第113話
ネヴィルが二人の枢機卿を奇襲して間もなく、彼はシオンの腕を引き、大評議会の間を急いで後にした。部屋を出てすぐにシオンが腕を振り払う。
「ネヴィル! アンタ、ランスロットたちがここに来ることを知っていたのか!?」
「まさか。僕もほんの一時間ほど前にイグナーツ殿から知らされたばかりですよ。始めから知っていたら、貴方をここに送り込んでません」
二人はそんなやり取りをしながら宮殿の回廊を駆けた。ランスロットたちが爆発のダメージに足止めを食らっている間に、可能な限り距離を取ろうとする。
シオンとネヴィルは特に打ち合わせをしたわけではないが、あの枢機卿二人を同時に相手にして勝つことは困難と、双方暗黙的に認識を合わせていた。
「これからどうするつもりだ? 騎士団は十字軍にどう対応する?」
そう質問したシオンの横では、ネヴィルが走りながら回廊の壁に手を触れていた。すると、二人が走り抜いた後方の回廊が、突如として現れた壁に次々と塞がれていく。ネヴィルが時間稼ぎのため、魔術で回廊の構造を作り変えているのだ。
「我々騎士団は、今回の十字軍の身勝手な行動に断固として抗議します。枢機卿への攻撃も、事前にイグナーツ殿から許可をもらってやったことです。まあ、最終手段、とは言われましたけどね」
そう言ってネヴィルは自嘲気味に肩を竦める。
「それで今後についてですが――イザベラについては諦めます。教皇が自らイザベラを切り捨てたとなると、もはや彼女を失脚させる意味もなくなりましたからね。次にシオン殿ですが、貴方にはこのまま十字軍から逃げてもらいます。“教皇の不都合な真実”を知っているであろう貴方をこんなところで失うわけにはいかないので。というわけで、このままラグナ・ロイウから脱出してください。すぐに出せる船が宮殿の外にあるので――」
「エレオノーラたちはどうなる?」
シオンからの質問に、ネヴィルは諦めた表情で首を横に振った。
「イザベラの身柄は十字軍に引き渡されるでしょう。彼女の側近として雇われていた“紅焔の魔女”も捕まることになるかもしれないですね。ソーヤーは僕の方で何とかします」
不意にシオンが足を止めた。それに合わせてネヴィルも止まり、振り返る。
「シオン殿?」
「それだと困る。ここに来たのが無駄骨だ」
そして、シオンが突然、回廊の窓から外に飛び出していった。その突飛な行動に、ネヴィルが一拍遅れて目を丸くさせる。
「ちょ! シオン殿!?」
軽業師の如く、シオンは回廊の外の中庭に降り立ち、瞬く間に宮殿内へと姿を消してしまった。ネヴィルが慌ててその後を追おうと窓の縁に片足を乗せるが――突如として、回廊の壁が勢いよく破壊された。
煙の奥でその影を揺らめかせ、壊れた壁の穴から出てきたのは、ランスロットとトリスタンだった。
「シオンはどこに行った?」
ネヴィルが舌打ちをする間もなく、ランスロットが冷たい声で訊いてきた。
「僕が知りたいくらいですよ。見つけたら教えてください」
苛立ち混じり、冗談交じりにネヴィルが答えると、トリスタンが槍の先を向けた。
「ネヴィル、我々に攻撃を仕掛けたということは、騎士団は明確に十字軍へ敵対する立場を取るということで問題ないな?」
「まあ、そうなりますかね。承認されていない教会組織の暴走を止めるのも、騎士団の立派な仕事だと考えるので」
ネヴィルのその回答を聞いて、ランスロットが小さく鼻を鳴らす。
「トリスタン、私はシオンを探す。こいつはお前に任せた。議席持ちの身柄を抑えれば、騎士団との交渉時にいい材料になる」
そして踵を返し、回廊から去っていった。
この場に残ったネヴィルとトリスタン――静かに槍を構えるかつての議席持ちの騎士を前に、ネヴィルは大きく嘆息した。
「トリスタン殿と一対一とか勘弁してほしいですね、泣きそうです……」
※
イザベラとソーヤーを先に逃がし、エレオノーラは宮殿の回廊にて、一人で十字軍の兵士に応戦していた。
今時ではない甲冑のような防具に身を包んだ兵士の耐久力は並のそれではなく、エレオノーラが魔術で作り出す火球でも、直撃でなければ容易に耐えていた。そのため、エレオノーラはいつも使う以上に魔術の威力を上げる必要があった。だがそれには、並々ならぬ集中力を要し、脳に多大な負担をかけることになった。
「頭が、痛い……」
兵士たちの進軍の第三波を防ぎ切ったところで、エレオノーラはがくんと両膝を地面についた。その時の衝撃で、顔から地面に何かが落ちる。見ると、血だった。顔を手で擦ると、左目と左の鼻から出血をしていることがわかった。
それに気を取られている間に、回廊の奥からまた十字軍の増援がやってきた。
エレオノーラはライフルを杖に立ち上がろうとするが、重力の上下が反転したような感覚に陥り、その場に倒れ込んでしまう。
ここまでかと、暗転する視界の中で静かに諦めた。
それからどれだけの時間が経ったのかわからないが、エレオノーラが次に感じたのは微かな温もりだった。そして、上半身を肩から支えられるような浮遊感と――誰かが、自分に向かって声をかけている様子を感じ取った。
