと、昔あの男が取り逃がしたハーフエルフを――お母さんの居場所を調べたの」

「……それで、イザベラが通報したのか」


 エレオノーラは静かに頷いた。


「その時、お母さんも周囲の不穏な動きに勘付いてた。だから、騎士団が家に来た日、アタシを事前に外に逃がしてくれたんだ。絶対に家に戻ってくるなって、当時はわけもわからず、生まれて初めて怒られて、ショックを受けたのを覚えてる」


 そう言って、微かな郷愁に頬を緩ませた。だがそれも、強風にあおられた蝋燭の火のように一瞬で消えてしまう。


「お母さんに何か悪いことをしちゃったんだ、暫くしたら家に戻って謝ろうって、頃合いを見て家に引き返したんだけど、その時にはもうお母さんは騎士団に連れていかれる状態だった。幼いながら理解したよ。ああ、お母さんはアタシをあの人たちに連れていかれないように、わざと怒って家から追い出したんだって」


 エレオノーラはそこで一度区切り、呼吸を整えたあとでまた話を続ける。


「イグナーツ卿に拾われたのは、それからちょっとして。一人で途方に暮れてさまよっていたところをイグナーツ卿に連れられて、アタシは教会魔術師の施設で育てられることになった。その時に血液を調べられたんだけど、そこでアタシはようやく自分の父親を知ることになった。お母さんを処分するために連れ去った騎士が自分の父親だってわかった時は、気が狂いそうになったよ。でもこれで、アタシの人生が決定した。教会魔術師になって、お母さんを殺した奴らに復讐するんだって」


 シオンの腕の中で姿勢を直しながらエレオノーラは言った。それから数秒の間を置いて、今度はシオンが口を開く。


「それで教会魔術師になったお前は、復讐を実行するためにイザベラの娘を演じたと?」


 エレオノーラが、少しだけ気が触れたような笑い声を上げた。


「面白かったよ。最初はただ、教会魔術師として自分を売り込みにいっただけなのに、あのいかれババア、アタシのこの金色の目を見て教皇そっくりだって言い出したの。その時には自分の身の周りの話が支離滅裂の状態で、教皇との間に子供がいるって狂言を吹聴しててさ。だから、利用してやった。実は私が貴方の娘ですって」

「それをイザベラは信じたのか……」

「びっくりだよね。アタシも、まさかこんな簡単にあの女の懐に入れるとは思わなかった」


 エレオノーラの口元は自嘲気味に歪んでいたが、双眸は酷く濁っていた。金色、あるいは琥珀色と形容できる彼女の瞳には、何の光も灯っていなかった。


「そこからは、淡々と二人に復讐する機会を伺っていた。ただ殺すだけじゃ駄目。ありとあらゆる恥をかかせて、社会的にも殺したうえでぶっ殺してやるって。それだけを糧に、何年もここで耐えた」

「もしかして騎士団と協力していたのは、教皇を罷免するための材料に自分が実の娘であることを利用するつもりだったからか?」


 ハッとしてシオンが訊くと、エレオノーラは力なく笑う。


「アンタってこういうところの察しはいいよね。そうだよ。ただでさえ子供がいるって事実がやばいのに、それがハーフエルフとの間に生まれた子供だって世間に知られたらどうなると思う? しかも、教会が排斥する混血に教会のトップが腰振ったって、この上ない笑い話だよね。だから、いつかアタシが教皇の実子だって公表する話をイグナーツ卿から打診された時、密かに思いついたんだ。公表する時一緒に、アタシが混血だってことも暴露してやろうって」

「だがそんなことをすればお前も――」

「どうせこの命に居場所なんてないもん。いつか絶対に混血だって周りにバレる。だからさ、復讐の晴れ舞台で有意義に散らせようって思った。そうしたら、お母さんにも会えるし」


 少し前から、エレオノーラの語り口調は、まるで自分を哀れなピエロのように見立てているかのようだった。口元だけが常に異様に微笑み、視線は虚空に向けられている――だが、そんな表情も、このタイミングで不意に消えてしまった。


「でも、今日でその長年の計画も全部台無しになったっぽい。だからせめて、イザベラだけでも殺してやろうとしたんだけど……」


 エレオノーラの声が、再び震えだした。


「アタシがやろうとしていることが、アタシのやられたことと同じだってわかった時、何もできなかった」


 やがて酷い寒気を覚えたかのように、シオンの腕の中で体が小刻みに震える。


「イザベラの子供が、イザベラを守ろうとしたのを見て――あの時アタシもそうしていたら、何か変わっていたのかなって……」


 両腕で自身の体を抱き締め、噛み締めた下唇からは一筋の血が流れていた。


「色んな事が頭に浮かんで、もう、何をしていいか、わからなくなって……」


 嗚咽に声を詰まらせ、両目から大粒の涙を落とす。


「アタシだって、お母さんのこと大好きだったのに……何で、アタシたちだけ……!」


 最後にその一言を絞り出し、救いを求めるようにシオンへ体を預けた。目元を彼の胸に押し付け、次々と湧き上がる複雑な情念を押し殺すように咽び泣く。

 そんなエレオノーラの体を、シオンはそっと抱き締めた。


「……強いよ、お前は」


 果たして自分が同じ境遇になった時、彼女と同じように復讐を止めることができるのか――そんな自問自答が、時計の秒針が動く間もない刹那に浮かんだ。

 エレオノーラにかけた咄嗟の一言は、それに対する遠回しな回答であり、自分が浅ましい生き物であると自覚させるものであった。反面、彼女が今こうして、自分の行いに涙を流していることに、よくわからない安心感も覚えていた。


 シオンは、何故ステラが自分の復讐を止めようとするのか、少しだけ理解できたような気がした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る