「――目を覚ませ!」
聞き覚えのある声に安心感を覚え、それに応えるよう、うっすらと目を開ける。
「おい、しっかりしろ!」
水の中にいるような濁った視界に映ったのは、自分の顔を覗き込む、誰かの姿だった。
「エレオノーラ!」
やがてそれも明瞭になり、その誰かがはっきりとわかる。
エレオノーラを抱えて声をかけていたのは、シオンだった。
「なんでいんの……?」
胡乱な瞳を向け、か細い声をエレオノーラが発すると、シオンは小さな安堵の息を吐いた。それから、エレオノーラと彼女のライフルを両腕で抱き上げ、周囲を見渡す。
「どこか身を隠せる場所はないか?」
シオンの腕の中で、エレオノーラも辺りを見回した。すると、意識を失う直前に見た十字軍の応援はすべて斬り伏せられていた。恐らく、シオンがやったのだろう。
それにホッと胸を撫で下ろしつつ、エレオノーラは弱々しく宮殿のある一点を指差した。
「そこの部屋……寝具の倉庫……」
エレオノーラが示したのは、二人のいる場所から十メートルほどの場所にある扉だった。シオンは、エレオノーラが皆まで言う前にその部屋へと入っていく。それほど広くはない部屋の中には、大量のベッドシーツや掛け布団が積まれていた。シオンは、部屋の奥の方で積まれたベッドシーツの上にエレオノーラを仰向けに寝かせると、カモフラージュ用に扉のすぐ目の前に別のベッドシーツを移動させ、即席の壁を作った。
ようやく一息つける状況になったところで、シオンがエレオノーラの傍に座る。
「大丈夫か?」
気遣わしげに訊いたシオンに、エレオノーラは力なく笑った。
「体はどこも怪我してないし大丈夫……魔術を使いすぎて、頭が痛いだけ……」
「ならよかった」
シオンはいつもの無表情で、エレオノーラの顔に流れる血を近くのシーツで拭き取った。
その時に、
「どうしてアタシを助けたの?」
不意にエレオノーラが訊いた。
シオンは、血の付いたシーツを適当なところに投げ捨てた後で、彼女に向き直る。
「少し前に言っただろ。お前が仕込んだ印章を解呪してもらいたい」
「ああ、そういえばそうだったね……」
その回答に、エレオノーラは少しだけ落胆した。それに、自分でも無意識に何か別の言葉を期待していたのかもしれないと気付き、妙に恥ずかしくなる。
「ちょっとだけ待って。頭痛が治まったら、やってあげるから……」
そんな感情を振り払うように、少しだけ声を張って、徐に目を瞑った。
頭は痛いし吐き気もする――にもかかわらず、心がどこか穏やかにいられていることが、エレオノーラは不思議だった。誰かが傍にいるだけで、こんなにも安心感を得られるとは――心細さや寂しさといった感情を掻き消す仄かな温かさが、じんわり身に沁みていた。
そんな時、
「こんな時に何だが――それとは別に、お前に訊きたいことがある」
ふと、シオンがそう切り出した。
満たされそうになっていたエレオノーラの心に、小さな穴が空く。
「……なに?」
「ガイウスの話だ」
案の定だった。エレオノーラは目を開け、天井を見つめる。
「答えたくなかったら、そのまま黙ってもらっていい」
そう言ったシオンの声は、らしくなく、少しだけ震えていた。何かを恐れているような、気を遣っているような――他人との距離にどちらかといえば無頓着であるこの男が、そんな態度を見せていたのだ。
そのことが、エレオノーラの胸中を一層慄かせた。
そして――
「……ガイウスは、ハーフエルフとの間に子供を――お前を作ったのか?」
シオンの言葉を何かの合図のようにして、エレオノーラは動き出した。シーツから起き上がった彼女は、近くの棚に置かれてあった裁ちばさみを勢いよく掴んだ。そして、それを何の躊躇いもなく自身の喉元に突き刺そうとするが――
「待て! 落ち着け、エレオノーラ!」
裁ちばさみが貫いたのは、シオンの手だった。裁ちばさみの刃先が、すんでのところまでエレオノーラの喉元に迫った状態で止まる。しかし、エレオノーラはそれでもなお自分の喉を突き刺そうとするのを止めなかった。シオンの手に阻まれる彼女の手から、力が一向に抜けない。
「頼む、落ち着いてくれ!」
シオンが、エレオノーラを後ろから抱き締めるように宥める。
「お前が混血だからって俺は何も思わない! どこにも、誰にも話さない!」
ようやく諦めて、エレオノーラの体から力が抜けた。同時に、彼女の目から、静かに涙が流れ始める。その顔は恐ろしいまでに無表情で、無機質だった。
シオンは、腫れ物を触るような所作で、エレオノーラの肩を支えた。
「……ハーフエルフとの間に子供を作った――これが、“教皇の不都合な真実”だな?」
やがて、エレオノーラの全身が小刻みに震えだす。そうして、何時間とも錯覚するかのような数秒の間が置かれ――
「――うん……」
エレオノーラが、表情を悲哀に崩しながら頷いた。
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